ご招待
アリスの開幕宣言から、実に十数日経過していた。
昨日まではイルクナーの港も穏やかで、河川も静まり返っていた。しかしその平穏に、終わりが告げられたのだ。
アリスへ一つの通信が入る。イルクナーに常駐している、シスター・ユータリスからであった。
今この状況で、ユータリスからの通信。誰であろうとも、その内容は分かるだろう。
アリスはすぐにその通信を取った。
「……来たね」
『はい。監視員から、遠方に王国の船を確認したとの報告を受けました。暫くすれば上陸するかと思います』
「だね。イルクナーは荒らさないと思うけど、上陸前にこっちへ転移させるよ」
『かしこまりました。また追って連絡致しますね』
そう言うと、ユータリスは通信を切る。短い通信だったが、今までの会話の中で一番濃厚なものだった。
ついに、念願の勇者殺しが叶う。アリスの心の中は、尋常じゃないほどに高揚している。
幼い頃から願ってきていた、悪者の勝利。それが今、手に入るのだ。
憧れていた悪役みたいに、カリスマ性や人を惹きつける才能もない。悪として美しく振る舞えていない。それでも、アリスは頑張ってきていた。
己の正義を振りかざす勇者を、殺すために。
「さてと……」
アリスはもぞり、と体を動かした。横には昼寝の真っ最中のリーベがいる。慣れた手付きで柔らかい髪をなでたあと、彼女は優しくリーベを起こした。本来ならばしない行いだが、今は悠長に昼寝なんてしている場合ではないのだ。
リーベも幼いながらそれを分かっている。眠い目をこすりながら、ゆっくりと体を起こしていく。
「起こして、ごめんね。私は暫く離れるから、ご飯食べてくれるかな?」
「……はい、ははうえ……」
のろのろと手を伸ばし、アリスの手の甲へキスをする。魔力が吸い取られていく感覚が、アリスにやって来る。
今日はほとんど眠っていたからか、リーベもあまり魔力は必要ではないらしい。三分の二ほど吸い取られれば、リーベは手を離した。
横に倒したらそのまま眠ってしまいそうなリーベ。彼は戦争が終わりに近付く頃に、仕事がある。しかしそれまではまだまだ暇だ。
だからまだ眠っていても構わない。
戦闘は魔王城で行われるものの、アリスの指定した場所で実施される。その場所を抜けることも可能だが、人間程度、勇者程度の力を持つ者たちが、この城を自由に闊歩できるはずがない。
もちろん、誘導がてら廊下を歩くだろうが――注意を逸らす何かがあるので、問題はないのだ。
つまりリーベは、この部屋の中から出なければ安全である。再び夢の中へと落ちていっても構わないのだ。
「ははうえ、いってらっしゃいませ……」
「うん。また眠るでしょう? おやすみ」
眠りに落ちていくリーベを見届けると、アリスはゆっくりと立ち上がった。
そして次の瞬間には、音もなくその場から消えていた。髪の毛一本ですら痕跡も、揺らいだ音すら残さずに。
アリスは瞬時に魔王城の上空に移動していた。ふわふわと体を浮遊させている彼女。バサバサと風を受けて、相変わらず天候の悪い空を見つめている。
きっと、これこそが勇者を殺す〝いい天気〟なのだろう。アリスはそう思った。
上空にいたアリスは、そのまま〈転移門〉――ではなく、超高速でイルクナーへと飛び始めた。オリヴァー達の船が上陸するまで、まだ時間はある。
それだけではなくて、やっとやって来たこの瞬間を、噛み締めていたかった。幼い頃からの夢が叶う瞬間が、一瞬で終わってしまっては味気がないのだ。
「ルーシー、イルクナーで待ってるよ」
アリスはアリ=マイアの上空を飛びながら、ルーシーへと通信魔術を投げた。
今回の仕事は一人でも可能だが、ルーシーにも手伝ってもらうことにしたのだ。手伝いがいたほうが楽なのである。
今後の戦闘も考えると、余裕を持っていたほうがいいのだ。
『! はい! 始めるのですね!』
「うん」
アリスとルーシーの最初の仕事。魔王戦争の幕開けの合図であり、地獄の開始だ。
数分後、アリスがイルクナー上空に到着すると、そこには既にルーシーが待機していた。
ルーシーは〈転移門〉にて、通信を受け取ったと同時に移動していたのだ。幹部にとって、アリスを待たせることは許されない。
さらに言えばアリスを急かすことも許可されない。むしろ、アリスを待っている間に心を冷静に保ち、これから起こすことの手順を誤らないよう、入念に確認をする時間が与えられたというもの。
ルーシーも同じで、待機中に予定をずっと確認していたのだ。
「おまたせー」
「ぜんっぜん待ってませんっ! 空の旅はどーでした?」
「楽しいよ、ありがとね。じゃあ教えたいやつを展開し始めるよ。詠唱は?」
「ダイジョブです、不要です!」
船はもうすぐそこだ。港から見ればまだまだ遠い位置にあるかもしれないが、上空からでは陸地に近く見える。
アリスとしては、上陸されることこそ許可できない。
イルクナーは既にアリスの土地。一度は仕方なく許可をしたが、事前に来るタイミングがわかった以上、これより先は踏み込ませる気はなかった。
これから展開する魔術は、まだルーシーに教えていないもの。
ルーシーに展開する際の詠唱の可否を確認した。きちんとスキルを発動し、展開途中の魔術をしっかりと視認していれば、ルーシーが記憶するには十分だ。
もちろん、長ったらしい詠唱があったほうが、見ていられる時間も大幅に取れるため安心して記憶できる。
だがルーシーが「問題ない」と言った以上、アリスは甘やかす理由もない。
アリスは魔術の展開に備えた。
「はいよ。じゃあ行くねー」
「はっ、はい! 〈感応知覚・源〉」
「――〈範囲停滞〉」
アリスがまず最初に展開したのは、時間を止める魔術だった。
この魔術の発動により、イルクナーを含む辺り一帯の時間が止まっている。
時間操作魔術は基本的に神の領域と言われ、Xランクでしか存在しない。この〈範囲停滞〉も例に漏れずXランクを誇っているが、数少ない時間操作系魔術の中でも最弱だ。
まず、指定した範囲内ではないとその効果を発揮できない。つまり世界全体で見れば、パルドウィン王国や帝国では、時間は通常通り流れているのだ。
時間を止めるというよりは、一時的に動きを制限しているといったほうがいいだろう。
「あれ、これは……?」
「とりあえず作業が膨大だからねぇ。この魔術の作用は数分しか効かないけど。時間停止魔術だよ」
アリスが展開した魔術により、街はその活動を止めていた。船も進むことがなく、その場で停止している。
これにより安全に転移魔術を展開出来るのだ。下手に動かれてしまっては、不必要な人間まで連れ込んでしまう可能性がある。
別にそれを避けたいわけじゃないが、各人をご案内する場所をきちんと考えたのだ。出来れば予定通りに、彼らにこちらのもてなしを受けてほしいのだ。
「あーしも展開しましょうか?」
「いや、要らないかな。重ねがけで暴走しても困るし」
「分かりました!」
「さて。あの場所にいる生命を、一人残らず我が城へ招待してあげようか――〈転移・歯車〉」
アリスがそう言い放って、眼下へと手をかざす。すると、王国からやって来ている船を覆うように、魔術の陣が展開された。遠方の空にいるというのに、アリスとルーシーのもとまでその光は届いている。
ルーシーもそれに倣って魔術を展開した。残りの船達が術式に包まれて光り輝いている。
アリス達の目の前には、幾つかの歯車のような形をした魔術式が浮かんでいた。
〈転移・歯車〉はこれを用いて、詳しい設定をしていく必要がある。
〈転移・歯車〉は、もう一つの魔術〈転移・流離〉と合わせてやっと一つの魔術となる魔術だ。
この転移魔術は、設定の〈転移・歯車〉、実行の〈転移・流離〉で成り立っている。
今回は膨大な人間の量を転移させるため、アリスはじっくりと時間を作って設定をしたかった。場所も用意した魔王城内の特設場所を使う。転移先座標を間違えないよう、落ち着いて作業が可能な環境を作ったのだ。
歯車の形をした魔術式を、キリキリと動かしながら設定をしていく。ルーシーも同じく、自分の目の前に浮いている魔術式を操作していた。
「座標は分かるかな?」
「教えてもらった場所は、把握してまーすっ! 問題ありません!」
「良かった。じゃあ発動しよう」
「はいっ! 〈転移・流離〉!」
「〈範囲停滞〉――解」
ルーシーが転移魔術を発動し、アリスが時間操作魔術である〈範囲停滞〉を解除した。辺り一帯の時間が動き出すと同時に、その場所に浮かんでいた王国の船は、一瞬にして消え去ってしまった。
アリスとルーシーの座標が間違っていなければ、今はもう既に魔王城にいる頃だろう。
魔王城にいる者達はもう配置についている。転移してきた彼らを、魔王軍が見つけ次第、戦いが始まるのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます