第13話 ボンバーマン事件


「アカン……ことなんて、ないと思います、けど」


 僕は前に向かって歩いて行き、そのまま展望台の柵に手をついた。展望台を囲っている鉄の柵は夜露に濡れていて、ちょっと冷たかった。


「そうかな? なんでそう思うん?」


 隣で涼子さんがこちらを振り返った気配がする。


「いや、うーん、なんていうか、久保井先輩はそういう人やない、って思うんです」


「そういう人って?」


 短い質問が続くけれど、涼子さんの声に棘はなかった。


「その……、無責任っていうか、だらしないっていうか、そういうのを嫌う人だと思うんです。ケジメだけはつけないと嫌だっていうか」


 そこまで言って僕は柵に背を向ける。視界には涼子さんの綺麗な瞳が入って来た。相変わらずタオルケットをショールのように纏っていて、雰囲気的にはまるで女優だ。


「うん、まあそう言うたら、私も久保井さんがそういう性格なんは知ってるけど」


「でしょ?」


 僕は相づちをうった。


「僕の知ってる久保井さんは、責任感が強くて、兄貴分的なところがあって、でも負けず嫌いで、っていっても分からず屋でもなくて……」


 自分で言っているうちに、僕は久保井さんのことをどんどん思い出してきた。


「なにがあっても前向きだけど、でも根が体育会系だからちょっと年上の先輩には弱いんですよ。行列に割り込むのとか嫌いだったし、あっ……、久保井さん、ギャンブルも嫌いでしたね。僕がいくら誘っても麻雀だけは覚えてくれませんでしたよ。『おい、パチンコって面白いんか』って何回か聞かれましたっけ、ハハハ……。それから、隠し事とか下手でしたよね。すぐに顔にでちゃうっていうか、そういう感じが……」


 言っているうちに、僕はなんだか泣けてきた。十九歳と二十歳の貴重な二年間を一緒に過ごした先輩との思い出が、知らない間にあふれてきたのだ。


「もう、和田君。なんで泣くん」


 見ると、涼子さんも泣きそうになっている。


「泣いてないですよ」


 僕は最低限の意地を張って柵の方へと身体を回転させ、そのまま夜露に濡れた鉄製の柵に肘をのせた。


「うそつきやなあ」


 涼子さんの鼻声が右から聞こえてきた。隣を覗うと、涼子さんも同じように柵に肘をのせている。


「ねえ和田君、覚えてる? 最初に私が和田君の部屋に電話したのって……」


「覚えてますよ、久保井さん失踪事件の時でしょ」


 やや間があって、僕と涼子さんは同時に吹き出した。


「フフフッ、あれ結構な夜中やったのに、和田君すぐに電話にでてくれて」


「夜中でした? 十一時過ぎやったでしょ。パチンコ屋が閉まって、ラーメン食べて帰って来た時ですから。フフッ、でも笑いましたよ、『久保井さんが私の部屋から出て行って、帰って来うへん』って、宮本さん焦った声で」


「だってあの時、久保井さん免停中で、もうバスなんて走ってない時間やし、和田君が久保井さんの車に乗ってたから、絶対に和田君のところに連絡するって思うやん?」


 僕も涼子さんも笑って話しながら、目に溜まった涙を拭いた。


「まあ確かにそうですけどね。でも僕が『どないしたんです、なんかケンカしたんですか?』って心配になって聞いたら、理由がアレなんですもん」


「もうええやん、それ!」


「ピザの注文……って」


「もう、やめて、和田君!! いけずっ」


 久保井さんと涼子さんのケンカの原因は、ピザの注文を巡ってどのピザを頼むかの諍いだったという。それを聞いた僕は、受話器を持ったままガックリと力が抜けたことを覚えている。


「ハハハ、すいません。でも久保井さん、子供っぽいところありましたよね。僕、久保井さんのアパートで久保井さんお気に入りのポテチを勝手に食べたんですよ。そしたら機嫌が悪くなって。そのあと僕、自主的に買いに行きましたもん。夜中にポテチだけ買いにコンビニまで」


「ふふっ、子供っぽいところあったなあ。そうそう、和田君覚えてる、ほらほら、三人でファミコンでゲームしてて……、私と和田君が一緒になって、えっと、ほら」


 涼子さんの説明で僕もその先を思い出した。そして、二人同時に叫ぶように言った。


「「ボンバーマン事件!」」


 アハハハ、フフフフ、と、僕と涼子さんは同じように爆笑し始める。ボンバーマン事件とは、僕と涼子さんがボンバーマンのゲームでタッグを組んで、何回も何回も久保井さんを罠にはめたという、まったく事件でもなんでもない事件だった。


「あれね、久保井さん本気で僕たちに怒りましたもんね」


「『おい和田! お前、もう絶対にメシ奢らへんからな』とか言われてなかった、久保井さんに」


「言われましたよ。でも、一時間もしたら久保井さんバツが悪そうにしてましたね。『和田~、牛丼でも食べにいくかあ』とか言って」


「でもでも、その牛丼っ。フフッ」


 こらえきれずにまた涼子さんが吹き出す。今度はもう何回も顔の前で手を振ってなかなか笑いが収まりそうもない。


「ええ食べましましたよ!! 七味唐辛子と紅ショウガで真っ赤に染まった牛丼を美味しく頂きました! 次の日、ちょっとお尻が痛かったですけどね」


 涼子さんがついに手を叩いて笑い出した。あの時の牛丼屋での光景を思い出しているのだろう。なにしろ僕の牛丼を久保井さんがスペシャル牛丼にアレンジしたのだから。


「あ~あ、可笑しい。ホンマに久保井さんが子供っぽいとこも面白かったんやけど、顔色一つ変えずに和田君があの真っ赤な牛丼食べるんやもん。もう絶対この二人なんかの絆で結ばれてるんやわ、って思った」


「まあ、いろんなことがありましたよね。だから僕……、久保井さんは宮本さんのことを放ったらかしになんかせえへんと思うんですよね。絶対に、何かを思ってるはずなんです。だから――」


 だからやっぱり一度に東京まで行ってみませんか。と僕は涼子さんに言ったのだった。


 △


 来る時とは違って、帰り道の涼子さんはいつもの涼子さんに戻っていた。


「私もホンマは、悩んでるだけじゃアカンな、って思ってたんやけど、和田君がおってよかった。久しぶりにお腹の底から笑ったし、久保井さんといろんな話をしたんやなあ、って思い出したし」


「東京行く前に僕がガンガン電話して、電話に出たら『仕事ってカノジョに電話が出来ないくらいシンドイですかああ』って言ってやりますよ」


「そんなんしたら和田君、また真っ赤な牛丼食べされられるで」


「その時は……、また美味しく頂きます!」


 そんなバカな話をしながら六甲山を下りて、僕は涼子さんをアパートへと送り届けた。


 まさかその裏で、久保井さんが事故に遭っていたなんて知りもせずに。

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