沈黙のアーカム(第三部&第四部)

中岡いち

第三部・第1話

   これは、葡萄の物語

   枯れたと思われていた葡萄畑の物語


   葡萄の木は枯れてはいませんでした

   そして、一つ一つは小さな葡萄の粒

   でも、みんないつも一緒でした

   しかし、いつかバラバラになってしまったのでした

   いつそうなったのか、誰にもわかりません

   広く、新しい世界にふりまかれてしまいました


   みんな、とても心配しました

   さがしたかったのです

   でも、うすい緑の皮がなくなってしまったのでした

   皮がなくなってしまうと、葡萄はとても弱いのです

   でもその中の種は、とても大きくなりました

   とっても時間がかかったけど、とても大きくなりました

   今なら、みんなを探しにいけるかもしれません


   さあ、一緒にいきましょう

   もう一度、たくさんの葡萄畑をつくるのです




 コレギマ帝国とラカニエ帝国の間に小さな国があった。

 フォニィ共和国──元々は更に小さい国が三つ。

 コレギマとラカニエの両方に国境を接し、二つの大国のハブとして潤った経済圏にあった。一年を通して温暖な海岸線も有し、観光地として有名な所も多い。

 しかし世界大戦の開始と共に、美しい砂浜と透明度の高い海水で人気だった海岸線は、血に染まった。コレギマの同盟国として、その国内はコレギマとラカニエの最前線へと姿を変える。そこに戦前の美しい光景はない。風が運ぶのは血と火薬の匂い。

 国の軍隊も存在していたが、その兵器の多くはコレギマから購入した物だ。国内にはコレギマの軍事基地もあるほどだ。ラカニエからすると、戦前から警戒していた部分でもあった。戦争の気運が高まってくる中で、経済活動の皮を被ったスパイ活動も激化する。戦争が始まってからは情報戦のハブという側面もあり、もはや世界的に独立国として見られてはいない。

 国際連合からの無線通知は早かったほうだろう。コレギマからというより、最前線部隊に直接伝えられた。

 問題はそれからだった。

 何の通達もない。

 撤退の指示もない。

 終戦の通知は正規のものだ。

 コレギマ軍だけでなく、共に行動していたフォニィ軍にも確認済みで疑いようがない。

 コレギマ帝国軍──第三特化部隊──部隊長の女性兵士──カル・ヤガミ少佐は部下に情報の収集を指示していた。部隊長とは言っても、隊長になってからまだ一ヶ月も経っていない。前隊長が負傷による名誉除隊となり、そのままスライド式の隊長就任だった。戦争末期の人材不足の現実もあり、そのくらいに疲弊した台所事情の中で最前線の戦闘も膠着していた。避けられる戦闘は避けていく疲労感。補充も心細くなっていた現実の中で、兵士の誰もが疲弊していた。

 少佐で部隊長になれたのには、そんな事情もあった。

 しかもコレギマは未だに男尊女卑の強い階級社会だ。少佐で、かつ女性であるカルが部隊長に任命された時点で、この部隊への期待の低さも予想が出来る。

 そして、何の情報も得られないまま一週間が過ぎた。気になるのは本国の軍本部とも連絡が取れなくなっていることだ。事実、命令がないだけでなく。総ての補充物資が止まっている。

 偵察のために数名の兵士を本国へと送ったが、未だに連絡がないまま三日。二日もあれば国境を抜け、すぐに国境付近の基地に到達するはず。

 何かがおかしい。

 カルの中で不安だけが募っていく。

 この街中の最前線に就いて三日で終戦の通知を受け、その間に戦闘は一度だけ。激戦区と言われた程の場所ではない。それでもそれなりの犠牲を伴い、現在の兵士数は三〇名程度。元々疲弊した状態が続いていた部隊を率いていた。終戦を迎えた現在でもまともな思考で動けている自信など、カルにはなかった。

 そして、やがて〝それ〟はやってきた。

 空を覆う真っ黒な無数の影。

 レーダーには何の反応もない。

 今までに感知したことのある相手ではない。

 終戦後。

 攻撃を受ける可能性はゼロではない。

 例えそうだとしても、多すぎた。

 戦勝国はどこだ?

 コレギマは勝ったのか? 負けたのか?

 しかしそれがどっちだったとしても、空から落とされる大量の爆弾は現実だ。

 まるで空気を切るように、空気の層に穴を開けるかのように、甲高い音と共にそれは地表に降り注いだ。

 辺りは止めどない光と風と熱。

 そして重厚な煙で埋め尽くされる。

 それまで視界に常にあった荒廃と営みの混同する景色が崩壊していく。

 しかもそれは、あまりに突然だった。

 部隊を統率する隙もないままに、それぞれがそれぞれを見失う。

 自分の体が宙に浮く感覚。

 足から地面が離れ、体が制御を失し、やがて大きな衝撃が背中を覆う。

 途端に重力を感じ、それは急に強く感じられた。

 いつもよりも重い重力。

 その重力に反発し、やっと、ゆっくりと顔を上げた時、その視界にいたのは若い女性。

 カルよりも若い。

 そこは建物の中。

 鮮やかな色だったであろう厚手の紫色のワンピースが埃に塗れ、うっすらと白い。

 見慣れた軍人の鋭い目ではなかった。

 体全体が震え、怯えた眼差し。

 その目がカルに向けられている。

 小さく唇が動いた。

「…………夫…………娘が……………………」

 女性がゆっくりと目を向けた先、崩壊した壁や家具の下、一人の男性がうつ伏せで倒れ、伸ばされた手に生気は感じられない。下に広がり続ける赤黒い液体。その間にあるのは小さな赤い靴。その靴に繋がる細い肌は白い。

 そして女性の震えた声。

「…………娘が……」

 瞬間的にカルの足が動く。

 女性の体を抱え、重い足で走っていた。

 耳元で、女性の悲鳴にも似た叫び声が続く。

 何度も周りから吹き出してくるような風や熱を感じながら、足に力を入れ続ける。

 様々な大きさの石やコンクリートの破片が風に乗って飛び交っていた。

 銃弾ではない。経験からそれは分かる。しかしこの状況では弾丸と同等。もしくはそれ以上。

 走りながら、何度も体に突き刺さる何か…………。

 やがて、意識だけが宙に残されたまま、なぜか体が落ちていく。

 立ち止まったらダメだ──そんなことはカルにも分かっていた。

 しかし、その気持ちを、体が強引に引き止める。

 体中が熱かった。

 そこにアスファルトの暖かさ。

 横から女性の叫び声。

 耳の奥で木霊する。

 もはや何を言っているのか聞き取れない。

 右腕が体を引っ張っていく。

 右腕が自分のものではないようだ。

 焦げ臭い。

 煙が鼻の奥に入り込んでくる。

 一緒に感じられるのは草の匂い。

 熱い土の匂い。

「こっちに! 身を隠せる!」

 誰の声だろう。

 カルが初めて聞く声だ。

「川の水を────何かないのか⁉︎」

 体の中に他人の手が入り込む感覚。

 初めての感覚だった。





 カルが目を覚ました時、辺りは少しだけ薄暗く感じられた。

 どのくらいの時間が経ったのかなど分かるはずもない。

 体は動かない。というより力が入らない。

「暗いな…………何時だ…………」

 辛うじてそんな言葉を吐くのが精一杯だった。

「まだそんな時間じゃないよ軍人さん…………空が黒い煙で覆われているだけ…………」

 すぐ隣から声がする。

「そうか…………終わったの?」

「さあ……私達には分からない…………」

 その声を受け、カルは懸命に目だけを動かした。

 あの女性とは違う。

 薄くグレーがかった後ろで結んだ髪。だいぶ解けかけた印象だ。ほつれた髪のシルエットが印象に残った。その女性はカルの隣で膝を抱えて座り込んでいる。

 女性はカルに視線を配ると、ゆっくりと口を開く。

「もう大丈夫かな……私はレナ────まだ研修医だから、あまり治療の期待はしないでね。ここじゃ衛生的にも問題があるし、早く病院に行かないと────」

「私はマーシです」

 レナの言葉を遮ったのは、横になったままのカルを挟んで反対側に座り込む、カルが抱えていた女性だった。

 その女性──マーシが続ける。

「……助けて頂いて…………ありがとうございます……」

 その語尾が小さくなるのをカルは聞き逃さなかった。

 するとレナが繋げていく。

「この美人が軍人さんを助けてくれたんだよ。腕を引っ張って橋の下まで連れてきてくれたから──私は偶然通りかかっただけ」

 カルの記憶が少しずつ繋がっていく。

 無意識に右手を上げていた。その手がマーシの膝の上の手に重なる。

「ありがとう……マーシ…………すまなかった…………」

「いえ……助けて頂いたのは私のほうです」

 決して言葉に強さがあるわけではない。しかし、なぜか力強さを感じる。

「さて──」

 レナが立ち上がる。そして続けた。

「じゃあ私は探してる人がいるから行くね。ちゃんと病院行かないとバイ菌で化膿するよ」

 歩き始めたレナにカルの声。

「病院なんて、まだあるの?」

 レナは背中を向けたまま足を止めた。

 続くのはカルの声。

「さっきから頭の上の橋の裏側しか見えないけど、人の声もしなければ車両の音もしない……煙と焦げ臭い匂いだけ。かなり広範囲の空爆だ……どこの国かは分からないけどドローンの数は一〇〇〇機どころじゃなかった…………周りに動いてる人はいるの?」

「軍人って……結構冷めてるんだね…………」

 声のトーンを落としたレナの言葉が続く。

「恋人と一緒にいたんだ……見えなくなって…………探しに行っちゃいけないの?」

「一人で大丈夫なの?」

「あんたの命は救ったじゃない! あんたじゃなくて……彼を…………」

 レナがその場に座り込んだ。





 人影はあった。

 しかし、どれも動いてはいない。

 瓦礫の中を三人で歩き続ける。

 カルだけは途中で拾ったライフルを持っていたが、周りに敵兵がいるとは思えなかった。敵どころか、生き残っている味方すらいない。もちろん体のあちこちの出血はまだ止まっていない。攻撃をしてくる相手がいたとしても、満足に対応出来る自身はなかった。

 それでも体を動かすのは、一般人を守らなければならないという使命感だけ。

 建物はほとんどが崩壊し、残っていても一階部分の壁が僅かに残っている程度。どれだけ広いエリアが空爆されたのか想像も付かなかった。

 周辺は相変わらず焦げ臭い匂いと煙が充満し、それが煙ごと鼻の奥を突いてくる。所々では炎が見えたが、以上なまでの暑さはそれだけではないのだろう。漂う煙ですら熱を携えている。

 その煙に混ざる、嫌な匂い。

 焦げ臭い匂いだけではない。

 生き物の焼ける匂い。

 カルにとっては決して初めての光景ではなかった。しかし周りに生きている人間を見つけられない状況で、気持ちだけがざわつく。レナはジーンズにTシャツの動きやすい服装と思えたが、マーシはロングのワンピース。戦場で連れ歩ける服装ではない。

 何度も躓きながら、靴の裏を焼きながら、三人はやがて少し高台にある建物跡までたどり着いていた。

 街が見渡せた。

 山間部にある小さな街。

 隣の街までも少し距離がある。

 見渡す限りの焼け野原。

 その果ても見えない。

 いつの間にか夕方。

 視線の向こうに、夕陽が少しずつ落ちていく。

 誰も何も言わず、一人づつ、その場に腰を降ろした。

 最初に口を開いたのはカルだった。

「恋人とはどこで?」

 レナが少しだけ間を開けて応える。

「手を繋いで、家を出たんだけど、もの凄い力で引っ張られて…………振り返ったら家ごといなくなってた…………」

 マーシはその隣で抱えた膝に顔を埋め、肩を震わせ始める。

 再びカル。

「二人は休んで。私が起きてる。救助が来たら起こすから…………ベッドはないけどね」

 振り返ると、そこにあるのは建物の痕跡を残すだけの瓦礫の山。

 緊張の糸が、少しずつ解れていた。

 翌日、三人は再び焼け野原に戻る。

 カルの最初の指示は衣服の調達。使えそうな軍服を集めることだった。

 カルは兵士の遺体を仰向けにすると、すぐにその軍服を脱がし始める。

「ちょっと……何してるの?」

 レナのその言葉に、カルは背中を向けたまま応える。

「あまり汚れていない物を選んで。出来れば出血とか無い方が理想だけど……今日中に遺体は腐り始める──匂いが着くと使えないぞ」

「じゃなくて──何でそんなことしてるのよ」

「これからはサバイバルになるかもしれない。あなたたちはその格好で何が出来ると思ってるの?」

 カルが振り返り、レナの目を見た。

 そして続ける。

「靴も必要──軍用で自分のサイズを探して。レナはスニーカー、マーシはサンダル──そんな靴じゃ靴底はすでに溶けてるはず」

「……いらないです…………私……いらないです…………」

 呟くように言ったマーシは、その現実に完全に怯えていた。

 体を震わせながら涙を流し始める。腫れた瞼を痛々しく思ったのか、レナが肩を抱いて力を込めた。

 そしてレナが再び口を開く。

「救助隊が来れば──」

「終戦してからずっと本部とは連絡すら取れなかった──そして今回の空爆だ。何かがおかしい…………来るかどうか分からない救助部隊を待っていても生き残れない」

 認めるしかない現実と、逃げられない現実に、二人は前を見ることすら出来ずにいた。

 




 そのまま一ヶ月。

 救助が来ることも、情報を得られることもなく、三人は生き残った人を探して少しずつ周辺を探索する毎日。

 傷だらけの小さなオープンタイプの軍用車両に自動小銃を三丁──拳銃を一〇丁──いずれも弾数がそれなりに残っている物だけを選び、他にあるのは軍用の保存食。更に医療用の器具や包帯。当然それらを欲しがったのはレナだ。簡易的な治療しか出来なくても心強くもある。

 もちろん銃の扱いを知っているのはカルだけだ。二人は触ったことすらない。それでもカルは最低限の扱い方だけは教えた。これから何が起こるか分からない。カル自身、自分がどうなるかなんて分からない。

 レナはどちらかというと柔軟だった。カルの言うことに納得し、現実も受け入れていた。研修医として、生死の現場にいた人間だからだろうか。どこか肝が据わっている印象がある。操作方法を覚えるのも早い。

 しかしマーシは拳銃に触れるのさえ嫌がった。一連の操作の流れを実際にやってみせても、それすら横目で見る程度。どれだけ日数が経過しても、多くのことを受け入れられずにいた。

 拳銃──それは人の命を奪うために造られた物。

 その〝死〟という言葉の意味に、マーシは恐怖し続けていた。

 自分の暮らす街のすぐ側で戦闘が行われていたことは知っていた。そこが最前線になっていたことも知っている。しかしもちろん〝戦場〟にいたことはない。戦車や装甲車を日常的に見ることはあっても、兵士の持つ自動小銃を目にすることがあっても、やはりそれは自分たちの生活とは別世界。

 その触れたことのない世界が、ある日突然、自分の世界に重なった。

 終わったはずの戦争。

 何も終わってはいなかった。

 夫と娘を目の前で失い、その現実を突然に受け入れることを強制される──そんな感覚なのだろう。

 車両の運転はカルとレナで交代で行った。カルにとって、レナはいつの間にか頼れる相棒になっていた。

 カル・ヤガミ──二九歳。

 レナ・ナイト──二六歳。

 マーシ・ホワイト──二三才。

 三人は、人生の大きな変化を感じていた。





 キャタピラの振動を感じた。

 夜──レナとマーシの二人が後部座席で睡眠を取る間、カルはいつものように運転席で周りに気を配っていた。それでもここ一ヶ月の変化の無さからか、シートを軽く後ろに倒し、それほど緊張感を高めてはいなかった。

 カルが仮眠を取るのはいつも昼間。林の中など、車両ごと身を隠せるような場所で二人に警備をしてもらいながらになる。夜と違って、素人には昼間の方が周囲は見やすい。しかも長くても三時間。夜はいつもカルが警備をした。そして、いつも夜は長い。逃げたのか空爆で死んでしまったのか、しばらく野生動物にも会ってはいなかった。もっとも、炭になりかけた木々が並ぶ林では動物でさえ帰ってきたい場所ではないのだろう。

 コレギマに帰るべきか…………しかし二人を見捨てるわけにもいかない…………しばらくカルを悩ませている問題は簡単ではなかった。二人を連れてコレギマに帰ることも考えた。しかし、そう簡単に故郷を捨てられるとも思えない。しかも、コレギマがどんな状態なのか保証も出来ないままでは、もっと最悪の状況にも成り兼ねない。

 そして、それは僅かな振動。

 カルにとっては久しぶりの音だ。

 上半身を起こし、耳を傾けた。

「救助隊だ! やっと来た! 起きろ!」

 後ろに振り向いて叫んだ直後、二人が飛び起きる。

 そして目の前に現れた巨大な鉄の塊に息を飲んだ。

「……何…………?」

 レナが呟くと同時に、壮絶な木々をへし折る音に振り返ったカルの目に入ってきたのは〝ラカニエ帝国軍の紋章〟──。

 瞬時にエンジンをかけたカルは慌ててバックギアへ入れてアクセルを踏み込む。

「銃を持て‼︎」

 バックミラーで後ろを確認しながらカルが叫んだ。

 エンジンを切っていたために索敵に引っかからなかったのか、目の前の戦車も慌てて砲身を回す。

 レナが自動小銃を手にする。

 もちろん実戦は初めてだ。

 マーシは後部座席に身を埋めているだけ。

 レナが上半身を起こして自動小銃を構えると、カルが叫ぶ。

「まだだ──‼︎」

 レナが引き金を引く────。

 直後に響く爆音────。

 それは車体を浮かせ、下に強い閃光と煙の塊を作り出す。

 車体が大きく傾き、三人は放り出された。

 横倒しになった車体を縦に、カルは転がる自動小銃を構える。

「まだ撃つな」

 隣で同じく自動小銃を構えるレナに釘を刺した。

 マーシは振り落とされた時に左膝を痛めたのか、立ち上がることも出来ずに二人から離れようとしていた。

 恐怖で涙が溢れ、気持ちを抑えることが出来ない。

 ただ、怖かった──痛かった────。

 しかし、何か別の感情が気持ちのどこかに産まれる。


 ──もう、いいんじゃない?

 ──夫も娘も、もういない

 ──死んじゃったほうが、いいよね

 ──何で、こんな痛い思いしてるの…………?


 銃声が響く。

 それは耳の奥に突き刺さる。

 周囲に鉛の弾が溢れた。

 マーシの目の前に、応戦をするカルとレナの背中。


 ──私には…………無理だよ…………


 カルもレナも弾数のことなど考えてはいられなかった。

 カルの頭にあるのは周囲に逃げ道を見付けることだけ。

 ──右の林に逃げ込めば…………

 そこはほとんど空爆の被害を受けていなかった。まだ緑の葉がある。大木が並んでいる関係で戦車でも簡単には入ってこれないだろう。

 およそ五メートル。鉛の雨の中では簡単ではない。

 その時、背後からの銃声。

 直後、すぐ横から誰かが倒れる音──枯れた草木を揺らした。

 カルとレナが振り返る。

 そこには拳銃を左の林に向けた、マーシ。

 マーシが撃ち続ける。

 その目に、光はない。

 数発の音が林から聞こえるが、すぐに遠ざかる。

 しかしマーシは撃ち続けた。

 マガジンが空になると、次の銃を手にする。

 斥候部隊の後退が理由か、一瞬銃声に間が生まれる。

 カルはその瞬間を逃さなかった。

 背後のマーシを抱えると、右の林まで走る。レナも続く。

 大木を影に進み続けるしかない。レナに援護を任せ、カルは振り返らなかった。

 しかし、その背後からの強い光に驚愕する。

 強い緑の光────。

「なんなの⁉︎」

 レナの声に続いてカルが振り返る。

 しだいに大きくなる緑の球体──その中に、人がいた。

 紫の長い髪──シルエットで分かるのはそれだけ。

 緑の光は周囲の大木を薙ぎ倒していく。

「行くよ‼︎ 動け‼︎」

 カルが叫んでいた。

 カルはマーシを抱えたまま、レナは後方に発砲しながら、林の奥へと進んでいく。方角など考えている余裕はない。

 ただ、走った。

 やがて、諦めたのか、後方からの銃声が消える。

 それに気が付いて振り返ったカルの視界の中に、あの緑の光はない。

 距離だけで言えばだいぶ走ったようだった。

 辺りには火薬の匂いすらない。

 やっと気持ちに安堵が訪れた。

「少し……休もうよ…………」

 肩で息をするレナのその声に、カルも即答した。

「そうね……でも……まだ気は抜かないで」

 そう言いながらも、カルはマーシを木を背もたれにして座らせた。右手には未だに拳銃を握ったまま。まるで生気を感じられない。

 カルには覚えがあった。

 初めて人を殺して、同じようになった兵士を何人か見ている。もちろんそうなった兵士はほとんどが使い物にはならない。

 マーシに至っては、銃を撃ったことも、そして人を殺したのも初めて。

 カルの中に不安だけが湧き上がる。

「誰も怪我してない?」

 レナの声だった。

「たぶん……大丈夫……」

 カルが応えると、すぐにレナが返答した。

「医療用具のバッグ、さっきので置いてきちゃった……また集めなきゃ」

 それを聞きながら、カルは改めてレナが軍人ではないことを意識することになる。

 民間人を二人も抱えて、これからどうなるのか…………それは考えることすら難しいことのように思えた。

 それから一睡も出来ないままに、三人はその場で朝を迎える。

 残った武器は自動小銃が二つとオートマティックの拳銃が一つ。いずれも弾数は多くない。

 特にマーシの持っていた拳銃は残り二発だけ。カルは自分の自動小銃から数発の弾丸を取り出すと拳銃のマガジンに装填した。口径の小さな自動小銃だったために拳銃と弾丸を共有出来た。何が起こるか分からない戦場での、銃の採用理由の一つでもある。

 カルがマーシに拳銃を渡す。

 マーシは体を震わせ、体を丸めてまるで子供のよう…………。

「……イヤです…………イヤだ……イヤだ…………」

 こうなった人間にかける言葉をカルは知らない。

 相手が兵士なら、引っ叩いても立たせる。

 しかし、マーシは違う。

 すると、カルの背後からレナの声。

「あんた、自分が死にたくないから殺したんでしょ⁉︎ 死ぬのが怖いから殺したんでしょ⁉︎」

「……イヤだ……イヤ…………」

「やめてレナ」

「そんなになるなら何で殺したのよ⁉︎」

「レナ!」

「自分が死ねばいいじゃない‼︎ どこのお嬢様か知らないけどいい加減にしてよ‼︎」

「イヤだ‼︎」

「大事な人を亡くしたのはあんただけじゃないんだから‼︎」

 その目の前。

 カルが銃口を突きつける。

 カルがゆっくりと口を開いた。

「撃たせないでレナ…………これ以上マーシを責めるなら…………あなただって分かってるはず…………私は民間人を殺したくない…………」

 張り詰めた緊張感のせいだろうか。

 いつの間にか、カルの目から涙が溢れていた。





 そこには、明らかな人の気配があった。

 火薬の匂い。

 視界に被さる煙の跡。

 半日以上歩いて辿り着いた小さな街。

 大きなビルがあるような所ではない。あっても二階建。民家ばかりが密集する街。集落と言ったほうが正しいだろうか。

 普通に営みがあるのを期待していた。ここまで戦火はないだろうと想像していた。

 それは、二四時間以内の戦闘行為と思われた。

 しかし、カルだけではなく、レナとマーシにとってもそれは違和感のあるものだった。三人が遭遇した空爆の跡とは明らかに違う。至る所に銃弾の跡と転がる薬莢。

 古い石畳にできた亀裂の連なりを見たカルが呟く。

「昨日の戦車…………ラカニエか…………」

「生きてる人がいたら教えて」

 レナがそう言って駆け出した。

「ダメだ‼︎ 勝手に動くな!」

 カルの言葉にレナの足が止まる。昨夜の一件のためか、レナも確かに慎重になっていた。所詮自分は軍人ではない。素人に過ぎない現実を受け入れていた。

 カルが続ける。

「追手がいたら、あなたならどうする?」

「追手?」

「ここの戦闘を後にする時────私なら地雷を置いていくでしょうね。これは空爆じゃない。軍隊が銃火器を使って行った戦闘行為。複雑になる。私を先頭にして慎重に──絶対に三人で行動すること。いいわね」

 そう言いながら、カルも複雑な気持ちを抱いていた。

 ──どうしてこんな集落で…………

 レナも同じ気持ちなのか、背中を向けたまま、ゆっくりと。

「分かった──でも生きてる人がいたら教えて。救える命は失いたくない」

「そうね。でも絶対に私に従って──マーシも、いいわね」

 カルのすぐ後ろで、マーシは黙って頷いた。

 その後、可能な限りの建物を見て回った。僅かに空が薄らいでくる。全員に諦めが蔓延し、気持ちが緩むと途端に疲労が襲われる。

 三人は、とある民家の前で腰を下ろしていた。

 全員が疲れていたのだろう。誰が何を言うでもなく、いつの間にか三人で肩を寄せ合い、目を閉じる。軍人としては問題のある行為なのだろう。しかしカルにとっても、多くのことが諦めで埋め尽くされようとしていた。全てがどうでも良くなる感覚が確かにあった。気持ちが折れそうになる。

 しかし、気持ちの奥底に何かがいた。

 命にすがろうとする足掻き。

 他人の命を奪ってでも生きようとする矛盾。


 そう、死んでしまえば簡単だ。

 全てが終わる。

 やっと楽になれる。

 …………のに…………


「…………?」

 最初に顔を上げたのはマーシだった。

 それに気が付いて神経を集中させるカル。自動小銃を手に立ち上がろうとするが、マーシがそれを止める。

「…………ちがう……」

 小さく呟いたマーシが走り出す。

 背後の家の中へ──開け放たれたドアから────。

「──マーシ!」

 慌てたカルとレナが追いかけた場所は、家の裏庭。

 そこには、立ち尽くすマーシの背中…………。


 空を埋める。

 葡萄の屋根。


 途端に花の奥をくすぐる甘い香り。

 程よく陽の光を遮る緑の葉の連なりが、視線の遥か先まで続く。

 別世界────。

 しばらく目にしていた光景とは、まるで違う世界。

 胸の中の何かが滑り落ちていく。

 緑の葉の下に並ぶ、数えきれない程の葡萄の房が、微かに風に揺れていた。

 薄い緑の粒が、陽の光を跳ね返し、周囲に拡散される暖かさ。

 そこに立ち尽くすマーシの後ろで、レナが無意識に涙を流す。

「……なに……これ…………」

 いつの間にか呟いていた。

 そしてマーシの視線の先にいるのは、一人の少女。

 小さく草の中に座り込む少女の背中。

 葡萄の粒を口に運びながら、その少女はマーシに振り返った。

 ゆっくりと、マーシは少女に近付く。

 やがて膝をつくと、背後から少女を抱きしめていた。

 そして、少女の声が全員の耳に届く。

「だれ?」

 途端にカルが膝をつく。

 生き残っていた人間がいた…………五〜六才だろうか、小さなフリルのついた薄い緑のワンピースに、赤い小さな靴。

 そして、紫の長い髪。

 その少女が再び口を開いた。

「お名前は? わたしはキラ…………アーカムだよ」





 街の外れで見付けたのは軍用車両ではない。

 表面のザラついた古いピックアップトラックだ。それでも後ろの荷台部分に荷物を詰めるばかりではなく、運転席と助手席の後ろに狭いなりに後部座席もある。

 荷台に積み込んだ大きめの籠一杯の葡萄を摘みながら、自分のことをキラという少女を囲んでレナとマーシが座り込んでいた。カルだけはいつでも運転席に乗り込めるように外に立ったままだ。辺りは僅かに薄暗くなり始め、警戒を強める時間になっていた。

「名前が……キラ?」

 レナの質問にも、キラが怖がっている様子はない。

「うん! アーカムなの」

 葡萄を口に運びながらも、たまに落とす粒を拾いながら、マーシが微笑む。自分の袖でキラの口元を拭き、その姿は母親そのもの…………。

「アーカム?」

 レナが質問を続ける。

「うん。アーカムだよ」

「いや…………アーカムって所から来たの?」

「ちがうよ。アーカムだよ」

「? アーカムって────」

 すると、マーシがレナに顔を向けた。

「レナ、もうそのくらいにして。キラが困ってる…………」

 そのままキラに顔を戻す。

「…………眠くなってきたのね」

 するとレナが驚きの声を上げた。

「分かるの⁉︎」

「もちろん」

 そう言うとマーシはキラを抱き抱える。途端にキラが大きくあくびをした。そのままマーシは荷台を降り、後部座席に入っていく。

 荷台に取り残されたレナが呟いた。

「へー、さすがだね」

 そこで荷台に乗り込んできたのはカルだった。腰を下ろしながら大きく溜息をついたカルに、レナが食いつく。

「アーカムって街、聞いたことある?」

「……んー…………私はないなあ」

 カルはすぐ隣の籠から葡萄を一房取り出した。そして続ける。

「セカンドネーム? 自分の名前は知ってたし…………どっちにしても、明日一日はあの子の親探しって感じね。もしかしたら近くで生きてるかもしれない」

「この街なら散々探したじゃない」

「なら、あの子連れて移動するの? 間違いなく死なせるだけだよ。それに、マーシ────」

「いいじゃない……子育て経験だってあるんだし…………」

「言ったでしょ? マーシは目の前で娘を亡くしてる…………」

 すると、レナは口を開きかけて言葉を詰まらせた。

 カルが続ける。

「あの目…………なんだか変だったよ…………周りが見えなくならなきゃいいけど…………昨日のこともあるしね…………」

「へー」

 言いながらカルの葡萄の房から一粒摘んだレナが続ける。

「さすがは軍人さんだねー」

 そして笑みを浮かべた。

「これでも部隊長だからね」

 そして、夜が静かなまま過ぎていった。

 明るくなると、その日も天気はいい。

 そして三人と一人は、民家の中にいた。割れた窓ガラス越しに、自動小銃を持ったカルとレナが外を伺う。周囲の壁は崩れて外と繋がっている所も多い。相手が歩いてきたら不利な条件。

 少しずつ聞こえてくるエンジン音。

 音を聞きながらカルが口を開いた。

「車両は二台だけ…………昨日の奴らの後続部隊にしては規模が小さい。偵察でなければ他にもいると考えたほうが自然だ」

「味方じゃないの?」

 そう口にしながらも、レナの額には汗が滲む。

「あの制服はラカニエだ。一昨日の戦車と同じだよ」

「……今更だけど、あの時の緑の光って何なの?」

「ラカニエの新兵器か…………質問攻めはやめて集中して」

 民家の前で道路を挟んだ先に車両が二台停まる。兵士は全部で八名。降りたのは二名だけ。

 レナの舌打ちが耳に届いても、カルは集中した。

 兵士たちは各自が自動小銃だが、車両の一台は後部に重機関銃が設置されている。

 二人の兵士がゆっくり向かってくる。

 ──気付かれた?

 しかし兵士たちが向かったのは民家の隣の建物──そこは小さな商店だった。最も先遣隊

がすでに入ったからなのか、食料はほとんどがなくなっていることはカルたちも知っていた。

 兵士が一人建物の中へ入り、もう一人はその前で周囲を見渡す。

 その視界に入ってきたのは、赤い小さな靴────。

「ん?」

 兵士が自動小銃を構えて民家へ──壁の崩れた部分────その影には、キラを抱いたマーシが座り込んでいる。

 全員の緊張が高まり、マーシも壁を挟んだ背後に兵士がいることに気付いた。

 赤い靴を見られないように──と体を動かした時、外の兵士が叫ぶ声が響く。

「生存者だ!」

 マーシがゆっくりと振り返った時、そこには初めて見た男性兵士の目。

 そして、その両目の眉間にシワが寄っていく。

 兵士の前には〝軍服〟の女性兵士────。

「敵だ‼︎」

 その叫びの直後、レナの自動小銃が火を吹く。

 車両で自動小銃を構える兵士たち────状況が分からない状態ではすぐに動けない。

 マーシの横で、倒れたままのたうち回る兵士。

 どこに銃弾が当たったのか、致命傷ではなかった。

 驚愕の表情を浮かべるマーシの手が緩んだのか、いつの間にか抱き抱えていたキラを離していた。

 カルが窓から撃ち始めると、途端に辺りは銃声で埋め尽くされる。

 そのまま蠢くだけの兵士を見下ろしたのはレナ。


 ──難しい…………

 ──どこなら、すぐに死んでくれるの…………?


 ただ、引き金を引いていた。

 兵士の体に向けて。

 顔に向けて。

 そして、やがて動かなくなった。

 弾倉が空にはなっていたが、レナの指は引き金を引いたまま。

 そして、その横で聞こえる叫び声。

 それは言葉にはなっていない。


キラの泣き叫ぶ声


 頭を抱え、床の上で暴れるように、叫び続ける。


 マーシがキラを抱き抱えるが、その声は止まらない。マーシはキラの体の震えを感じ、抱きしめる両腕に力を入れた。

「ダメだ‼︎ 行くよ‼︎」

 カルの声。

 全員は家の裏へと抜けた。





「落ち着いた?」

 運転席から後部座席に声をかけたのはカルだった。その後部座席では、マーシがキラを抱き続けたまま、マーシ自身も僅かに体を震わせている。

 そして、何も応えようとはしない。

 車はだいぶ走っていた。

 辺りもすでに暗い。

 昼間の光景がカルの頭に浮かぶ。

 ──マーシとキラの二人に近すぎた

 特殊な状況だったとはいえ、辛すぎる事実…………。

 ──軍人の考え方じゃないな…………こういう考えはダメだ…………

 助手席のレナも、ずっと口を開こうとはしなかった。


 ──一発で仕留めていれば…………あの兵士は苦しまずに死ねた…………

 ──もっと簡単に殺せたはず…………

 ──苦しませずに、殺せたはず…………


 それから半年以上が経ち、未だにキラを保護したまま、フォニィ共和国の中にいた。

 何度も残存兵力との戦闘を繰り返したが、もはやそれはラカニエなのか、フォニィなのかコレギマなのか、それすらも分からなかった。

 誰もが、生きるために人を殺していた。

 国も思想も関係ない。

 死にたくないから人を殺す。

 誰もが、常に恐怖を感じていたのかもしれない。

 そして絶望の中で、すがる物さえ見付けられないまま、思考を失っていく。

 三人もいつの間にか、それぞれがそれぞれを見失っていたのかもしれない。しかしそれに気が付くことすら出来ないまま、先の見えない時間だけが過ぎていく。

 何度も見た光景が目の前に広がる。

 荒廃した街。

 崩れた建物。

 潰れた車。

 割れたガラスと薬莢。

 そこで戦闘行為が行われたことは間違いがなかった。いずれ死体と出くわすことになるのだろう。そして、もはやこの街がどこなのかも分かってはいなかった。

 生きた人間がいるようには見えない街。

 しかし、そういう所こそ、自分たちのような生き残りの拠点になっている可能性がある。

 カルもどこかを拠点にしてひっそりと生きたかった。だが、もしかしたら、どこかに生き残った人間たちのコミュニティがあるかもしれない。そうすればキラを預けることも出来る。このまま連れ歩くわけにはいかない。

 キラは人間の〝死〟を見た途端に、異常なまでに泣き叫ぶ。

 そもそも、キラは自分の名前と〝アーカム〟という言葉以外は素性の分からない子だ。もしかしたら何かトラウマを抱えているのかもしれない。

「PTSDだと思うよ。原因は分からないけど」

 レナはそう言いながら、キラとの過度な接触を避けていた。

 そのことで何度もマーシとはぶつかった。

 マーシの希望は、どこかで家族のように暮らせれば────ということだったが、その〝どこか〟が見つからない。

 どこかに、軍服を着なくても生きられる場所はあるのだろうか…………そう考えない日はなかった。


 もう、諦めてしまいたい


 仮眠を取るたびに、カルの頭には、その言葉が浮かぶ。

 車を運転しながら視界の先に小さく装甲車が見えても、瞬時に対応を取ることが出来なかった。

 というより、しなかった。


 もう、いい

 誰か殺して


 装甲車の上に機銃が見えた。

 正面。

 左右はビル。

 逃げ場はない。


 終わり


「スコラ!」

 ヘルメットに響くヒーナの声。

「聞こえてるよ──民間車──ピックアップトラック。驚かせないように近付いて」

 装甲車が速度を落とした直後、横から顔を出して目を凝らすのはナツメ。

「後部座席に自動小銃! 軍服着てる!」

 スコラの重機関銃が三発──トラックの前に土埃を立てた。

 そしてトラックが急停車する。

 ハンドルを握るカルの手に汗が滲む。

 後部座席で自動小銃を構えるレナの姿がバックミラーに映ると、カルは前方の装甲車を見ながら小さく口を開いた。

「やめよ…………もう無理だよ…………」

「……カル…………あなた…………」

 レナの寂しそうな声が車内に響く。

 そのレナの隣で、マーシがキラを抱きしめながら不安な表情を浮かべる。状況が分からずに辺りに視線を配り続ける。

 トラックに近づく影。

 装甲車ではナツメがマイクに口を開く。

「大丈夫。一人でも問題ないよ────いざという時は、頼むよスコラ」

 重機関銃の引き金に指をかけながらスコラが応える。

「出番があればね」

 トラックに近付くのはティマだった。

 自動小銃は持っていない。

 左脇のホルスターには拳銃が入ったまま。腰の後ろのホルスターには愛用の軍用ナイフ。しかし両手は空けたまま。

 トラックの正面、五メートル。

 ティマから見えるのは両手をハンドルに乗せたままのドライバー。その後ろで自動小銃を手にした兵士がいるが、銃口を向けてはいない。そしてその隣の兵士は何かを抱えている。

 ティマが口を開く。

「手を上げて降りてこい」


 ドライバーは銃を持ってはいない。

 諦めた目で両手を上げる。

 後部座席の兵士は自動小銃のストラップを肩にかけて両手を上げる。

 軍服を着ているが素人だ。

 三人目が抱えているのは、子供…………? 紫の髪? 子供の手が首にかかっているなら片手くらいは上げられるのに、どちらも上げていない。

 どこかに抵抗の感情もあるのか?


「コレギマの軍服ね……所属は?」

 ティマの質問に、カルが応える。

「コレギマ帝国軍、第三特化部隊……カル・ヤガミ少佐です」

「他の二人は軍人じゃないわね……どうして一緒に行動しているの?」

 カルは驚いた表情を浮かべながらも、説明を始める。

 その間、一番落ち着かないのがレナであることはティマも勘づいていた。

 大体の説明を聞いた上でティマが口を開く。

「あの空爆の話は聞いていた。では改めて────」

 ティマはカルの前で両足を揃えて敬礼をし、続けた。

「ラカニエ第六強襲部隊、ティマ・シティ中尉です────まあ……階級なんて今更だけど」

 唖然とするカルに軽い笑みを向けると、ティマが更に続ける。

「装甲車で改めて詳しく聞かせて。食料もある」


 ティマが装甲車まで歩く。その後ろを歩きながら、カルは不思議な感覚に囚われていた。

 ティマが運転席の兵士に何かを話している姿が見えた。

 記憶を探る。

 ──どこかで…………

 ティマが装甲車の後ろに乗り込みながら、振り返って促してくる。

 別の片腕の兵士が笑顔で声をかけてきた。

「いらっしゃい」

 ──どこか……………………


 カルが乗り込む。

 中のチグとアイバの姿を見て体を硬くした。

 次に乗り込んだのはマーシ。ずっとキラを抱いたままだ。キラは装甲車の中を不思議そうに見渡している。

 ナツメがマーシに話しかける。

「どこかで保護したの? 大変だったね…………楽にして」

 次にレナが装甲車に片足をかけ────自動小銃を構えた────。

 しかしティマの指のほうが早い────。

 ティマの拳銃の弾丸が自動小銃を弾き、レナの体は外に大きく弾きだされる。

 直後、

 拳銃を持ったティマの右手を鉛の玉が突き抜けていた。

 吹き飛ばされた拳銃が装甲車の床で大きく音を立て、空気が凍りついた車内で、震えながら拳銃を構えているのは、マーシだった。

 全身を震わせながら腰を落とし、ナツメが抑えるより早く拳銃を落とす。

 大きく震え、顔に溢れているのは汗か涙か…………。

『ティマ‼︎ どうした‼︎』

 スコラの声が響き、チグが叫ぶ。

「スコラ‼︎」

 スコラが下に飛び降り、ナツメがマーシに銃を向け、チグがカルに銃を向け、ヒーナは運転席で拳銃を手にサイドミラーでレナの姿を確認し続ける。

『負傷者はいるの⁉︎』

 ヒーナの慌てた声。

 スコラが声を上げた。

「大丈夫だよヒーナ────警戒をお願い」

 そういうとスコラは救急ボックスから大き目のガーゼを取り出し、平然としているティマの右手に巻きつけた。止めどなく血は落ちていたが、まるで慌てずに続ける。

「まったく…………もうこのガーゼはティマ専用にするからね」

 すると、その背後からカルの小さな声。


「………………堕天使…………」


「へー」

 マーシに銃口を向けたままのナツメ。

「さすが…………ティマは有名だねー」

「名付け親はナツメだろ」

 そう言った冷静なままのティマは、カルに振り返って、微かに口元に笑みを浮かべた。





〜 第三部・第2話へつづく 〜

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