第05話 じゃあ、俺は病院について行って、何をしたらええん?


「野田くんは昔から優しいけど正義感強いし、いまから私が言うこと聞いたら怒るやろなあ、って相談する前から思ってた」


「なに、それ」


「私の彼……ううん、もう別れたから元彼の話をしたら、絶対怒るやろなあって思ってた。まあ結局、私のオトコを見る目がなかったんやけど」


 広池は悲しそうというよりも、諦めたようにそう言った。もう最初のようなの緊張感も薄くなって、話はスムーズに進むようになっている。


「酷いオトコやったん?」


 気がつけば俺も肩の力が少し抜け始めていて、世間話でもするような感じで言葉が出始める。


「うーん、そうやな。結果的には酷いオトコやった。『ホンマに俺の子なん?』なんて目を細めて言われて、私も『はあ?』って、さっきの野田くんみたいになって、それから――」


 それから、ケンカになった。と、広池は肩をすくめて言った。自分以外のオトコとやったんじゃないかとか、俺の子だと証明してみせろとか、とにかく言葉の暴力を受けたらしい。


「そりゃあ喜ばれるなんて思わへんかったけど、あんなこと言われたら、もう悔しくて、情けなくて、そやから『もうええわ』ってなって……」


「で、そのまま別れたん?」


「うん、まあ……。そやから、もうあんな人の顔なんて見たくもない」


 俺はそれが相手のオトコの汚いやり口なんだろうと想像はした。嫌われようが何をしようが、そいつは逃げ切るつもりなんだろう。俺がもし広池の立場だったら、そんなやり逃げは許さない。けれど男と女は違うし、そんなことよりも、もう早く忘れたい、という広池の感情も少しは理解できた。


「そうか、広池がええんやったら、まあええけど。でも、ホンマにええんか? 俺が相手のところについて行ってやってもええで」


「フッ、野田くんやったらそう言うかなと思ってた。でももうええわ、会いたくないんや」


 そうハッキリと言った広池の表情から、これは本気だなと俺は思った。


「そんな嫌なんやな。まあその気持ちも分からんでもないけど……。で、どうするん? 産むわけ無いんやろ? 俺ら大学生やし、そんな相手の子やったら、なおさら」


 それは男としての俺の感情だった。嫌いになった相手の子など産みたくもないのだろうと、としての俺は思ったのだ。しかし世の中、事はそう単純なものでもない――ということを後で知るのだけれど、この時の広池は敢然と俺に言ったのだった。


「うん、堕ろす」


 俺自身としては高校のクラスメイトだった、そして好きだった女の子の口から『堕ろす』なんていう言葉は出て欲しくなかった。もっと他に『中絶』とか言って欲しかったのだけれど、そんなものはただの無駄な感傷でしかない。結局はどう表現しようが同じ意味で、同じことなのだ。


「そうやな、そうなるわな。じゃあ、俺に相談いう話は、あれか? その、手術代のカンパとか」


 そう言った俺は、また高校時代のことを思い出していた。


 あれはいつだっただろう、他校に進学した中学時代の同級生が妊娠したらしいという噂を聞いたことがあった。俺が覚えている限りでは確かに遊んでいそうな女子で、あまりいい話を聞かない高校に行ったはずだった。その子が中絶をするというので、手術代のカンパを集めているというのだ。『そんなテレビの中の世界みたいなこと』と、その時俺は思ったのだけれど、どうやらそれは事実だったようで、結局そのあとどうなったか知らないけれど、しばらく地元で噂にはなっていた。


 あれから三年、もしくは四年。まさか広池千佳があの子と同じ状況になるなんて、俺には想像もできなかったことだし、高校時代の俺に言っても一笑に付しただろう。


 本当に世の中なんてわからないものだ、と、そんな昔話を思い出していた俺の耳に広池の声が響く。


「ううん。手術代はあるんや、そのくらいは貯金してたし」


「ああ、そうなんや」


 その噂になった子の時に聞いた情報だと、手術費用は十何万円かだと聞いていた。当時の俺の金銭感覚からすると大金だったし、『そんなの親が出すだろう、普通』と感じたものだ。けれどいま考えると、広池がそのくらいの貯金を持っていてもまったく不思議ではない。なにしろ実家もそこそこ裕福なのだから、仕送りだって多いだろう。


「じゃあ、俺は病院について行って、何をしたらええん? 付き添い?」


 単純にそう思った俺の耳に再び聞こえた広池の言葉は、完全に俺の想像の遙か彼方のものだった。

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