第08話 タッパー
◇ ◇ ◇
「カレーと唐揚げ、美味しかったな……」
僕は自分のベッドに寝転びながら独り言を呟いた。首を捻ったら見える白い冷蔵庫の中には、涼子さんお手製のカレーと唐揚げの残りが、ガラス製のタッパーに入って冷蔵されている。カレーは二食分以上はあるし、唐揚げだって結構な数が入っていた。
『和田君のために作ったんやから、残りは持って帰って食べて』
涼子さんは最初からそのつもりで多めに作ったのだろう。そう言って、帰り際に僕にそれを渡したのだった。
さすがに炊き忘れたご飯も持って帰れ、とは言われなかったけれど。
△
「和田君! 炊けた炊けた!」
炊飯器がカチッという音を発した瞬間、涼子さんはそんな歓声をあげた。少女のよう、と言っていいのかどうか迷うけれど、とにかく可愛い声で僕を呼んだのだ。
「三合炊いたからいっぱい食べてよ!」
少々冷め始めた唐揚げは電子レンジで温め直され、熱々のご飯の上にはカレーが盛り付けられていく。そして涼子さんはエプロン姿、とにかく僕は目のやり場に困ってしまった。
「美味しい? 美味しい?」
熱々のカレーライスを食べ始めた僕に、涼子さんはそう言った。多少食いつき気味に。
「お、おひしひでふ」
アツくて上手く発音できなかったけれど、涼子さんの作った手料理が不味いなんてはずはなかったし、もし万が一僕の口に合わなかったとしても、それを『マズい』なんて言える訳もなかった。
「よかったああ。唐揚げも食べてね、ホンマは揚げたてが良かったんやけど」
そう言って差し出された唐揚げを頬張ると、以前食べた涼子さんの唐揚げそのものだった。しかも以前よりも揚げてからの時間が短かったせいか、まだカリッとした食感もかなり残っていた。
「めっちゃ美味しいです!」
今度はちゃんと発音できた。
「よかったああ」
ホッとしたような顔で、ようやく涼子さんもカレーにスプーンを入れる。
「ごめんな、ホンマに。私たまにポカするんや、和田君も知ってると思うけど」
「えっと……、まあ、別に……」
そんなところも可愛いと思っていますよ、なんて僕が言えるはずがない。いや、実際今日も炊飯器のスイッチを入れ忘れていたのを発見したのは、僕なのだけれど、それを告げた瞬間の涼子さんの顔は、本当に可愛かったのだ。
「和田君は優しいなあ……」
カレーをパクパクと食べながら、不意に涼子さんがちょっとため息っぽいものを吐き出す。
「そうですか?」
「これ、絶対久保井さんやったら、『なんやねんそれ……、アホやなあ』とか言って、それから『俺、レンジでチンするご飯買ってくるわ』とかってコンビニに買いに行ったと思う……」
「アハハ……。確かに」
でもそれが久保井さんの優しさなんですよ。とも僕は言えなかった。久保井さんには『アイツの失敗は俺がなんとかしてやらんと、しゃーない』という兄貴分的な優しさがあった。だから、僕はまあ久保井さんには散々甘えさせてもらったのだけれど。
「和田君は、じっと待っててくれたし、『コンビニに買いに行くわ』なんて言わへんかったし」
「宮本さんにそんなこと、僕が言う訳ないですやん」
そんなことを笑いながら言った僕に、涼子さんはちょっと考え込むような表情をした。
「それって、やっぱり私が年上やから?」
「それ……も、あるかも知れません、けど……」
僕はカレーを食べる手を止めて考えた。誰に対してだったら『アホやなあ、もうコンビニに買いに行くわ』と言うだろうかと。
たぶん『アホやなあ』とまでは親しい友達なら言うだろう、けれど『俺、レンジでチンするご飯買ってくるわ』とまでは誰に対しても言わないと思う。一つは面倒くさいから、そしてもう一つは失敗した人だって、多分悪気はなかったと思いたいから。さらには、待っていたらご飯も炊けるから。
と、僕はそんな意味のことを涼子さんに話した。すると……。「それなあ、和田君らしいわ」とクスクスと笑ったのだ。
「ですよね、僕も宮本さんに話しながら、『ああ~、これが自分だわ』って思いましたもん」
「それそれ! 久保井さんも『アイツ、おっとりしてるように見えるんやけど、何にも考えてへんこと無いんやで。実はあの頭の中ではいろんなこと考えてて、それで出した結論でおっとりしてるだけやから』って、ニヤニヤしながら言ってた。結局、やる気の問題なんや、とか言って」
「ああ、言い得て妙ですね。ハハ……。ホンマに久保井さん僕のことよう見てるわ、ハハハ」
やる気の問題、その言葉を僕は久保井さんからよく聞いた。久保井さんは何事に対しても基本は前向きだ。『それ面白そうやん』、と言ったらすぐに始める人だった。逆に僕は、いろいろ考える。いろいろ考えて、結局やらないことも多い。最近やる気を出したのは自動車維持のためにアルバイトを増やしたことぐらいで、それだって必要に迫られたから増やしたのだ。
「それでな和田君。久保井さんが、和田はやる気を出したら凄いんやから、アイツのやる気スイッチの場所を探したい、って言うたから――」
「言ったから、どうしたんです?」
僕はグラスの水を飲んでから尋ねた。
「そんな感じの和田君は、和田君やないみたい、って私は言うたんやけど……」
小首を傾げながらそんなことを言う涼子さんを、僕はポカンと見つめてしまった。
「なに? 私、いまヘンなこと言うた?」
「い、いや、別に……、プッ」
僕は思わず吹き出した。キョトンとした涼子さんの顔があまりにも可笑しかったから。
「なんで笑うん!? なあ和田君! なんで笑うんそこで!」
涼子さんはちょっと怒ったけれど、怒った顔の涼子さんもやっぱり可愛かった。
△
「久保井さんと、涼子さん、か……」
僕はあの二人が僕のことを話題にしているなんて、思ってもいなかった。それもあの涼子さんの口調だと、久保井さんは僕のことを結構喋っていたようだ。
「僕が、久保井さんと、涼子さんのことを……」
僕が久保井さんと涼子さんの話をしたことは、もちろんある。けれど、涼子さんがどういう性格だとか、彼女の行動がどうだとかいった深い話をした記憶は無い。
涼子さんのことを綺麗だ綺麗だと言って、久保井さんに彼女のことをよく聞いていたのは僕の同級生の田口の方で、よく考えれば僕が久保井先輩に涼子さんのことを尋ねた記憶も、あまり無かった。
「借りたタッパー、涼子さんに返さないとな……」
眠気を感じ始めた僕は、冷蔵庫に入っているガラス製のタッパーを想像しながら、そのまま眠りに落ちていったのだった。
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