貴族の行方

 数日前――

 ここはアリスが〈亜空間ポッシビリティ・完全掌握ブラックホール〉にて生み出した空間。薄暗く冷たい、拷問に適した部屋だった。

 六畳もないであろうそのシンプルな空間には、拷問用のアイテムで溢れていた。これは今この部屋を使っているユータリスが用意したものだ。

そしてそのアイテムが囲んでいるのは、一人の男。

 安っぽい椅子に縛り付けられ、ぐったりと項垂れている。薄汚れた衣服は、かろうじて貴族であると主張している。

 男は「あー」「うー」などと小さく呟いていて、目は虚ろだ。視線も定まらず、うろうろと彷徨っている。口の端からよだれが垂れているのにも関わらず、気にしようともしない。完全に精神が破綻しきっていて、もはや人間としての生活はまともに送れないだろう。


「どう? いい情報は得られたかしら」


 その声を聞いたユータリスは、すぐに振り返った。

 この空間に入ってこられるのは、空間を生み出したアリスただ一人。しかし、その場に立っていたのは、アリスではなかった。

 緑と黒のコントラストが映えるスライム美女、エンプティであった。

 彼女はユータリスが自分を認識すると、ヒールの音を高く鳴らして側へと近づいていく。進捗はどうなのか、と拷問されている貴族を確認しに来ていたのだ。


「あら、エンプティ様……」

「アリス様に御許可を頂いて来たの。一応私も拷問をする時があるし、勉強にでもって」


 エンプティのスキル〈全溶エンタイアリー・解酸・アシッド〉の弱酸は、攻撃には向かずともその絶妙な弱さから、拷問に用いることがある。死ぬほどではないが、苦痛を強いる弱さなのだ。

 じわじわと相手を痛めつけて、精神的にも肉体的にも追い詰めるには適しているスキルだった。

 それに、ユータリスがやって来るまでの拷問は、エンプティが担当していたこともあった。ユータリスが不在のときなどは、今後もそういったことが出てくるだろう。

 後学のためにも、彼女はユータリスから学ぼうとしていたのだった。


「そんな! エンプティ様が勉強されるほどでも……」

「謙遜しないで。貴女はアリス様が、拷問官として創造された幹部よ。参考になるに決まっているわ。所持してる部下だってそうじゃない」

「……そうですね」


 エンプティがユータリスを褒める。しかしユータリスの表情は暗かった。素直にその褒め言葉を受け取れないでいる。そんな様子が見て取れる。

 エンプティは「はぁ」と少し大きめにため息をつく。ユータリスが落ち込む理由など、決まっている。

 随分と時間が経過したはずだったが、まだユータリスはあの事件をうまく消化出来ていないのだ。


「何よ、まだあの件を引き摺ってるの?」

「…………」

「もう終わったことでしょう。こちら側は誰も死んでいないのだから、割り切りなさい」

「は、はい」


 エンプティの態度には、はっきりとした苛立ちが混じっていた。それを汲み取れないほど、ユータリスは馬鹿ではない。

 あまり長いことウジウジと悩んでいれば、今度こそエンプティの怒りに触れる。そう判断した。彼女はあまり気が長い方ではないのだ。


「それにちゃっかりと、つまみ食いしてるくせに」

「……あ」


 目の前の男、アイザック・マッコーラム。彼の精神が崩壊してしまっているのは、ユータリスによる拷問のせいではない。

 ――彼女は、幹部の中でも食事をする幹部だ。そしてその食事は、人間の感情、そして魂。

 彼女に言わせれば感情は香辛料であり、魂は肉だという。さらに言えば、その香辛料は〝負の感情〟であればあるほど、肉は美味くなるのだ。

 つまるところ、恐怖や憎悪、嫌悪など、マイナスの感情を持っている状態で魂を喰らえば、彼女の言う最高級の味わいを得られるのだ。

 もちろん、魂を食われた〝抜け殻〟は、精神崩壊を起こしていく。


「これは……申し訳ありません」

「別にこの程度の男なんてどうでもいいから、無駄な謝罪はやめて頂戴。でももう見た感じ、仕事も終わったみたいね」

「ええ。少し前に尋問は終了致しました。大したものはありませんね。イルクナーの政治や、土地について多少詳しくなった程度です」


 当然その知識があれば、イルクナーを統治する際に役に立つだろう。しかし、イルクナーを統治するにあたって、既存のルールは意味を成さない。

 貴族であり国王の側近であったアイザックを、もう生きていけない姿へと変えたのだ。もう元のルールに則るなんて、出来っこなかった。

 さらに言えばアリスの最終目的は、イルクナーの統治ではない。


「そう……じゃあ〝これ〟は処分ね。ベルにでもあげたらいいんじゃないかしら」

「ベル様ですか……」


 エンプティは椅子にただ座っているだけの男を一瞥して言った。それに対しての、ユータリスの返答は少し不服そうであった。

 シスター・ユータリスが〝食した〟肉体は、放置しておけばそのまま死ぬ。だが大抵はベルへと献上することで〝処理〟としている。死体の処理もしなくて済むし、ベルも人間を探して食べなくていい。

 ここだけ聞けばまさにウィンウィンの関係と言えるだろう。

 だがユータリスには、それが少しだけ嫌な理由があったのだ。ユータリスが嫌だというよりも、ベルの反応があまり快くなかった。


「何よ?」

「私がものは、味気がないと不評でして……」

「へえ、そういうのも関わってくるのかしら?」

「感覚的なものでしょうか」


 ユータリスが食べた後の肉体は、ベルに不評だった。他の人間の肉と比べて、旨味成分だったりとか、味気がなかったりするらしいのだ。ベルも比較して食べているわけではないので、完全に思い込みだったりするのかもしれないが、何にせよベルがいい顔をしないのは確かだった。


「ふぅん。まぁいいわ。彼女に拒否権はないもの。空間を片付けたら、出てきて。人間はベルへ引き渡しなさい」

「かしこまりました」


 ユータリスは深々と頭を下げた。空間から出ていくエンプティを見送りながら、彼女が消えるまでずっと続けていた。

 再び空間には、正気を失った男とユータリスだけが残された。

 アイザックは相変わらず椅子に座ったまま、よだれを垂らして「ぅあー」と言うだけだ。二人の会話を聞いた上でも、変わりはない。

 アイザックはこのあと、ベルへと献上し処理される。骨をもたいらげ、アリス率いる魔王軍へと貢献することになるのだ。

 出来るだけ知識を搾り取り、残った肉体は美味しく頂かれる。どこも余すことのないよう、有効利用されるのだ。

 とはいえ、この男から得られた知識は大したものではなかったのだが。


「さて、早く片付けましょうか……」


 これから、魔王城にはパルドウィンの様々な戦力がやってくる。ユータリスの尋問能力は、そこでも活かされるのだ。

 勇者を倒し、パルドウィンを手中に収める。その際に必要なのは、情報だ。

 この世界の住人ではないアリス達が、後手後手に回らないように。できるだけ情報を収集する必要があるのだ。


 ユータリスは部下の三人――もとい、二人を召喚した。部屋に散らばっている拷問器具を素早く片付けるための補佐だ。

 ふわふわと浮いているのは、スカベンジャーだ。体を折りたたんだガリガリにやせ細った化け物。臓器と腫瘍が至るところに付着していた。

 そしてもう一人はエクセター。首から下は人間の形をしているが、頭部はタコの怪物だ。以前にユータリスが見たときの人間とは違っていた。またどこかで〝寄生する〟体を探してきたのだろう。

 彼は生きている人間よりも、死体に取り付くことを好む。死体では劣化が激しいため、こうして定期的に入れ替わることがあるのだ。


「エクセター、スカベンジャー。片付けを手伝ってくれますか?」

「畏まりました」

「ユータリス様。スケフィントンも、お手伝いしたいとのことですが……」


 シスター・ユータリスの頼みを受けて、スカベンジャーが大きく上下に動く。お辞儀が出来ないスカベンジャーにとって、これがお辞儀代わりなのだ。

 エクセターも同じく、敬意を払って頭を下げたいところだったが、連れである小箱――もとい、スケフィントンが「自分も参加したい」と主張をするのだ。

 エクセターの付近を、普段から浮遊している小さな箱。血液や泥などで汚れているそれは、中身を知らなくとも、おぞましいものだということは簡単に分かる。

 小箱は何かを訴えるように、カタカタと小刻みに震えている。


 会話は出来ていないが、その様子にユータリスもスカベンジャーも、スケフィントンが箱から出てきて手伝いたいのだと分かる。

 ユータリスはスカベンジャーと顔を見合わせて、困ったように笑った。スケフィントンの「手伝いたい」という気持ちは、直属の上司であるユータリスには嬉しいことだ。

 しかしスケフィントンは少々、扱いづらい。言動も思考も幼いスケフィントンにとって、片付けというのは、早々に飽きることは分かっている。

 途中で片付けよりも遊びに徹してしまい、余計に時間が掛かってしまうのは目に見えていた。

 時間に余裕があれば、ユータリスもここでスケフィントンに許可を出すだろう。しかし今は戦争直前だ。


「申し訳ありませんが……今回は手早く終わらせたいのです。貴方は時々遊んでしまうでしょう?」

「そうですよ、スケフィントン。アリス様をお待たせしてはならないのは、あなたでも分かるでしょう」

「……だ、そうですよ。スケフィントン」


 エクセターの周りを浮遊していた小箱は、震えを止めた。スケフィントンも幼いながらに理解したのだろう。

 それが分かると、三人は片付けの手を早めた。

 ユータリスは通信魔術でベルと連絡を取りながら、拷問器具を魔術空間に収納していくのだった。

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