第17話 病室での再会

◇  ◇  ◇


 とにかく東名高速を東京インターチェンジで降りて、首都高の下を走って環七を南に下り、そして中原街道との交差点を左に曲がれば病院に着くのは地図的に理解した。


 ただ実際に僕は東京の道を走ったことはなく、小学生時代の交通手段は近所の自転車と電車だったので道に迷う可能性は大だった。というよりも、迷った時にどうするかの方が重要な気がしていた。


 緊張している僕の隣では、東京の街並みを物珍しそうに涼子さんが眺めている。


「すごいなあ、どこまで行っても街が続いてるんや」


 そんなことをポツリと漏らしては、流れていく景色を目で追っていた。


「なあ和田君。こんな車ばっかりのとこやったら、交通事故だって起こると思わへん? 久保井さん、慣れてない道を走ってたんかなあ。こんなところでの仕事、大変やったんやろな」


 その感想は僕も思っていた。僕は東京で暮らしたことはあるけれど、東京で、しかも都銀のサラリーマンなんてしたこともない。慣れない土地で新入行員のプレッシャーとか、いろいろなものはあったのだと思った。


「でも、追突されたんですからね。久保井さんは悪くないんですよ。そんなようなことを同僚の人も言ってましたし」


 自動車学校でも追突は、ほぼ追突した車が悪い、と習っていた。だから車間距離をとれ、とも。


 僕はそのことを今さらながら思い出して、前の車との車間距離を開けて運転を続けたのだった。


 △


 奇跡的に、としか言いようのないことに、車は目的の大学附属病院に着いた。最後の進入路だけ間違ったけれど、次の交差点でリカバリーはすぐにできた。時間は午後二時半。行程的には完璧といっていい具合だった。


 駐車場に車を停めて、受付へと回る。今日は日曜日なので救急以外は開いていない様子で、僕たちは休日外来の受付で久保井さんの病室を尋ねた。


 エレベーターで七階まで上がり、そこのナースステーションで『久保井史哉のお見舞いで』と言うと、突き当たりを右に行った7021の個室だと教えてくれた。


 P.V.C貼りの白い床の上を歩くと、時々キュッキュと靴底のゴムと床の擦れる音がする。隣を歩く涼子さんは病院に入ってから極端に口数が少なくなって、チラリと覗うと顔が緊張でこわばっているようだった。


 その涼子さんが手に持っているのは、足柄サービスエリアで買ったお見舞いのお菓子。男のくせに甘いものが好きという久保井さんに、これでもかと甘そうなドーナツを買っていた。


 僕はこのお見舞いに対して嫌な予感というか、縁起の悪さのようなものをずっと抱えていた。


 高校時代の彼女と病室で別れたという話、遠距離恋愛ができないのかもと言った時の久保井さんの顔、そして卒業してから今に至る状況。さらには久保井史哉という人の性格を考えると、僕は胃になにか重い石がはいっているんじゃないかと錯覚するような、胃の痛さを感じるのだった。


 何もなければそれでいい。『おお、来てくれたんか。悪いな、怪我してなかったら遊んでやれるんやけどな』なんて、苦笑しながら言ってくれればそれでいい。僕たちはお見舞いをして、『快復したらお見舞い返しを期待してますから』なんて軽口を叩いて、涼子さんは足のギプスを触ったりして、和やかに病室をあとに出来ればそれでいい。


 そんなことを考えて、僕は最後の十数メートルを歩いていた。


 7021の個室。ついにそのドアの前までやって来る。立ち止まって隣を振り向くと、涼子さんも不安げな表情で僕を見ていた。


「ノック……、しますね」


 僕の言葉に、涼子さんがコクリと頷く。


 僕は思いきってその扉をコンコンと右の拳で叩いた。


 時間にしたらすぐだった、ほんの少しの間で「はーい」と返事が返ってくる。当然久保井さんの声が返ってくるものだと思っていた僕の耳に聞こえたのは、若い女性の声だった。


 思わず硬直してしまった僕の目の前で、引き戸がスルスルと開いていく。姿を現したのはナース服を着た女性だった。僕はホッと胸をなで下ろした。


「あっ、お見舞いですね。久保井さん、お見舞いですよ」


 女性はそう言って後ろを振り返り、どうぞどうぞと身を引いて僕たちを招き入れてくれる。


 「お邪魔します……」と病室に入ると、ベッドに久保井さんは寝ていた。左足をガッチリとギプスで固めて、首まわりを固定器具で拘束された状態で、ベッドをリクライニングして寝ていた。頭にも包帯が巻いてあって、顔には少々無精髭が生え始めている。それでも久保井さんの顔には事故の痕もなく、僕たちの方を見て目を丸くしているのがわかった。


「久保井さん!」


 真っ先に声をあげたのは、涼子さんだった。まるでドラマのワンシーンのように駆け寄って、ベッド脇にしゃがみ込む。


「涼子……、和田、来てくれたんか……。悪かったな」


 涼子さんは久保井さんの声を聞いて、ついに涙をこぼし始めた。すすり泣くような声で「心配したんやから……」と久保井さんの手を握る。


 久保井さんはそんな涼子さんを優しそうな眼差しで見つめながら、「涼子、髪、切ったんやな……」と話しかけていた。

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