第23話   〃 やっぱり怒ってもくれないのか

 無駄に一時間ほどダイエーでウロウロとした僕は、『花とゆめ』と『ビックコミックスピリッツ』を本屋で買い、冷め切ったスパゲティの代わりに小夜ちゃんにサンドイッチを買ったのだった。


 さすがに一時間も経てば僕自身の置かれている状況も冷静に理解できたし、今日これからどうすればいいかという考えもまとまった。散り散りに現れた僕の人格はやがて僕に一本化されていて、僕は普段の自分に戻っていた。


 ただどうしてあんなふうに迫ってしまったのだろう、という後悔はまったく消えず、自分が一番嫌悪していた言葉を言ってしまった後始末をどうしようかと考えていた。


 マンガとサンドイッチの入ったナイロン袋を手に持って、僕はアパートへの坂道を上った。さすがに小夜ちゃんはもう泣き止んでいるだろうし、もしかしたら立ち直って怒っているかもしれない、などと僕は考えていた。自分としては怒っていてくれた方が謝りやすいけれど、多分小夜ちゃんは怒るなんてしないだろうな、とそんな身勝手ことを考えながら階段を上り、扉の前で一度深呼吸をしてからドアノブを回す。


 ガチャリ、とドアが開き、中の様子が目に入ってくる。正面に座っていた小夜ちゃんはハッとしたように顔をあげて、そして困ったように視線を横にはずした。僕は、やっぱり怒ってもくれないのか、と自分勝手な残念さを感じながら靴を脱いだのだった。


「小夜ちゃん……。俺、頭、冷やしてきた。ごめん、ホンマにごめん。冷め切ったスパゲティなんか食べたくないやろ? サンドイッチ買ってきたし、『花とゆめ』とか買ってきたから」


 僕はそう言うと小夜ちゃんから少し離れて座り、サンドイッチと雑誌をテーブルの上に置いた。そのまま横目で小夜ちゃんを見ると、その膝の上には『うしおととら』の単行本が伏せてあった。よかった、マンガを読んでくれていたんだ、と少しだけ安心した僕は、「それ、面白いやろ」と声をかけた。それに対して小夜ちゃんはコクリと頷いてはくれたけれど、いつものように嬉しそうに感想などは言ってくれなかった。


 そりゃそうだろうなあ、と僕は内心でため息をつく。なにしろ女の子の一番大事な部分を触られそうに、いやほとんど触られていたのだ。汚いものでも見るような目で小夜ちゃんに見られても、それは仕方のない状況だった。


「お腹、空いてへんか? これ食べて」


 僕は乾き始めていたスパゲティとトンカツ弁当を自分の方に引き寄せて、サンドイッチを小夜ちゃんに手渡した。これも汚いものを受け取るようにして受け取られたら嫌だな、と思いながら手渡すと、小夜ちゃんは小さく頷いて素直に受け取ってくれた。さりげなく小夜ちゃんの顔を確認してみると、顔を洗ったのか涙の跡は無かったけれど、その目はまだうっすらと充血していた。


「ああ……、あのな小夜ちゃん。いますぐに小夜ちゃんが許してくれるなんて思ってないんやけど、小夜ちゃんを泣かせてしまったんは、悪かったと思ってる。小夜ちゃんはまだ十七歳の高校生やし、いやまあ、高校生でもしてる子はおるやろうけど……。とっ、とにかく俺は、その……、俺がアホやった。ごめんな、すぐに許してくれんでもええからな」


 頭を冷やしている間に考えたことを僕は小夜ちゃんに言って、頭を下げた。さっきのことを今すぐに許してもらおうなんて、おこがましいと考えたのだった。


 僕の話を聞いた小夜ちゃんは、「うん」とだけ小さく言って、手に持ったサンドイッチに視線を落とす。


「小夜ちゃんそれ、食べてよ。お腹空いてるやろ? それから今日、俺、小夜ちゃんを家まで送るから。四時の電車に乗ったら、家に着くんは七時くらい、かな。サンドイッチ食べて、ちょっと休憩して、で、小夜ちゃんを家まで送っていくから」


「え、でもセンパイ。そんなん……」


 あの出来事から初めて、小夜ちゃんの言葉らしいものを僕は耳にした。僕の方を見る小夜ちゃんの両目はやはりうっすらと充血していて、見る人が見れば腫れぼったくさえ感じるだろう。


「いや、ええんや。小夜ちゃんは悪くないから、全部俺が悪いんやから、そのくらいするんは当然なんや。外で頭冷やしてる時に決めたし、小夜ちゃんをそのまま一人で帰すなんて、そんなん俺、できへんから」


 明確に断られるかな、と思ったけれど、小夜ちゃんは「うん」と頷いてくれた。普段だったら「ありがとうセンパイ」とか言ってくれるだろうけれど、さすがに今日の小夜ちゃんにそれはなかった。


「じゃあ、サンドイッチ食べて、それから、『うしおととら』の続きは持って帰ってもええし、とにかくホンマに、ごめんな」


 僕はそれだけを言うと、スパゲティとトンカツ弁当の容器をキッチンへと運んだのだった。

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