第22話 〃 こんなアホ、小夜ちゃんにはもったいないわ
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「ごめんな、小夜ちゃん」
僕がその行為をやめてから、すでに数分が経とうとしていた。
相変わらず小夜ちゃんは声もなく泣いていて、時々鼻をすする音と、しゃっくりをするように息を吸う音が静かな部屋に響いていた。
僕の下半身は完全に萎えきって、精神状態はまさに針のむしろというか、血の池地獄というか……。
天井から見下ろしていた別人格のボクと、興奮の極地にいた僕はものの見事に消え去って、さっきから理性の僕だけが、最悪なことしてくれたわ! どう責任とるんや! と僕を責め続けてていた。
小夜ちゃんは許してくれるだろうか、と僕が考えれば、そんな都合のええ話があるわけないやろ! と理性が打ちのめす。そうは言っても、このときの僕にできることは謝ることしかなかった。
「ホンマにごめんな、小夜ちゃん、許してくれる……かな」
そんな空々しい言葉に、小夜ちゃんが軽く頷いたように僕には見えた。
けれどそれは本当に小さな仕草で、どうひいき目に見てもはっきりとした意思表示には思えなかった。それにこの状態で「許してくれるか」と問われて、「センパイのアホ! 変態! スケベ! もうイヤや!」などと言えるような小夜ちゃんでもないことを、僕は十分に知っていた。
それを知っていながら謝って許して貰おうという姑息な自分に、僕は本当に幻滅していた。自己嫌悪などではなく、これこそ真の幻滅だった。
そうこうしている間にも、部屋の時計の針はカチコチと無情にも動いていた。時間は午後の一時半を回ってしまっている。ほんの数時間前までは、あんなに楽しそうにしていた小夜ちゃんを僕は泣かせてしまった。それもケンカなどではなく自分の下半身の欲望で、というところがまったく救いようがなかった。
この時まで付き合って二年になっていたけれど、僕たち二人は珍しくケンカもしたこともなかった。僕は自分が小夜ちゃんを泣かせるなんて思いもしなかったし、それだけ彼女のことは大切にしてきたつもりだった。
ところが――、それが――、このざまだ――。
相変わらず理性の僕は僕を責め続け、僕は僕に幻滅する。そして、なにも事態が進まないまま無為に時間だけが経っていく。
やがて僕は小夜ちゃんを泣かせた自分がここにいたら、彼女はこのまま泣き止まないんじゃないかと考えた。小夜ちゃんを一人にした方が泣き止むんじゃないかと。つまり、僕はここから消えた方がいいんじゃないか、なんて。
「小夜ちゃん。あの、俺、アホなことしてごめんな。ちょっと外で頭でも冷やしてくるから、えっと、マンガでも読んどいて」
言ってからまた、誰がこんな状況でマンガを読むかよ! と自分で自分に突っ込みを入れた。けれどあの時の僕にとってはそんなことはどうでもよくて、ただ小夜ちゃんの前から少しだけでも、そして一刻も早く消えたかったのだ。
ガチャリ、と後ろ手でドアを閉めて僕は部屋を出た。訪ねてきてくれた小夜ちゃん一人を、自分の部屋に残して。
「……はあ」
外に出た瞬間、僕は思わず胸いっぱいに深呼吸をしてしまった。階段のところから見えるのはいつものような淡路島。けれど僕の目にはそんなものは単なる景色ですらなくて、僕は追っ手から逃げる犯人のように階段をタンタンと駆け下りたのだった。
通りに出た僕は意味も無く走り出した。とにかく何も考えたくないから走り出した。坂道を下ると、さっき小夜ちゃんと入ったコンビニが見えてくる。そのコンビニの看板を見た瞬間、僕は何かが胸に突き刺さるような痛みを感じて、思わず「クソッ!」と叫んでしまっていた。慌てて周囲を見渡すと、偶然にも市バスが隣を走った瞬間だったので、その僕の叫び声は誰にも聞かれてはいなかった。
やがていつも買い物をしているダイエーのところまで、僕は坂道を下ってやってきた。少し走り疲れて息があがっているし、喉が渇いたから何か飲みたい、と思った僕がポケットに手をやると、そこにはいつものように財布が入っていた。まだ、あのコンドームが入っている財布が――。
△
自動販売機でアクエリアスを買った僕の手には、悪夢の原因ともいえるコンドームが握られていた。くしゃくしゃに潰れて小さくなっているけれど、こんなもののためにあんな大変な目に遭ったのかと思うと、八つ当たりとは分かっていても僕は本当に腹が立った。さっさと自分で使うか、せめて財布じゃなくて引き出しの奥に入れておけよ! と昨日の自分にも言いたかった。
「くそっ……」
今度はさっきより小さいけれど、でも明確な目的をもって悪態をつき、僕はコンドームの入った小さな袋をゴミ箱に投げ捨てた。
丸い大きなゴミ箱に投げ入れる瞬間『行けっ! アクシズ! 忌まわしい記憶と共に』などという、逆襲のシャアの台詞が頭をよぎり、僕は今度こそ本当に「俺は……アホやろ。こんなアホ、小夜ちゃんにはもったいないわ」と虚しく自嘲してしまったのだった。
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