第03話 〃 誰の噂なん? それ
それは文芸部に小夜ちゃんたち一年生が入部してから一ヶ月と少しが経った、五月半ば過ぎのことだった。
その日は木曜日で、六時間目の後に理科の補習のある日だった。僕は受験に使うかどうかわからない物理の補習を受けたあと、部室に行くかどうかを迷っていた。
教室の時計を見るまでもなく、時間は午後四時三十分を回っている。いまから南校舎の部室に行って、三十分ほどマンガを読んで五時半の汽車に乗るか。それともこのまま校舎を出て、ヤマザキの店で肉まんでも買ってブラブラと時間を潰すか。と、そんな活動的でもない二者択一を考える。
どちらにしても田舎の駅に来る次の下り列車は、五時半の汽車しかない。僕は、『そういや五月になったから、もう肉まんは置いてないかもな』と、不確かな理由でヤマザキの店には行かずに南校舎へと足を向けたのだった。
視聴覚準備室、と書かれた教室の引き戸を開けると、そこには二人の女子生徒がいた。ガラガラという引き戸の音に気づいたのか、二人が同時にこちらを振り返る。そのうち一人の子はちょっと引きつった笑顔を見せたかと思うとすぐに顔を伏せ、そしてもう一人の女の子は――、僕とその顔を伏せた子をニヤッとしながら見比べていた。
「今日、二人だけなんや」
僕は部屋にいた二人に声をかけた。すると、ニヤッと笑っていた女の子、つまりは例の美少女の一年生、村澤さんが返事を返してくれた。
「はい、さっきまで先輩が何人かおったんですけど、『帰るわ』言うて、帰りました。な、小夜香」
同意を求められた顔を伏せた女の子、つまり小夜ちゃんは、「う、うん……」と小さく首を縦に振る。
「ふーん、そうなん」
僕はそんな相づちをしてから、何の気なしに教室の後ろにある本棚へと向かった。そんな僕の背中の方でクスクスと押し殺した笑い声が響く。気になった僕がチラッと後ろを振り返ると笑っているのは村澤さんで、相変わらず小夜ちゃんは机に向かってイラストか何かを描いている。
不審に思った僕の目と、村澤さんの笑った目が偶然ではなくぶつかる。すると村澤さんは、やっぱりニヤッとした顔で僕に言ったのだ。
「尾崎センパイって、休みの日に孤独に一人で映画を見に行ったり、本屋に行ったりするのが趣味って、ホンマですか?」
「え……、はあ? なにそれ」
僕には村澤さんの質問の意味が解らなかった。
言葉に詰まった僕に、村澤さんは質問を重ねる。
「だから、休みの日には一人で汽車に乗って映画を見に行ったり、本屋巡りしたり、あと……、ゲームセンターとか行ったりするって、ホンマなんですか?」
「なっ、なんで?」
試すような村澤さんの表情とその意味不明な質問に、やっぱり僕は言葉に詰まった。本当に意味が解らなかったのだ。
「なんで、って。尾崎センパイのこと噂で聞いたんですけど、ウソやったんですか?」
一年生にしては大人びた目元の村澤さんが、小首を傾げて僕の方をマジマジと見ている。僕は『なんの噂だ』と思いながら、完全に二人の方を振り返ってため息をついた。
「はあ……、誰の噂なん? それ」
「
「川城か……」
川城は僕のクラスメイトで、部員でもないのにここに出入りしているヤツだ。本職はラグビー部に所属していて、そしてヤツは僕の小学校以来の友人だった。
「で、それ、川城が言うとったん?」
「はい!」
元気に返事をする村澤さんを見て、僕はもう一度ため息をつく。
僕たちの住むこの町は結構な田舎だった。映画館なんてものも無く、大きな本屋や、ゲームセンターなんて施設も当然今でも無い。映画を見るとなれば汽車に一時間以上も乗って街まで見に行くし、大きな本屋も、ゲームのソフトを買うのも、そこまで行く必要があった。
その街まで往復千五百円の汽車賃を払って、休日に一人で寂しく遊びに行く男子高校生ともなれば、一年生の後輩から見れば奇特な存在と思われて当然だ。僕だってそんなクラスメイトがいたらそう思っただろう。
ただ、川城の言っていたことは半分本当だった。僕が一人で街をブラついていたのは事実ではあったからだ。
「あんな村澤さん。一人でブラつくのはホンマやけど、べつに一人寂しく汽車に乗って行ったんやなくて、姉貴の車で行って、それで俺が単独行動してただけやから。それを偶然川城たちに見られただけやからな!」
「ふーん。でも、川城センパイは『
「あいつ……、川城のアホが……」
と、僕はここにいない友人のニヤニヤ顔を思い浮かべながら、さらに深いため息をついたのだった。
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