第14話 事故
◇ ◇ ◇
その電話を受けたのは涼子さんを送り届け、そのあと僕の部屋に帰ってきた直後だった。時間は……夜の十一時半くらいだっただろうか。
僕は鳴っているのは涼子さんのお礼の電話だと思った。だから「はいはい」と言いながら、靴を脱いで取るものも取りあえず受話器を持ったのだ。
「はい和田です」
『おい和田、知ってるか!?』
案に反して受話器から聞こえてきたのは、同級生の田口の声だった。聞き慣れているはずの田口の声が、今夜はなんだか妙に切迫している声に聞こえた。
「なに? 知らんけど」
『そやろな、俺もさっき聞いてな、お前に何回か電話したんやけど、どこに行っとったんや?』
「えっと、ああ、うん、バイトのあとラーメン食べてた」
さすがに涼子さんとカラオケをして、その後六甲山に行っていたとは言えずに僕は適当に誤魔化す。
『そうか、いや、あんな、久保井さんが事故って入院したって、知ってたか?』
「え……」
僕は何かの聞き間違いかと思った。さっきまで久保井さんの話を涼子さんとしていたのに、その久保井さんが事故、って。
『ああ、やっぱり知らんかったんか』
「うん……。いつ?」
なんだか全身から変な汗が出てくる。
『俺が聞いたんは、金曜日の昼やったらしいわ。なんかな、後ろから追突されたんやって、銀行の車に乗ってたら。それで、なんか首の頸椎を捻ったとか、あと足を骨折したとか、なんかそんな話らしいわ』
田口の話は、なんか、とか、らしいわ、で埋まっていて伝聞であることがよく分かる。ただ久保井さんが事故に遭って入院したことは事実らしく、その情報は田口の耳に入ってから数時間も経っていないということだった。
「命は、大丈夫なんか?」
『それなあ、そこまで危ないって聞いてへんから。大丈夫なんちゃうかと思うんやけどな……』
田口の返事は自信が無さそうだった。
「俺……、病院行くわ。知ってるか、入院先」
『いや、そこまでは知らんのやけど。えっ、行くん? 東京に』
「うん……」
僕は時計を見た。さすがに夜中の十二時前だ、いまから久保井さんの知り合いに聞き回るのは常識が無い。
「行ってみる。とりあえず久保井さんの寮の電話番号は知ってるから、明日電話してみるわ。田口、教えてくれてありがとう」
そう言って僕は受話器を置いた。久保井さんが事故に遭ったなんて話を聞いただけでは、実感もなにも沸かない。
けれど僕はどうしても行かなければならない気がした。そしてこの話を涼子さんに話さないといけないことを、次に時間差で悟ったのだった。
△
『ああ、和田君? 今日はありがとう、っていってももうすぐ昨日やけど』
電話口にでた涼子さんの声は、アパートに送っていった時と変わらず本来の明るい声だった。
「ああ、えっと、宮本さん。ちょっと、いいですか?」
僕は言葉を区切りながら涼子さんに問いかける。いいですか? と言って、ダメです、なんて冗談が返ってくるはずもない。なぜなら僕の声は多分震えていて、それを涼子さんは向こう側で不審に思っているに違いないのだから。
『どうしたん、和田君』
「いや、あの。久保井さんがですね……」
久保井さん、という単語を僕が発した時に、電話の向こう側で息をのむ気配がした。
『久保井さんが?』
「ええ、久保井先輩が、事故で入院したって、田口から、ついさっき聞いて」
『えっ!』という声とともに、ゴツンと、受話器が何かに当たった音が響く。
『和田君、それホンマに……』
涼子さんの声が少し震えている。
「入院したんは、ホンマみたいです。でも、伝聞だけなんですけど、なんか首の頸椎を捻ったとか、足を骨折したとか、銀行の車で追突されたとか、そんな感じみたいです」
結局僕も伝聞調でしか伝えられず、僕も涼子さんも一番知りたい命の安否については、なにも言えないままだった。
『……なあ、和田君。命に別状、ないんやろ?』
涼子さんの不安な感情がそのまま伝わってくる声だった。
「たぶん大丈夫じゃないかと……、田口も、大丈夫とちゃうかな、って言ってたし。ただ、僕は東京に行こうかと思うんです。入院先もまだ知りませんけど、久保井さんの寮の電話に掛けたら分かると思いますし、それで分からへんかったら、久保井さんの実家の番号、僕は知ってますから、そっちのルートで……」
僕はそこまで言って、すこし息を吐き出した。
『いつ行くん? 車で?』
「そうですね、車で。今からはさすがに無理やから、一応寝て、明日の早朝に出ようかなって考えてます。それで、着いたらお昼過ぎやから、時間的にはええかな、って。向こうに着いたら宮本さんに容態を電話します」
いまの僕にはそれしか出来ないと思った。そして、涼子さんのいないところで久保井さんに涼子さんのことを訊いてみるつもりだったのだ。
ところが、僕の耳に聞こえてきたのは涼子さんのハッキリした意思表示だった。
『私も病院に行く』
僕は心の隅のどこかで、涼子さんがそう言うのではないかと思っていた。期待でもなく、不安でもなく、それは予感という表現がピッタリだった。
『和田君、私も車に乗せてもらって、ええやろ?』
僕が何も返事をしないので、涼子さんは二度目の確認をしてきた。
「ええ、僕はええですけど……。ホンマに、ついて来ます?」
『なんで? 和田君。ほんの数時間まえに「一緒に東京まで行きましょう」って言うたんは、和田君やで』
「まあ、たしかにそうですよね。ちょっと事情が急に変わりましたけど、たしかに……、そうですよね」
『うん』
涼子さんの返事は短かった。
「じゃあ、今からすぐ寝て、六時過ぎには宮本さんのアパートに迎えに行きますから、準備だけ、お願いします」
僕はゆっくりとそう告げ、涼子さんの返事を聞いてから、静かに受話器を置いたのだった。
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