第2話 開幕、予選ラウンド!

1

 ワカタカドームの外野に作られたステージに立っている少女。その表情が、バックスクリーン前に建てられた巨大なモニターに映し出される。リラックスしているのか、それともリラックスを装っているのか。どちらにせよ、落ち着いているように見えた。


「あのコ……」


 あゆみは右手を上げて指さした。

 地区大会を勝ち上がった全二十チームの選手は、野球の内野にあたる場所でチームごとにまとめられている。女子中学生が集団となったらセレモニーを黙って過ごせるわけもなく、各所で話し声や笑い声があがっている。

 だがカナガワ地区代表すーぱーあゆみんミニ四チームだけは、静けさに包まれていた。


「あいつがどうしたって?」


 たくみがたまらず、声をかける。


「ヤムラで一緒になったの……あのコだ……」

「そういうこと?」


 奏は予想外の事態に、予想外の高い声を出してしまう。


「あゆみちゃんが、お父様に会いにいった時に見かけた女の子が、あの、ディフェンディングチャンピオンの瀬名さんってこと?」

「見間違いかも」

「ううん、そんなことない」


 ルナとたくみの言葉を遮って、あゆみは続けた。


「見間違えないよ。あの青いキャップ。あたし、風に飛ばされそうになったのを拾ってあげたから」


 愛着があるのだろう、少し色あせたブルーのキャップ。


 ……極めてないんだよ、こいつら。


 無造作に放たれた一言が、あゆみの心に深く残っている。その傷跡に、鈍痛が走った。

 瀬名アイリーン。あの娘には、何かを感じる。それが何なのかはわからない。共通する何かがあるのか、退け合う何かがあるのか、それすらもわからない。ただ一つ、他の娘からは感じないパワーがある。それだけは、はっきりとわかる。


「涼川さん、大丈夫?」


 肩に延ばされた奏の手を振り払って、あゆみは言った。


「これこそ……ブッシュルシュル! おっもしろい!」




2

 セレモニーの後は、会場を大会仕様に整備するため、選手は一度隣接するホテルに向かうように指示された。

 全国大会は、フクオカ・ナゴヤ・オーサカ、そしてトーキョーの四会場を巡回して行われる。

 土曜日の午前中に会場入り、その日の夕方にレースを実施。主催者が用意したホテルで後泊し、翌日の日曜日に解散というのが基本的なスケジュールである。ホテルは会場近くの大型のものがおさえられており、全選手に個室があてがわれている。

 あゆみ達は自分の部屋に荷物を置いた後、奏の部屋に集合した。


「なんで、私の部屋なの?」

「だってー、会長の部屋が一番片付いてそうじゃん?」

「同意」

「だったら、猪俣さんの部屋だっていいじゃないの」

「私は……その……荷物が多いから」

「ああ、そういえばそうだったわね……涼川さん……のところは遠慮しとくわ」

「えぇー? どうして?」

「まあ、あんまり時間がないことだし、さっき説明のあったレースの進め方について、もう一度確認しておきましょう。よろしい?」


 全員が静かにうなづく。


「ありがと。じゃあ、配られたプリントに沿っていくわね。

 まず予選の組み合わせ。私たち、《すーぱーあゆみんミニ四チーム》は《Eブロック》になりました。

 同じ組のチームは、ホッカイドー地区代表、チーム《フライング・フレイヤ》。サイタマ地区代表、チーム《サイコジェニー》。そしてキタキューシュー地区代表、チーム《V.A.R.》。全チームとも昨年の決勝ラウンドに進出していて、中でも《フライング・フレイヤ》は赤井さんたち《スクーデリア・ミッレ・ミリア》に次ぐ5位でフィニッシュしてる」

「その《フライング・フレイヤ》が最大のライバルというわけですね」

「そう、で、今日、初戦の相手が、その、《フライング・フレイヤ》なのよ」

「えぇー? そりゃ無理だよ!」

「いきなり正念場」


 たくみとたまおがひとしきり文句を言い終わるを待って、奏は続けた。


「まあ、全勝するのが勝ち上がる方法じゃないから。上位2チームに入れればいいわけで、やり方はいくらでもあると思うの」

「うーん、そりゃそうだけどさ」

「涼川さん、何か?」

「もちろん、最初から練習だと思って走っても、意味ないよ。練習にすらならない。とにかく全力で、やり残しのないように、ひとつひとつ戦っていこう」

 あゆみの言葉に、4人は静かに、深くうなづいた。


「で……、レースってどういうやり方なの?」

「ちょっと涼川さん、今それ聞く?」

「だって、説明されてないし」


 拍子抜けした奏が、メガネの位置を直す。


「わかりました、じゃあ続けてレースの方式を確認しましょうか。

 予選ラウンドは各チーム5台全部が出走、全10台でのレースを行います。スタート順はタイムアタック等は行わず、くじ引きで決まるそうよ」

「え? それってどういうこと?」


 ベッドの上に座っていたたくみが、身を乗り出す。


「くじ引きで当たりを引いたチームが、イン側の列かアウト側の列か、好きな方を選べる。で、その反対側が相手チーム。要するにチームごとに奇数グリッドか、偶数グリッドかを決めるってこと」

「じゃあ、チーム内での順位はどうやって決めるんですか?」

「それは、チームで話し合って決めろ、って書いてあるわ」

「そういうことですか……。なかなか難しいですね」

「そうね……。でもルールだから。

 続けるわよ。レースはグランプリでも使われるサーキットを使用するけど、どこを使うかは直前までわからない。そこで約300キロのレースをやって、1位の選手のチームに勝ち2がつく。負けた方は《0》。1位が同着の場合は両方のチームに《1》。まあ、あり得ないけどね」

「2位以下の扱いは」


 机に肘をつき、組んだ手で顔を隠すようにしてたまおが聞く。


「えーと……。うん、関係なし」

「え?」


 組んでいた手が崩れて、たまおも身を乗り出す。


「2位以下にポイントがついてその合計、とかそういう事は一切なし。そう、とにかく1位を、このチームの誰かがとる。それだけがこの予選ラウンドの目的」

「なるほどねぇ……」


 あゆみは腕を組んで唸った。


「それともう一つ。《バーサス》に追加の機能がついたそうです」

「追加の機能、ですか?」


 備え付けの椅子に腰かけていたルナが、身を乗り出して聞く。


「え、ええ。条件は秘密だけど、一時的にマシンの限界性能を引き上げる、まあ……裏技みたいなものがあるみたい。技の名前は「Zズィー・テクノロジー」略して「ズィーテック」」

「使ったら、一体どうなるんですか?」

「具体的なことは何も知らされてない。ただ《限界性能を引き上げる》とあるだけ」

「はぁ……何だかよくわかりませんね」

「当てにはできないわね。あるいは、これの使い方を覚えたチームが決勝に近づくのかもしれないけど。……とりあえず以上ね」


 奏が書類をめくる音が、部屋の中に響いた。皆、未経験のフィールドに踏み出すことへの戸惑いを感じていた。うつむき加減の少女たちを見回して、あゆみは立ちあがった。


「これから始まるレースに参加できるのは、あたしたちを含めて20チームだけ」


 窓に歩を進めると、眼下にハカタ湾、そして玄界灘の荒波が見えた。さらにその向こう、水平線が白いモヤの向こうに横たわっている。


「ここまでたどり着けなかったチーム、川崎さんや藤沢さん、ゆのちゃん、そしてエンプレス。みんなが、みんなの想いがあたしたちを支えてくれる。だから、全力で行こうよ。何も心配することはないから」


 振り返って、あゆみは笑った。


「涼川さん……」

「あゆみちゃん」

「あゆみ」

「あゆみ!」

「よし、行こう! 新しいレースが、あたしたちを待ってる!」




3

 開会セレモニーから4時間後。ステージの周りにはパーティションで区切られたピットエリアが全部で20個作られていた。それぞれに5台ずつの《バーサス》端末が置かれ、待機モードに入っている。

 20チームのピットスペースはそれぞれ独立して作られている。地区大会のようにピットスペースを模したつくりにはなっておらず、簡素な印象を抱かせる。

 しかし一方で《バーサス》システムは、2チームずつ10のレースを同時進行させるため大型のものが持ち込まれ、多数のケーブルがパーティションから伸び、複雑な模様を人工芝の上に描いていた。

《すーぱーあゆみんミニ四チーム》は指定されたピットエリアに入り、5人それぞれのマシンをメンテナンスしていた。スタートまでにはまだ1時間以上あるが、経過とともに緊張感は高まっていく。


「すみませーん」


 不意に、パーティションを叩く音が聞こえた。大会スタッフの巡回だろうか。


「はーい」


 あゆみはエアロサンダーショットを机に置き、蝶番で扉のようになっている部分を開けた。


「こんにちは」


 開けた先に立っていたのは、大会スタッフではなく、一人の少女だった。その真っ白な肌は、やはり真っ白なユニフォームよりもさらに白く透き通って見え、あゆみは、まぶしさに思わず目を細めた。


「あ……こんにちは……その……どちら様ですか?」

「ごめんなさい、驚かせてしまって。私、ホッカイドー地区代表、チーム《フライング・フレイヤ》のリーダー、羽根木美香です。ご挨拶にと」

「あっ……!」


 長く伸びた髪と、さわやかなほほ笑み。昨年、チームを全国5位に導いた美香のビジュアルは、あゆみが想像していたものから余りにかけ離れていた。


「あなたたちが、カナガワ地区代表チーム《すーぱーあゆみんミニ四チーム》ね」

「はい、キャプテンの、涼川あゆみです」

「そう……あの《エンプレス》を破ったチームと一番最初にあたるなんて、ツいてるというか、ツいてないというか」

「え?」


 思わせぶりな物言いに、あゆみはたじろぐ。


「約束してたのよ、赤井さんと。来年、この舞台でもう一度走ろうって」

「それは……その……」

「いいのよ、秀美を超える力があなたたちにあるのなら、私もそれを見てみたいから。お忙しいとこ、ごめんなさいね。じゃあ、後で」

「あ、羽根木さん!」


 呼び止める声には振り向かず、美香は自チームのピットに向かって行ってしまった。


「あんにゃろー、余裕こいてるなー!」


 あゆみの肩に手をのせて、たくみが美香の背中に視線を飛ばす。


「あれが……全国大会経験者か」

「あゆみちゃん、あんまり気にするとよくないわよ」

「平常心」

「うん、ありがと」


 たくみとルナにうながされて、あゆみはピットの扉を閉めた。


 予選第一ラウンドの舞台は、ベルギーの名門コース、《スパ・フランコルシャン》に設定された。

 山間部につくられた全長七キロに迫るロングコースは、上りの区間と下りの区間で異なった特徴を持っている。スタートの鋭角なヘアピン《ラ・ソース》を抜けた先にそびえる高速コーナー《オー・ルージュ》は、上りながらのコーナリングとなるため高い安定性とトルクが求められる。そこから続く《ケメル・ストレート》は、コース上での最高速を記録する勝負どころ。ストレートエンドのシケインがオーバーテイクポイントとなる。

 このシケインから下り区間に入ると、大小様々なコーナーが待ち受けており、最速のラインをトレースできるコーナリング性能、強力なGに耐える剛性が求められる。そして下りきったところがコントロールライン。

 またこのコースは天気が非常に変わりやすい事でも知られる。《バーサス》内でも当然その特徴は引き継がれているため、ペース配分やピットインのタイミングによっては大きな番狂わせが起こる可能性も高い。正にクルマとチームの総合力が問われるコースである。


 くじ引きの結果、インサイドとなる奇数グリッドを引いたのは《すーぱーあゆみんミニ四チーム》。アウトサイドは《フライング・フレイヤ》となった。


「さて、それじゃあ、みんな準備いい?」

 奏が声をかける。5人それぞれの手元に、全国大会仕様の《バーサス》端末が並べられている。スピードチェッカーに似た筐体に変わりはないが、プレーヤーが装着するバイザーには、いくつか追加のアンテナがつけられ、より攻撃的な印象を抱かせる。

 あゆみはバイザーを装着する。目の前には立体的なロゴが踊り、システム起動の操作を待っていた。


「いいね? じゃあ行くよ!

 バーチャル・サーキット・ストリーマー、《バーサス》、起動!」


 一連のシークエンスが済むと、あたりは深い森の中、スパ・フランコルシャンのピットエリアへと変わった。

 すでにダミーグリッドには両チーム10台のマシンが並んでいる。


「あれが、《フライング・フレイヤ》の……」

 ロングノーズにショートデッキ。ヨーロッパのGTカーのスタイルは、サーキットの風景とよく馴染んでいた。

「ジルボルフね。チーム全員で車種を統一するのは、有力チームなら当然の選択か」

 奏がクールを装って言う。

「でも、2番グリッドの…美香さんのボンネットだけ他とちょっと違うわよ?」

 ルナが指さす。

「あれは……オオカミ……。ジルボルフ、銀の狼だからか」

「それは、違いますよ」

「誰だっ!」


 たまお、たくみの背後に、白い人影が立ち上がる。《バーサス》が、通信中との表示とともに、ノイズ混じりの映像を映し出していた。


「羽根木さん!」

「また驚かせてごめんなさいね。赤井さんとは、こうやってレース前に通信し合ってたから」


 これから戦うとは思えない、おだやかな美香の笑顔に、あゆみは眉をひそめる。やはり、初参加である自分たちの力は、《エンプレス》との比較でしか認識されていない。決勝に出場できたとは言え、まだ超えたわけではないと、あゆみは痛感した。


「あのボンネットに描かれているのは、オオカミの姿をした神獣、フェンリルよ」

「フェンリル?」


 たくみが頭のてっぺんから声を出す。


「北欧神話に登場するフェンリルは、ラグナロクにおいて最高神オーディンをその口で飲み込んだと伝えられている」

「だ、だからなんだってんだ!」

「その時は」


 不意に、美香の目に鋭い光が走る。《バーサス》越しに伝わるほどの気迫。緊張がピットを支配した。


「……じっとしている方がいいわ。それじゃ、お互い全力で頑張りましょう」


 差し出された美香の手を握り返そうとするが、あゆみの手はすり抜けてしまう。《バーサス》はあくまでミニ四駆の走行性能を実際のサーキットでシミュレーションするためのもので、その他の機能は補助でしかない。プレーヤー同士の通信も同様である。

 スタートが近いことを告げるホーンがなると、美香の姿はノイズの中に消えた。


「あいつ……」


 あゆみが握ったこぶしの中には、じっとりとイヤな汗が満ちていた。




4

 Virtual Circuit Streamer <V.S.> Activate…

 -COURSE: Circuit de Spa-Francorchamps

 -LENGTH:7.004km

 -LAPS:44

 -WEATHER: Cloudy

 -CONDITION: Half Wet


 Girls, START YOUR MOTOR.

 FORMATION LAP ENDED…

 Signals all red…

 Black out!

 GO!


 LAP1/44

 午後5時、レーススタート。10台のマシンが1コーナー、鋭角の《ラ・ソース》に飛び込んでいく。インサイドからスタートの涼川選手のエアロサンダーショットが際どくトップを守り、オー・ルージュへ。2番手には羽根木選手のジルボルフがつけ、恩田選手のエアロアバンテもそれに続く。

 オー・ルージュを立ち上がったストレートでは3台が並走するシーンも見られたが、エアロサンダーショットが最高速に勝り、ここでもトップを譲らず。スタート順のままオープニングラップを終えた。


 LAP2~10

《バーサス》では珍しいハーフウェット路面に《すーぱーあゆみんミニ四チーム》の各車は苦しむ。5番手につけていた猪俣選手のフェスタジョーヌは、直前を走るフライング・フレイヤのジルボルフ2号車に行く手を阻まれてペースが上がらない。先頭3台との距離が周回ごとに1秒以上離れていく。その後方では2台のコペンと3台のジルボルフによるバトルが繰り広げられたが、下り区間で安定性が足りないコペンは徐々に置き去りにされていく。序盤は涼川・羽根木・恩田の3選手が抜け出すかたちとなった。


 LAP11

 最長2時間のレース、主催者からの支給ではなく、チームが持ち込んだバッテリーであっても最後までは持たせられないため、途中のピットインが必須とある。

 最初に動いたのは意外にも《フライング・フレイヤ》リーダーの羽根木選手だった。天気の変化と路面状態の改善を見越して、バッテリー交換とともにタイヤを固めのスーパーハードタイヤに変更した。羽根木選手は順位を大きく落とし、フェスタジョーヌの後ろ、5番手でコースに復帰する。


 LAP12~22

 1-2体制を構築した《すーぱーあゆみんミニ四チーム》は、2台で先頭交代を行いながらペースを上げていく。4番手、猪俣選手の指示がうまく働き、5番手、羽根木選手のペースが上がらない。十分なリードを築いた後の21周目、先頭の涼川選手からピットイン。次の周には恩田選手もピットインして1-2体制を堅持。大径タイヤのエアロサンダーショットと、ローハイトタイヤのエアロアバンテ、2台で接近して走行しながら相手の出方をうかがう作戦は、ひとまず機能していた。


 LAP23~40

 レースが進むにつれて路面の雨水は吹き飛ばされ、半分を超えたところでほぼドライの状況となる。5番手でレースを進めていた羽根木選手が、24周目のケメル・ストレートでフェスタジョーヌをパスすると、チームオーダーに従ってジルボルフ2号車から3番手の座を譲り受ける。それを見て涼川選手、恩田選手ともにペースを上げるが、ノーマルコンパウンドのタイヤでは思うようにペースが上がらない。一時は15秒以上の差があった、羽根木選手のジルボルフと恩田選手のエアロアバンテの差は、40周を終えたところで3秒を切るまでになっていた。残りは4周である。


「くっ……タイヤが……」

 奏が見上げるモニターに、エアロアバンテのブルーのボディが映し出される。しかしその背後から、影が立ち上がるがごとくガンメタルのジルボルフが現れる。

 ノーマルコンパウンドのタイヤの寿命はほぼレース半分。だがそれは標準的なペースでレースを進めた場合であって、ライバルやチームメイトの走りによって簡単に縮まってしまう。


「会長……!」


 スタートから前を塞がれていたジルボルフ2号車をようやくパスし、4番手に上がったルナだったが、羽根木選手のジルボルフまでには10秒以上の開きがある。


「ここからじゃ、もうどうにもできません……あゆみちゃん、会長、ごめんなさい……」


 ルナのつぶやきは聞こえていたが、答えずに、奏はじっとモニターを見つめていた。


「ここで何とか食い止めないと、あいつが涼川さんに追いついちゃう」


 小さく息を吸ってから、奏は《バーサス》へコマンドを入力した。


《エアロアバンテ、ペースアップ》

《Copy.》


「会長! 無茶だ! それ以上ペースを上げたらタイヤが終わる!」


 あゆみが叫ぶ。


「要はトップを取らせなきゃいいんだから。もう私にできることはそんなにないみたい」


 エアロアバンテとジルボルフの間隔がやや開いて、下りの区間に入っていく。左右に振られる高速コーナーではグリップが限界に達し、アウト側に車体が滑っていく。その隙をついてジルボルフがオーバーテイクの素振りを見せてくる。


「遊んでるの……? ふざけないでよね!」


 下りきってのシケイン、大きな白煙を上げながらのブレーキング。後ろにつけていたジルボルフはアウトに振ってエアロアバンテを避ける。最終コーナーを立ち上がり、コントロールラインを通過。残りは3周。


「よし、このまま持ちこたえて!」


 ホームストレートの真ん中をエアロアバンテが進む。ジルボルフとの間隔は広がった。しかし、これ以上の激しい走りに、ノーマルタイヤは耐えられなかった。一コーナーのヘアピンへの進入。エアロアバンテは右へのターンインと同時にグリップを失う。


「ダメかっ……!」

「会長!」


 あゆみ、ルナ、たまお、たくみ、全員が同時に声を上げる。スピンしたエアロアバンテは一回転しながら、立ち上る白煙に包まれた。その脇をジルボルフが通り過ぎていく。奏は、2番手の座を明け渡した。

 スーパーハードタイヤのロングライフにものを言わせて、ジルボルフが差を詰める。エアロサンダーショットもペースを上げるが、グリップ不足でコーナーでの踏ん張りがきかない。下りの連続コーナーを終え、最終のシケインを立ち上がった時にはすでにテール・トゥ・ノーズの態勢となっていた。


「あと2周……」


 バイザーの奥、あゆみの表情は険しい。高速の上りコーナー、《オー・ルージュ》を駆けのぼって《ケメル・ストレート》に入る。


「ここで前に出られたら終わりだ! エアロサンダーショット、早めにレコードラインをつぶすんだ!」

《Copy.》


 ストレートエンドのシケインに向けての理想的なライン。エアロサンダーショットは早め早めにラインをふさぎ、ジルボルフをけん制する。ガンメタルの車体がインをうかがうが、シケインの飛び込みで前をとられ、オーバーテイクには至らない。

 下りの高速コーナーでも、エアロサンダーショットは前を走る。最速のラインではないが、相手を封じ込めるための走りが続く。ジルボルフはそのペースに巻き込まれるのを嫌ってか、やや後方に下がる。1秒以下の差で、ファイナルラップに突入した。


「ん? 周回遅れ?」


 ジルボルフに気を取られ、あゆみは前方の確認を忘れていた。

 グリーンの車体とブルーの車体。あたかも双方、肩を取り合って走っているように見える。


「たまお! たくみ!」

「あゆみ……」

「おーい、はやく抜いてってよ」


 すでに2台のコペンとエアロサンダーショットの差は0.5秒以下。ジルボルフを含めて、4台が縦に連なって最後のオー・ルージュを駆けのぼっていく。


「よし、たまお、たくみ、イン側のラインをとれ!」

「えっ?」

「あたしは外を走る! このストレート、3台並んで走るのは無理だ!」

「了解」


 ストレートの入り口、コペン2台が連なって走る。その後ろで十分に加速したエアロサンダーショットは、弾かれるようにアウト側のラインをとった。


「どうだ!」

《それで、勝ったつもり?》


 インカムから、ノイズ交じりの声が聞こえた。


「羽根木、美香!」


《そのつもりはなかったけど、見せてあげるわ。

 Z-TECズィーテック、スタンバイ!》


 美香の声に呼応して、ジルボルフに描かれたオオカミ……いや、白銀の神獣が青白い光を発した。


「これが……Z-TEC……」

「何がおきるの?」

 ジルボルフを追走していた奏、ルナもその光に目を細める。


 ……神々の 黄昏の中 目を覚ます

  天をも喰らう 猛き獣

  いま、すべてを解き放て!


  ファングス・オブ・フェンリル!!


 ジルボルフの車体が、インサイドへ入る。片側の車輪はコース外、芝生の上に落ちているが車体のバランスを崩すことなく加速していく。たまおのコペンRMZのフェンダーがジルボルフに接するが、勢いを止めることはできない。


「させるかっ!」


 たくみのコペンXMZが進路をイン側に寄せるが、それよりも早くジルボルフは前に出た。乱れた気流に足回りを乱され、コペンXMZはバランスを崩す。


「う、うわあっ!」


 エアロサンダーショットに並ぶ間もなくジルボルフはシケインに進入。強力なブレーキングにも関わらず、タイヤはしっかりとグリップして車体をコースに押しとどめている。ついに《フライング・フレイヤ》が《すーぱーあゆみんミニ四チーム》の前に立った。

 既に、《すーぱーあゆみんミニ四チーム》のどのマシンにも、ペースを上げる余力は残っていない。あゆみが呆然としている間に、ジルボルフは3秒以上先行してチェッカーフラッグを受けた。


「くっ……」


 言葉にならない悔しさが、あゆみの中からあふれてくる。


「羽根木さん以外は何とか抑えきれたけれど」


 憔悴した顔で、奏がバイザーを外す。


「それでも、二位、三位、四位じゃ、意味がありません」


 ルナの瞳が涙に揺れている。

 たまお、たくみは深くため息をついたきり、言葉もなく撤収の用意を始めていた。


《すーぱーあゆみんミニ四チーム》の初戦は、ファイナルラップでの逆転負けに終わった。


5

 予選ラウンド初戦の夜。各チームはワカタカドームに隣接するホテルに一泊し、翌朝解散となっている。勝ったチームは祝勝会、負けたチームは反省会をそれぞれ始めていた。

 そんな中、瀬名アイリーンは、最上階にある展望フロアにいた。窓の外には、静かな海が広がっている。海と夜空の境界線を、アイリーンは厳しい顔で見つめていた。


「瀬名、やっぱりここか」


 長い髪の少女が、背後から肩をたたく。


「さっがしたよ~。まあ、ここかな~って思っちゃったけどね~」


 赤いセルフレームの眼鏡が目立つ少女がアイリーンの隣に躍り出る。


「氷室、マンちゃん」

「瀬名っち、外でマンちゃんって呼ばないでくれる?」


 眼鏡の少女、万代尚子は腕を組み、オーバーな動きで不満を伝える。


「まあ、今さら万代ましろなどと改まって呼ぶのも奇妙だ」

「何だよ~じゃあ《らんち》のことも教授って呼ぶぞー」

「私は、それで構わん」

「ぶー」


 長髪の少女、氷室蘭は口元に手を当てて、控えめに笑った。その様子を見て、アイリーンも微笑む。


「二人とも、元気そうでよかった。その分だと、初戦突破ってところね」

「もちろ~ん」

「当然だ」

「そっか……。」


 アイリーンは二人には目を向けず、また窓の外を眺めた。


「Dブロックは日下のチームと森野のチームが勝った。まあ順当だな」

「で、Eブロックは……っと」

「どうなった?」


 アイリーンが急に振り返ったので、尚子は反射的に一歩退く。


「え? どうした?」

「カナガワの、《ナントカあゆみチーム》はどうした?」

「《すーぱーあゆみんミニ四チーム》。ふざけた名前だ」

「結果は知ってるのか?」

「うむ。負けてるな。羽根木が勝ったようだが、ファイナルラップで何とかかわしたってところらしい。しかも二位、三位、四位はその《あゆみん》チームが占めてる」

「へぇ。初出場にしちゃやるじゃん」

「そうか……わかった。ありがとう」


 アイリーンは、大きく息をついた。


「瀬名、その《すーぱーあゆみんミニ四チーム》に何かあるのか?」

「そうだよ~気になる~」

「そのチームのキャプテン、涼川あゆみは……」

「は?」

「何なんだ」

「……いや、なんでもない」

「何だよー!」

「うーん……まあ、話しづらいのなら無理に話すことはない。何といってもカナガワ地区代表ということは、赤井を破ったチームということだ。決勝に上がってきたら色々厄介かもしれない」

「若い芽はつぶしとこう!」

「ブロックが違うから無理だな」

「なんだよーらんち―!」


 ふざける二人につられて、アイリーンも小さく笑った。それでも、胸の奥にあるものが刺激され、うずいているのを確かに感じていた。

 涼川あゆみ。参加全チームのリストを見ていて、その名前に目が留まった。登録されている顔写真を見て、瞬間、息が止まった。

 ヤムラ本社で、風に飛ばされた帽子を捕まえた少女。レーシングカーに囲まれた中で、涼川あゆみに出会ったのは、運命のいたずらなのか、仕組まれた必然なのか。


《パパ……。これは涼川と、涼川あゆみと、戦えってことなの……?》

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