同じ?

「ひゅ、りあな……?」

「……ぅ、お、り……ばー……くん?」


 記憶の中の、ユリアナと何もかもが違っていた。

 何日も風呂に入っていない肌は汚く、異臭を放っている。その異臭は拷問によるものも大きいのだが、オリヴァーはそんな事知るはずもない。

 瀕死に至るほどの拷問を何度も行われ、治癒魔術を付与されては再び拷問される。

 時折、パラケルススのホムンクルス生成のために、頭髪から始まり、皮膚、肉片、剥がした爪などが奪われる。激しい苦痛に襲われているユリアナに降りかかるのは、治癒魔術。

 この感動の再会のために、アリスはユリアナに死を許さなかった。


「わあ、感動のご対面だ! 涙が止まらない! エンプティ、見て見て!」

「瀕死の芋虫のつがいが這いつくばって、素晴らしいですね♡」


 アリスは子供のように無邪気に喜んでいる。嬉しそうに笑顔を作る様は、エンプティにとっても嬉しいこと。

 みてみて、とアリスに言われるが、エンプティが見ているのは感動の再会シーンではなく――アリスただ一人。

 転がる満身創痍の瀕死のカップルなどどうでもよく、それに歓喜している主人のほうが、彼女にとっては今一番見たいものなのだから。


「ヒュ、ユリアナ、ユリアナ……!」

「オリヴァーくん……!」


 かくいうオリヴァーとユリアナは、残り少ない体力で、必死に体を這わせていた。四肢が言うことを聞かない二人は、ズリズリと醜い音を立てて床を這う。

 血の跡が床について、僅かな力を振り絞って移動している。少しでも愛する者の近くに向かいたいという、強い気持ちがゆえに。

 その必死に藻掻くさまは、アリスにとっては楽しい見世物だ。死を目の前にして足掻こうとする。

 勇者であろうが大魔術師であろうが、結局は圧倒的力の前では、ただの人間に変わりないことを教えてくれる。


 アリスはこの〝感動的な場面〟を記録しようと思った。疲れたときに見返して、元気を出すために。

 膨大にあるこの世界の知識を処理しきれていない彼女は、大量の魔術の中に、そういった機能のある魔術がないか探し始めた。


「えぇっと、ちょ、ちょっと待って。これを記録したいのに……魔術はあったかな? 待ってね……」


 うーんうーん、と唸りながら、アリスは頭のなかを探している。

 興奮で焦っているのか、いつもよりも手際が悪い。魔術は簡単に見つからない。

 目の前で起きている出来事を見続けていたいという気持ちが、更に魔術を探す時間を取らせている。





 そんな狂気的なアリスを気にする暇もないオリヴァーとユリアナは、二人の世界――ではなく、この世界を救うために動いていた。

 ユリアナは震える手を、オリヴァーの方へと差し出す。節々から筋肉、細胞に至る全てが苦痛を訴えていたが、それでもやめなかった。

 ユリアナがわずかに残っている魔力を、指先に集中させる。通常ならば瞬時に行き渡るはずの魔力は、じわりじわりと時間をかけて、指先へと流れていく。

 彼女は全ての魔力を、オリヴァーへ譲渡しようとしていた。少しでも魔力があれば、オリヴァーは回復魔術を扱える。

 一矢を報いることくらいは出来るはず、そう考えた。


「オリヴァーくん……私の、魔力を、受け取ってください……」

「なに、を……」

「全て奪えば、あの女に反撃くらいは出来ます」

「だけど! 君が……っ!」

「いいんです」


 ユリアナのその瞳は、覚悟が宿った瞳だった。

 死ぬことが分かっていてもなお、己の〝勇者の仲間〟という意味を全うしようとしている。

 そして何よりも、愛するオリヴァーのために、最期の最期まで足掻こうとしているのだ。


 ――オリヴァーは優しい。

 ユリアナもそれをよく知っている。そこが大好きなところでもあった。

 だから命と引き換えに得る魔力は、きっと受け取るのを渋るだろう。ゆえに、ユリアナには絶対な覚悟が必要だった。

 オリヴァーから拒否の言葉を引き出さないくらいに、覚悟を決めた目が。


「……ユリアナ、感謝する……っ!」

「はい……!」


 震える声、涙で濡れる顔。オリヴァーは綺麗とは言い難い姿だった。だが取り繕っている暇など無い。

 心からの感謝を述べて、ユリアナの伸ばしている指先に触れようと、オリヴァーも手を出す。

 ユリアナの笑顔は、生きている中で見た――最も美しい笑顔だった。

 たとえ彼女が食事を食べず、死にかけたガリガリの体であっても。あの頃の可愛らしいユリアナの、影もない風貌であっても――一番、美しい顔だった。


 指は、あと数センチ。


「……………………………え? ユリ……アナ……?」

「ぁ゛……、おり……?」


 ドスリ、と無慈悲な音がして、ユリアナの体を貫く。

 彼女の倒れていた床の石材が、無数の太い針に変化していた。それぞれが直径五センチ、長さ一メートルもあだろう、その針。

 ユリアナの腹、足、腕、首、頭部に至るまで――彼女を貫いていた。

 あと数センチで触れ合うはずの指先は、針によって押し上げられたことで、少し高い場所にあった。もう倒れているオリヴァーから、届くはずのない距離だ。


 ボタボタと、ユリアナの中に残っている微かな血液が床を染める。針に伝う赤は、オリヴァーの視界にも捉えられている。

 全身を串刺しにされた人間が、無事で済まされるはずがない。ユリアナは最期の言葉も告げられぬまま、息絶えた。


「ユリアナァアーーーッッ!!!!」

「困るよぉ、こっちは録画したかったのに」

「お前、お前……!」


 オリヴァーはふらふらと、立ち上がった。彼の体の状態を考えれば、這うことすら酷い苦痛を強いるはず。

 けれどオリヴァーは体にムチを打って――ではない。

 彼の体は、驚くほどの速さで回復をしていた。折れていた骨はもとに戻り始め、口の中も、頭の中も、じわじわと治癒されていく。

 火事場の馬鹿力とでも形容するべきだろうか。オリヴァーにも知り得なかった、最後の最後で見せた抵抗。

 それはまさしく、魔王に立ち向かう勇者に与えられた特権とも言えた。


「うわっ! す、すごい! エンプティ! 立ってるよ、見て見て!」

「ふふっ、まだ醜くも足掻こうとするのですね~♡」


 そんなことすら感動し、喜びになってしまうアリス。

 エンプティは喜んでいる主人に同調しつつ、〈万物オールマイティ・形状変化トランスフォーム〉で腕の形を変えた。残酷なまでによく研ぎ澄まされた、剣の形をしている。

 そして未だ回復を続けるオリヴァーの方へと飛び出せば、慈悲も躊躇いもなく、彼の片足を切った。


「いぎっ!? ぎ、ぁあぁ!」


 せっかく万全な状態へと戻っていたオリヴァーだったが、エンプティの切断攻撃によって虚しく終わる。

 バランスを崩して前のめりに倒れ、受け身もまともに取れぬまま、ベチャリと床に突っ伏した。

 エンプティは切り落とした片足を、再び回復によってくっつかないようにと、遠くへ蹴る。

 血液の軌跡を残して、ゴロゴロと転がっていくオリヴァーの足。ひとりでに動くこともなく、ある程度転がれば動きを止めた。


「あっ、こら!」

「アリス様。私は先にお伝えしましたよ?」


 反撃してくる様子が見られるならば、こちらで対処をすると、間違いなく先程言っていた。

 エンプティは言ったとおりに、きちんと仕事をこなしただけだ。主人であるアリスの身を案じる部下ならば当然。

 アリスもそれを聞いたのを覚えているし、自分も了承の返事をしていた。だから彼女を責めるつもりはない。

 しかしまだまだ〝遊び足りない〟アリスには、ここで殺してしまうのはもったいない。


「うぅー、わかったよ。じゃあ最期にちょっとだけ……」

「ええ」


 エンプティは腕の形を元に戻さず、じっとアリスとオリヴァーを見つめている。何かあった場合に、即座に対応できるよう、気を張り詰めているのだ。

 アリスもその視線を感じていたので、失敗はしないよう慎重に事を運ぶ。興奮して調子に乗らぬよう、気を付けている。


「オリヴァーくん」

「……ぐ、うぅうぁ……」

「答え合わせしよっか」


 アリスはオリヴァーのもとへとしゃがむ。口調はまるで、幼い子供に言い聞かせているようだ。

 彼に合わせているのではなく、勇者を馬鹿にしている発言であった。だがオリヴァーは、片足を奪われた苦痛でそれどころではない。

 せっかく運良く発動した回復力は、あれきりだったのか。もう一度くらい頑張ってほしいものだ、とアリスは悲しげに思う。


「君達の最高レベルは199でしょう? 私達は幹部も含めて、200レベルなんだ。一生足掻いてもたどり着けない。1の高みというものは、ここまで差をつけるみたいだねぇ」

「……う、そだ……」

「あはは。最後まで信じてくれないの。まぁいいよ。それと死に際に悪いけど、紹介してあげよう」


 アリスは慣れた操作で魔術・〈転移門〉を発動した。大勢が通るような門ではなく、部屋のドア程度の小型のものだった。人間一人が通れるサイズだ。

 ギギギと気味の悪い音を立てて、ゆっくりと扉が開いていく。

 靴音を立てて現れたのは、背丈の低い人間――少年だ。年端も行かぬその子供は、異様な見た目をしていた。


 左目は白目と黒目が反転した、まるでアリスのような瞳。反対に右目は吸い込まれるような青色――ユリアナと同じ色。

 髪色は〝父親〟によく似た黒髪で、サラリと流れるそれは、よく手入れが行き届いているのだと分かった。

 オリヴァーはそんな少年に、既視感を覚えていた。だがその理由は、理解できていなかった。


「なん……」

「ヒントをあげよう。ユリアナちゃんの腹の中にいた――あ、これは答えかな?」

「き、さ、貴様ァアァアア!!!!!!!!」

「うおっと」


 アリスから少年・リーベについての答えを聞かされれば、オリヴァーは怒り狂う。

 覚醒したかのように立ち上がると、アリスに立ち向かってきた。

 エンプティが切り落としたはずの片足は、もとに戻っている。その怒りの影響なのか、体の中の魔力を無理に使って、異常なまでの回復を見せていた。

 流石にもう一度戦う回復力があるとは思わず、アリスは驚いている。だがそれを上回る感動が、彼女に押し寄せていた。


「うわぁ! すごいすごい! あはははっ、勇者みたい――って、勇者か!」

「あぁあアぁああァ!!!!!」


 アリスはその乱暴に振るわれた拳を、わざと受ける。ドスンという重たい音が体に響いて、ダメージが通る。

 だが瞬時に、エキドナの常時超回復スキルによって、ダメージは消え去ってしまった。

 何よりも、強大な攻撃を受けた際に発動する別スキルが、発動しなかった。体力値の半分を削る攻撃を受けた際、自動で適用されるものだった。

 オリヴァーの攻撃は、その程度だということ。


 虚しさを覚えて、彼女が視界の端に目をやる。そこに捉えたのは、エンプティだ。

 既に腕はもとに戻っており、ただ戦いが終わるのを待っている。

 オリヴァーが攻撃してきた際に、邪魔をしてこなかった。エンプティはオリヴァーにはもう戦闘を続けられる力が残ってないと、察していたのだろう。


(……――! ……そっか)


 アリスは悲しげに微笑んだ。

 その悲しさは、同情によるものなのか。それとも、もう動かなくなった玩具を惜しむものなのか。

 どちらにせよ、この世界の最高峰である勇者が、アリスに立ち向かうべき力を失ってしまったのは確かだった。

 これ以上長引かせるのは、オリヴァーの体にとっても苦しみを増やすだけ。

 それならば、もう楽にしてあげるべきなのだ。それが魔王としての、使命でもある。


「殺す殺す殺すころすコロス、魔王ォオオー!!!!」

「可哀想に。今その勇者という束縛から、解放してあげようね」


 アリスは再び飛び込んできたオリヴァーを、そっと抱きしめた。優しく母のような抱擁であったが、その力は圧倒的で、腕の中のオリヴァーを逃がすことなど無い。


「なっ、やめろ! 離せ!」


 当然だが、嫌悪しか無いアリスの腕に抱かれれば、オリヴァーは必死に身を捩り抵抗をする。

 ジタバタと手足を動かして、どうにかしてこの腕の中から逃げようともがいている。アリスの頭を叩き、髪を引っ張って、肩や背中を殴って引っ掻く。

 何をしようともアリスはびくともせず、そこに佇んでいる。


「――ヒッ!?」


 アリスに触れている部分が、まるで沼地や水に触れたような感覚に陥る。ズブズブという気持ちの悪い音がして見てみれば、体の一部がアリスの中へと沈み込んでいた。

 すでにオリヴァーの膝まで飲み込んでいるアリスの体。痛みも何も感じないが、失われた体の箇所が、繋がっているという感覚もない。


「なんっ、なんだ、これ……!?」

「大丈夫大丈夫、痛みも苦しみも何もない」

「くそっ、おま、おまえ! 何をしている?!」

「見ての通りだよ」


 オリヴァーはアリスに吸収されている。

 もし死ぬのだとしても、きっと残虐非道な死に方をするのだろう、と思っていた。しかしこんな、痛みもない方法で死ぬなんて思うだろうか。


「うっわ、すごい……! これって、こういう機能まであるんだ。ユリアナちゃんを初めて抱いた日の感触や、転生した日の思い出、マリーナの母乳の味……記憶までもが吸収される」

「や、やめろ! 見るな! 離せ……!」


 アリスはオリヴァーを吸収している最中に、頭に違和感を覚える。

 体験したこともないはずの記憶が、どんどん流れてくるのだ。それがオリヴァーの記憶であることは、言うまでもない。

 幼い頃から、たった今感じていることまで、鮮明に流れ込んでくる。

 さすがのアリスも、人間一人の人生分の記憶は膨大に感じていた。何も対処していない彼女は、頭がパンクしそうなほどだった。

 鼻からタラリと血が流れて、目眩でくらくらとし始める。しかし両足はしっかりと床について、オリヴァーを抱きしめている腕は、未だしっかりとしていて離す気配など無い。


「あはははっ! 私は楽しいよ、オリヴァー。君は今後、私の一部となって、他の勇者を殺す手伝いをしてね」

「いやだ、いやだ……! 魔王、まお――」


 ズポン、という情けない音を立てて、オリヴァーの体は全て飲み込まれていった。

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