ゆめ

 一人分の足音が、魔王城内に響いている。世界はしんと静まり返っていて、空は暗く漆黒に染まり、夜であることを教えてくれた。

 コツコツと靴音を鳴らして廊下を歩くのは、この城の主であるアリス・ヴェル・トレラントである。

彼女は深夜の見回りをしていた。彼女には珍しく、〈転移門〉も使用せず一人でただ歩いている。

 戦争が決まったこともあって、己の頭の中を静かに整えたかったのもあった。幹部もリーベも誰もいないなか、一人で散歩をしたかったのだ。

 幹部もそれを分かっていたのか、それとも深夜帯ということで〝常識的〟に考えて彼女との謁見を避けたのか。それはアリスには分からない。

 とにかく、一人でいたい時間帯に、一人にしてもらえた。それは彼女にとって、嬉しいことだった。


 見回りの流れで、彼女は自身の寝室へと足を向けた。アリスのために用意された、魔王城では最も豪華な部屋である。寝室とは形容しても、魔族であるアリスには休息は不要だ。今は専ら、リーベの寝室と化している。

 眠っている養子が起きぬよう、アリスは扉を開けずにそのまますり抜けて中へと入った。幽体になったかのように、するりと重厚な扉を抜けて入室する。

 すうすうと寝息を立てて、ベッドで眠るのはリーベだ。彼は人間であるため、アリスとは違って睡眠が必要だ。こんな草木も眠る深夜に、起きているはずがない。

 肉体的には十歳とはいえ、生まれてからまだ間もないのだ。リーベにとって、睡眠とは重要なことである。


「……んん」


 アリスの入室に気付いたのか、それともただの寝返りか。リーベは小さく声を漏らした。起こしたらまずい、とアリスはより一層気を付けた。

 高級なキングサイズのベッドで一人眠る、リーベ。さらりと流れる黒い髪を、起きてしまわぬよう注意しつつ、少しだけ撫でてやる。リーベの表情が少しだけ和らいだ。きっといい夢でも見ているのだろう、とアリスも微笑む。


「……もう少しで、君の両親は死ぬ」


 アリスは独りごちる。リーベは眠っているので、そんな言葉届いているはずもない。

 「何を言っているんだ、私は……」なんて後悔しながら、アリスもリーベの横へと転がった。ぎしりとベッドが少しだけ軋んで、女の体重ひとつ分が乗ったことを伝える。眠くもないし、体の疲労もない。けれども、アリスは瞳を閉じた。

 寝なくても良いが、睡眠は取れる。夢だって見られる。娯楽で食事をするように、娯楽で眠ることだってある。

 しかし食事とは違って、睡眠で得られるものはない。夢を見たい時に眠れば良いかもしれないが、結局〝疲労回復〟として使えないのであれば、時間の無駄だ。

 だからアリスはあまり眠らない。しかし、今回ばかりは――戦争の前の時くらいは。眠ってみようかと思ったのだ。


 心のリセットとも言えようか。リセットをするために、アリスは少しだけ目を閉じた。眠くなどなかったが、眠りに落ちようと意識を集中させる。暗い視界、ノイズが消えて、アリスの意識は落ちていった。




「……はあ。まあいずれ来ると思ってたけどさ」


 次に目を覚ました時に見えたのは、部屋の天井でなかった。

 澄んだ青い空、流れる白い雲。鼻をくすぐる草の香り。ベッドを囲うカーテンなどなかったが、〝あの時〟と変わりない――病院のベッドに似た寝具に横たわっていた。

 ここは、いつだったか、神に呼び出されたあの草原だ。死んだ日、そして勇者との旅行の後。そう思うと、随分と久方振りだった。


「おはようございます、園様」

「どうも、お久しぶりです」

「本日は細やかな説明を、させて頂きたく存じます」


 そう話しかけてきたのは、〝地球〟でいうサラリーマンに似た格好の男・フルス。ぴっしりと整えたオールバック、パリッとしたスーツ。黒縁の眼鏡。あの時と寸分違わず。

 アリスがキョロキョロと見渡すが、そこにいるのはフルスだけだった。アリスは「はて」と首を傾げる。

あの胡散臭い神がいないのだ。


「細やかな……ん、あれ? あのおじいちゃんは?」

「只今、地球が忙しくなっています。本日は私のみです。申し訳ございません」

「え!? いや、いえいえ! 全然!」


 深々と頭を下げるフルスを見て、上司である神を思い出して焦りだす。別にフルスだけなのが不満なのではなく、ただ単純に不思議に思ったから口に出しただけだ。

 アリスは〝アリス〟になってから、随分と図々しくなった。日本人であった過去を思えば、だいぶ我儘になっただろう。その影響もあって、思ったことを何でもかんでも口にしてしまう。

 フルスには一瞬でも〝上に苦労する同類〟としての認識があったため、そうしっかり謝られてしまうと、アリスも申し訳なくなってしまうのだ。


「……ごほん。それで、説明とはなんでしょうか?」

「はい。回りくどいのはお好みでは無いと思うので、単刀直入に申し上げますね」

「お願いしまーす」


 フルスはパチリと指を鳴らした。するとその場には白いテーブルと椅子が現れる。

 当たり前のようにフルスがそこへ座るので、アリスも倣って対面へと座る。立ち話では済まない長さなのだな、とここで何となく察しを付けた。

 フルスは口を開きつつ、魔術なのかスキルなのか、それとも神の御業なのか――テーブルの上に、ティーセットを用意していく。ティーセットはひとりでに動き出して、ほんのりと温かい紅茶を作っていく。

 かと思えば、テーブルの空いたスペースにはケーキが生成され、カトラリーもどこからか湧き出していく。彼なりのおもてなしなのか、それとも本当に長くなることを示唆しているのか。

 どちらにせよ、紅茶もケーキも好きなアリスは、与えられたそれを断ることもしない。


「まず、この世界です。名前をトラッシュと言います」

「……まさか」

「はい。地球で言う、ゴミという意味ですね。その名の通り、異世界転生の失敗作が集まる世界です」

「……私も?」

「あぁ、失礼しました。園様に関しても、それに絡めて御説明します」


 確かに前世では、大した功績もなく平々凡々な日常を送ってきた。とはいえゴミと言われるかと言えばまた違う。

 成功している人間からすれば、ゴミかもしれない。それでもちゃんと働いて、趣味にそこそこお金を使い、借金など大きなネガティブなこともなく。

 だからゴミと言われて、少しだけ焦った。一応彼らは神々だ。そんな者たちから言われてしまえば、彼らの逆鱗に触れる何かがあったのではと不安になるのだ。


「園様のこのトラッシュにおける役割は、掃除屋です。地球で言うゴミ回収、焼却炉や埋め立て地に値します」

「……」

「申し訳ありません、単刀直入に、と言いましたね。つまり、園様には我々が処理して欲しい〝失敗作〟を、淡々と殺して頂きたいのです」


 〝トラッシュ〟というこの世界は、ゴミ箱だ。そして、アリスはそこにおいて、与えられたゴミをひたすら処理していく掃除人。燃えるゴミは燃やし、燃えないゴミは埋め立てて。リサイクル、リユースなんてあったものじゃない。

 彼ら神々がアリスに求めているのは、不必要な存在の排除なのだ。


「……ハッ、なんていうか……」

「自己中心的、でしょうか」

「そーですね……」


 最初に神が言っていた〝間違えて殺したことに対する詫び〟は、顧客を納得させるための嘘。たまたまアリス――園 麻子が、正義のヒーローを殺したいということもあって生まれた、利害の一致。

 神々には、処分して欲しい汚れがある。

 アリスには、殺したいという欲がある。

 このふたつがたまたま一致して、現在の形へとなった。そして、もしもあの時にアリスが殺したいと言っていなければ。下手すれば、アリスもオリヴァーと同じ運命を辿っていたのかもしれない。

 それが一瞬だけ浮かんで、ゾッとした。幼い頃に歪んだ己の趣味に、少しだけ感謝をした。


「……私も、園様の言う通りだと思います。ですがこれは上の決定。私に言われても、それは覆りません」

「分かってますよ。そういう生き方もして来ましたから。上には逆らえない、命令されたらそれに従うだけ。それが社会ってもんです」

「ご理解頂き、ありがとうございます。では、続けさせて頂きます」


 アリスは誤魔化すように紅茶へと口をつけた。絶妙な味わいだ。温度も、濃さも。ブラウンに透き通るその液体を少しだけ流し込んで、ティーカップを置いた。

 ケーキスタンドから適当にケーキを皿へと移し、雑にカトラリーを手に取る。少し大きめにケーキを切って、口へと運んだ。ベリー系のケーキで、口いっぱいに甘酸っぱさが広がる。

 糖分を摂取して、一気に押し寄せる情報を整理したかった。少しでも冷静に話を聞きたかったのだ。

 きっとフルスは、それを理解していたのだろう。時間がかかることもそうだが、甘いものが好きなアリスが、ケーキ類を欲するだろうと分かっていたのだ。

 なんだか見透かされた気がして、少し苛立った。


「園様のやることなすことは、全て我々神々が監視――いえ、見ています。分かりやすく言えば動画配信です」

「はぁ!? なにそれ!」


 突然の情報に、アリスは喉にケーキを詰まらせかけて、アリスは一気に紅茶を煽った。

 ――今までのことを、全て見られている。こんな驚くことはあるだろうか。なんとか呼吸を整えて、フルスを見上げる。彼の顔は冷静そのものだ。


「あぁ、大丈夫です。園様は今までの実績で、〝失敗作〟に移る心配はありません」

「いやっ、そこじゃなく!」

「見られているのがご不快ですか?」

「普通だったらそうでしょ!」


 実際アリスはもう〝魔王〟たる存在になっている以上、普通とはかけ離れているのだが――フルスはそこに触れなかった。神たるフルスからすれば、その程度些細な問題なのだ。

 今の問題は、アリスをどう納得させるか、である。配信されていると知れば、魔王やめる! などと言いかねないのだ。

 この〝トラッシュ〟を管理する以上、それはあってはならない。アリスという便利な存在には、これからもゴミ処理を行ってもらわねばならないのだ。


「ですが……園様も、以前はスマートフォンで、動物の動画を見られていましたよね?」

「は……? その感覚なの……?」

「はい。我々は――」

「あぁ、はい、神々ね。わかりました……」


 神からすれば、人間程度魔王程度、愛玩動物と同じレベル。どうせならば知らないほうが好きに動けたかもしれないのに、とアリスは思った。

 だがそれも、次のフルスからのアドバイスを考えれば、知っておいたほうがいい情報だった。


「現在、勇者との戦いに入るということで、大変盛り上がっておりますよ」

「それは、どうも……」

「ひとつ注意喚起なのですが――オリヴァー・ラストルグエフの次の勇者は、すぐに殺さないで頂きたい」

「はあ、まあ……。ある程度育つまで、待つつもりですけど」

「いえ、そうではなく。余り〝処理〟ペースが早いと、次の仕事がどんどん送られてしまうので……」


 アリスが優秀だと称えるわけではない。邪悪な存在でも、少しの慈悲があると見せて欲しいわけでもない。

 単純に、フルスはアリスがさらなる負担を被る可能性がある、と伝えたかったのだ。同じくマイペースな上司を持つフルスだからこそ、彼女に注意喚起したかったのだろう。

 ハイペースでゴミを処理していれば、いずれ処理が間に合わないペースで送り込まれるのだ、と。


「〝地球〟が存在する世界以外にも、神が管理している場所がありますから。失敗作は山ほどあるんですよ」

「な、なるほど――って、それここで私に言って良いんですか? 配信されてるんですよね、告げ口になるんじゃ……」


 アリスが心配そうに口にすれば、フルスはニコリと笑った。笑うと言っても、微笑む程度だ。事務的で淡々としている彼の、喜怒哀楽は激しくない。

 それでもその微笑みは、アリスの不安を拭うには丁度良かった。フルスの次の言葉を待たずとも、問題ないのだと悟る。


「問題ありませんよ。ここは配信対象外ですから。今は眠っている園様だけが、配信されていますよ」


 フルス曰く、ここは意識の世界――らしい。そのあたりはアリスには理解し難い内容だ。神の領域であり、トラッシュの世界の常識せっていとは異なる。

 何度も来る場所ではないし、何よりも自分から来られる場所ではない。だからアリスは深く追求せず、「問題ない」という言葉だけ飲み込むことにした。

 それと同時に、先程まで食していたものが夢の中のものだと気付く。食べている感覚も、飲んでいる感覚もあったというのに、妙にリアルな夢なのだな……と虚しくなった。


「あ、じゃあここは夢の中なんですね……」

「えぇ。ですが食事は本物です」

「どういう原理!?」

「企業秘密――あ、我々は……」

「はいはい、神々ですね」


 はぁ、と嘆息する。そのまま口へケーキを放り込んで、紅茶を啜る。

 結局このフルスという男も、あのおちゃらけた神に漏れず不思議な男なのだ。隠すところは誤魔化し、使命だけを押し付ける。都合の良いことばかり並べて、仕事を押し付けてくる上司と変わらない。

 この空間において、アリスは変わらず世界の歯車に過ぎないのだな、と痛感させられた。それでも断れないのは、アリスにそれ以外の道が用意されていないからだ。

 自分で選んだスキルや魔術だったが、結局は用意されたものから選んだだけだ。

それにアリスに死ぬことは許されない。きっと、魔王に飽きて絶望したとしても、〝神々〟が死ぬのを許可しない限り、ゴミ処理として生き続けねばならないのだろう。

 そう思って、それ以上考えるのをやめた。今は楽しいし、トラッシュにおいてアリスに刃向かえる存在はいない。それで十分だからだ。


「それでは、またいつも通り、よろしくお願い致します」

「なんだかなぁ……」


 まるで眠りに落ちるかのように、アリスの意識は再び薄れていった。

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