第2話

 五日後の正午、俺はリュックを背負って家を出た。電車に乗り、一度乗り換えて目的地まで一時間かけて向かう。駅からは歩いて五分でA大学院が見え始め、俺は念のためリュックから伊達メガネを取り出して掛けた。大学の校門には警備員や職員がおり、受付の場所を案内していた。

 俺と同じように受付に向かうのは制服を着た高校生が多いなかで保護者もチラホラいた。俺のように私服で来ている者はわずかしかおらず、このまま上手く離れて、ここの大学生としてやり過ごせそうな気もした。

 受付では、大学の在校生が対応していた。案内パンフレットが入った、大学ロゴ入りの手提げをもらって館内を巡る。各教室では、それぞれの学部生のレポートや授業風景の写真などが展示されており、希望者には個別面談もできるよう、学部の先生が時間帯によって待機していた。俺はその教室には入らず、キャンパス内を案内している集団の横を通り過ぎ、手提げに入っていたマップを見ながら、院生が使用する教室へ向かった。そこへ近づいていくと共に人気がなくなっていき、俺はいつの間にか一人で静かな廊下を歩いていた。教室の中へは入れなかったが、扉の窓から覗く。今、三浦はここで講義を受けているのかと想像し、あいつだけが何事も無く生活できていることに自然と怒りが湧いてくる。俺はそれを押さえつけながら建物を出ようとすると、見覚えのある顔の男を見掛けた。それは法学部の教授である矢野だった。ホームページで顔写真を確認していたからすぐに分かった。俺は一瞬悩んだが、またとないチャンスに何か情報を得られないかと、思い切って声を掛けてみた。

「すみません、ここの法学部の先生ですよね?」

 矢野は五十代くらいの白髪交じりの男だった。俺の声に振り向くと、笑顔で応じてくれた。

「はい。君は……オープンキャンパスで来た人?」

「そうです。ここの大学院を目指しているんですけど、お話を伺えないでしょうか?」

 俺の急な要求に、矢野は嫌な顔一つしなかった。

「君は法学を希望しているの?」

 俺は頷いた。

「それじゃあ、教室で話を聞こう。短い時間になるけど、個別面談をやっているからそこへ」

 矢野は生徒に好かれるタイプの先生だと俺は思った。見た目の印象も清潔感があって悪くはないし、親しみを持ちやすそうで俺は少しホッとした。この方が三浦の事を聞きやすい。

 俺は矢野について行き、先程の学部の展示がしてある教室まで戻ってきた。そこの法学部の展示教室へ入り、面談用に設けられていた椅子に座った。俺は講義や論文に関することなど、法学部に関わる質問をいくつかした。興味はなかったが矢野の話を聞き、最後に本題を切り出した。

「ここの大学院に三浦先輩っていらっしゃいますよね?」

 俺がそう言うと、矢野は驚いた顔をした。

「君、知り合いかい?」

「三浦先輩と同じ高校に通っていた後輩です。法学専攻の大学院を探していたんですけど、三浦先輩がここに通っていたのを思い出して」

「あぁ、そうだったのか。彼に論文の指導をしているけど、他の人よりもスムーズに書いているし、テーマも興味深いものを取り上げているよ」

「高校生の時そうだったんですけど、今も人気ですか?」

「そうだね。友人は多いし、学部生の時には写真愛好会っていうサークルに入部していたから、そこに顔を出すこともあるみたい。後輩の子とも飲みに行っているようだしね」

 写真愛好会は手提げに入っていたサークル紹介の用紙に記載されていた。その用紙には、ワンダーフォーゲル部の名もあった。俺は重要な情報を入手できたようだ。

 俺は矢野との会話もそこそこにし、席を立って教室を出た。手提げの中には文化祭を予告しているチラシがあった。二週間後の日付が大きく記載されている。その日は俺が通う大学のゼミの講義がある日でもあったが、俺は迷うことなく、文化祭に行こうと決めた。


 文化祭当日、俺は午前中に大学の講義に出席した後、陽平と昼にご飯を食べた。その後、それぞれ別のゼミがあるため別れたが、俺は教室に向かわずに大学を出る。電車に乗り、この前と同じ駅に向かい、五分掛けてA大学院へ歩いていく。門には鮮やかな色合いの文化祭の看板が掲げられていた。俺は校舎に入る前に案内図を総合受付でもらった。それを見て写真愛好会の場所を探してみると、三階の教室で展示を行なっているようだった。

 俺はそのまま階段を上って三階に行き、他のサークルの教室の前を通り過ぎて写真愛好会の札が掛かった教室に入る。

「こんにちは、どうぞ~」

 写真愛好会の学生からパンフレットを受け取る。それは写真愛好会のそれぞれの学生が一番のお気に入りの写真を載せたものだ。それとは別に学生が撮った空や海、夜景、動物などの写真集やポストカードが売られている。

 教室には俺以外にも展示を見ている人がいる。その展示は様々なテーマの写真が飾られていた。

 それを見ていく途中で俺の目がある一点に釘付けになった。「人」をテーマにした写真の中に写真愛好会のメンバーが写った集合写真があった。そこに三浦が写っていた。写真の中の三浦は楽しそうに笑顔で隣にいた男と肩を組んでいる。

「あっ、先輩! 見に来てくれたんですか?」

 俺がその声に振り返ると、教室の入り口に三浦がいた。ずっと殺したいと思っていた奴が不意に目の前に現れて俺は驚いたが、三浦に近付く絶好の機会だ。

 俺は自然と気分が高揚していた。今日を逃したら次はいつになるか分からない。俺は写真を見るフリをしながら聞き耳を立てた。

「あぁ、どうなっているかと思ってな。人は結構来ているのか?」

「そうですね。ポストカードを買ってくれる人がまぁまぁいますよ」

 三浦は後輩の言葉を聞きながら、展示に目を向けている。俺はタイミングを見て、三浦に声を掛けた。

「……三浦先輩ですか?」

 俺の言葉に三浦は振り向いた。

「誰?」

「俺、井上と言います。先輩と同じ高校に通っていたんです」

 俺の言葉に、三浦はハッとして言った。

「あぁ、矢野先生が言っていた高校の後輩って君のこと?」

「そうです」

「矢野先生から聞いたけど、法学志望なんだって?」

「はい。そうなんです。今日は矢野先生から三浦先輩が写真愛好会に入っていたって聞いたので、見に来たんです」

「そうか。まぁ、今は所属してないけど、俺の後輩の作品があるからね。今日は俺も見に来たんだよ」

 俺は三浦と初対面にも関わらず、意外に早く打ち解けられたようだった。その後も写真を見ながら三浦と学校のことや、先生、サークルの後輩の紹介と話が進んだ。

「でも残念ですよ。これから大学新一年生だったら、サークルに入れたのに」

 三浦が紹介した写真愛好会の遠藤が呟いた。

「そうですね」

「でも、三浦先輩は面倒見がいい先輩ですから、困ったときは色々聞くのがいいですよ」

「面倒見って……。来年はサークルの勧誘、手伝わないぞ」

「えぇ、そんなぁ」

 この二人のやり取りでもそうだ。代議士の息子である三浦は、この気さくな感じが周りから慕われ、友人が多い理由の一つなのだろう。

 白か黒か探るには、もう少し懐に入らなければならない。

「それなら、もう少しお話ししたいです。進学のこととか、色々ご相談してもいいですか?」

「あぁ、いいよ。ただ、これから矢野先生の研究室に用があるから、その後でもいい?」「はい」

「じゃあ、またあとで」

 そう言って三浦は出ていった。しばらくの間、今後どうしていこうかと考えていたところに、遠藤が声を掛けてきた。

「井上さん、いま先輩からメールが来たんだけど、時間が掛かるみたいですよ。今日はあんまり話を訊けなくなりそうだから、別日で良ければその時ゆっくり話せるよ……てことなんですけど、どうします?」

 俺は迷った。出来れば少しでも距離を詰めておきたいが、後日に会う方がいいか? しかし、これでまたすぐに会えるとは限らない。やはり、今日のうちに話しておきたい。

「三浦先輩が今日でもいいなら待ちます。ここじゃなくて、別の場所でも構いません」

 俺の言葉を聞いて、遠藤は少し悩んでから言った。

「よく先輩と行く店があるんですけど、実は文化祭の後、飲みに行く約束しているんです。井上さんも来ます?」

 俺は思ってもいない提案に驚いた。

「もし、井上さんがここの大学院に来るなら、今後顔を合わせることも増えるし、これからよろしくっていうのも含めて。学校で待つより、先に店に行っている方が楽じゃないですか?」

 俺はこれを逃す手はないと思った。

「そうですね。ぜひ、行かせて下さい!」


 俺は文化祭終了後、遠藤と共に三浦の行きつけの飲み屋に行った。店の外観はこじんまりした店のように思えたが、入ってみると奥行きがあってカウンターとテーブル席があった。そのまま奥に案内され、テーブル席に座った。先に飲み物だけ注文していようとメニューを見ていると、三浦が店にやってきた。

「先輩、先に来てましたよ」

「あぁ。思ったより、時間かかった」

 三浦は席に座ると、俺を見て言った。

「待たせてごめん。井上君はお酒飲める?」

「あまり飲めなくて。ノンアルコールにします」

「そうか。いいよ、好きなので」

「僕はいつも通りビールで!」

 嬉しそうに遠藤が言った。

「ほどほどにしろよ、弱いんだから」

 三人分のお酒といくつか料理やつまみを注文した後は進学や将来のことについて話していた。俺は酔わないようにノンアルコールビールを選んだが、三浦が言っていたように遠藤は酒に弱かった。一杯目で顔や耳が赤くなり、二杯目で呂律が怪しくなり、三杯目で完全に酔って眠ってしまっていた。

 一方、三浦はさすがに遠藤ほどではなかったが、顔が少し赤らんでおり、酔いが回り始めているようだった。俺は今だと思い、三浦に尋ねた。

「三浦先輩は高校の時から、大学院まで法学専攻でいこうと決めていたんですか?」

「あぁ、高三に上がった頃にね」

「そうなんですか……。そういえば、先輩は憶えていますか?」

 赤い顔できょとんとした三浦に、俺は膝の上に置いた手に力を込めて訊いた。

「部活で生徒が一人亡くなった事件、ありましたよね?」

 俺のその言葉に、ビールジョッキに伸ばしかけた三浦の手が止まった。

「……そういえばそんなことがあったな。でも、あれは顧問の先生や一部の生徒のせいだったんだよな」

「三浦先輩もびっくりしたんじゃないですか? 同級生にあんなことした人がいるなんて」

「そうだね」

「俺は同級生で亡くなった人がいるなんて驚きましたよ」

「どういう状況だったのかはわからないけど、やりすぎたのかもね」

「先輩は……そういう経験あります?」

 三浦は俺の言葉に驚いたように目を見開いて俺を見た。

「先輩は仲の良い同級生や後輩が多そうだから、からかったりイタズラしたりとか」

「……あぁ、そうだね。からかうこともあるよ」

 三浦は、頼んだばかりのジョッキいっぱいのビールがいつの間にか底をついており、それに気付いて飲もうとしたジョッキを下ろす。

「それが楽しくもあったからね。まぁ、だいたい周りの奴らがやりすぎることが多かったけど。俺は直接イタズラをするより、それを見ていることの方が多かったし」

 三浦は昔を思い返すように呟いた。

「まぁ、特に高校の時は決まった人に……それなりに可愛がっていたよ」

 三浦は自分の髪を触り、視線をキョロキョロしながらそう言った。俺は三浦の言葉と様子でやっぱり関わっていたのだと確信した。

「そろそろお開きにしよう。昔話はまた今度ね。……おい、遠藤起きろ」

 三浦はタクシーを呼び、酔った遠藤と乗り込んで帰っていった。それを見送りながら、俺は三浦への復讐を改めて決意した。


                              -続-

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