第15話 遠距離恋愛

◇  ◇  ◇


 涼子さんのアパートに着いたのは朝の六時半過ぎだった。睡眠時間は五時間くらいだっただろうか、それでも寝ないよりは全然マシだし、シャワーを浴びたらすっきりもした。


「和田君、おはよう……」


 アパートの部屋から出てきた涼子さんは元気がなかった。雰囲気からして僕より睡眠不足なのは明らかだった。自分の彼氏である久保井さんが入院したのだから、当たり前といえば当たり前なのだけれど。


 僕は涼子さんの着ている服を見て、やっぱりコッチだったか、と自分の判断を悔やんだ。涼子さんは紺色のスカートに白いシャツ、そして薄手の上着も割と落ち着いた紺色のフォーマルなものを着ていた。


 一方の僕は普段着のジーンズに、上はオフホワイトのカジュアルなシャツ。シャワーを浴びている間にフォーマルっぽいのか、それとも普通にするのか迷ったのだけれど、結局普段着にしたのだった。


「あっ……」


 と、僕の格好を見た涼子さんが口に手をあてた。


「ああ、えっと、やっぱり僕もそういう感じにすれば良かったですね」


 僕は自分の服装を見てちょっと肩をすくめた。すると涼子さんは僕が思ってもいなかった行動に出たのだ。


「ううん! 私、着替えるから、ちょっと待ってて」


 ガチャリ、と僕の目の前で再びドアが閉まり、数分後、ジーンズに僕と同じようなオフホワイトのシャツを着てきた涼子さんが現れる。


「えっと……、なんで……」


 僕は失礼ながら涼子さんのジーンズを指さした。


「え、だってアレやから。さっきの格好、なんか……お通夜とか、お葬式とか想像する……かなって」


「ああ……」


 なるほど、そういう考えもあるか、と僕は妙に納得をした。久保井さんの正確な容態が分からない時に、たしかにフォーマルっぽい服装は縁起が悪いような気もする。


「そうですね、じゃあ行きましょうか」


 僕と涼子さんはお互い普段着のままで、一路東京を目指したのだった。


 △


 東京までは八時間くらいを予定していた。以前久保井さんとこの車で富士山に行った時に五時間くらいだったので、渋滞が無ければもう少し早く着くかもしれない。


「和田君、おにぎり食べる?」


 阪神高速を抜けて名神高速に乗り継いだ時に、涼子さんがラップに包んだおにぎりを出してくれた。今朝起きてから作ったのだという。


「すいません、いただきます」


 昨日の夜から何も食べていなかったので、お腹は空いていた。助手席をみると、涼子さんも静かにおにぎりを食べている。


「とりあえず、九時くらいにどこかのサービスエリアで久保井さんの寮に電話を掛けます。で、それでも病院が分からなかったら、久保井さんの実家に掛けてみようと思います」


「うん、その電話で容態がわかったら、ええんやけどな……」


 僕もそれには同感で、「そうですね」と返事をしてハンドルを握り直した。


 車内で会話が盛り上がるはずもなく、涼子さんの口から出てくるのは久保井さんの心配か、もしくはため息ばかり。僕は九時にはまだ早かったけれど、大津のサービスエリアで電話を掛けることにした。


 △


「久保井さん、とりあえず命に別状はない、っていう話やったですよ」


 僕は冷たい缶コーヒーと一緒に、まずはホッとする情報を涼子さんに届けた。


「ホンマに! よかった……」


 差し出した缶コーヒーを両手で拝むようにして涼子さんは受け取った。心なしか目には安堵の涙が浮かんでいるようにも見える。


「えっとですね、ただ左足を骨折してて、で、首を痛めてるらしいです。それで、なんていうんですか? あの首を固定するやつをつけてて、しばらくは動かせないっていう感じで……。でも面会はできるって寮の人が言ってました。病院名も住所も聞きましたから、なんとかなります」


「首とか、後遺症あるんかなあ」


 涼子さんは自分の首を触りながら、ちょっと心配そうな顔をした。


「どうなんでしょうねえ。あっ、でも電話口に出てくれた人が同僚の人やったんですけど、喋るのは全然喋ってるし、病院食も食べてるって言ってましたよ」


「じゃあ、大丈夫……かな」


「行ってみたら、案外元気かもしれませんね」


 僕はそう言ってエンジンを掛け、サービスエリアを出て本線へと車を合流させた。


 △


 大津のサービスエリアを出てから一時間くらいで、涼子さんは寝てしまった。命に別状はない、という情報で少し安心したのだろうと思う。


 運転している僕はといえば、不思議と眠気は感じなかった。もしかすると自分が思っていた以上に昨晩寝ていたのかもしれないし、さっき飲んだコーヒーのせいかもしれない。ただ、それ以上に久保井さんの入院先に涼子さんが行くという状況に、僕は嫌な予感がして頭が冴えていたのだった。


『俺なあ、遠距離恋愛ってできへんのかもなあ』


 あれは二年前だ。たしか久保井さんと仲良くなって深夜に酒を飲んでいたときだった。久保井さんが高校時代の彼女と別れた時のエピソードを僕に話してくれたのだ。


『大学に入った六月に、俺、虫垂炎になってな』


 その時のことを思い出すように、久保井先輩は目を細めていた。


 入学して二ヶ月で、久保井さんは虫垂炎で入院した。その時にはまだ地元福岡の彼女とは別れておらず、遠距離恋愛中だったという。ただその彼女とはゴールデンウイーク以降電話もしなくなって、中途半端な状態だったと言っていた。


『――で、俺もな、こんなん彼女にも迷惑やろな、って考えてな』


 それで、お見舞いに来てくれた病室で別れを切り出した、という話だった。


 僕はその時『久保井さん、オニですね』と言ったと思う。せっかく女の子がお見舞いに来てくれたのに! となじったかもしれない。でも久保井さんは苦い顔で、『そんなん、半年も一年も放ったらかしにするより、ええに決まってるやろ』と僕に言ったのだ。


 俺は遠距離恋愛ができないのかも、という言葉はそのあと出てきたもので、実際に次の彼女と別れた要因は、その彼女が短大を卒業して郷里に戻ったからだった。その時は一度目の別れ話よりも即決で、両者合意のもとで三月にスパッと別れたという。


 僕が久保井先輩と知り合ったのはその直後の四月。だから久保井さんはその時には彼女がいない時期だった。そのあと数ヶ月かして、僕は久保井さんに涼子さんを紹介されたのだ。『俺の彼女やから』と笑顔で。


 △


 ふっ……、と僕は小さくため息をついた。


 車は東名高速で静岡を走っていた。もうすぐ左手前方には富士山が見えてくる。今日は天気も良くて、富士山が綺麗に見えるかもしれない。


 助手席の涼子さんは可愛い寝顔でシートに身を預けている。そういえば涼子さんの寝顔なんて見るのは初めてだった。


 優しくて、美人で、料理だって上手で、たまには悪ふざけにだってのってくれる。そんな涼子さん相手でも、久保井さんは遠距離恋愛ができないのだろうかと想像したら、今度は大きなため息が出てしまったのだった。

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