第3話 クロス・システム
1
「カナガワエリア最大級」と貼り紙が出された、テナントビルの最上階。10セットを超えるジャパンカップジュニアサーキット(JCJC)がつなぎ合わされたコースを、二台のミニ四駆が走っている。《バーサス》上ではない。リアルのミニ四駆コースである。
ストレート主体のセクションでは、グリーンのマシンが先行する。テーブルトップを飛び越えて、ねじ込むようにコースを突き進んでいく。しかし着地でスピードが鈍ると、後方からブルーのマシンが追い上げる。コーナーを抜けるたびにその差は縮まり、ついには逆転する。
抜かれたグリーンのマシンは、再び直線で加速し、ドラゴンバックと呼ばれる、ジャンプ台に似たセクションに差し掛かる。軽い動きで宙に浮かんだマシンは、空中で滑るように傾き、コース壁にタイヤを載せてコースアウトする。それを尻目に加速したブルーのマシンは、コース最大の難所である40度のバンクに突入する。が、上り始めでタイヤが空転、パワーをあり余したままゆるゆると滑り落ちる。
「くっ……」
「うひーっ!」
たまおとたくみ、二人の声がシンクロする。一方はシャーシの腹を見せて、一方は坂下でブルブルと震えて、2台のコペンは止まっている。二人はさほど慌てる素振りも見せず、マシンを回収するためにコース内に入った。
「なるほどね」
二人の背中に、するどい声が投げかけられる。マシンを取り上げて振り返った先、声の主はまぶしい茶髪の頭を掻きむしりながら言う。
「こいつは大変だな」
「あーあー、もう、ギャル子ちゃんに言われなくてもわかってるよ」
「自明の、理」
「わりぃわりぃ」
藤沢凛は腕を組んだ。首を回して、ため息をつく。
「しっかし、どっから手をつけたもんかね」
カナガワ地区大会の後、凛とたまお、たくみは「何かあったときのため」として連絡先を交換していた。凛は、いずれ全国大会優勝の報告が来るものだと決めつけていた。が、初戦の翌日に「話したいことがある」と切り出されるのは全くの想定外だった。
「まあ、藁にもすがるってヤツだよねぇ……」
早乙女姉妹は、凛にとってカナガワ地区大会で顔を合わせただけの仲だが、それでも意気消沈しているのはよくわかる。カナガワ地区の予選ではチーム内最下位のタイムとコースアウト。とくにたまおのコペンRMZのクラッシュは、地区大会を通じてもっとも派手なクラッシュだっただけに、凛の印象もひときわ強いものだった。それと対照的に、先頭走者として出走したたくみの印象は、全くない。決勝前のランチで顔を合わせたところからしか記憶は始まらない。
凛のチーム《ショウナンナンバーズ》を下して臨んだ全国大会の予選ラウンド初戦で、早乙女姉妹のコペンは相手チームのエースに周回遅れにされるという結果に終わる。それだけではなく、チームメイトのあゆみ、奏、ルナが優勝こそ逃したものの、僅差の2~4位を占め、マシンのポテンシャル、そしてレーサーの戦略ともに大きな差があることが露呈してしまった。
席に戻ってくる足取りに力はない。気分転換に《バーサス》ではなくリアルに走らせることを提案した凛だったが、それどころでは解決しようもないことは明らかだった。
「まあ、お前らが今どんな感じなのかは大体わかった。で、どうしたいんだ?」
ふたりの気持ちを分かっていたからこそ、あえて凛ははっきりと言った。しかし言葉は返ってこない。
「だいたい決まっるんだろ?」
「……はい」
絞り出すように、たまおが言った。たくみは不貞腐れて、窓の外を眺めている。
「いつだか、あなたに言われたこと。『軽自動車じゃこの先キツい』というのを実感してる」
「ボクはそう思わないけどね!」
「たくみ、邪魔しないで」
「フン!」
「まあまあ……で、どうするんだ? 思い切ってニューマシンにするかい?」
「ん……」
たまおが口ごもる。
「ニューマシン……その方がいいんだろうけど、今から準備して次のラウンドに間に合わせられるか……」
「まあ、そうか。たくみはどうなんだい」
「ボクは、まだコペンに出来ることはまだあると思うんだ。だから簡単に変えるってのは」
「でも二台まとめてジルボルフにあっという間に抜かれたのよ。ジルボルフだけじゃない、あゆみのエアロサンダーショットにも」
「そりゃ、そうだけど……でも、あのコースがコペン向きじゃなかった、ってだけで、次とその次、ボクらでも戦えるコースになるかもしれないじゃん」
「そんなの、わからない」
「はーい、わかったわかかった、わかった!」
向かい合っての怒鳴り合いになり始めたところを、凛は両手で制した。
「何がわかったのさ!」
「……邪魔しないで」
「いやいやいやいやいや、わかったから。お前らが俺を呼んだのはミニ四駆のことじゃなくて、兄弟ゲンカを仲裁してほしいってことなんだな」
「ちがうっ!」
「ちがうっ!」
完全に同時に放たれた二人の言葉に、凛はニヤリとほほ笑んだ。
「よし、じゃあ俺から一つだけ言わせてもらおうか。昔読んだミニ四駆のマンガで同じような場面があってさ、そこに通りがかった博士がこう言うのさ。
《別々に作って、いい方を選んでみてはどうかな》
ってさ。お前らもそうしてみちゃいいんじゃねぇか?」
たまおとたくみは、しばらく顔を見合わせて、凛に向き直ると一つ大きく頷いた。
「はははは! 面白いことになったな! じゃあ一週間後だ! 一週間後にここで結果発表だ! いいな! 以上、解散!」
2
「あれ、早乙女ずは?」
放課後の生徒会室を見回して、あゆみは言った。
「今日からしばらく休ませてほしいって。自分たちなりに準備するから大丈夫、ってたまおちゃん言ってたけど」
「何でしょうね……」
部の備品、そしてルナの私物の《バーサス》端末が机の上に手際よく並べられていく。その脇にはそれぞれのマシンが置かれているが、二台のコペンの姿はない。
「こっちに戻ってきてから、どうにも調子が戻らないみたいだな」
「まあね……同じチームの、しかも涼川さんに周回遅れにされたってのは、さすがにこたえるわよね」
「会長! あたしをそんな害虫かなんかみたいに言わないでくださいよ」
「えっ? 虫?!」
あゆみの言葉を遮って、奏は急に立ち上がる。椅子が勢いよく後ろに倒れた。
「え、ちょっと、涼川さんやめてよ」
「会長……虫がお嫌いなんですか……?」
「あ、いや、そんなことはないわよ。私は、たまおちゃん、たくみちゃんのことを思ってね、思わずね」
「うん、わかった、すみませんでした、会長」
奏の肩に、あゆみが手をのせる。
「以後、気をつけなさい」
震える声でそう言いながら、奏はあゆみの手を払った。
「そういえば、さっき、たまおちゃんに《ホーネット》の事きかれたけど、何だったのかな?」
「《ホーネット》? ミニ四駆のですか?」
「ううん、そっか、ルナちゃんは行ってないんだね」
「行ってない? ミニ四駆のコースがあるんですか?」
「いいえ、私のおじ様がやってる小さなバーなんだけど、ミニ四駆好きが高じて自分で《バーサス》手に入れてお客さんに使わせてる変わったところなのよ」
「でもあんなおっさん一人でやってるところに、わざわざ行くかな?」
「うーん……それにたくみちゃんは別行動みたいだったし」
「二人とも、私たちに見られたくない何かがあるってことかしら……」
三人は腕を組んだ。《バーサス》は起動シークエンスを終えて、スタンバイ状態になっていた。
3
《バーサス》内の時計は、ログインした場所の現地時間に合わせて設定される。日本時間の午後五時。テストコースとして開放されているカタロニア・サーキットの夕日は大きく傾いていた。
ヘッドライトを灯して、一台のGTカーがいく。ロングノーズに描かれたオオカミのイラストレーションが、コーナリングのたびに光を跳ね返し、夕闇の中に姿を現す。全開アタックではなく、感触を確かめるような走り、しかし他のマシンではとても追いつけないペースで周回を重ねていく。
ふと、背後から強い光が浴びせられる。
「ん……来たわね、コペンRMZ」
羽根木美香は《バーサス》を操作して、バックモニターをズーム表示させる。メタリックブルーの車体が、車体を大きく揺らしながらテールに食らいついていている。ジルボルフのバッテリーは残り少ない。美香はペースアップを指示して振り切ろうとするが、コペンが離れる気配はない。だがブレーキングの深さ、加速の鋭さではジルボルフが上回っており、コーナーを抜けるたびに差は広がっていった。
最終のシケイン。どっしりと減速するジルボルフに追突するかのような勢いでコペンが突っ込んでくる。
「あぶなっ!?」
間一髪、ジルボルフはアウト側に避ける。コペンは白煙を上げてコントロールを失い、シケインを直進してコース外で止まった。
「すっごいなぁ……」
ジルボルフはピットロードに入り、走行を終了させる。コペンもスピンターンで向きを変えてピットに入った。
美香の視界に、通信の要求を示すメッセージが表示される。美香は回線を開いた。
「もしもし? 相談事があるって割には、ずいぶんと大胆なご挨拶ですね」
「すみません。こないだからちょっと、行き詰まってて」
「だからって、自分を抜いた相手に相談するって、変わった人ね。早乙女たまおさん」
「いえ……こういうのが、アタイのやり方なんで」
「ふうん」
二人の言葉が止まる。日が落ちたコースに響く排気音は、日中よりも遠くまで届くようだった。
「羽根木さん、アタイたちをまとめて抜いていった技、そのための戦略、どうやったらできるんですか」
「これは、またストレートな」
「すみません」
「まあいいわ。秀美を下して決勝まで上がってきたんだから、それなりの礼儀を払わないとね」
「はい」
「まず技の話。ZTEC(ズィーテック)ね。あれは前のクルマと一秒以内の差になった時に解放される、《バーサス》の裏ワザみたいなものね」
「一秒以内」
「と、それだけじゃなくて条件があるみたい。これは、正直わたしも分かってない」
「……わかりました」
「それと、戦略」
「それです」
「これはまあ、簡単には教えられないけど、ひとつわかったことがあるわ」
「それは」
「あなた、《自分だけで何とかしよう》って思わないことね」
たまおが絶句する。回線はまだつながっていたが、浅い息遣いだけが聞こえてくる。
「……ありがとうございます」
絞り出すような声。
「早乙女さん、無理しないで。それじゃ」
美香は自分から回線を切った。
「ちょっと、余計な事やりすぎたかな」
誰にも見られないところで、美香は舌を出した。
4
深いため息とともに、たまおは《バーサス》のバイザーを外した。端末のロックが外れ、コペンのボディが暗めの照明にさらされる。
カウンター席だけの小さなバー。その店内に似つかわしくない、棚に積まれたパーツの山、《バーサス》システム一式、そして女子中学生の姿。
「ありがとうございました」
たまおは、ノンアルコールカクテルの代金を置いて、スツールから降りた。
虎穴に入らずんば虎子を得ず。たまおの好きな言葉だ。何が自分たちに足りないのか、勝てなかった相手ならば一番よくわかるはず。それがたまおの狙いだった。だが、一番知りたかったこと、この先どうすればいいのか、コペンのままで戦っていけるのか、確かなことはわからなかった。
「はい、どうも」
カウンターの内側、仕込みの作業をしていたマスターが声をかけた。
「いきなり押しかけて、《バーサス》を使わせてもらって、すみません」
「いや、奏ちゃんから話は聞いてたから、気にしないで」
「すみません……」
「そうだ、せっかくだから参加賞だ。そこのパーツから好きなのを何か持っていっていいよ」
「えっ?」
突然の話に、たまおは手にしたバッグを落とした。
「見ての通り、ちと増え過ぎちゃってさ。捨てるのももったいないから、初めてのお客さんにプレゼントしてんのさ」
「そうなんですか、でも」
「ん?」
「ご遠慮します。パーツは自分で買いますので」
言いながら伏せた目を、マスターは見逃さなかった。
「そっか……でもお嬢さんな」
「早乙女、たまおです」
「そう、たまおちゃんな、いつでもピシッと気持ちを張り詰めてても苦しいだけだぞ」
「苦しい……そんなことはないです」
「そうかな? おじさんの目には、たまおちゃんが苦しんでるのが、よーく見えるぞ」
「そんな……」
「責任感が強いのはいいことだ。だけど自分の本当の声から耳を背けちゃいけない」
「本当の、声」
「そう、誰かのためとか、自分がやらなきゃとか、そういうのから離れたら、本当の声が聞けるよ」
「そういうものですか」
「じゃあ、試してみようか。目をつぶって」
突然の言葉に、たまおは眉をひそめたが、マスターの真剣な表情に押されて、そっと目をつぶった。
「そしたら、さっきの棚に手を伸ばしてみてくれ」
「はぁ」
背丈よりも少し高い位置にあった棚。確かな場所は分らないが、視覚に残るイメージに従って手を伸ばした。
指先に、ビニール袋のつややかな感触と、その中にある骨組みのようなものの存在が伝わってくる。五感の一つがふさがれると、のこりの感覚が鋭くなる。
「よし、じゃあそれが、たまおちゃんへのプレゼントだ」
滑り落ちかけたパーツをしっかりつかんで、たまおは目を開けた。
「ボディ……。ボディパーツセット……」
ガンメタルのボディ、なめらかな曲線のエッジが、店内の光を反射した。たまおはしばらく見つめてから、そのパーツをバッグに押し込んだ。
「じゃあね、また来てよ」
マスターに見送られて、たまおは寮への道を走り始めていた。
5
「うーん……」
たくみはホビーショップ「インジャン・ジョー」のミニ四駆コーナーで腕を組み、積み重ねられたキットの箱を凝視していた。一つに手を伸ばそうとして、止める。しばらく間が空き、また手を伸ばして抜き取ろうとするが、途中でとめて押し戻す。
「もー、いい加減いいんじゃねーか」
隣で腕組みした凛が、不満を隠そうともせずに言う。
「そもそもだ。『別々に考えてこい』っていう宿題を出した相手をだ。その翌日に呼び出して一緒に考えてくれってのはどういうことなんだよ」
「ちょっと、いま考えてるんだから」
「お前なぁ……」
凛は頭をかいた。
「どれで迷ってるんだよ」
「うーん……どれか、っていうとどれでもないんだけど、大体決まってるっていうか、うーん……。どう思う?」
「はぁ? 何言ってるんだか全然わかんねーよ!」
「そうだよなぁ……」
「お前、もう一人いないと本当にメンタル弱いんだな」
「う……」
たくみの手が力なく垂れさがる。そして、大きなため息。
「あーもー、しゃあねぇなあ……。シャーシは? 何がいいの?」
「え?」
「消去法だよ。答えてみろ」
「うーん…………」
長い間が空く。凛も口を挟むことなく、答えを待っている。
「ルナ先輩と同じ……MAかな……ひとりでメンテ用のパーツとなくて苦労してるし」
「よし、MAだな。じゃあ次!」
「え、もう?」
「そうだ、次はタイヤだ。大径とローハイト、どっちだ」
「ローハイトって、中径のこと?」
「あー、ややこしいな! 31ミリ径か26ミリ径、どっちなんだ!」
「そうだなぁ……」
再びの、長い沈黙。凛は顔面の神経が引きつっていくのを感じながらも、黙って腕を組んで待っている。
「やっぱり……」
「なんだ」
「あゆみみたいに、大径のバレルタイヤでぶっ飛ばしたいよな……こないだ抜かれたのは直線だったし」
「大径か。じゃあ、決まりだ」
凛は積み重ねられたキットの中から目当ての一つを引き抜くと、たくみに投げてよこした。
「これは……」
「これしかないだろ。そもそも大径バレルがついたMAシャーシのマシンなんて今ねーんだからさ。そのタイヤとホイールで我慢しな」
「これか……」
「なあお前、もうさ、いい加減一人で決めてみろよ。シャーシとタイヤ、聞いたのは俺だけどさ、それに答えたのはお前じゃねーか。だったら、その結論に自信持てよ」
「自信……」
たくみは手にした箱に描かれた、マシンの姿を見た。確かにMAシャーシ。そして足回りは大径、しかも本来であればオプションパーツである大径ローハイトタイヤを装備している。
「よっし、じゃあそのマシンでキッチリ仕上げてこいよ! 俺は腹減ったよ、じゃあな!」
凛はたくみを置いたまま、大股で店を出ていった。
「これが、ボクの、ニューマシン……」
ごくり、と、たまった唾がたくみの喉を通り過ぎた。
6
《バーサス》のネットワークは24時間、常に解放されていて、日本だけでなく世界中のミニ四チューナーが《バーサス》端末を通じてマシンを走らせられるようになっている。それだけでなく、スマホやPCから閲覧モードでログインして、他のチューナーが走らせている様子を見学することもできる。見学者…ギャラリーの多いコースはSNSを通じて熱気が伝わり、有力チューナー同士が並走するとなると、さながら決闘のように衆人環視のもとでレースが行われることとなる。
「今日も早乙女ずは来てないんだな」
あゆみの言葉には力がない。二人が姿を見せなくなってから一週間。寮の部屋を訪ねてもいいのだが、悩んでいるところに押しかけても前向きな力がはたらくとは思えない。あゆみはそう思って、あえて何もしないことを選んでいた。
「会長は何か聞いてないですか?」
「え、あー、そうね、特には何も」
「そ、う、な、ん、で、す、かー?」
会長にルナが詰め寄る。
「へ?」
「先週、《ホーネット》について、たまおちゃんから聞かれたって言ってましたよね」
「うん、別に、場所を教えてあげただけだけど」
「その後、たまおちゃんがひとりで《ホーネット》に行ったの、知ってますよね?」
「え、そうなの? 知らなかった」
「知って……ますよね?」
ルナの瞳の奥に、奏が今まで見たことのない光が灯る。光ではない、黒い点。悠久の歴史の渦に吸い込まれそうな「闇」が、ゆっくりと姿をあらわしていく。
「うわっ、あっ、知ってる、ごめん、知ってた。知ってた」
「ありがとうございます」
「な、何だってー!」
あゆみも会長に詰め寄り、2対1の包囲網を作り上げる。
「で、《ホーネット》に何しに行ったんだ? お酒か? それとも……」
「たまおちゃん……なんで、そんな……」
「もう、ちゃんと話すから二人とも落ち着きなさい!」
奏も、トゥインクル学園中等部生徒会長としての迫力を吹き出して、場の空気を取り戻そうとする。
「あのお店の《バーサス》端末を借りに行ったのよ」
「《バーサス》を?」
あゆみとルナが同時に声を上げる。
「なら、ここにあるのを使えばいいじゃん」
「そういうわけにもいかないみたいよ。なんてったって、たまおちゃんとたくみちゃん、二人で別々に作ることになったらしいから」
奏の言葉を遮って、スマホが振動する。スワイプすると、《バーサス》運営からの通知メッセージだった。ギャラリーが大量に集まっているコースがあるという内容を見て、奏は顔を上げた。
「始まるみたい」
「何がですか」
「たまおちゃんとたくみちゃんの、直接対決」
7
《バーサス》にたまおとたくみ、それぞれがログインする。たまおの端末は《ホーネット》から借りたもの、たくみの端末は店舗に備え付けのもの。そしてジャッジ役として、凛もショウナンナンバーズ所有の端末を持ち込んでログインしている。
「よし、じゃあ約束通り、お前らの作ってきたマシン、どっちにするかを決めさせてもらう。コースは、このメトロポリタンハイウェイ、《サークル1》外回りだ」
メトロポリタンハイウェイ。トーキョーを中心として高密度に入り組む高速道路を再現したコースである。《バーサス》では、より広範囲に広がる
「勝負は一周。ハマサキバシ・ジャンクションから進入して外回り、もう一度ハマサキバシジャクションを抜けて、その先の直線がゴールだ」
「承知」
「わ、わかったやい!」
「じゃあ、お二人さん、マシンを見せてもらおうか」
アスファルトの路面と鉄骨の構造材。そのグラフィックにノイズが走り、カナガワ方面から2台のマシンが走ってくるのが見える。
低く、短く構えたノーズ部分。ガード部分まで回り込んだサイドポンツーン。そしてコクピットの両脇からせりあがったカウリングの後端には、小さな整流フィンが立つ。
ギャラリーのざわつきが、ネットワークを通じても広がっていく。
「なんだって?」
凛が思わず声をあげた。
「早乙女たまお、《デクロス・ワン》!」
「早乙女たくみ、《DCR-01》!」
同じボディをまとった二台のマシンが、スタート地点でゆっくりと止まった。
たまおのデクロスはローハイトタイヤ仕様。ガンメタルのボディにブルーのラインが走る。キャノピーは空力に配慮して閉じられ、ノーズからテールまで一体のラインを描いている。
たくみのデクロスはキット標準の大径ローハイト仕様。ボディはライトスモークのものに変更され、ワンポイントに配されたグリーンが映える。キャノピーは取り払われ、低重心化と冷却性能向上が図られている。
「たくみ、なんでマネしてきたの」
「たま姉こそなんでだよ!」
「なんでっ、アタイは、別に……」
「ボクだって、別にこれじゃなくてもよかったんだよ!」
揚げ足取りの口論が始まりかけた時、《バーサス》に新たなノイズが走った。
「まー、どうせこんなことになるんじゃねーかと思ってたよ。しょうがねー、ルール変更だ」
「藤沢さん!」
「ギャル子は審判だろ! 入ってくるなよ!」
「そーゆーわけにもいかねぇ。だって二人ともデクロスじゃあ、勝負する意味がないからな」
「……確かに」
「たま姉!」
「つーわけで、一周する間に俺のマシンを二人とも抜いたら認めてやるよ!」
「ふーん、どうせまた自慢のエボ子ちゃんが出てくるんだろ」
「果たして、どうかな」
ノイズの中から、一台のマシンが現れる。まず目立つのはオレンジの大径バレルタイヤ。シャーシはパープルのスーパー2。コンパクトなカウルはトップフォースのものだが、キャノピー部分は大きく切り取られ、そこには別のものが鎮座していた。
「ふ、フクロウ?」
「……意外……いや、納得」
「っつーわけで、このフクロウちゃんが相手をさせてもらうぜ」
《ホッホー》
フィギュア付きのミニ四駆が《バーサス》に読み取られると、システム音声はその姿に準じたものに代わる。フクロウはくるくると頭を回転させながら、デクロスの間を通って、一台ぶん前方に止まった。
「よし、じゃあ始めるぞ! スタート・ユア・モーター!」
《Copy.》
《ホッホー》
スクリーン上に、通常のサーキットと同様のスタートシグナルが現れ、すべてが赤く光った。
……《自分だけで何とかしよう》って思わないことね……
たまおの頭に、美香の言葉がよみがえる。
……もうさ、いい加減一人で決めてみろよ……
たくみの胸を、凛の言葉が締め付ける。
シグナル、ブラックアウト。デクロス2台の反応は遅れ、フクロウは派手なホイールスピンをしながら発進した。ハマサキバシ・ジャクションを左に折れて、《サークル1》に入る。
●ハマサキバシ~イチノハシ
先頭を走るフクロウのタイヤは大径バレルのハードタイプ。路面状況が決してよくない《サークル1》との相性は悪い。凛はそれを逆手にとって、ドリフト気味にコーナーを抜ける作戦をとった。直後にたまお、さらにさらにたくみが続くが、インに傾いてコーナリングするフクロウとの距離を縮められない。最初の勝負所、イチノハシ・ジャンクションの右コーナーでも、スライドしながら進むフクロウが先頭を譲らない。
●イチノハシ~タニマチ~ミヤケザカ
トンネルが続くセクション、道幅が狭くなり3台は一列で走行する。2台のデクロスは、加速、最高速ともフクロウを上回るポテンシャルがあるにも関わらず、コース特性から前に出ることができない。タニマチ・ジャクションを過ぎてから上り坂。ペースが鈍ったフクロウに、ローハイト仕様の加速力を活かしてたまおが並びかける。しかし前に出ようとした時に次のコーナーが現れ、フクロウがノーズを先に突っ込んでしまう。間隔が詰まり、たくみのデクロスが急ブレーキを強いられる。デクロス同士が軽く接触する間に、フクロウはリードを広げてゆく。
●ミヤケザカ~タケバシ~エドバシ
緩やかなコーナーが続くセクションに入り、たくみのデクロスがトップスピードにものを言わせてたまおの前に出る。路面のねじれ、うねりをしなやかにこなしながら、フクロウの背後につく。しかし、二車線道路の中央付近に陣取ったフクロウは、わずかの動きでたくみをけん制してみせる。ペースアップしようにも左右から迫る壁のプレッシャーが強く、車体を並べるにはいたらない。右に大きく曲がるエドバシ・ジャンクションの一車線区間でも前を抑えられ、残りは3キロ余りとなった。
「どうする、たま姉!」
たくみが叫ぶ。
「どうするって、アタイに聞かないでよ」
「そんなこと言ったって、今はそんな場合じゃないだろ!」
キョーバシまでの区間は一時的に三車線になる。パワーで勝るデクロスにとって、このセクションは唯一全開にできる場所である。たくみの動きを先読みして、フクロウがじわじわと左側に進路を変えていく。大きな下り坂、勢いをつけていきたいところだが、二台のデクロスは目立った動きをする気配がない。
「おーらっ、どうした! またイチからやり直してぇのか!」
「たま姉!」
たまおの頭に、凛の声とたくみの声が響き渡る。このチクチクした痛みに身を任せてしまえば、どんなに楽だろう。たとえ失敗したとしても、いくらでも言い訳はきく。
……誰かのためとか、自分がやらなきゃとか、そういうのから離れたら、本当の声が聞けるよ……
そうだ。ここで何かを変えなくちゃ、いつまでも同じ。
アタイは、物分かりのいい、物静かなお姉さんじゃない。流れに身を任せて、ゆったりと、マシンに任せて走り続けていたいんだ。
「た……たまお!」
たくみが叫んだ。
「たまお、ボク、先に行くから!」
「たくみ……」
そうか。変わろうとしていたのは、たくみも同じだったんだ。偶然、わずかな差で産声をあげるのが遅かっただけで、アタイに何もかも遠慮してきたのだろうか。アタイの言う事に逆らわず、元気な妹でいることが、たくみにとって生きていくすべだったのだろうか。
「たくみの好きにしな」
「たまね、た、たまお……」
勢いで解禁してしまった呼び方に、お互い戸惑う。
「アタイも、好きにするから」
壁際に追い込まれたたくみのデクロスが、グン、と一段強く加速する。
「おっ、来たな! いいぞ! やってみせろ!」
大径のホイール同士が接触し、火花が飛び散り、アスファルトで跳ねる。逆サイドから、たまおのデクロスも距離を詰めていく。三台のタイム差は一秒とない。横並びになったままキョーバシに差し掛かる。ここから先は再び二車線に狭まる。
「たまお!」
「任せた!」
ガンメタルの車体が後ろに下がり、たくみのデクロスとフクロウが並走する。一歩も譲ることのないバトルに、ネットワークのオーディエンスも沸騰する。
「会長、これ、どうなっゃうんでしょう?」
「《サークル1》のこの部分は、もともと川だったところを道路にしてる。この先二か所、橋脚が真ん中に立ってるところがあるわ」
「そこが、勝負どころってわけだな……くーっ、おっもしろいじゃん!」
奏のスマホの画面を、三人は押し合いながら見つめていた。画面スミに表示された残り距離の表示は、いよいよ2キロになろうとしている。
最初の橋脚が目前に迫る。逃げ場のない前の2台は、そのままの位置取りで突っ込む。
「このままじゃ、きつい方を通らされる!」
「大丈夫、そのまま行って!」
たまおはフクロウの背後について、わずかな隙を見出そうする。しかしストレートで勢いにのったフクロウの勢いは止まる気配がない。
橋の下をくぐる。トンネルよりも狭い、身動きできない瞬間が過ぎると、登りながらのタイトなコーナー。イン側のたくみは僅かなブレーキングを強いられ、フクロウと、たまおの先行を許してしまう。
「おーい、もう残りがねーぞー」
凛の声は、たまおの耳にも、たくみの耳にも届いていなかった。相手の出方をトリックでかわそうとしても、もう難しい。次の橋脚で、一気に前に出るしかない。言葉に出さなくとも、たまおとたくみ、二人が出した結論は、それぞれ好きなように走った末の答えは同じだった。
「いくよ、たくみ」
「わかった、たまお」
数十秒の間に、二人は冷静さを取り戻していた。それぞれ別のやり方を選んだはずなのに、結局同じことをしている。むしろ違う風にしようとすればするほど、同じ答えが見えてくる。
たくみの口元が緩んだ。楽しい、と思った。追い詰められているはずの瞬間を、楽しんでいる自分に気が付いた。すべてが心地よい、あたたかな感触に包まれていた。
たまおのデクロスが車線を変える。鋭い加速でフクロウに並び、たくみを引っ張る格好になる。二台のシルエットが重なった時、ボディに走る白いラインがまばゆい光を放った。
《ホホホホホー!》
「おい、コラッ、前を見ろ!」
フクロウが光に驚いて、ステアリング操作を誤る。その脇を、二台のデクロスがひとつながりになって加速していく。ガンメタルのボディとライトスモークのボディが、その中で溶け合うように、一つのマシンのように、加速と最高速のピークを迎えながら、ギンザの橋脚の下をくぐっていく。
「クロス、システム!!」
二人の声が重なり、《バーサス》に響く。そして二台のデクロスは、フクロウの前に立った。
「やられた、な」
凛がスピードを緩めさせる一方で、たまおとたくみはなおもサイド・バイ・サイドの状態を続けていた。すでに光は消えて、それぞれのマシンに戻っている。二台はコーナーを抜けるたび、そこから再加速するたびにバンパー一本の差を交換しながら、最後のセクションを突き進んでいく。
上り坂、加速に勝るたまおのデクロスが前に出たところで、ゴールが見えた。
「このままっ!」
たまおが、力強く声をあげる。
「させないよっ!」
たまおの声からは、いつしか焦りが消えていた。
二台はもつれるようにして、ゴールラインを通り過ぎた。
8
「同着……」
そんなことがあるのか。瀬名アイリーンはひとり厳しい表情を浮かべて、《バーサス》に接続したPCを眺めていた。と、デスクの隅でスマホが震え始める。アイリーンは手に取って、画面をスワイプした。
「瀬名、《バーサス》の《サークル1》、見てただろ」
「教授も見てたんだね」
「当然だろ。実に興味深い。貴重なサンプルだよ」
「そうだな」
「なんだ、面白くなかったのか」
「いや、そうじゃないけどね……」
「じゃあ、何なんだ? 瀬名が怖気づくなんて珍しいな」
「いや、そうじゃないよ。ただ、何だろう。あいつらの、《すーぱーあゆみんミニ四チーム》、この先どうなっていくのかわからないな」
「そうだな。でも、レースはそんなにのんびりやってるわけじゃない。たとえどんだけポテンシャルがあっても、レースで出せなきゃ意味はない」
「うん……」
「まあ、深く考えるな。ビギナーズラックというやつだ。私たちは今まで通りにやっていこう。その中で、お前との決着もつけるからな」
「はいはい、それじゃ」
アイリーンは、スマホの通話を終わらせた。《サークル1》が通常の運用に戻っていく様子が、画面に表示されている。様々な形状、カラーリングのマシンがコースに散っていく。
……なんだろう、この、落ち着かない感じは……
アイリーンはデスクから離れて、ベッドに身体を投げ出した。
9
「しっかし、さっきの《クロス・システム》って何だったんだ?」
《バーサス》を片付けながら、凛が聞く。
「わからない」
「何だろうな、気が付いたら言ってた」
たくみとたまおはお互いを見て、首をかしげる。
「まー、何にせよ、デクロス2台が加わったら、お前らのチームもけっこーやれるようになるはずだ」
凛は二人の肩をたたいた。
「頼むぜ。俺だって、あの全国の、すげー雰囲気のなかでやりたかったんだからさ」
「藤沢さん……」
意外な言葉に反応できないたまおの頭を、凛は平手でポンと叩いた。
「よーし、じゃあお前らの関係修復を祝して、握手でも」
「やーだーよ!」
「そんなさー、こういうのは最後の締めが大事なんだよ」
「断る」
「おいおい、つれねーなー! こう、ギューッといったらいいじゃん」
「やだ」
「ぜったいやらねー」
三人のじゃれ合いは、しばらく続くこととなる。が、まだ、たまおの《バーサス》はログインしたままで、会話のすべてがネットワーク上に拡散していることに、誰も気づいてはいなかった。
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