第20話   〃 だから、ってなんだよ!


「だってセンパイ、財布に入れてるってことは、そういう関係の女の人がおるんかな、って……思ったから」


 そんなことを小夜ちゃんに言われた僕は、確かにそういう考え方もあるか……、と妙な納得をするとともに、そんなわけないやん! という義憤にも似た感情が芽生えたのだった。


「いや……、いやいや小夜ちゃん、それは無いって! それって浮気ってことやろ? いや、絶対にそんなん無いって!」


 必死になって弁解をする僕に向かって、小夜ちゃんは「ホンマに?」と困惑した表情のままで小さく呟く。


「ホンマやって!! そんなん絶対にあるわけ無いやん!」


「でも……、センパイ、最初あんまりアパートに来て欲しそうな感じやなかったし……」


 小夜ちゃんはもうすっかり冷め切ったスパゲティの容器にフォークを置いて、自信なげに言った。


「まって小夜ちゃん、それは誤解やから。えっと、小夜ちゃんが交通費払ってまで来るんやったら、俺がその分を出すから、っていう意味で言うただけやから……、えっと、まあ、伝わってなかったんやったらごめん。でも――」


 僕はここで一旦お茶を飲んで唇を湿らせた。相変わらず小夜ちゃんは困惑顔で俯いている。


「――でもな、ホンマに小夜ちゃんの言うてるような浮気とか、他の女の人とか絶対にないから。っていうか小夜ちゃん、疑ってたん? 俺のこと。そやからアパートに来たん……かな? もしかして」


 言い終わってから、ああまたしてもバカなことを言ってしまった、と僕は後悔をした。言わなくてもいいことを、どうして今日に限ってこうも口に出してしまうのだろうと。


 そんな僕の言葉を聞いた小夜ちゃんは、ピクリと体を動かしてから小さな声で言った。それは本当に小さな小さな声で、こんな静かな状況じゃなかったら聞き逃していたに違いなかった。


「……疑ったわけやないけど、不安やったから」


「不安、やったん?」


 詰まりながら僕が聞くと、小夜ちゃんの首がコクリと動く。


「だって、卒業した彼との関係なんか、絶対長続きせえへんって言われて。大学生になったら相手にして貰えへん、って言われて。私、そうなんかなあ、って。やっぱりセンパイも同じ大学生の女の人に惹かれてしまうんかなあ、って。そんなん考えたら、どんどん不安になって。試しに模試でセンパイの大学書いたらC判定で。それ見たら、センパイに会いたいな、って思って。で、センパイの顔見たら不安もなくなるかな……って、そんなこと思って」


 ポツリポツリと続く小夜ちゃんの呟きに、僕の胸は締め付けられるように痛んだ。けれど、彼女を励ませばいいのか、それとも慰めればいいのか、更には「そんなことない」と否定をすればいいのか、この時の僕はその判断ができなかった。


 僕がそんなふうに迷っているうちに、小夜ちゃんは苦笑いともいえない悲しそうな笑顔を僕に向けた。


「やっぱりセンパイ、アレかな。私、子供っぽいやろ? マンガとかアニメとか好きやし、イラスト描いてもそんなんばっかりやし、全然お洒落やないし、一人っ子やからわがままやし……。センパイの目から見たら子供なんやろうな、って。そやから、センパイの近くに大人っぽい女の人が近づいたら、私なんか敵わへんのやろうな、って。センパイが、、持ってるん見たら、やっぱりそうなんかな、って――。ごめん、私なに言うてるんやろ……」


 この時、小夜ちゃんがいっそのこと泣いてくれていたら、僕はこのあと自分を抑えられていただろうと思った。けれど現実には小夜ちゃんは泣かずに、悲しそうな笑顔で僕を見ていたのだ。


「小夜ちゃん……。俺のこと、嫌いか?」


 それは、このまえ僕が自分自身で否定した上原先輩の迫り方だった。そんな台詞で自分の好きな彼女に迫るのは、相手の逃げ場をなくすような感じがして僕自身が嫌だった。現にこの時の小夜ちゃんも「嫌い」だなんて言えるはずもなく、困ったような顔で軽く首を横に振ったのだ。


「俺は小夜ちゃんのこと、そんなふうには見てへんから。子供っぽいとか、わがままとか、思ってへんから」


 この時の僕に、若干の良心の呵責が無かったかといえばウソになる。子供ぽいとか、わがままとか思わないまでも、「一つ年下やから、こんなもんかな」と、小夜ちゃんの振る舞いを微笑ましく許容していた自分は確かにいた。それを小夜ちゃんは『甘やかす』と表現していたのだけれど。


小夜ちゃん。嫌やったら、『嫌や』って言ってくれたらええから」


 ってなんだよ! と僕の冷静な部分が頭の中で言っていた。話の脈絡が無いじゃないか! と。


 けれどそんな僕の理性的な部分を押しのけて、感情は僕を前へ前へと押していった。


 小夜ちゃんが怖がらないように、できるだけゆっくりと彼女の体を引き寄せる。そんな小賢しいような策を懲らす自分が一瞬嫌になったけれど、小夜ちゃんの柔らかい肩に触れた手を、僕は止めることができなかった。

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