出立
パルドウィン王国の港は、ここ数十年で見たことないほど大量の船で溢れかえっていた。この船らは全て兵士でいっぱいになり、その航路はアリ=マイア教徒連合国を目指すものだ。
港に集まった兵士達は、様々な表情を見せていた。
再び魔王に挑むことで、闘志を溢れさせているもの。戦争からの疲労と苦痛が癒えきれないもの。今までに見たことがない規模の兵力に、既に絶望しているもの。
大規模な戦争の用意を見れば、一筋縄ではいかないのは一般市民でもよくわかった。
兵士達を送る家族は、不安でいっぱいといった表情を見せている。まじないのように「勇者様がなんとかしてくださる」と呟いて、戦地に向かう家族を見つめている。
この場には国王も来ていた。
前回の調査とは違う。今回は、命をかけた戦いが行われるのだ。全ての予定を蹴って、激励のためにこの場にやって来ていたのだ。
あの時、オリヴァーが重要会議に転がり込んできた時。きっと、いや、絶対。勇者の仲間の誰かが、再びこのパルドウィンの地に立てないと分かった。
あのオリヴァーですら恐れる相手。誰か、帰らぬものが出るだろう、と。
だから国王も、勇者オリヴァーも、面持ちは暗かった。
「頼んだぞ、勇者よ。未来はお前にかかっている」
「もちろんです、陛下」
仰々しい祭典などない。ただ一言、二言。それだけを伝えて、オリヴァーは船に向かう。
重苦しい顔で、国王を始めとした国民は、オリヴァーたちを見送っていた。
オリヴァー達が船に乗り、戦争へ向かう兵士も全員漏れずに乗れば、その大量の船はアリ=マイアへ向けてゆっくりと動き出した。
船の上では、ひたすら波の音だけが響いている。嵐にも見舞われることのない航路で、ただ静かに大量の船達が征く音だけが聞こえた。
あれだけの兵士が乗っているというのに、とても静かだった。船の防音設備のおかげか。予測もできない未来を思い詰めて、声を遮断してしまっているのか。
そんななかオリヴァーは一人、デッキに出てきていた。もう見えなくなっていたパルドウィン、そして向かうべきアリ=マイアの方角をじっと見つめている。
波だけが聞こえるこの場所は、様々なことを考えてしまう。けれど、兵士達で賑わう部屋に戻りたくなかった。
彼らを失ってしまうかもしれない未来。そんなことを考えてしまいそうで、その場に居ても立ってもいられなかった。
静かなデッキに、コツコツと足音が近付いてくる。
オリヴァーは振り向かなかった。振り向かずとも、それが誰かが分かったから。
完全に足音も、気配すらも消しされるであろう人物は、敢えてそれを残した。そしてその人物は、自分から声をかけた。
「オリヴァー」
「……母さん」
そこに来ていたのは、オリヴァーの母親。マリーナ・ラストルグエフ。元英雄の一人、大魔術師の女。
この戦争には、パルドウィンに住んでいる誰もが駆り出されている。
英雄であったラストルグエフ夫妻、騎士団を率いるヨース一家。それだけではなく、力を持つ誰もがこの船のどこかに乗っているのだ。
アリ=マイアへ向かうこの戦力は、世界で一番強いと言っても過言ではない。
事情を知らない人間が見ればきっと、いよいよリトヴェッタ帝国との戦争を始めるのでは、と思うだろう。本当の脅威が現れたとも知らずに。
「あと数日で、世界が決まるのね……」
「心配しないで」
「?」
「俺達が勝つ。それで、ユリアナと式をあげるよ」
「ふふ、楽しみね」
マリーナはオリヴァーの覚悟を決めた言葉に、優しく微笑んだ。近付くまでは不安そうなオーラを醸し出していたのに、母親を心配させまいと強く振る舞って見せている。
いや、彼の言うことは振る舞いだけではない。
絶対に愛するユリアナを救い出すという、確固たる意思が感じ取れた。今まで後手に回っていたものを、取り戻すかのような勢いだ。
「そういえば、ユリアナちゃんは無事だと言っていたのよね」
「うん」
「お腹の子は……」
「……」
ユリアナの妊娠は、マリーナが最初に気付いた。大魔術師である彼女は、ユリアナの腹の中に小さくか細い、でも確かな魔力を感じ取った。
ユリアナのものとは違う、けれどもどこか親しみを感じる魔力。ここで彼女は分かった。オリヴァーとの子供がいるのだと。
それはもう、彼女は喜んだ。もう孫が見られる。これ以上に嬉しいことはないだろう。
しかも義理の娘は、優しくて気の利くいい子。可愛らしく愛らしい、魔術師の力も申し分ない優秀な少女。
オリヴァーも申し分ないが、母親としては娘が増えることはとても嬉しいことだった。
それだというのに。あの魔王は、彼らを引き裂いた。
「子供になにかあれば、責任を取らせるよ。命をもって」
「……そうね」
オリヴァーはマリーナに、強く返答する。だがマリーナの声は重かった。
それもそうだろう。あの時泊めた女が魔王だというのだ。そして、マリーナはそれに気付けなかった。
時期が時期だったため、ヴァジムもアンゼルムも、誰もが警戒していた。それでも最終的に確定事項が見つけられず、何も咎めることのないまま送り出してしまったのだ。
そんな相手に、一体勝てるのだろうか。不安ばかりがつきまとうのだ。
「マリーナ」
「! あなた」
「オリヴァーも」
「……父さん」
そんなことを考えていれば、背後からやって来ていたヴァジムに気が付かなかった。声をかけられてそこでやっと、存在を知る。
マリーナの表情からは、明らかな不安が見て取れたのだろう。鈍感なヴァジムですら気づき、それを吹き飛ばすかのように豪快に笑った。
ガッシリとオリヴァーの肩を抱いて、強く揺らした。彼なりの激励だ。暑苦しいだとか散々言われているが、彼はこれしか慰める方法を知らないのだ。
だが逆を言えば、それがヴァジムの醍醐味。
「元気ないな! 家に帰って、母さんのうまいご飯を食うことだけ考えてろ! もちろん、ユリアナちゃんともな」
「ふ、あはは、そうだね。楽しみにしてる。そうだなぁ、俺はホワイトシチューがいい」
「ふふっ、良いわよ。たくさん作るわ」
まだまだ遠いアリ=マイアを見つめて、三人は笑った。
「それで? 勇者様。計画は決まってるのか」
「ちょっと、父さん。やめてよ……。ごほん。一応ね」
「私聞いてないわ。教えてちょうだい」
「もちろん」
オリヴァーの計画はこうだ。
イルクナーに上陸したらすぐにアベスカへと向かう。もちろん、イルクナーに何もないわけじゃない。
イルクナーには尋問や人探しに長ける魔術師を配置する。地続きになっているアリ=マイアだ。きっとイルクナーにも、魔王の息がかかった人達が存在している。
それを洗うのだ。
アベスカへ向かうのは、基本は徒歩である。
高速移動が可能な面々が先行することも可能だが、戦力が分散しては向こうの思う壺だ。だから出来る限り一緒に行動するのだ。
「ト・ナモミ側から船をつけりゃいいんじゃないか?」
「馬鹿ね、ヴァジム。あの辺りの海域に、この量の船と戦力が行ってみなさいよ」
「それもそうか……」
「あの国が信仰している海の神にやられて、魔王どころじゃないわ」
ヴァジムの言う通り、アベスカ兼魔王城にたどり着くには、河川を下り海から上陸するのが近いだろう。
だがそこに到達するために、海を通ることとなる――それは、ト・ナモミの領域に侵入するということだ。
あの周辺はト・ナモミが信仰している神が守っており、不審な船はことごとく沈められている。そのため安全に航行するためには、事前に申請をするなどの対策が必要だ。
ト・ナモミは独自文化を形成しているが、アリ=マイアのように魔術に遅れを取っているわけではない。そのため、魔術などでの情報伝達が可能となるのだ。
そんなわけで、その航路を安全に行くには申請が必要となる。
今回は緊急だったため、そんなことは考えていなかったのだ。
「じゃあ、イルクナー経由が一番近いのか……」
「そうなる。兵士のみんなには苦労を強いるけど……」
「仕方がないわよ。みんな分かってくれるわ」
「あぁ。人類の未来がかかってるんだからな」
「……そうだね」
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