贖罪と決別 ~後悔のあとに~

望月 栞

第1話

 寺の境内の前を横切り、水道で手桶に水を溜めて柄杓と一緒に持つ。そのまま目的の墓へ向かう足取りは、五年前ほど重くはなかった。それでもまだ、あの目的を達成するまでは、誠に対して謝罪以外、何と言えばいいのかいつも迷ってしまう。

 俺は大学が夏休みに入ったのを機に、高校時代からの友人の陽平と、誠の妹の真由子と一緒に誠の墓参りに来ていた。高校一年の時に亡くなった親友の墓は五年前と変わらない。俺達が来る前に、誠のご両親がいつも綺麗にしている。

 最初に手桶の水を水鉢にそそぐ。その後に家から持ってきた、いらない紙の広告にライターで火を付ける。煙が目に直撃するのを避けながら、燃えきる前にその火を線香に灯す。

「尚樹、線香もらうよ」

 俺は手を伸ばしてきた陽平に、多めに線香をわたす。陽平はそれを真由子と分け、先に香炉に線香をあげる。真由子は陽平から線香を受け取り、燃えている広告の紙に柄杓で手桶の水を掛ける。火が消えると、陽平に続いて線香をあげ、墓の前で手を合わせる。俺は最後に線香をあげた。手を合わせ、誠の墓を見詰める。

 全部終わったら、ここへ報告に来る――

 誠が亡くなった当時、何も出来なかったことの謝罪と共にそれを伝える。ここへ来るたび、決めたことをやり遂げようと自然と心が奮い立っていた。

 誠の墓をあとにして手桶を元の場所に戻した。すると、真由子がバッグから何かを取り出した。

「これ見て。昨日、アルバム見ていたらこの写真があったの」

 集合写真だった。真由子から写真を受け取って、よくよく見るとそこには誠と陽平が写っていた。

「あぁ、これ、部活に入部したばかりの時の写真だ。……懐かしいな」

 俺の横から陽平が覗き込んで言った。写真には前列に新入部員が並び、脇には顧問の先生、後列に上級生が並んでいる。前列の真ん中より、少し左寄りに誠と陽平がいて笑っていた。これからどうなるかなんて全く想像もしていなかった時だ。この誠の笑顔が俺には懐かしくもあり、悲しくもあり、後悔が襲ってくるものでもあった。上級生に目を移せば、後悔の原因でもある三浦が澄ました顔で写っている。

「……この間、三浦先輩を見かけたよ。友達から聞いた話だと、今はA大学院に行っているみたい」

 写真をじっと見続けている俺の沈黙に耐えかねたのか、真由子がそう言った。それは俺にとって貴重な情報だ。

「A大学院?」

「うん。法学を専攻しているんだって」

 三浦の情報は、目的を達成するのに必要だった。写真の中の三浦を見て、俺は昔抱いた不信感が自然と思い起こされた。


 俺と誠は小学生からの幼馴染で親友だ。同じ高校に進んだ春、陽平と出会ってすぐに打ち解けた。俺は帰宅部だったが、誠と陽平はワンダーフォーゲル部に入部した。当時俺は知らなかったが、三浦もその部活にいた。三浦は代議士の息子で有名で、学校の中でも目立つ存在だった。俺は直接関わったことがなかったから、校内で友達や女子を数人連れて歩いているところしか見たことがない。ただ、当時聞いた噂では、代議士の息子ということもあって、教師は三浦を慎重に扱っているらしかった。しかし、成績優秀で性格が良いという評判は俺の耳にも入ってきていたため、別段気にしなかったし、興味もなかった。

 最初の一年目は穏やかに過ぎていたように思う。大きな問題も無く、テスト勉強に明け暮れながらも、誠達の部活がない日は三人で遊んだ。二年目になってから事が起こった。

 夏休みに入るひと月前に、誠と遊ぶことがあった。その頃、誠と陽平がどちらも元気がない様子だったのはずっと気になっていた。梅雨ぐらいから二人が度々、腕や足に怪我を負っているのを心配して尋ねたことはあったが、いつもはぐらかされていた。だからこそ、じっくり話を聞けるいい機会だと思った。

 その日、陽平は体調が悪いと言うのでいなかった。俺と誠はファミレスに入って、オーダーを取ってもらった。そのタイミングで俺は切り出した。

「最近、誠も陽平も怪我がひどいな。部活か?」

 それまで楽しそうにしていた誠は、俺の問いに視線を逸らした。

「まぁ……そうなんだ。けっこうきつくてさ。去年よりも大変なんだけど、たいしたことないよ」

「そうか? それにしちゃ、あんまり元気ないよな?」

「……そうかな」

 誠は困ったように笑っていた。やっぱり何かあると踏んだ俺は誠の左腕を掴み、袖をまくった。

「おい!? 尚樹!」

 誠は驚いて、腕を引っ込めた。案の定というより、思った以上にひどかった。腕にいくつもアザがあった。誠はそれをシャツの袖で隠す。

「どうしたんだ、それ」

 誠は目線が泳ぎ、何か言おうと言葉を探しているようだったが、何も言わなかった。

「陽平にもあるのか?」

 それを訊くと、誠は口を開いた。

「うん」

「なぁ、まさか……」

 誠は俺の言葉を遮って言った。

「しごかれているんだ。俺や陽平だけじゃなくて、下級生は全員」

「それって先生に?」

「うん。それと……三年生にも」

「三年? 何でだ? 去年はこんなことなかっただろ?」

 誠はうつむいて黙っていた。その間はお互いにテーブルの上の水を飲んだり、注文した料理が運ばれてきたが、店員が去った後、意を決したように顔を上げて誠は話し出した。

「六月から先輩達が厳しくなったんだ。最初は先輩達が三年になって、やり方の方針を変えたのかって思ったんだけど」

 その時、店員が俺達のテーブルに来て水を要るか尋ねてきた。気付いたら、誠の水は全くなくなっていた。俺は店員にお願いして、まだ半分残っている俺のグラスと誠のグラスに水を注いでもらった。俺は店員が別の客に呼ばれて行くのを確認して、誠に先を促す。

「違ったんだ。下級生全員をしごいているって言っても、俺や周りの友達に対して特にひどくて、もう……先輩達は楽しんでいるんだ」

「いじめじゃないかよ。先生も一緒にやっているのか?」

「先生は見て見ぬふりだよ。それに、最近は先輩達に合わせて先生もひどくなっているんだ」

「何で先生は何も言わないんだ?」

「逆らえないんだよ」

「逆らえない?」

「……食べよう」

 誠はそれから何も言わず、パスタを食べ続けた。俺もその間、自分で注文したハンバーグを食べた。誠は食べ終わると、うつむいたままぽつりぽつり話し始めた。

「俺、先輩とうまくいってないんだ。何か気付かない間に先輩を怒らせたのかもしれない」

「何でそう思うんだ?」

「きっかけは俺なんだ。俺に対して当たりが強くなって、それから俺の周りの奴も同じようになっている。特に、陽平は一緒に入部して初めから仲が良いから、俺と同じくらいひどい目に合うようになったんだ」

「それがそのアザか。無理して部活に出ることもないだろ?」

 俺がそう言うと、誠は顔を上げた。

「俺がきっかけなのに、出来ないよ。俺がいなくなったら、別の誰かが俺の代わりになるかもしれない」

「でも、だからって……」

「それに、陽平も心配なんだ。俺よりも参っている。今日、体調が悪いっていうのも、部活の先輩が原因なんだよ」

 陽平もそうだが、他人を気遣う誠が俺は心配だった。この後、何度か部活をやめるよう言ってみたが、誠の意思は変わらなかった。

「無理するなよ。何かあったら言えよ」

「うん、ありがとう」

 誠は疲れたように力なく笑っていた。俺はこの時、どうしてやればいいのかわからず、誠の話を聞くことしかできなかった。

 それから俺は、夏休みに入る直前に陽平からも話を聞いた。陽平はこのことに関してあまり口を開こうとしなかった。それでも俺が食い下がると、陽平も誠と同じ被害を受けていたことを話してくれた。俺は担任に相談してみることを提案したが、陽平は出来ないと言った。

「言っても変わらない。それに相談したことが先輩達の耳に入ったら、今よりもっとひどくなるかもしれない」

 そう言われて俺は考えてみたが、この状況を打破できる方法が浮かばなかった。それでも、この時に二人に部活を辞めるよう説得するべきだったんだ。

 夏休みに入って二週間後、誠は亡くなった。俺はそれを陽平からの連絡で初めて知った。部活の合宿が始まった日に、誠は三十キロの荷物を背負って三日間歩かされたという。遅れたり、疲労で倒れたりすると上級生から靴で胸や背中、足を蹴られる。さらには、転がり落ちると足をロープで縛って逆さに引きずり上げたりするなどの異常なしごきが行なわれた。誠はとうとう呼吸困難に陥り、吐血して動かなくなる。救急車で病院に運ばれたが、助からなかった。陽平はそれを震える声で話していた。俺は頭が真っ白になり、一瞬の間、何の音も聞こえなくなった。陽平の言葉を理解するのに時間が掛かってしまった。

「何言ってんだ、陽平?」

 陽平の話す内容は俺にとって現実味がなく、信じられなかった。しかし、陽平は俺の言葉が聞こえていないのか、そのまま続けた。

「尚樹……僕、休んだんだ。もう耐えられなくて、僕だけ休んだ。誠を一人にしちゃったんだ」

 後悔の入り混じった消え入りそうな声で陽平は言った。俺はしばらく何も言えなかったが、運ばれた病院の場所を聞き、「陽平のせいじゃない」と言って電話を切った。

 俺は急いで病院へ向かった。総合受付で部屋の場所を聞き、そこへ行くと部屋の前には医者がいる。中には誠の両親と真由子、学校の校長や先生、そして三浦がいた。先生達は誠の両親に謝罪し、ひたすら頭を下げていた。誠の両親は泣いていた。そこから先は、顔の上の布をめくられた、血の気のない誠がベッドに横たわっている姿と、それを呆然と見つめる真由子の姿しか覚えていない。

 その後、部活担当の先生と三年生数人が逮捕された。陽平などの被害を受けていた生徒が部活の内情を警察に話したこともあり、学校側も調査に乗り出して事実を認めた。

 俺はお通夜と葬式に両方出席した。遺影は高校の入学式の写真で、その中の誠は俺とは正反対で笑顔だった。陽平もいたが、精神的に参っているようで、笑顔の誠を見られずに俯いていることが多かった。

 周囲で事件に関する様々な憶測が噂として広まっていた。それらを信じるつもりはなかったが、三浦は部活の部長であり、誠が亡くなった日に病院にいた。そして、校内で友人らと楽しそうに談話している姿を廊下ですれ違いざま見ている。俺はその三浦の様子が気にかかっていた。

 そんなとき、俺は大学受験に備えて塾へ通うようになる。俺を担当してくれる人が大学二年生のアルバイト講師で三浦と交流があるという話を聞いた。三浦が一年生だった当時、三年生だったという人だ。その講師と仲良くなってきた春休みの時、俺は三浦と事件に関しての疑問をぶつけた。

「あぁ、その事件ね。驚いたよ。まぁ、三浦があの事件に気付かなかったっていうのはどうもな……」

 講師は俺が亡くなった誠の友人だとも知らずにそう言った。

「どういうことですか?」

「あいつはしごきに直接関わっていなかったから気付かなかったって言うんだ。先生と他の同級生がやっていたってさ。それもどうかと思うけどあいつの親は代議士だから、まぁ、あいつだけ普通に卒業していたな」

 その講師は三浦も黒だと言う。状況を考えてみれば、たしかにそう思えた。誠が相談しても無駄だと言ったのは、三浦がいたからじゃないのか。三浦を中心にやっていたとすれば、先生も周りの上級生も一緒になってやっていてもおかしくない。三浦が父親の権力を利用して罪を逃れたのかと考えた時、俺は三浦をこのままにしておきたくはなかった。そしてこの瞬間、俺は三浦へ復讐することを決め、誠の墓前でもそう誓った。

 それから俺は三浦の情報を何か得られないかと、事件が落ち着いた頃にワンダーフォーゲル部の部室へ足を運んだ。怪しまれないよう、陽平が部室に用があるというタイミングで俺はついて行った。

 事件があった後、部活をやめたのは三浦だけではない。しかし、部員は減ってしまったが、陽平はやめなかった。しばらく部活を休んではいたが、誠の分まで最後までやろうと決めたようだった。

 その日の部室には誰もいなかった。陽平が自分のロッカーの中を整理している間、俺は部室の中を見回す。その中で一つ気になるものがあった。

「陽平、あれは?」

 壁に掛かっている何枚もの写真を指差して訊いた。証明写真のように一人ひとり違う人が写っている。

「あれは歴代の部長の写真だよ」

「三浦先輩のものがないけど?」

「たぶん、はがしたんだよ。……あんなことがあったから。事件の後、先輩は部活をやめたし」

 俺は他の写真も見てみた。棚の上に飾ってある写真に誠をいじめていた上級生が写っているものはあったが、何故か三浦の写っているものは全くなかった。アルバムも発見したがその中にも一枚もなく、抜き取られた跡が見受けられた。他に何かないかざっと探してみたが、三浦がいたという痕跡が見当たらない。まるで最初からいなかったかのようになっている。

「尚樹、どうしたの? さっきから何してるの?」

「あ、いや……誠のものはもう何もないのかと思って」

 俺がためらいがちにそう言い訳をすると、陽平は俺から視線を逸らした。

「ないよ、何も」

 やっぱりそうだ。陽平は誠の話をしたがらない。三浦の情報が欲しいと思い、陽平に何度か部活に関して訊こうとしたが、誠に繋がってしまうからかずっと避けていた。

 また、それは真由子も同じだった。女子の間で三浦に対して黄色い声を上げる人はたくさんいる。事件が起こる前から、井戸端会議で三浦の話を耳にする機会は多いはずだろうとそれとなく話題を振ったことがあるが、真由子は陽平以上に敏感で口数が減った。俺はこれ以上、無神経に尋ねることは出来ず、上級生の知り合いもいないため、情報を得るのは全て塾の講師からだった。

「そんなに三浦のこと気になる?」

「えっ?」

「いや、よく訊くからさ。気持ちはわかるけど、受験勉強に身が入らなくなったら心配だからね」

 秋の勉強の追い込み時にそう言われた。俺はあまり不自然にならないよう気を付けていたつもりだったが、今この人に尋ねるのは難しいと感じてひとまず受験に集中した。

 無事に受験に合格し、卒業後もその講師と会って話す機会を定期的に作った。三浦は大学でも高校時代と変わらず友人が多く、サークルでも人気で目立ち、よく飲み歩いているようだった。なんとか、近付きたかったが、俺の通う大学と三浦の大学は別だったし、次第にその講師は三浦と疎遠になっていったようで、彼を通して三浦に会うことは出来なかった。大学院に行くことを考えているという情報はあったが、どこの大学院に行ったのかはわからず、そのまま三浦は大学を卒業してしまっていた。

 これからどうしようかと考えていた時に、真由子が思わぬ情報をくれた。真由子だって三浦が誠の件に関わっていたと知れば、許せないだろう。だが、親友の妹の手を汚すわけにはいかない。俺が勝手に決めたことだし、一人でもやり遂げる。

 肩をポンッと叩かれて、我に返った。陽平が俺の顔を覗き込んでいた。

「どうした? 写真じっと見て」

「いや……良い笑顔だなって思ってさ」

「あぁ、うん。そうだな……」

 陽平も俺のように自分を責めている節があった。だが、俺の計画に陽平も巻き込むわけにはいかない。全部終わった時、真実を話して陽平のせいじゃないことをもう一度伝えよう。

 俺は写真を真由子に返し、他愛もない話をしながら寺を出ると二人と別れた。そのまま帰路につく。家に帰るとベッドに腰掛けてスマートフォンでA大学院のホームページを見た。行事予定やイベントの項目を見ると、五日後に大学のオープンキャンパスがあるようだった。三浦に近付くには大学院に潜り込む必要がある。まずはオープンキャンパスを利用して大学院の中を巡っておいた方がいいだろう。

 俺は一息つき、ベッドに倒れて目をつむった。計画を本格的に動かせるとあって、自然と胸が高揚していた。


                             -続-

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