第5話 ラゼテジュの王宮

 人生初の馬車はとんでもなかった。

 すっごいガタガタする。


 道は舗装されてるっぽいんだけど、日本のアスファルト程しっかりしてないし。車輪もタイヤみたいに弾力がないから、ちょっとした段差で体が跳ねるし。座席にはクッションがあるけど固いし。


「く、車……! 帰りは車がいい……!」

「智華さん、智華さん。この世界に車はありませんから」


 振動が体にダイレクトアタック! 降りる時にふらつけば、ラチイさんが申し訳なさそうに腕を貸してくれた。気分的には船から降りた時のあの感覚。


 うぅ……これ絶対明日筋肉痛では……?

 ラチイさんの腕を支えに自立を果たすと、ダニールさんが面白そうに目を輝かせていた。


「クルマ? クルマってあれだろ? チカちゃんとこの世界にあるっていう乗り物だろ? そんなに乗り心地いいの?」

「馬車よりはるかに快適です」


 神妙な顔をして頷けば、ダニールさんはますます目を輝かせて、ガバッとラチイさんの首に腕を回した。


「俺も異世界行きてぇ!」

「ダニールには無理です」

「コンドラチイのケチ!」

「俺より年上のくせして子供じみたことを言わないでください」


 うっそっ!? ダニールさんのほうがラチイさんより年上なのっ?


「ダニールさん、いくつ?」

「俺、二十三!」

「ラチイさんは?」

「二十一です」


 初めて知った新事実!

 ラチイさんけっこう若かった!


 へぇー、と思って頷いていると、ラチイさんの首に腕を回したダニールさんがびっくりした顔をしていた。


「ラチイ?」

「……」

「え、何、お前愛称で呼ばせてんの?」

「……何か文句でもありますか」


 綺麗な顔を不機嫌そうに歪めたラチイさんを、ダニールさんがまじまじと見返している。


「……へぇ、へぇ、へぇー。そりゃおもしろれぇ!」

「言っておきますけど、他意はありませんからね」

「他意がなきゃ愛称なんて呼ばせねぇだろ」

「…………………………」


 え? え? 何やら不穏な空気?

 一歩下がった所で見ていれば、ラチイさんがガシッと首に回されていたダニールさんの腕を掴んだ。


 その一拍後。


「あだだだだだ! コンドラチイ! 痛い! いてぇって!」

「智華さんにとって、こちらの名前が言いにくいだけです。あと、不名誉な言い間違いを避けるためですよ」


 良い笑顔でラチイさんがダニールの腕を掴んでいる。服のしわの感じ、あれ、めちゃくちゃ圧迫してるんだろうなぁ……。


 とりあえず、ラチイさんにまず確認を取らなくてはならないことが発生したので、私は腕からラチイさんの顔へと視線を移動させる。


「えっと、あだ名で呼ぶの駄目なら、ちゃんとするけど」

「そうですね。人前ではそのようにしてくれると、俺も嬉しいです」

「お前それ、二人きりのっていう言葉があだだだだだ」

「詮索不要ですよ」


 ラチイさんとダニールさんの攻防を見ながら、私はふとこのあだ名呼びが決まった事件のことを思い出した。


 そう、それは私がまだラチイさんと出会って間もなかった頃のこと……コンドラチイという名前に馴染みがなかった私は、うっかりお祖母ちゃんに買ってこいとよく頼まれる膝関節用の某薬剤の名前で呼んでしまったんだよね。


 その時はきょとんとしていたラチイさん。

 何かと聞かれて、その場は誤魔化して逃れたんだけど。


 後日、メールでのやり取りで私は再びやらかした。


 そう、誤爆。


 連日のテストによる解放感とともに、テストが終わったことを報告しがてら、今後のお仕事スケジュールについて、ラチイさんにメールをしたんです。


 その直前には、母から「お祖母ちゃんの膝関節の薬お願い」というメールに「コンドロイチンでいいよね。了解」と返したばっかりでですね。


 まるでコントかよ、とか思うじゃん。

 でも実際にやってしまったんだよ!


 予測変換による誤字が起きているのに気づかず、私はラチイさんにメールを送ってしまった。


 またもや出てくる膝関節用の薬剤。

 予測変換って罪だと思う……!


 そしてラチイさんがコンドロイチンがなんぞやということに気がつくのですが。


 名前を間違うという致命的に失礼なことをしている私に対して、優しいラチイさんが提案してくれたこと。


 それがあだ名呼びだったというわけです。


 なので、ダニールさんに意味深なことを言われてしまうと、あだ名呼びが悪いことなのかなって不安になっちゃう。


 ラチイさん呼びで定着していたけど、これは直さないといけないかなぁ。


 つらつらとそんなことを考えていると、少々殺伐とした話し合いは終わったようで、ダニールさんがラチイさんから離れて歩きだした。


「はぁー、コンドラチイ乱暴。室長、部下いじめはいけないんだぞー」

「俺の言うことなんて聞かないくせに、何を言うのか……」


 はぁ、とラチイさんが溜め息をつく。

 私の前ではスマートなラチイさんも、同僚さんの前では苦労人のようだ。


 私がラチイさんに声をかけようとしたとき、彼の溜め息を屈託のない笑顔で黙殺したダニールさんが、私の背中を押してきた。


 え、ちょ、何っ?


「ささ、王女殿下がおまちかねだぞー」

「えっ、あの、ダニールさん」

「こら、ダニール!」


 ぐいぐい押してくるダニールさんに逆らえずに、たたらを踏みながら歩きだすと、すぐにラチイさんも追いかけてきた。


 もー、ダニールさんてば、強引!

 ぐいぐい押されては、後ろばかり見ていられない。


 私はそっと視線を正面へと向けた。

 馬車が止まったのは、ラゼテジュ王国の中心。

 まるで中世ヨーロッパの世界に飛び込んだような街の中にあった、ラゼテジュの王宮だ。


 馬車は玄関ポーチで止まったので、私たちはそのままダニールさんに連れられて中へと入って行く。


 この王宮の外観は、白くつるりとした白石で出来ていて、屋根がまるでサファイアのように煌めく、真っ青な色で染まっていた。


 内装も同じで、白くつるりとした白石の壁と、サファイアのように透き通る天井に覆われている。


 あちらこちらと行き交う、赤や緑、青色など、奇抜な色合いの髪をした人たち。


 彼らが小さく会釈しながら歩いていくので、すれ違うたび、私もそれに会釈を返す。


「ねぇねぇ、ラチイさん」

「どうしました?」


 ダニールさんの腕から逃れた私は、くるりと爪先でターンをして、後ろに歩いていたラチイさんの横についた。


 うきうきそわそわしそうになるのを我慢して、声を潜めつつ真剣に相談を持ちかける。


 真面目な顔を作った私は、ラチイさんにこの気持ちを告白した。


「私、よだれでそう」

「やめてください王宮で」


 淀みなく歩きながら、的確な突っ込みをいれてくれるラチイさん。


 ダニールさんがいるせいか、いつもより刺があるような言い方な気もするけど気にしない!


「あのね、聞いて、大事なこと。この白い壁とさ、青い天井を見ているとさ、私の宝石レーダーがビビビッて訴えかけるのよ」

「へぇー、なんだその面白機能」


 建物に入ってからは前を歩いていたダニールさんが、面白そうだと言わんばかりにこちらを振り向いて話に乱入してくる。


「ちなみに、どんな感じで訴えかけてるんだ?」

「キラキラしてて、つるつるしてて、壁も屋根もえぐりとって持ち帰りたい!」

「けっこう物騒!」


 だって本当にそう思っちゃうんだよ! さっきから壁や天井が目に入るたび、頬擦りしてみたくなる衝動に駆られそうになってて困ってるのー!


 でも我慢我慢と耐えていれば、からからと笑うダニールさん。

 逆にラチイさんは何かを考え込むように顎に手を当て、私をまじまじと見つめてきた。


「ラチイさん?」

「いや、智華さんのその勘は、なかなかのものだなぁと思いまして」

「どういうこと?」

「この王宮の主要建造物には天然魔石が使われています。言い伝えによれば、千年前の王が天然魔石の鉱山を丸っと一つ削って建てたものだそうで、近隣諸国……いえ、この世界最大の魔石細工とも言える建物だと言われています」


 私は驚いて視線を巡らせた。

 それって宝石で建物が作られてるってこと!?


 ふぁー、と間抜けな顔で天井を見上げていると、ダニールさんがラチイさんに便乗して説明してくれる。


「元々は『陸の海宮殿』と呼ばれるくらい、全部が屋根みたいに真っ青で、太陽の光を反射しては輝いていたんだと。だけど時代を経るにつれて蓄積されてた魔力が使われていったんだろうな。今はご覧の通り、白い壁に青い屋根の建物になったっつー話だ」

「すごーい……」


 おとぎ話もびっくりな王宮ビフォーアフターに、私はひたすら感嘆の声をあげる。


 なんて贅沢な魔石の使い方!

 日本……ううん、外国でも宝石で建物を建てるなんて試み、無いと思う。


 ほわぁ……と天然魔石らしい天井を見上げた。

 青色魔石は水属性、だっけ?


「この屋根の魔石って、使えるの?」

「生きているので使えるでしょうが、やったら即打ち首ですね」

「うちくび」


 え、そんな待った無しの問答無用で?


「コンドラチイから聞いてると思うが、今はどこの国でも魔石資源ってのは貴重なんだよ。ここの屋根だって言ってみりゃ国家財産どころか、世界財産にも成りうる。それを個人で勝手に使うなんて言語道断だろ」

「日本でいう盗電扱いですよ」

「誤解があるようだけど、盗電で打ち首にはならないからね!?」


 とんでもないラチイさんの例えに私は慌てて訂正しておく。

 さすがの日本も、盗電で打ち首……死刑なんてことにはならないから!


「そういうわけで、魔力はあれど使えない。万が一使うとしたら、国が滅ぶくらいの一大事の時ぐらいだろうなー。お、そう言ってる内に着いたぞ」


 ダニールさんはそう言うと、足を止めた。


 真白の壁を彩るように置かれた、金のドアノブと紋様の入った扉の前。

 ダニールさんは私たちのほうを振り向くと、恭しくお辞儀をする。


「この中に王女殿下がいらっしゃいます。くれぐれも失礼のないように……と。一応言っておくな? これも仕事なんで」

「いつも思いますが、ダニールのその変わり身は気持ち悪いですね」

「相変わらずひっでぇ!」


 渋面のラチイさんに毒を吐かれたダニールさんが抗議の声を上げるけど、すぐにこほんと咳払いする。


「とりあえずチカちゃん。あんたはリラックスして王女殿下と接してやってくれ。まだ幼い方でな。あんまり緊張してると、向こうも緊張してしまうから」


 えっ、王女様って小さい子なの?


「そういうことなら、私も気楽でいいけど……無作法でも打ち首とかにはならない? 大丈夫?」

「大丈夫ですよ。早々、打ち首なんてなりません。王女殿下の要求に答えられないようなら、断っても大丈夫です。智華さんの判断で、まずは王女殿下のご要望に答えられるかどうかを考えてください」


 ラチイさん、その言葉信じるからね?

 これでもし私の手に余るような要求を突きつけられて、断ったときに穏便に解決しなかったら、ラチイさんを恨むからね?


 私はごくりと生唾を飲み込んだ。


 いよいよ、依頼主とのご対面……!

 それでは笠江智華、十七歳。


 異世界で、ロイヤルなお客様と、初めての商談をいたします!


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