第24話 『こんなはずやなかった』って

◇  ◇  ◇


「なあ和田君、さっきから静かやけど、なに考えてるん?」


 夕暮れの東名高速の下り線。都心に向かって渋滞している上りに比べて、西に向かう下りは比較的車も流れている。


 僕は久保井先輩に貰ったスターレットのハンドルを握りながら、いろいろなことを考えていた。だから涼子さんに何を考えているのかと聞かれても、その全てを言えるはずもなかった。


「えっと、考え事です」


 僕の答えを聞いた涼子さんはプッと吹き出す。


「そやから! 何を考えてるんかなあ、って。久保井さんのこと?」


 涼子さんはそう言って、ちょっと首を傾けた。その顔は、今から三時間くらい前に泣きはらしたとは思えないくらいに、普通に戻っていた。


「ああ、そうですね……。うーん、久保井さん、のことよりも、その……ホントに僕でよかったのかなあ、って思って」


 僕は今さらながら困惑していた。来る時には間違いなく涼子さんは先輩の彼女だった、けれど帰るときには僕の……彼女になっていたという、この状況に困惑していた。


「えっ! なに? 今さらっ!?」


 涼子さんが驚く。そんな涼子さんの驚きも当然だろうと僕は納得する。だって、本当に今さらなのだから。


「い、いや、違いますよ! 僕が、涼子さんのことを好きなのは本当です、間違いありません。だから、嬉しいんです。嬉しいんですけど……、僕でよかったのかな、って思って」


 そんな僕の煮え切らない話に、涼子さんは大きなため息をついた。


「ええ……、和田君、病院であんなに格好よく言ってくれたのに、いったいアレは何やったん?」


「だから、アレは……、えっと、僕の全力疾走です。レアものです、珍現象です、なかなかご覧に入れられないものです。この度はご視聴頂きありがとうござました。次回の上映は、未定です」


 言い終えても車内には笑いが起こらなかった。これは滑ったと思って隣をチラッと見ると、涼子さんは僕の方を向いて吹き出す一歩手前の顔で固まっていた。


「大丈夫ですよ……ここ、笑うとこですから」


 僕は自分でそう言いながら、自分から先に笑い始めてしまった。続いて涼子さんが、クッ、という声とともにお腹を抱えて笑い出す。


「もう和田君、アカンって! 私、アレ結構感動したのに! 和田君ってあんな感じが本気なんやって、あの時感動したのに! こんなとこで笑いを取りにくるなんて、急に関西人にならんでもええのに!」


「違います、違いますって! だって涼子さんも知ってるじゃないですか!? 僕、緊張の極地だったから必死だったんです! 細かいこと覚えてなくて、東京タワーで怒られたじゃないですか」


 懸命に弁明をする僕に、涼子さんは一転してジトッとした目を向ける。


「『僕は、自分が久保井さんの代わりになんてなれないことは知っています』」


「いや、だから!」


 涼子さんは僕の告白をそらで言い始める。


「『他の誰の責任でもありません。僕が涼子さんを好きだから告白しました』」


 多分僕の口調を真似ているのだろう、涼子さんは敢えて標準語のイントネーションを強調していた。


「わかりました……、もう勘弁してください」


 僕が陥落すると、涼子さんはクスッと笑い、そして優しい声に戻った。


「なあ和田君。あんな格好いい告白してくれたのに、なんで自信なさそうなこと言うん? 『僕でよかったのかな』なんて」


 優しい声だけれど、なぜか涼子さんはちょっと不満げだ。たぶん僕に呆れているのだろう。


「だって、僕ですよ。涼子さんだったらもっといい男を――」


「和田君っ!」


「はい……」


 僕はこの展開にデジャブを感じたけれど、それはデジャブなんかじゃなくて、昼間に久保井さんから受けた叱責そのままだった。


「私、和田君やからすぐにオッケーしたんやからな。それに、和田君から告白されたから、切り替えたっていうか、立ち直ったっていうか……。とにかく、久保井さんとは終わったんやって、納得したんやから」


「はあ……、そうなんです、か」


 僕の相づちに涼子さんは、うん、と頷いた。


「和田君があんな真剣な告白してくれるっていうことは、久保井さんと和田君の間にも色々話があったんやろな、って思った。久保井さんはそういう人やから、私とはもう終わったんやな、って実感したんや。それに和田君の表情みてたら、今まで見たことない顔してるし。私のこと、本気で想ってくれてるんやな、ってわかったし。それから考えてみてよ、和田君やったら『この人、どんな人?』なんて探りながら付き合い始めることもないやろ? 私のことも知ってくれてるし、それに――」


 それに、六月くらいから僕と付き合ってるような感じだったから。というような事を言って、涼子さんは言葉を結んだ。


 確かに考えてみれば一緒に買い物に行ったり、晩ご飯を作ってもらったり、ポッキーを食べながら長電話をしたり、この前はカラオケに行ったり、夜景も見たりと、僕と涼子さんは付き合っているような感じだった。


 僕は一呼吸深く吸って、涼子さんにお礼を言う。


「ありがとうございました。僕を、選んでくれて」


 すると涼子さんは「どういたしましてっ!」と、わざとらしく声を出してから、「あっ、そうや」と続ける。


「ねえ和田君」


 僕の方を見つめる涼子さんの目が、ちょっと怪しく感じた。


「はい」


 注意深く返事をすると、その目はもっと怪しい感じにニヤッと細まった。なんと表現したらいいのか、イタズラを思いついた女の子と表現したらいいのか、とにかく何か怖いことを言い出しそうな目だった。だから僕はハンドルをギュッと強く握った


「あんな和田君。私、和田君には甘えることにしたから」


「え?」


「それから、和田君にはわがまま言うから」


「は?」


「あと、和田君には『こんなはずやなかった』って、いっぱい思ってもらうから!」


 ふふん、といった表情に変わった涼子さんが、「言ってやった」と呟く。


 僕はハンドルを握ったままで、言うべき言葉がみつからない。


「なっ……、ちょっと、え? どういう意味ですか、それ!?」


 やっとの思いでそんなことを口にした僕に、涼子さんは平然と言った。


「だって、久保井さんと違って和田君は甘えさせてくれそうやし、わがまま言っても受け入れてくれそうやから。それから私、長女やろ? いままで長女やからいうて我慢してたぶんも、ぜーんぶ和田君には見せるから。『他の誰の責任でもありません』って言うてくれたんやから、ええやろ、和田君!」


 それは一つ歳上の涼子さんが、僕の目にはわがままな妹に見えた瞬間だった。

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