静穏2

 アリスはハインツを連れて、王国軍と魔王軍の戦った戦場に降り立っていた。

 既に戦いは終わっており、死屍累々。魔王軍もそれなりに損害はあったため、動けるものはパラケルススのもとへと移動している。過度な負傷者は抱えられたり、魔術が使えるものに運搬されたりしていた。

 ルーシーが設置した巨大な〈転移門〉を通り抜け、魔王軍兵士達はパラケルススのもとへと向かう。

 今頃パラケルススは大忙しだろう。


 アリスはヨース夫妻の前にやって来ていた。

 既にエキドナとの隷属契約を結んでおり、エキドナのさらに上の存在であるアリスには歯向かえない状態だ。

 歯向かったところで、アリスに勝てるはずもないのだが。


「主人は誰かな?」

「…………エキドナ、様です」

「よろしい」


 ブライアンは苦虫を噛み潰したような表情をする。酷く不快なのだろう。

 その反抗的な様子が残るブライアンを見たものの、アリスは何も咎めない。心でアリスには歯向かっていたとしても、実際に危害を加えることは出来ないのだ。


 アリスはハインツの方へと視線を送ると、今後の方針について軽く喋った。

 内容は、エキドナのことについて。


「パルドウィンはこのまま、エキドナに任せるよ」

「承知いたしましたッッ! エキドナがおらずとも、アリス様の大切な城を、エンプティ共々守護して参ります!」

「よろしくね~」


 国の管理者について片付いたが、目の前の兵士達がまだ残っている。

 仕方なく集められた数少ない生存者達。アリスを訝しげな瞳で見つめており、その視線にはアリスに対する礼儀も、忠誠もありはしない。

 その様子はアリスにとっても、幹部にとっても不快なものだ。

 もちろん、彼らにとっては魔王に屈服するなんてことこそが、不快なことだろう。

 だがアリスたちにとっては、己と戦いをして負けた者達。従わないのならば、それ相応に罰を与える事ができる。

 アリスはわざとらしく声を上げた。


「はてさて、人間の兵士はどれくらい残ったかな?」

「一割ほどだと認識しておりますッ!」

「そっか」


 生き残りが殆ど残っていないことに、口の端を緩やかに上げた。

 それは、魔王軍がきちんと育成されていたこと、ハインツがしっかり仕事を果たしたこと、結局人間は魔族に勝てないということを喜んでいたのだ。

 死んでしまった魔王軍は可哀想だが、それの道連れに九割ほどもの王国軍を地獄に連れ込んだと思えば、十分だ。彼らは予想以上に、働きを見せてくれた。


 アリスが生き残りについてハインツに尋ねれば、それを聞いていたブライアンは青ざめていく。

 非道な魔王であるアリスが、何をしでかすのか不安になったのだ。


「……ま、まさか、生き残りも殺す――のですか」

「ん? いいや。私は優しいからね。私に忠誠を誓うように教えてあげるだけさ」


 その言葉に、ブライアンは一瞬だけ安心した。そう、ほんの一瞬だけ。

 アリスが言葉を放った次の瞬間、彼女は指を鳴らした。

 パチンと森の中に彼女のフィンガースナップが響き渡れば、ブライアンの後方に位置していた兵士達全員が炎に包まれた。

 全体を包み込む巨大な炎ではない。それは器用に、兵士一人一人を燃やしていた。


「!?」

「ぃぎゃぁあぁ!」

「あぁぁぁ!」


 突如として巻き起こされた暴挙に、ブライアンは反論する暇さえなかった。

 連れてきていた兵士の生き残りは、詠唱すら無い――知りもしない炎の魔術で焼かれている。ブライアンの耳には、そんな兵士達の苦痛の声が届いている。

 ブライアンは、一瞬でも目の前の女を信じてしまったことを悔やんだ。彼女が何を言おうとも、魔王であることには変わりないのに。


「何を……!」

「〈ホールド・ユー・タイト〉」


 ブライアンが口を開くと、今度はパラケルススのスキル〈ホールド・ユー・タイト〉を発動した。

 これは全体に付与する回復スキルであり、仲間や味方の体力値を半分ほどまで回復してくれる優れものだ。広範囲に及ぶこのスキルは、広い戦場で役に立つものだった。


 当然だが幹部が所持しているスキルであるため、効果が〝広範囲微量回復〟程度のみで済むわけがない。

 このスキルは、敵対する勢力の体力を、削る毒を付与することも出来る。仲間であればスキル継続中は持続的に回復し、効果範囲内に存在する敵勢力は、命が削られていくということだ。

 アリスは兵士達に毒の付与を確認すると、魔術を展開した。


「ふむ、〈完全パーフェクト・解毒デトックス〉」

「一体、なにを……されているのですか……」

「うん? そうだねぇ……」


 未だ理解の出来ていないブライアンに答えるように、アリスはふわりと浮遊した。

 その場にいる誰もが見える場所へと飛んでいけば、演説を始める。


「ここにいる兵士共。私に忠誠を誓えば、この苦しみから解放してあげよう。ただし少しでも敵意や殺意を抱けば――」


 ぱちんっ、と指を鳴らす。再び兵士達に、炎が襲う。

 だが〈ホールド・ユー・タイト〉の範囲内にいるため、その炎はすぐに消え去っていく。

 まだ理解出来ていない兵士達は、己の中に敵対心が存在する。〈ホールド・ユー・タイト〉による毒付与があるのを見れば、アリスはまた解毒魔術を使う。

 まるで命を弄ぶかのように、アリスはそれを何度も何度も行っていく。


「繰り返すだけだ」


 森の中にフィンガースナップの音、炎。回復し、毒を付与され、解毒される。二回、三回、五回……。

 アリスの魔術は延々と続く。彼女の魔力は、ルーシーのスキルによって回復し続けているので、どんなにランクの高い魔術でも何度も使うことが出来る。

 兵士達はそれを知らない。

 しかし、今こうして身をもって体験すれば、分かるだろう。自分のなかに、アリスを敬う心がなければ、一生続く行為なのだと。


「あ、アリス様バンザイ!」


 兵士の中の誰かが、そう声を上げた。

 タイミングがよかったのか、周りはシンとしていた。その男の声だけが森の中に響いている。

 誰もその声を咎めることはなかった。それどころか、自分も自分もと声を荒らげていく。


「ば、万歳……」

「アリス様!」

「魔王陛下万歳! アリス様!」


 もはやアリスのフィンガースナップの音が聞こえないほど、森は賑わいを見せている。

 アリスにどれだけ媚びようとも、彼女は兵士を燃やすのをやめない。〈ホールド・ユー・タイト〉の効果によって、彼らの中に忠誠心の有無が分かるのだ。

 口ではなんとでも言えるため、彼女はスキルの毒付与でそれらを判断していた。


 だからアリスは、再び指を鳴らす。

 兵士達も、二度とこんな思いをしたくないと、喉が潰れるほどの大声で叫ぶ。


「ぅ、ば、ばんぁ゛い、ばんざい!」

「ばんざぁい!」

「うぅうぁ……」


 十数回目、何度目か覚えていない頃。

 アリスが指を慣らして、炎で兵士達を燃やす。〈ホールド・ユー・タイト〉が彼らを癒やした際に、毒の付与が見られなかった。


「お、効いたかな? これで暫く様子を見ようか」

「そうですねッ! 再び敵意が現れるようならば、また行えばよいことですッ!」


 ブライアンは反論する声も出なかった。唖然とした表情で、ただ焼かれていくだけの部下を見つめているだけだ。

 隣に座っているノエリアは涙を流していた。ここまでむごいことを、どうして出来るのだろうか、と。

 アリスは歯向かう相手が誰であろうと、人の命を命と思っていないのだ。彼らはようやっと理解したのだ。


「それじゃあ、なるべく一箇所に固まってくれる?」


 反抗的な態度を見せつけてはいけないと理解した兵士達は、ゾロゾロと移動をはじめた。

 アリスはその間、ハインツの横へと戻っていった。

 腐っても兵士であるゆえに、動きは機敏だった。アリスの命令を受けて、一分もしないうちにぎゅうぎゅうに固まっている。

 その表情は不安でいっぱいだった。しかしここで文句でも言ってしまえば、またあの苦痛がある。

 そう思うと、兵士達は素直に従う他無いのだ。


「……一体、何をするおつもりですか」

「ん? まあまあ見てて」


 ブライアンがそう聞けば、アリスは軽く手を上げた。百聞は一見にしかずと言うかのように、彼女は魔術を発動する。

 詠唱も魔術名を唱えることもなかったが、魔術は展開される。

 そのことにブライアンはもう驚きもしない。次元の違う存在なのだと、納得していたから。


 アリスが手を上げて発動した魔術は、一瞬にして森を元通りにした。

 炎の攻撃によって焼けていた木々は再び青々と茂り始め、草花がさわさわとそよぎだす。崩れていた地面も復活し、踏みやすいやわらかな土へと戻った。


「なっ……」

「散り散りになってると巻き込んじゃうからねえ。せっかく生かしてあげたんだから、すぐ殺すのは可哀想でしょ」

(森が一瞬で……!? ば、化け物……)


 ブライアンにはもう、彼女に対抗する――勝利をする未来が見えなかった。

 あっという間に土地をもとに戻せる、創り変える力を持っている者に、どうやって対抗するのだろう。

 魔術に詳しいブライアンならば、彼女の扱った魔術は神の領域なのだと分かった。文献でしか読んだことのないような、遥か遠い高みの場所にある力。

 人間では到底たどり着くことのできない、その高みに、彼女は到達しているのだ。


 その神が愛と平和の女神なのか、死と混沌の邪神なのか。誰が聞いてもそれはハッキリしている。

 前者であっても後者であっても、人間たるパルドウィンの軍が彼女に勝てるはずがないのだ。ようやく、ブライアンはそれを飲み込んだ。

 この戦いは、最初から負け戦だったのだ。


 項垂れているブライアンをよそに、アリスはエキドナへと声をかける。

 この後ブライアンやパルドウィンと、直接かつ深く関わっていくのは、管理者であるエキドナだ。

 彼女はこれから、パルドウィン王国軍を引き連れて、王国へと渡る。

 もちろん、王国軍だけで帰国させ、エキドナが転移することも可能だ。

 ブライアンの戦意は完全に失われたとは言え――監視という面でも、同じ船で向かったほうが抑止力になる。だからエキドナは、王国軍とともにパルドウィンへ向かうのだ。


「エキドナは準備ができ次第、パルドウィン軍を連れて王国へ向かうように。サポーターは必要?」

「いいえ……。ヨース夫妻にお任せしますわ……」

「分かった。王国までの航路は、気を付けてね。定時連絡を忘れずに」

「勿論でございます……」


 エキドナは美しい動きで、アリスにお辞儀を見せる。

 ブライアンとノエリアを連れて、未だ固まっている兵士の元へと向かっていった。


「おわったー! みんな、凱旋だよ~!」

「えぇ、帰りましょう、アリス様」


 こうして、アリスの魔王軍と、パルドウィンの勇者の戦いは終わりを告げたのだった。

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