第04話 で、彼氏の子なんやろ? それって
「……はあ?」
妊娠。という言葉が耳には聞こえたけれど、俺の頭の中では広池と妊娠とがまったく結びつかなかった。もちろん当たり前に妊娠は知っていた、女性がお腹の中に子どもを身ごもることだ。
しかし目の前の広池が妊娠、まさかご冗談を。
そんな俺は「はあ?」としか言えず、微妙に首を傾げたまま広池を凝視した。広池は相変わらず俯いたままで、垂れた前髪の隙間からもその表情はうかがい知れない。
またしても数秒の沈黙が流れた。店内のBGMはゆっくりとしたクラシックで、他の客の話し声がやけに響いて聞こえて来る。
「そやから……、私、妊娠したみたいなんや」
ようやく広池は少し顔をあげて、あたりを覗うようにして小さく喋った。その顔色は紅潮していて、かなりの勇気を振り絞ったのだと推察できた。
「ああ……、えっと、妊娠って、マジなん?」
俺も周囲に気を配りながら小声で聞き返す。
「うん」
広池の返事は簡潔だった、それゆえに俺はその事実を信じるしかなかった。
△
高校のクラスメイトだった女の子が妊娠した。これがもし社会人になっていて、例えば結婚するか婚約でもしていた場合なら『おめでとう! よかったな』という流れになるだろう。続けて『で、男の子? 女の子?』などと気の早い質問すらするかもしれない。けれど広池も俺も大学三年の学生だ、この状態で『おめでとう』なはずがなかった。
「その、アレが遅れてるだけとか、そういうのと違うん? ホンマなん? 妊娠、って」
俺は自分のことでもないのに声も眉もひそめて広池に聞く。すると彼女は諦めたように首をゆっくりと横に振った。
「もう、病院で診てもらったんや。妊娠してるって」
「マジか……」
俺は自分が広池を妊娠させた訳でもないのに、なぜか胃のあたりが重くなったような気がした。さっき飲んだアイスコーヒーの苦みがよみがえって、喉の奥から出てきそうな気分だった。
改めて広池の方を見てみると、彼女は俺の方ではなく斜め前方の窓の外を見ていた。外はどんよりとした曇り空、いつ雨が降り出してもおかしくはない。相変わらず広池の白い両手は自分のお腹をおさえるようにしていて、俺にはそれが異常に艶めかしく見えた。
いま広池が手でおさえているお腹のすぐ下には、彼女と誰かさんの子供がいる。つまりはまあ、広池はそういう行為をした訳だ。昔から見知った女の子のそういうところを想像するのは背徳感があるというか、妙な気持ちになるというか――。
とにかく俺はそんな自分の心を振り払うために残っているアイスコーヒーを飲んだ、それもストロー経由ではなくグラスから直飲みで。
ゴクゴクと嚥下されていくアイスコーヒーの味なんて、よく分からなかった。ただ冷たい液体を八割がた一気飲みした俺は、グラスをテーブルに置いて「ふうっ」と息を吐き出す。広池はそんな俺を見て、ちょっと驚いたような顔をした。
「で、彼氏の子なんやろ? それって」
広池に付き合っている男がいるのを知っていた俺は、当然のようにそれを聞いた。返事は予想通りのイエスだ、広池の形のいい顎がコクリと頷く。
「このことになんて言ってるん、彼氏は」
「うん。もうそれは……ええねん」
「え……? もうええ、って。どういうこと!?」
思わず言った俺の声は、ちょっと大きかったかもしれない。そう感じた俺は、さりげなく周囲をそっと確認した。が、店内にいる客はまだ疎らで、誰一人としてこちらを気にしている様子はなかった。
「うん。もうええんや、別れたから」
「はあ!?」
声を抑えつつも、俺は感嘆の声を上げざるを得なかった。別れようが何をしようが、お腹の中の子供の父親はその彼氏なのだ。それを「もうええんや」と突き放すようなことを言う広池の心情が俺にはわからない。
「もうええ、って言うても、彼氏にも責任あるやろ? そんなんおかしいんと違うん? いや、おかしいって」
決して俺は広池を責めた訳ではない。だから、言ったすぐ後に俺は『しまった』と思った。
「ごめん。あの……、違うんやで。俺、広池を責めてるんと違うから、オトコの方を責めてるんやから」
そう続けた俺の口元を見た広池は少し表情を緩めて「ふっ」と笑い、おのままの表情で「やっぱり、相変わらず野田くんらしいわ……」と言ったのだった。
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