第三部・第2話

 スコラがティマの治療をしている背後で──カルは外で倒れたままのレナの胸ぐらを掴んでいた。

「あなたには──あなたには…………あの敬礼の意味が分からないの⁉︎」

 その声は装甲車の全員に届いていた。

「私たちを受け入れてくれてるの!」

 そして、カルはレナの前で久しぶりに大粒の涙を流していた。

「このままじゃ私たちは死ぬだけ! 生きられないの! 何の希望もないのよ! やっと希望が見えたのに‼︎」

 そのカルの肩に、ティマが左手を添えた。

「少佐……ごめんね…………もっと気を使うべきだった……」

 カルが振り返った時、そこにあるのはティマの柔らかい笑顔。その柔らかさに、カルの涙と言葉は止まらない。

「あなたは…………だって…………あなたは────」

「もういいよ…………四人の話を聞かせて……私たちの物語も聞いてほしい」





「やっぱりその緑の光って…………」

 そのナツメの言葉に、スコラが繋げる。

「アイバでしょうね…………そしてあの部隊…………」

 まだだいぶ形を保っている五階建てのビル。

 とは言っても戦火のためか、窓のガラスも、出入り口の扉も、それらは僅かに痕跡を残しているだけ。匂いこそ残ってはいないが、至る所が炎に包まれた傷跡を残していた。

 その一階。

 暗くなってから、すでにだいぶ時間が経っている。

 幅の広い出入り口部分に装甲車を横付けし、全員が広いフロアに腰を降ろしていた。軍用の保存食を食べることには全員が慣れていたが、いつも通り、それは空腹を埋めるためだけの行為に過ぎない。食べることへの執着など、全員がすでに忘れていた。

 カルたちに関しては、その日最初の食事でもあったが、レナとマーシはなかなか口をつけようとしない。誰もがそれに気付いていたが、あえて強制しようとはしなかった。

 ナツメが口を開き続けた。

「その子にさ……見せたくなかったんだよね…………だから、大丈夫だよマーシ」

「そうは言うけど…………」

 言葉を繋げたのはチグだった。

「まあ…………難しいよね」

「安心してよマーシ」

 口を挟んだのはスコラだった。

「普通に考えたらさ……至近距離で手に穴が開いたら骨だって砕ける…………それなのに、見てよ」

 スコラがティマに目をやると、ティマは包帯だらけの右手を上げて指を動かして見せ、ニヤニヤと笑みを浮かべる。

「凄いでしょ。もう関節を感じる」

「バケモンだバケモンだ」

 そう言ってふざけ始めるナツメに釘を刺したのはヒーナだった。

「ナツメ──そういうことじゃないでしょ。銃を触るのも嫌だったマーシが、それでもあの子を守ろうとして、あの子のために引き金を引いたんだ」

 キラはいつの間にか眠りに落ちていた。しかも、アイバと一緒に…………。

 ヒーナが続ける。

「凄いじゃない…………そこまで誰かのためにってさ」

「私たちだって、相当なものだよ」

 チグだった。そして続ける。

「みんな凄いよ」

「まあ、確かにね」

 ヒーナはそう応えると、カルに顔を向けた。

「まあ、さっき話した通り…………私たちは考えられないようなものを何度も見てきたし、正直〝神〟の存在を感じる現場にいたよ。現実問題としてアイバの力も不思議なだけで計り知れない。更にティマの体は文字通りバケモノみたいになったわけだし…………」

「やっぱりバケモノじゃん」

 そのナツメに返したのはティマ。

「本人の前で言うな……傷つくだろ」

「傷つかないでしょ」

「まあ……そうだね…………」

 そして、ヒーナが大きく溜息をついて続ける。

「とにかく…………私たちはラカニエに行く。総て話した通り、何かがあると思う…………このまま引き下がるわけにはいかない」

 それを繋げるのはスコラ。

「関わり過ぎたのかもね…………でも……もう戻れないから…………」

「信じろって言ったって、無理がある話かもしれないけど────」

 そのヒーナに繋げたのはティマだった。

「それに、その子…………キラ? どうして〝アーカム〟なんて言葉を知ってるんだろ…………自分のことを〝アーカム〟って言ったんでしょ?」

 挟まるのはチグ。

「んー…………どこかで見たのかなあ」

 更にナツメ。

「でも名前を知ってるのはおかしいよ」

「単純に別の物の名前かなあ?」

 そのチグの言葉に返すのはヒーナ。

「冷静に考えたら一人だけ生きていたのも不思議よね…………カル、戦闘からはどのくらい経ってた感じだったの?」

 カルはすぐに応えた。

「まだ焦げ臭い匂いは残ってたけど…………二四時間くらいかと…………」

「ティマは────」

 ヒーナがティマに顔を向けて続ける。

「やっぱり、アイバとの関連性を考えてる?」

 すぐに応えるティマ。

「そもそも私たちはアイバの素性すら知らない…………だからなんとも言えないけど、無視は出来ない」

「そうね」

 そしてヒーナは大きく溜息をついてから続ける。

「結局分からないのはいつものことか」

 そのヒーナの言葉に応えたのはカルだった。

「そんなオカルト的な話…………信じたくなんかないけど…………でもあの空爆で何かが変わった…………私たちも関わった…………悔しい…………許せない…………」

 するとティマが立ち上がった。全員の視線を浴びながら口を開く。

「国も所属も関係ないよ。〝人間〟対〝神様〟だ────仲間は多いほうがいい…………」

「だったらさ…………こんなのは?」

 それはスコラだった。

「前に…………シーラと冗談で話してた…………どこの国も無くなったなら、新しく国を作ろうかって」

「そっか…………」

 ティマはシーラの名前に一瞬気持ちを揺さぶられた。

 ──そんなこと考えてたんだ…………

 スコラが続ける。

「大統領候補はヒーナだったけど」

「は⁉︎」

 目を見開いたヒーナをからかうのはやはりナツメ。

「おめでとう大統領。私にも何か役職をくださいな」

 立ち上がったままのティマが挟まる。

「冗談でも……面白いかもね…………それじゃ、私は先に寝るよ」

 ティマは装甲車に向かって歩いた。それを追いかけるナツメ。

「相変わらず」

 スコラが続ける。

「火薬と油の匂いが好きだね」

「索敵も兼ねてるからね。口に出さないだけ」

 そう言ったのはチグだった。

「まあ」

 ヒーナが続ける。

「やっぱりバケモノだよ」

「あなたもね、大統領」

 次にからかったのはチグだった。

 そのやりとりを呆然と眺めるカルの隣で、レナとマーシは一度も口を開くことはなかった。

 コレギマの競技場で拾った装甲車は、お世辞にも新しいタイプではない。上部の重機関銃は固定型。左右に横へ出せるシートはあるが機銃は無い。索敵用のコンピュータもないために、レーダーはもっぱらチグのラップトップに頼っていた。駆動的にもキャタピラではなくタイヤだった。前輪が左右共に一つずつ。後輪は左右にそれぞれ二つずつ。計六個のタイヤで支えられている。マニュアル走行に限定されているためにドライバーの負担も大きい。

 しかしそれだけに後部の貨物スペースは広い。食料や弾薬用のボックスが並ぶ他は、チグが自分用に拾ってきた一人用の座椅子が無理矢理に固定されているだけだ。メリットは他にキャタピラよりスピードが早いくらいなもの。

 ティマがその装甲車の床に横になると、すぐにその横に寝転がったのはナツメだった。

「ねえティマ、そろそろ二人の将来のことを──」

「茶番はやめて本題に入って」

「分かった──って言うより、ティマって有名だったんだなあって思ってさ」

 閉じていた瞼を開き、ティマは天井を見ながら応えていた。

「あまり…………考えたことはないよ…………」

「羨ましいねー、私は有名じゃないけど」

「……………………」

「冗談だよ」

「いいよ、もう」

「良くないよ…………ティマはいっつもそう」

 ナツメは上半身を起こしていた。

 その姿を見ながらティマが応える。

「昔の話なら────」

「違うよ」

 ナツメの目がいつの間にか真剣なものになっているのが、横顔だけでティマにも分かった。

 そのナツメが続ける。

「私が知りたいのは…………今のティマ自身…………過去なんかどうでもいい」

 ティマはゆっくりと瞼を閉じた。

 そして続ける。

「……うん…………そうだね」





 朝────この日も空は快晴だった。

「本当に同行させてもらってもいいの?」

 装甲車のエンジンをかけたばかりのヒーナに質問してきたのはカルだった。ヒーナがリーダーであることはすでに気が付いているのだろう。

 そのヒーナが応える。

「もちろん。むしろ助かる。あのレナって子は医療の現場にいたんでしょ?」

「はい…………でも力になれるかどうか……」

 カルは応えながら視線を落とした。

 それを見てヒーナが応えた。

「大丈夫。戦闘行為はさせなくていいよ」

 ヒーナも、何かに気が付いていた。そして続ける。

「そっちは任せて。全員が精鋭だからさ──助手席に乗って。少し話そう」

 後部でラップトップを開いていたチグが声を上げる。

「周囲はクリア──予定通りのルートでいいよヒーナ」

「オッケー」

 ヒーナがアクセルを踏み込むと、ゆっくりと装甲車が動き始めた。

 ラカニエの国境までは直線距離でおよそ四〇〇キロ。

 山間部や高低差を考えると走行距離は六〇〇キロを超えると予想された。

 休憩や補給を挟みながらで一ヶ月程度。

 戦闘行為が絡むことでその日数はもっと増えるだろう。

 事実、ここまででも戦闘行為は何度もあった。残存兵力としてのドローン部隊もあれば、対人となる残存兵力もある。

 当然アーカムのドローン部隊との戦闘もあった。

 しかしカルたちのようなパターンは初めてだった。軍人以外の民間人に会うのも久しぶりと言っていいだろう。

 そしてコレギマを出発してから、ティマがアイバに強制してきたことがある。

 そして、そのことでアイバはティマに〝絡む〟ことが多くなっていた。

「どうして〝光〟を使ってはいけない」

「アイバもしつこいな」

 ティマとアイバのそんなやりとりがいつものように続く。

「なぜドローンは良くて、人に使ってはいけない」

 ティマが床に腰を落としたまま大きく溜息をつくと、横のナツメが口を挟んだ。

「まあ、なんとなく?」

 アイバが更に食いつく。

「戦闘効率を考えたら私の〝力〟を使ったほうが早い」

「そうだろうけど…………」

 呟きのようなナツメの言葉にティマが続ける。

「人道的…………ではないから──ということだよ。あんたの〝力〟は強すぎるんだよ」

 すると、アイバが少し間を開けてから更に質問を重ねた。

「銃で人を殺すのは人道的なのか?」

 誰も、何も応えなかった。

 アイバはそれぞれの顔を見ていくが、誰もが目を逸らす。

 そしてその沈黙を破ったのはチグだった。

「それよりアイバ…………あんたその子どうするのよ」

 胡座をかいたアイバの横には、寄り添うようにして寝息を立てるキラ。更にその横では、そのキラの紫の髪の毛を撫でるマーシ。

 チグが続ける。

「何か美味しい物でもあげたの? ずいぶん懐かれちゃって」

「私は何もしていないが……」

「二人とも髪長いし、紫だし…………だからかな」

 その会話の中、ティマがアイバとキラに目を配っていた。

 すると、そこに小さく口を開いたのはマーシ。

「どこか…………この子を預けられる所があればいいんですけど…………」

 応えるチグ。

「うん…………そうだね」

 マーシは自分でも分かっていた。

 キラを、自分の娘の面影に重ねている。まだ二才だった娘────その娘が育ったら、こんな子に育っていたかもしれない…………そう思いながらキラに接してきた。

 でも、違う。

 いや、だからこそ、この子をこれ以上危険な場所に置いていてはいけない。

 ただ、キラに生き続けて欲しかった。

 例え自分が死んでも…………。

「その子のためにも…………」

 その声はティマ。

「戦闘は極力避けるよ。あんたたちのような人たちもいるしね。やっと出来た仲間だ」

 その目は柔らかい。

 カルが〝堕天使〟と呼んだ最強の兵士とは思えなかった。

「右手…………ごめんなさい……私……………………泣いてばかり…………」

 肩を震わせるマーシが視線を落とす。

 そこに被さるアイバのいつもの声。

「私も仲間になったばかりだが」

 そしてチグが溜息をつく。

「アイバも少しは慰めの言葉くらい覚えないとね」

「アイバも言うようになったねー」

 笑顔を見せるナツメにアイバが返す。

「ティマに鍛えられたからな」

「変なことばかり覚えやがって」

 そのティマの言葉に更にアイバ。

「よかったらキラの面倒も任せるが────」

「遠慮するよ──」

 即答するティマ。

「子守は苦手だ」

 するとナツメの笑顔がティマに。

「やっとこともないくせに」

「アイバに影響を与えてるのはお前だな」

「しまった。そうかも」





「……何か、嫌な感じはあったの…………」

 助手席では、カルがヒーナに話し続けていた。

「初めてレナが人を殺すところを見た…………もちろん相手も銃を持ってたし、兵士だった」

 相手がヒーナたちと同じラカニエの兵士であることを伝えるのは憚られた。

「それから何度か戦闘があって…………人を殺すことを楽しんでいるような…………大袈裟かな…………」

「殺人衝動ってやつ?」

 ヒーナがギアを上げながら言葉を返すが、カルは煮え切らない反応。

「なんなんだろう…………自分が死ぬことを怖がっていないような…………それでいて交戦的…………死体に何発も撃ってて、慌てて止めたこともある…………」

「誰もが敵に見えてるのかな…………」

「そうかもしれない…………もうレナには銃を持たせたくない…………」

「……あなたも…………よくここまで耐えてきたね」

 カルは外を見続けていた。

 そこに見えるのは荒廃した建物が点々と、そして大きな木々が並び、これから山間部に入っていくことを想像させる。

「…………もう…………諦めようかって…………」

 カルの言葉を、ヒーナが遮る。

「いいよ。分かってるから…………私たちが守るから……あの子もね」

 その時、ヘルメットにチグの声。

『レーダー反応──久しぶりのアーカム──まだ八機だけ────えーっと、方向は二時。距離は一五〇〇』

 すぐに重機関銃のスコラの声。

『気付かれてる?』

『まだ分からない──こっちに向かってきてはいないよ』

 するとヒーナがマイクに向けて。

「速度はこのままで問題なさそう?」

『ほとんど同じ速度で平行に動いてるけど』

 そしてティマの声。

『動きがあるまではこのままで──相手はアーカムだ。来ても躊躇なく叩ける──どうせあいつらに聞く耳なんかないよ』

「だね」

 ヒーナのその声が全員に届いた。

 道は狭くはないが、周囲は大きな木が連なる。

 対人ならば別だが、アイバを有する現状で対ドローン戦は利があると言っていいだろう。問題は数だ。過去の経験から、それだけが怖かった。長期戦となれば、体力や弾薬にも限界がある。

 何よりも怖いのは、アイバの力は決して長時間は続かないということだ。しかしそれはアイバ自身の申告で、まだ誰も確かめた者はいない。前の部隊でも誰も気が付かなかったという。

 装甲車の後ろでティマが立ち上がった。横のスライドドアを開けて口を開く。

 車内に大きく外の空気が入り込んだ。

「アイバ…………久しぶりに仕事だ」

「面倒臭い仕事だな」

 そう言いながらティマの側まで。紫の長い髪が大きく揺れた。

 ティマが応える。

「そう? 嫌な感じはしないけど」

「だからつまらない。久しぶりなのに」

「マーシ────」

 ティマが後ろを振り返って続ける。

「キラを頼むよ」

 マーシは大きく頷くと、キラを抱き抱えたまま、チグの座椅子の後ろへ。キラは不思議そうに周囲を見渡すだけ。

 しかしティマが気になるのは、その側で両膝を抱いたまま視線を下げ続けるレナだった。

 前部運転席スペースと後部を繋ぐ扉が開き、姿を現したのはカル。ティマの顔を見るなり口を開いた。

「私にも、何か…………」

「分かった──後部から警戒を頼む────壁にライフルがあるから好きなのを選んで」

「分かった」

 後ろのドアは計四枚──左右に大きく二枚扉にすることも出来るが、それぞれ上下にも別けられるため戦闘時の後方警戒には便利な構造だった。

 後部左側には、索敵をするチグとその後ろのマーシ、更にその横のレナ────必然的にカルは後部右側の上部ドアを開き、そこからライフルを構える。

 ──レナを任せてもよさそうだ…………

 ティマはそんなことを考えていた。

「裏をかいたつもり?」

 チグの声。

「正面に三‼︎──すぐ‼︎」

「アイバ!」

 ティマの声の直後、車内は一気に緑の光に埋め尽くされ、次の瞬間には緑の球体が装甲車を包む。

 目の前が緑色に染まったとは言っても、突然目の前にアーカムのドローンが現れるのは気持ちのいい物ではない。しかもそれは、ヒーナとスコラの目の前で瞬時に粉々になって消えた。

 スコラが鼻で笑う声が全員のヘルメットに届いた直後、続けてヒーナの声。

『どうにも慣れないね』

「そろそろ慣れてよ────アイバが悲しむ」

 ティマの声だった。

 何も理解できないのはマーシ。

 その隣でレナは微動だにしない。

 しかしカルは呟く。

「…………ホントだった…………」

 ──あの時の光…………

 アイバは装甲車後部の中央で立ち尽くすだけ。

「つまらない。私は銅像じゃないぞ」

 響くチグの声。

「横のも来るよ────一五に増えてるけど」

 ティマは声に力を入れた。

「何もするな────全員そのまま」

「そんな感じだね」

 そう言ったナツメは自動小銃の引き金から指を離していた。

 装甲車右側側面で砕け散るアーカムのドローン────低い音だけを響かせ、次々と粉々になっていく。

 開け放たれたドアから、それを黙って見つめるティマ。

 振り返って驚愕の表情を浮かべるのはカル。

 他の何とも形容の出来ない想像を絶する光景に、カルは言葉を失っていた。

 ドローンの襲撃が終わったのか、その光景が収まりつつある頃、口を開いたのはチグ。

「終わったよ────周囲はクリア」

 ナツメが大きく溜息をついて床に腰を落とした。

「昼間から派手だよねえ」

 その声に応えるのはティマ。

「あいつらには昼も夜も関係ないんだろうね…………そうでしょ? アイバ」

「私は知らない」

 アイバは不機嫌そうに応えるとその場に胡座をかいた。しかしその体は未だ淡い緑色の光に包まれている。

 いつの間にか周囲の緑の光がなくなっていることに気付いたカルは、アイバのその姿に視線を奪われていた。

 そして、そんなアイバに近づいたのは、キラ────。

 笑顔で、緑色に染まるアイバに抱きつく。

 その光景を横目で見るティマ────。

 ナツメが声を上げた。

「アイバ、その子のお父さんになればいいよ」

「なぜだ。私は女だぞ」

「だってお母さんはマーシだよ。アイバは髪の色も一緒だし」

「それは関係あるのか?」

「うん。とても重要なことだ」

 そしてティマの呟き。

「あまり変なことを教えるなよ」





 アーカム戦から一週間。

 戦闘のないまま、無事に進むことが出来ていた。

 もっとも、山間部が長かったせいか、ドローン部隊でもない限り戦闘を仕掛けてくる相手も少ないエリアだ。フォニィ国内とはいえ、カルを含めた三人が総ての道を分かっているわけではない。いくつかの都市に関してはもちろんカルも把握はしていた。しかしそれは最前線の地理の把握という点に於いて。そしてそれは、同じ最前線にいたティマたちも同じだった。

 山間部を抜け、暗くなったところで現れたのは中規模の街。

 決して都会と言えるほどの街ではなかったが、それなりに人口も多かった所だ。

 しかし、そこに空爆の跡は見られなかった。

 それでもあちこちに戦火の跡。

 大きく穴の空いた道路。

 崩れた建物の壁。

 割れたガラス。

 放置された迫撃砲。

 大破しかけた戦車。

「遺体はほとんど残っていないと思います」

 走る装甲車の小さな窓から外を眺め、マーシが呟くように口を開いた。

「市民でも兵隊でも……街の人が火葬にすると聞きました…………でも街の人たちも都会に移ってしまって…………」

 誰も、何も返そうとはしなかった。

 例え朽ちていても、残っている兵器はラカニエとコレギマの物だ。

 敵同士だった人間が、同じ装甲車で旅をしている矛盾。

 戦争は終わった。

 誰もが分かっている。

 でも、それで総てがが終わるわけではないことも知っている。

 個人的に相手の兵士に恨みがあるわけではない。

 敵同士だから殺し合う。

 大きな大陸。

 民族は同じ。

 言語文化も同じ。

 しかし違う国。

 やがて生まれる違う思想。

 違う習慣。

 文化。

「戦争ってさ…………よく分かんないよね…………」

 ナツメが続ける。

「もしかしたら…………どこかでカルに銃口を向けてたのかもしれない…………」

「でも…………」

 即答したカルが繋げていく。

「今は違う…………仲間になれた」

 その目は、少し前までの弱々しいものではなかった。

 装甲車で街の中をある程度周回させると、口を開いたのはヒーナ。

「レーダーに変化はある?」

 チグが返す。

「大丈夫。動く物はないよ。集めたデータでトレースをかけ続けるから、どこかで今夜の拠点を探そう」

 そしてティマが付け加えていく。

「空爆を受けていないなら、久しぶりに軽油が見つかるかもしれない。食料もあれば尚いい」

 やがて大きく壁の崩れた二階建てのビルを見付け、装甲車はその奥に身を潜める。

 夜、しかも建物の多く残っている街。

 人影が見えなくても最大限の警戒は必要だ。こういう場所はすでに誰かの拠点になっている可能性が高い。しかもレーダーも完璧ではない。人間よりも電磁波を発生させているドローンの方が発見しやすい。人間の場合は距離や周辺の障害物の影響で見つけにくい場合がある。それを補うには〝足〟しかなかった。

 ヒーナの指示が飛ぶ。

「チグはそのまま索敵。スコラも機銃のまま。私とナツメは装甲車周辺の警備。ティマは────いつも通りお願いしてもいい?」

 ティマが応える。

「どうしたの? 私が望んでるポジションなんだから遠慮しないで────でも今夜は……」

 ティマは後ろのカルに振り向いて続けた。

「カルと一緒に出てみるよ」

 驚きの表情を浮かべるカル。

 聞こえる声はヒーナ。

「そう? 分かった。任せるよ」

 ティマが自動小銃を手に立ち上がる。

「カルも自動小銃でいいよ。いつも通りなら…………三〇分でいいよね」

 応えるのはヒーナ。

「うん。オッケー。全員配置について」

「だって、行こう」

 ティマはそれだけ言うと先に装甲車を降りた。

 慌ててカルも自動小銃を手にして装甲車を降りる。

 すぐにティマは背中を向けたままカルへ。

「今夜の所は何かを見つけてもそのまま────最近誰かがいた形跡がないか調べるだけ」

「分かった」

 すぐにあるのは広い道路。道路を挟んで大きなビルが並ぶ。

 ティマがすぐに口を開く。

「最近人の出入りは無いね…………周辺の瓦礫の並びを見れば分かるよ。誰かが崩した後が無い──塵の積もり方も違うしね。まあ、あくまで最近の話だけど」

 その背後で黙ってカルは聞いていた。

「足跡も無くはないけど、塵の積もり方を見れば最近の物じゃないことは分かる」

 ──これが…………

「何より…………空気に人の匂いがない…………体温からくる空気の揺らぎもない…………」

 ──堕天使…………

「だから大丈夫。ゆっくり話ができるよ」

 ティマは振り返って、笑顔を見せた。

 ──……レベルが違う…………

 ティマは周囲に目を配りながらゆっくり歩いていく。しかしその足取りにはあまり緊張感を感じられない。少なくともカルにはそう見えた。

「聞きたかった…………」

 ティマのその声に、一瞬だけカルは体を硬くする。

「レナって…………何人殺してるの…………?」

 ──やっぱり分かってる…………

 そして、カルが静かに応えた。

「たぶん…………」

 ──多分?

「一〇人以上…………」

「多分って? 一緒になってからじゃないの?」

「一度、大丈夫だと思ったエリアだったから…………一人で偵察させたことがあって…………だいぶ慣れてきてたし────」

 少し早口になり始めるカルの声に、ティマが挟まる。

「大丈夫────続けて」

「……それで…………その時……血まみれで帰ってきて…………何があったか話そうとしなくて……でも……目が腫れてた…………」

「そう…………ごめん。嫌な話をさせた。でも、あれは私たちの目じゃない…………殺人者の目…………」

 ──…………え?

 ティマが続ける。

「軍人になる前、周りにたくさんいたから知ってる…………私もそうだったんだと思う。人の命を救える人って……やっぱり命の重さを知ってるんだよね…………」

 ──……これが…………

「スコラもそう…………元々は衛生兵だった……たくさん救ったけど、それ以上に殺してる…………でも、私たち以上に、命が何かを知ってる…………命に対して真剣だ…………」

 ──…………堕天使…………

「──待って──」

 急に足を止めたティマが小声になった。





「何か…………変だなあ…………」

 そのチグの呟きに、装甲車に戻ったばかりのナツメが言葉を返す。

「どうしたの? パソコン壊れちゃった?」

「違うよ」

 ラップトップのモニターを見つめたままのチグが続ける。

「信号が出たから警戒したんだけど……出たり消えたり…………」

 直後、ヘルメットに雑音を感じる。

「ん?」

 そして、続くティマの声。

『チグ? 動きはない?』

 ──しまった────

「ジャミング‼︎ 妨害電波‼︎」

 チグの叫び声にヒーナがエンジンをかけながらも冷静に。

「チグ──詳細を」

「ごめん……はっきりとしたこと分からないけど、あちこちの信号が出たり消えたり……結構多いかも…………」

「ティマは────」

 ナツメがそう口を開いた時、ティマとカルが装甲車に飛び込む。

 そのティマがチグに言葉をかけた。

「ドローンじゃないね──あいつらは人間の指示がなければジャミングなんてしないはず」

 慌てた目のチグが応える。

「うん……人だとすれば────統制がとれている部隊────」

「最短距離の予測は?」

 チグはモニターに顔を戻し、そのまま言葉を溢す。

「…………二〇〇……」

「スコラ────」

 すぐに続けたのはティマ。

「後ろの壁は崩せる?」

『さすがティマ──余裕でやれるよ。その先は道路でしょ? しかも結構広かった』

 スコラの声にティマもすぐに応える。

「指示を出したらお願い────ヒーナ、正面が多いと思う────指示をしたら一八〇度回して。ナツメは右。私は左から────カルは後ろから自動小銃で」

 そのカルに近づき、ティマは耳元で囁いた。

「……レナを押さえて……下手をすると動く……」

 そしてすぐにチグに顔を向ける。

「奴らが動き始めたらジャミングは消えるはず────そこからは頼むよ」

「分かった」

 チグがモニターを直視する。

 すぐにアイバが口を開いた。

「私が出れば…………」

「黙ってろ」

 ティマは低い声で応え、そのまま右銃座まで行くと、シートに座ったナツメのシートベルトに手を伸ばす。

 少しだけ驚いた顔のナツメが顔を上げると、そこには柔らかい表情のティマ。そのティマはナツメの体にシートベルトを絡ませていく。

 ナツメが先に口を開いた。

「戦闘前にそんな顔されたら…………」

「なんだよ」

「惚れるじゃん」

「前からだろ」

 ナツメの驚いた顔が更に大きくなる。

「自信過剰は嫌われるよ」

「そのくらいのほうが好きだろ」

 そう言うと、ティマはナツメの手にしている自動小銃を持ち上げ、片腕のナツメ用の固定板に銃口を固定した。それはティマの手作りだった。シートの前に固定された鉄板に銃身を置けるだけの穴と、目標を確認できる横に長い穴。

 ティマが続ける。

「無理はしないで」

 こういう時、決まってナツメは言葉を返せない。

 ティマは顔を上げ、左まで歩くと、開け放たれたドアから体を乗り出した。

 そして装甲車の前方を凝視する。

 その背中に不安そうな声をかけたのはチグ。

「……何人くらい?」

「前方だけなら一〇人もいないよ。左右は二人くらいずつって感じだね。久しぶりのまともな部隊だ。余程まとまっていなければ、ジャミングかけてまで攻撃は仕掛けてこないよ」

「……そうだよね……」

 震えるチグの声に、更にティマが続ける。

「でも、こっちが上だよ」

 その声は全員に届く。

「見つかるような動きをするなんて、余程空腹かな」

 そこにナツメ。

「無理矢理な男は嫌われるだけなのに」

 更にスコラ。

「強引なくらいなら好きだけど」

 そして、ティマ。

「会話も出来ない男なんて最低だ────ヒーナ! スコラ! やって!」

 ヒーナが大きくハンドルを切りながらドリフト────一八〇度回して重機関銃の爆音────砕け散った壁に向かってヒーナが一気にアクセルを踏み込んだ。

 その勢いに全員の体が揺り動かされた直後、背後で爆音が響く────。

 ナツメの声。

「RPGだ!」

 ヒーナが呟く。

「会話は出来ないね────」

 飛び出した所は広い道路。

 急旋回で左。

 スコラが銃口を向けた煙の中から銃声が響く。

 直後にティマの声。

「ヒーナ──行って! 私が時間を稼ぐ!」

 ティマは自動小銃だけで飛び出した。

 ヒーナが叫ぶ。

「チグ! このまま離脱したらティマは────」

「大丈夫────ティマなら追いつく」

 応えたチグの声は、すでに震えてはいない。

 後方のカルは、しだいに小さくなるティマの姿を捉えていた。

 ──……すごい…………

 辺りに銃声が飛び交う中、ティマが確実に敵兵を薙ぎ倒していく。

 ──自動小銃だけでいける

 ティマはそんなことを考えながら動いていた。

 敵一人一人の戦闘能力はそれほど高くは感じられない。

 それなりの銃火器は揃えているが、人数が多いだけだった。

 走り、瓦礫を縦にし、地面を蹴り上げ──ティマの動きは横だけではない。

 背後のビル──瓦礫の山を利用して二階に飛びつく────。

 見下ろした先で二人を撃ち抜くと、すぐに一階へ。

 しかし先程の二階から、ティマに飛びかかる影────。

 ──ガタイのいい奴だ────

 ティマは地面を背に、振り返りざまに両足で相手の体を受け止めると、ナイフを抜いていた。

 ──抜かせるなよ────

 喉を切られた兵士から鮮血が降り注ぐ。

 その体を蹴り上げると、すぐにティマは走っていた。

 敵勢力はティマに集中しているかのように見えた。

 装甲車に銃口を向けているのは数名。

 ──確かに、大した相手じゃない

 重機関銃の引き金を引きながらスコラがそう思った直後、足元から聞こえたのはカルの叫び声。

「だめ──!」

 ──なに?

「レナ‼︎」

 ──まずい────!

 スコラの視線の下──自動小銃を持ったレナの姿────。

「ヒーナ‼︎」

 スコラが反射的に叫んでいた。

 急停車する装甲車。

 重機関銃の間隔が短くなり、レナは自動小銃を撃ったまま敵兵に近付く。

 スコラの援護がなければ、間違いなくすでに命はないだろう。

 一人の兵士に、少しずつ近づいていく…………。

「どうしたの⁉︎」

 引き金を引き続けるナツメの声が響き、続けて、カルが飛び出した。

 しかし簡単にレナに近付けないまま、やがてレナは敵兵のいる建物の中へ…………。

 スコラも叫び続けていた。

「カル──無理しないで‼︎」

 ──ダメか…………

 直後、カルを追いかけていたのはチグ────。

 ──まずい…………‼︎

『なんとかする‼︎』

 しかし、その声は、レナには届かない。

 建物の入り口で無防備にも立ち尽くすカル。

 その肩を掴んだチグは出来るだけ冷静に口を開いていた。

「カル? なにやってるの────こんな所じゃ…………」

 しかしチグは、カル同様に、目の前の光景に目を奪われた。

 レナの姿。

 倒れた敵兵に馬乗りになっている。

 激しく両手を上下させ、激しく、兵士の体を、撒き散らしていた。

 何度も体の中に手を入れ、中の物を引きちぎる。

 何度も。

 何度も。

 レナの手は、やがて下顎を引きちぎって、止まった。

 その光景を前に、カルは無言で膝を落としていた。

 立ち尽くすチグのヘルメットにヒーナの叫び声。

『チグ‼︎ どうしたの⁉︎ チグ‼︎』

「ティマ‼︎」

 スコラの叫び声が続く。

「お願い‼︎」

 その声の直後、すでにティマは装甲車の側まで。

 チグの背後まで近付くと、その光景を把握し、マイクに向かって静かに口を開く。

「ヒーナ、戦闘は終わり。残りは撤退した。装甲車をこっちに」

 ティマの声のトーンに何かを感じ取ったのか、ヒーナは黙ってギアをバックに入れた。

 ティマがチグの肩に手をかける。

「チグ、装甲車から替えの軍服と大き目のタオルを持ってきてくれる?」

 その声は、あくまで柔らかい。

 チグは無言で装甲車まで戻った。

 ティマは、膝を落としたままのカルの隣。

「カルは悪くない…………」

 カルの肩が小さく動く。

 ティマはゆっくりと続けた。

「……思い通りに、いかないこともある…………」

 カルは視線を地面に落としていた。

 やがてティマが装甲車に戻り、立たせたレナの服をカルが脱がしていく。

 ──生きてる?

 カルがそう思うほどに、レナの心はここには無い。

 どこを見ているのか、もはやそこに自分の意思があるとは思えない。

 周囲を包みこむ血の匂いが鼻をつく。

 慣れているはずなのに、その夜はやけに気になった。

 血で塗れ、重みを伴った軍服の上着を脱がすと、下には薄手の白かったはずのTシャツ。

 それは月明かりに照らされて、真っ赤に染まっていた。

 力の限り、カルはそのTシャツを引きちぎる。

 生暖かい物がカルの顔に飛び散った。

 そして、その生暖かい物で濡れたレナの肌を、カルは泣きながら拭き続けるしかなかった。

 やがて、その嗚咽は装甲車の全員の耳に届く。

 そして装甲車の中で全員の目を奪っていたもの。

 それは床でまるくなる、キラ。

 体を震わせ、押さえた鳴き声を漏らし続ける。

 それは運転席から顔を覗かせただけのヒーナからも異常さを感じさせる。

 その横で、キラの背中を摩りながら、マーシが目に浮かべた涙を押さえていた。

「見せたの?」

 ティマのその声に、マーシが即答する。

「見せてません。私がずっと抱いてました…………さっき突然…………」

「そうか…………ごめんマーシ」

 直後、全員の耳に立ち尽くすアイバの声。

「だから、私が────」

 強い足音と共に、アイバの小さな体が宙に浮く。

「二度と言うな」

 それは、アイバの胸ぐらを掴んだティマだった。

「〝感情〟の無いお前に何が分かる」

 背後から、そのティマの体に手を回したのはスコラ。

「大丈夫だよ……ティマ…………私たちは、大丈夫だから…………」

 チグは座椅子で肩を震わせ、マーシはキラを抱きしめる。

 そしてナツメは、機銃座に体を固定したまま。

 ティマが回してくれたシートベルトを指でさすった。

 ──いつまで…………続くの……………………

 全員が、色々なものを押さえ込んでいた。





〜 第三部・第3話へつづく 〜

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