第16話 寂しがり屋


「ゴメン……、和田君、ホンマにゴメンな……」


 箱根に近い足柄サービスエリアに車を停めた途端に、涼子さんは目を覚ました。キョロキョロと辺りを見回し、「ここ、どこ?」と僕に訊く。そしてもう静岡も終わりの御殿場だと告げると、首をすくめて僕に謝罪をした。寝てしまって、ゴメン、と。


「なんで宮本さんが謝るんですか、僕は全然大丈夫ですから」


「でも、でも私、何時間寝てたん? 覚えてるんは名古屋まで何キロだか、何十キロだかの看板やったんやから、えっと……」


「ああ、たぶん、三時間ちょっとくらいですかね」


「三時間も寝てたん!? ……ホンマにゴメンな。その間、ずっと運転してたんやろ、和田君」


 僕がずっと運転していなかったら、名古屋の手前で車は止まったままだったのだけれど、そんなことを言っても今の涼子さんは笑わないと思って言うのをやめる。


「ええ、まあ。でも宮本さん、疲れてましたよね。昨日あんまり寝てへんのでしょ? 朝からおにぎりも作ったんでしょうし、何時に寝たんです?」


「うん、多分、四時前くらい」


 その答えを聞いて僕は納得をした。涼子さんはほとんど寝ていなかったのだ。


「それ……、徹夜と一緒ですって。久保井さんの容態聞いてちょっと安心したら、さすがに車で寝ますって」


「でもな、久保井さんやったら、『おい、寝るな』とか言うたで、多分」


「ああ、それねえ。確かに僕も助手席で何度も起こされました!『そこは寝る席違うんや、俺が寝てないかどうかを監視する席なんや』って」


「そうそう、言われた言われた」


 少しだけ涼子さんに笑顔が戻る。


「久保井さん、基本は寂しがり屋なんですよ。そやから一人で運転するの嫌いなんです」


 僕は自分でそんなことを言いながら、そうか、だから恋人も近くにいないとダメなのかもな、と嫌な納得をしそうになったのだった。


 △


「私、ここから東京までゼッタイ寝えへんから」


 軽く休憩と昼食を済ませて、足柄サービスエリアを後にするとき、涼子さんは助手席でそう宣言した。


「じゃあお願いします、順調に行ったらあと二時間ちょいですから」


「え、もうそんな近いんや。意外と早く……、ううん、ゴメン」


 涼子さんは途中の三時間以上がすっぽりと抜けている。意外と早いと思って当然だろう。


「別にもういいですって。それより病院の場所は大体見当がつくんですけど、都内が混んでないかが不安なんですよね」


 久保井さんが担ぎ込まれた病院は大学の附属病院で、僕でも名前を知っているところだった。その所在地もなんとなくわかる。


「なあ和田君。病院の場所がわかるって、東京、詳しいんやな」


 僕の言葉を聞いた涼子さんは、不思議そうな顔をして僕に尋ねてきた。


「ああ、僕、小学四年まで東京におったんですよ。だから地理的なヤツはなんとなくわかるんですけど――」


 ――でも、東京なんかで車を運転したことないから不安なんです。と、僕が言い切る前に涼子さんが助手席で大きな声を出した。


「ええええっ! それ初めて聞いた!!」


「あっ、僕も……、初めて言うたかな、と思います」


 ハンドルを握りながらチラリと隣を確認すると、涼子さんはその涼やかな目を大きく見開いていた。


「そっか、そやから和田君、時々綺麗な標準語の発音するんや」


 そっちの方か、と僕は思わず苦笑をしてしまった。


「最初に会うたときから、和田君て、関西弁やけどちょっと違うなあって思ってたんや、私」


「それね、そうなんですよ。子供の時に標準語を喋ったらからかわれましたよ。で、段々と関西弁に馴染むでしょ、そうしたら中途半端になったんです。だから基本的にはタメ口は関西弁なんですよ。それでも年上の人にはやっぱり丁寧に話すでしょ、そしたらこういう感じになるんです。おかしいでしょ?」


 僕の問いかけに、涼子さんは少しだけ迷って「おかしい、かなあ」と肯定とも否定ともとれることを言った。


「でも和田君の謎が一つとけたわ。なんか引っかかってたんや、だから和田圭輔・ニセ関西弁説が立証できてよかった」


「ニセ関西弁、って傷つくじゃないですか」


 僕は大して傷つきもしなかったけれど、涼子さんがそんなことを疑問に思っていたことを知って、なんだか少し照れくさくなった。


「ごめんごめん。じゃあ私の子供時代のことも話そうかなあ――」


 そんなことを言い出した涼子さんは、寝ていた分の罪滅ぼしも兼ねてなのか、自身のことを僕に聞かせてくれた。


 小学校の時から割と背は高い方だったことや、ピアノを習っていたこと。三姉妹の長女だったから妹二人の面倒をよく見させられた話とか、中学校の時だけ女子バスケ部にいたこと。それから高校は元々女子高だったところが共学化された私立高校だったので、自分たちの時にはまだまだ女子率が高くて、男子が隅に追いやられていた話とか、妙に……女子ばかりにモテてしまったこと、など。


「ああ……、宮本さん背も高いし、女子に人気あるの、なんかわかります。っていうか、今の女子大でもそういう感じなんですか?」


「うーん、一回だけあった。『私、そういうんと違うから』って言ったら、なんか、こう、スーって去って行っちゃったけど。悪いことしたんかなあ、って何日かモヤモヤしたなあ」


 でしょうねえ。と僕は相づちをうった。


 人の好みはわからない。僕は普通の男子だと自分でも思っているので、久保井さんと雑魚寝をしても、田口と一緒に風呂に入ってもなんとも思わない。けれど、もし万が一田口とかが自分にそんなアプローチをしてくるようなヤツだったとしたら。


「そういうのって傷つけないように考えますよねえ。でもコッチにはコッチの事情がありますしね」


「うん、そう。そやから、『彼氏もいるし』って付け加えて言うたんやけどな」


 ということは、その告白は涼子さんが大学三年になって以降ということだ。相手はおそらく後輩だったのだろう。涼子先輩に憧れる後輩女子、僕には目に見えるような話だった。それを言うと涼子さんも「そうなんや。私、妹二人もおるから、下の子にそんなん言われても真剣に受け止められへんし」と、困った顔をした。


「和田君も確か妹さんおったやんな?」


「いますよ、わがままな妹が、まだ中三ですけど」


 六歳離れた妹が僕にはいた。


「でもお兄ちゃんとしたら、わがままなんが可愛いんやろ?」


 僕を試すような目をして涼子さんが訊いてくる。


「まあ、本気で怒るわけにもいきませんし、ねえ」


 そんな返事をする僕に、涼子さんは「和田君らしいわ」と笑っていた。


 そんな話をしているうちに車は横浜町田インターチェンジを越えて、いよいよ東京へと近づいていたのだった。

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