第07話 手料理

◇  ◇  ◇


「いや、でも宮本さん、そんなん悪いですよ」


「ううん、だって雨の中で自動車出してもらって、買い物に付き合ってもらって、それにいまから重たいものを運んでもらうのに、お礼を何にもせえへん訳にはいかへんやろ?」


「えっと……、でもレポートあるんでしょ?」


「レポートはその後でも書けるもん」


「はあ……」


 僕は言い含められるというか、結局説得されてしまった。アパートに帰ったら晩ご飯を作るから食べて帰りなさい、という涼子さんの有り難い話について。


 さっき食料品コーナーから車に帰ってきた涼子さんは、結構な手荷物を持っていた。僕はそれを見て『ああ、一週間分くらいまとめて買ったんだな』と単純に思ったのだ。なにしろ車だし、荷物を載せるスペースはたっぷりあるのだから。


 ところがそれはちょっと違っていた。たしかに数日分の食料の買い出し、という意味もあったのだけれど、ナイロン袋に入っていた食材の一部は今夜の料理に使われるものだったのだ。


 僕は涼子さんの手料理を何度か食べたことはある。久保井さんの家で鍋をしたときとか焼き肉をした時などに、涼子さんはお惣菜を持って来ていた。どこで習ったのか、それとも家で教えてもらったのか、アジの南蛮漬けとか、鶏の唐揚げなどはメチャクチャ美味しかった。


「えっとねえ、唐揚げとカレーでええかな?」


 当然、とでも言うように涼子さんは二種類の料理を口にした。


「えっ!? い、いや、どっちか一つで十分ですよ! カレーか、唐揚げか」


 僕が驚くのも当然だろう。もう時計は三時半を回っている。アパートに着いたら確実に四時は過ぎる、そこから二種類も料理を作ってもらうなんておこがましい限りだ。


「そんなん大丈夫やって! カレーなんかルー入れてガーッと煮込んだらええだけやし、唐揚げもちょっと漬け込む時間がいるかな~、くらいやし……。えっと、もしかして和田君って、カレーはタマネギを飴色になるまでじっくり炒めて、カレー粉から作るカレーやなかったら認めん! とかいう派?」


 疑うような目をして、助手席から涼子さんが僕をからかった。


「そんな大物美食家みたいなこと言いませんって! カレー粉から炒めて作ったカレーなんか食べたことないですって!」


「じゃあええやん。唐揚げとカレー食べてくれたら」


「はあ、はい……」


 僕はそう呟いて、雨の中を涼子さんのアパートに向けて車を走らせたのだった。


 △


「ひとりで大丈夫? 和田君」


 段ボールを開けて、テーブルを組み立てる僕に涼子さんが声を掛けた。


「ええ、ひとりでオッケーですよ」


 そんなことより早く料理を始めないといけないんじゃないだろうかと、僕は思った。なにしろ帰りは渋滞に嵌まって、いまはもう五時前だったのだから。


「和田君、なんでも器用に組み立てるん上手やな」


 キッチンの方で涼子さんが食材の仕分けをしながら言った。


「そうですか、普通やと思いますけど」


 付属の六角レンチをクルクルと回しながら僕は答える。


「ううん、『和田は説明書も見んと何でも作ったり、電気製品でも触ったりするから器用やって』……久保井さんが言ってた。『アイツは何でもできて、器用貧乏なんや』って」


「あ、ああ……、ホンマですか」


 そういえば今日初めて久保井さんの話が出た。僕はなんと返答したらいいのか分からずに、組み立てに熱中する振りをして曖昧に答える。


「私もな、和田君って絶対に頼りになるって思ってるんや。なんて言うたらええんやろ、真面目……ともちょっと違うし、勤勉……なんていうイメージとは違うし――」


 ゴソゴソと、涼子さんがナイロン袋から食材を取り出す音がする。その音をバックに僕のことを涼子さんが評している。


 僕は真面目でも勤勉でもない、どちらかというと怠惰に近い。勉強がそれほど好きでもなく、久保井さんのようにこういう職種で将来働きたい、という強い意志もない。こうなりたい、という人生の目標がある訳でもない。


 それどころか好きな人の目の前でも、ヘラヘラとしているような惰弱な男だ。そのくせ頼られたり、お願いをされると断れず、何とかしてその依頼を全うしようとしたりする。つまりはなのだ。自分をよく見せて嫌われたくない、自分が傷つきたくないと思っているだけの男なのだ。


 僕はキッチンの方を振り返らず、そんなことを考えながらテーブルの組み立てを続けた。


「あ、そっか!」


 背後で涼子さんの声がする。


「和田君、誠実なんや。そう、誠実。軽いウソとかついても、悪意や意図的に人を裏切ったりせえへんやろ?」


「えっ?」


 驚いて振り返った僕の目には、ニコニコと笑っている涼子さんの満面の笑顔が見えた。


「あとな、和田君は辛抱強い!」


「ああ、それは……言われたことありますね」


 僕は辛抱強いという部分にだけ返事をして、再びテーブルの組み立てに戻ったのだった。


 △


「ごめんな……、和田君」


 部屋の中にはカレーのいい匂いと、美味しそうな唐揚げの匂いが漂っていた。しかし、僕がさっき組み立てたばかりのテーブルの上にはまだ何もない。


 テレビでは笑点の大喜利のコーナーがもう終わろうとしていた。相変わらず楽太郎さんはマラソンの瀬古利彦に似てるな、と僕が思った瞬間、「それでは笑点、今週はこの辺で」とエンディングテーマが流れ始める。


「あんな、もうちょっとで炊けると思うから……、ご飯」


 そう言って涼子さんは、蒸気が噴き出し始めた炊飯器の方をチラリと覗う。


 涼子さんは――、カレーのライスを炊き忘れていたのだった。

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