第25話 愛だろ、愛

◇  ◇  ◇


 暦は九月になったというのに、照りつける太陽は暑かった。いや、暑いのは照りつける太陽のせいだけではなくて、とにかく周囲からの照り返しも、地面から立ち上ってくる熱気も、ここは全てが暑かった。


「和田君……、暑いな……」


 隣を歩く涼子さんのスニーカーはもう既に砂まみれになっている様子で、多分あれだと靴の中も砂まみれじゃないかと僕は思った。


「だから……、言うたでしょ。昼間は暑いって」


 僕はそう言いながら後ろを振り返る。遠くにはラクダの姿が見えて、僕と涼子さんの足跡が砂の上に続いていた。


 砂まみれになって、暑くて、ラクダが見えるといっても、ここはホンモノの砂漠ではない。鳥取砂丘だった


 鳥取砂丘といえば誰もが一度は耳にしたことがある名所。鳥取といえば砂丘、そしてラッキョウ。放っておいたら緑化してしまうので、という首を傾げるような政策がとられている鳥取砂丘。


 そんな鳥取砂丘に僕たちは来ていた。なぜか? それは涼子さんが『行きたい!』と言ったから。


 僕は鳥取砂丘には何度か来ていた。鳥取出身の大学の友達に誘われたり、それ以前にも家族と一緒に来たりしていた。ところが涼子さんは鳥取砂丘には縁が無かったらしく、教員採用試験が終わったらどこかに行きたい、と言っていた希望先の一つだったのだ。


 九月でも昼間の鳥取砂丘は暑いですよ、と僕は何度か警告はしていた。鳥取砂丘じゃなくて、涼しそうな吉野の天川村にでも行きましょうよ、とも言った。まあそれは僕が『天河伝説殺人事件』を読んだ直後だったというのもあるけれど。


 でも涼子さんは鳥取砂丘に来たかったらしい。僕にはハッキリと言わなかったけれど、どうやら以前久保井さんに鳥取砂丘行きを却下されたような雰囲気だった。だから――、余計に来たかったのかな、と僕は想像をした。


「和田君、あそこまで登ったら何があるん?」


「ああ、あそこは馬の背といって――」


 涼子さんが立ち止まって訊いてきたので僕は返事をする。涼子さんの言っている場所は鳥取砂丘の、つまり一番高いところだった。


 今日の涼子さんの服装は膝下までのジーンズに、上は淡いオレンジ色のティーシャツ。そのティーシャツには胸の部分に『CITY・East』とロゴが大きく入っていて、意味がよく分からなかった。


 なぜCITYが全部大文字で、Eastだけ頭文字を大文字しているのか、とか、街の東city eastにはのだろうといったアホな話題で、僕と涼子さんは朝から二十分くらい馬鹿話をした。


 涼子さんが街の東にあると言ったのは『酒場』、それも西部劇に出てくるような酒場だと言った。多分涼子さんの頭の中はすでに砂漠に行くイメージだったのだろう。対して僕が言ったのは――。


「あそこは馬の背といって、うえまで登ったら、あそこにも愛が


 その瞬間、涼子さんは鳥取砂丘のど真ん中でゲラゲラと笑い出した。なぜなら「愛がある」とは、街の東city eastには何があるという話題の時に僕が言った台詞だったのだ。


 涼子さんは涙目になるほど笑ったあと、キッとした目になって僕に言った。卑怯だと。


「もう! 和田君、卑怯やわ! こんなん不意打ちやんか、『愛』って……プッ……」


 自分で卑怯と言いながら、涼子さんは再度自分で笑いの海に沈没した。思い出し笑いというのは確かに面白い。面白いから、思い出して笑うのだ。


「愛だろ、愛」


 僕はテレビCMで流行っていた台詞で追い打ちをかける。すると涼子さんは僕の腕をつかみ「もうやめて! もうやめてって!」と、聞く人が聞けばDVかと思う言葉を、そして違う人が聞けばエロいなと思うような言葉を言った。


「もうホンマに和田君の頭の中を見てみたいわ。真面目やと思うてたら全然真面目やないし! 頭の中のどの回路がどんなふうに繋がってるんか、見て見たい」


「ええっ、いや、僕は単に周囲の期待にできるだけ応えようかなあ、って思うてるだけですけど……。涼子さんもそんな期待してるでしょ? 『なんか面白いこと言って』っていつも僕に言うてますやん」


「そうなんやけどっ!!」


 そう言って涼子さんは頬をプクリと膨らませた。僕はもうそんな表情を見ただけで、なぜか『勝った』と思ってしまう。何に勝ったのかは分からないけれど。


「でも和田君、あんなとこに『愛』があるわけないやんか!」


 涼子さんが指さしたのは当然鳥取砂丘の馬の背。観光客がアリみたいに登っている砂山の馬の背。


「そんなん、わかりませんよ? あー、ここに愛が落ちてたわ、ちょっと腐りかけてるけどまだこの愛はイケるかなあ、とかあるかも知れないじゃないですか?」


 僕が中腰になって砂の中から何かを拾うような格好をすると、涼子さんは再び陥落した。今度はケラケラと笑いながら僕の肩を何度も叩いている。僕はこんな涼子さんを見る度に、『涼子さんがゲラでよかった』と思う。ゲラとは関西弁で笑い上戸のこと。僕は最初、ゲラの意味が解らなかったのに、いまではすっかり笑い上戸の人をゲラと言ってしまう。


「涼子さん、相変わらずゲラですねえ」


 僕が言うと、涼子さんは半分悔しそうな顔をして「違うって!」とプイッと横を向いた。


「相変わらずとか言わんとって! 私、和田君と付き合うまではこんなゲラと違うかったんやから。そりゃあ、ちょっとはポカすることもあったけど、格好いい系の女子で通ってたんやから」


「はいはい……」


「もう、スルーするなんかひどいやんか!」


 そう言った涼子さんが、今度は自分の肩を僕の肩にガンッと軽くぶつけた。その衝撃でポニーテールにしていた涼子さんの髪の毛が、僕の頭にファサッと当たる。


「でもアレですよ、涼子さんがリミッター解除して僕にわがまま言ったり、我慢とかしなくなったからゲラになったんでしょ? それは僕が原因じゃなくて、涼子さんの隠された個性だったんですよ。ほら、個性って重要でしょ? 一人一人の個性にキチンと向き合っていくことが大事で――」


「もうっ! それ先月の採用面接で私が言うたことやんか!!」


 涼子さんはそう言ってふくれたけれど、その面接が終わった夜の長電話は今までで最長だったのだ。


「まあ涼子さん、登ってみましょうよ。愛があるかどうか行ったらわかりますって」


 僕は馬の背を指さして、涼子さんの手をとったのだった。 

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