正義の味方?

「おぉー……」


 アリスの眼前に広がるのは、ごうごうと焼けていく街。そこには慈悲も容赦もなく、作業のようにただただ破壊の限りが尽くされている。

 悲鳴が彼女のいる場所まで聞こえてきそうなほど、イルクナーは混沌と化していた。

 イルクナーは港町であるが故に、陸側から攻められれば逃げる場所がない。たいして広くもない街は、すぐさま火の海へと姿を変える。


 アリスはその様子に感激していた。これまでに絶望を与え、街を滅ぼしたことはない。これが初めてだった。

 パルドウィンの一件で人々に恐怖を植え込んだだけだ。命を奪い、土地を破壊し、もう打つすべは無いと絶望させた――魔王たる行動に出たのは、初めてだった。

 とはいえ、これから彼女が行うのは、魔王とは真逆の行為。救いだ。


「私が言うのもなんですが、この人選でよかったのでしょうか? ディオン様には、些か不快では?」


 チラリ、とディオンを一瞥しながら、ユータリスが言う。

 ディオンは、同種族内で忌み嫌われていた、ハーフエルフのことですら敏感だった。他者を疎んずるのは良くない風潮だと思っていたし、王になった暁には変えようとも画策していた。

 今となっては遠い未来だが、それでも人をただ無意味に傷つけるのは好きでは無い。彼女も戦闘狂ではあるものの、そこには正しさがあった。正々堂々戦う情があった。


「まぁ良い心地はしねぇな」

「ふふっ、でしょう? あのような甘美な悲鳴、ディオン様にとっては雑音です」

「そういう意味じゃねぇけどよ……」


 一方、シスター・ユータリスにとって、悲鳴や恐怖は甘い汁。何よりもユータリスには、あののだ。

 他人が何かに怯えて、絶望に浸っている瞬間。それはまさに彼女にとっては甘美で、舌鼓を打ってしまうほど美味。恍惚な笑みを浮かべて、その心を貪り食う。それが彼女の〝設定〟だ。


 アリスはそんな会話を広げている三人の方へ、クルリと振り返った。


「断ってもいいよ、って何回も言ってなおついてきてるんだから。相応の覚悟はしてるんでしょ」

「勿論です、アリス様」

「まぁでも、ハインツ側だったら断ってたんでしょ?」


 ハインツ側。それはもちろん、眼前で今も尚行われている破壊活動のこと。

 化け物たる恐ろしさを引き立たせるために、選んだのは人型では無い者達ばかりだ。かろうじてホムンクルスは人の形をとっているものの、不格好のクリーチャーだ。

 ハインツも人間態ではなく、補助として連れているキマイラとヒュドラも、当然ながら人ではない。

 つまるところアリスは最初から、ディオンは〝助ける側〟でしか採用する気は無かった。とはいえ、ディオンは襲う側に配置されていれば、きっとこの作戦を降りたことだろう。


「……ご想像にお任せします」

「あはは、ごめんごめん。意地悪だったね。それじゃ、こっちもやろっか。――〈霧の幻想ミスト・イリュージョン〉」


 それは〝霧〟と言うには薄すぎて、街全体に張り巡らしたが、誰も気付く様子はない。

 もっとも、絶望に陥っている街の人間が、そんな些細な変化に反応できるかと言う話なのだ。



 それはちょうど、ハインツが教会にブレス攻撃を与えようとしている時だった。颯爽と現れた女が、教会とハインツの前に立ちはだかる。

 ドラゴンと同様に、女も宙を舞っていた。空から攻撃するであろうドラゴンと、そしてそびえ立つ教会の間にふわふわと浮かんでいる。


「とーう!」


 そのようなよく分からない叫び声を上げて、何だかよく分からないポーズをとって。だがそれを誰もが冷静な目で見られなかったのは、阿鼻叫喚たる街の惨状を見ていたからだ。

 変な女がやってきた、などと考える余裕もなかった。

 ハインツが空中からブレスを吐く。遠く離れた場所へ避難している国民ですらも、季節を疑うほど、辺りが震える。一瞬でも触れれば凍傷となり、その箇所は二度と正常に戻らないほど。

 女はそれを一箇所も取り零すことなく、完全に教会を守って見せた。


「これ以上の破壊行為は、私が許さない!」


 そして、そう言いきった。まるで子供向けのヒーローショーだ。だがどれだけそれのように振る舞おうとも、この世界の人間はヒーローショーなど知りもしない。

同時に、アリスがあの空を飛び回って、人を殺している化け物たちの仲間とも分からない。


「……だ、誰だ……?」

「人……ではないのか」


 それ以前に、アリスが何者であるかすらもわからない。

 ざわめく人々は、突如として現れた女に困惑を隠せなかった。最低限理解できていたのは、街のシンボルとも言える教会を救ってくれたことくらいだ。


 アリスはゆっくりと教会の入り口へと下りていく。入り口には、パラケルススとユータリス、そしてディオンが待機していた。アリスが颯爽と登場している間に、彼らは教会へと回り込んでいたのだ。


「よしよし、注目されてるね」


 適当なヒーローごっこだったが、それでいいのだ。この段階では、アリスに興味が向けばそれでいい。これから大々的に見せていく〝ショー〟を見てくれさえすればいいのだ。

 そしてそれを見てアリスへの信仰心を高めてくれれば、なお良い。


「ここは反撃して、お力を見せるべきですな」

「おっけーい」


 ヒーローたるもの、守りばかりではやっていられない。こちらも強いのだと見せつけてやるべきなのだ。そして、あの悪魔を撃退したのは、この女であると知らしめねばならない。

 アリスはドラゴンへと手のひらを向けた。少し大袈裟に演技をしながら、彼女は言い放つ。


「喰らえ! えーっと、フロスト・ビーム!」


 アリスがそう言うと、手のひらから氷のレーザーが放たれた。ブレスに引けを見せないそれは、ギラギラと光を伴いながら射出される。

 〝フロスト・ビーム〟と言う割には、ブレスと比べて冷気を感じなかったが、それもそのはず。これはアリスの発動した魔術ではないのだ。

 ある種の魔術であることには間違いないのだが、攻撃系の魔術ではない。街にやってくるほんの少し前に発動させた、幻惑系の魔術だ。つまり、アリスは何も発射していないのだ。

 街中に張り巡らせた幻惑系魔術――〈霧の幻想ミスト・イリュージョン〉。術者の好きなように幻影を見せられる魔術だ。アリスであれば最大半径五キロメートル弱は霧に包み込める。


 幻惑の〝フロスト・ビーム〟は、ハインツに直撃した。実際は射出されていないどころか当たってもいないのだが。

 そしてハインツはまるで痛みを伴うかのように、叫んでよろめいた。必死に飛行している状態を保っているように見え、相当攻撃が効いているようにも感じ取れる。

 部下たる、幹部たるもの、アリスを強く見せるのは仕事の一つだ。アリスがヒーローになるように演技をするのであれば、こういう動きになるのは当然のことだった。


「おぉ! ハインツって演技も出来るんだね。上手いねぇ」


 キャッキャッと喜ぶアリスだったが、パラケルススの顔は明るくはない。

 ほぼほぼアリスの脚本通りに進んでいるものの、問題が別に発生したからだ。


「フロスト・ビームですかな……。アリス様……なんというか……」

「うっ、うるさい! パッと思いつかなかったの!」


 咄嗟に出たアリスのワードセンスのなさ。国民に聞こえない場所にいるとはいえ、あまりにも雑すぎる。しかも直前に「えーっと」などと悩んでいたせいで、その適当さがより一層際立つ。

 敬愛する主人に対して言いたくないが、強烈なレーザービームに対してあの雑加減は頂けないのであった。


「おや、ブレスが来ますぞ」

「え!?」


 落ち込んでいたのもつかの間。パラケルススが次に口を開いたのは、驚きの言葉だった。アリスもハインツの方へと向き直れば、口を開いて力を溜めているハインツが目に入る。

 この作戦では、アリスと幹部の戦闘はほぼゼロ。全てを〈霧の幻想ミスト・イリュージョン〉にて済ませる、という算段だった。

だからハインツが最初に教会へ放ったのも、彼の有するブレスではない。低ランクの氷結系魔術だった。それを口から出しているように見せて、まるでブレスのように振る舞っただけだ。


「〈Eis・Hagel・Schneesturm〉!」


 ハインツが放ったのは、彼の有するブレス攻撃――三段階あるブレス攻撃の内の、最大級のもの。さすがのアリスもこれを直撃するのは、よろしくない。

 幹部のスキルを全て有する彼女にとって、何も防がずとも死ぬことはないのだが――問題は、守るべき対象があるということ。


「はぁ!? クッ――〈亜空間ポッシビリティ・完全掌握ブラックホール〉!」


 守るべき対象が狭い範囲であれば、エキドナのスキル〈守護のプレッジ・オブ・誓約ガーディアン〉で保護可能だったのだが、如何せん教会となるとそれも難しくなる。このスキルは範囲が狭ければ狭いほど、その力を発揮する。建築物となると広さも増すため、ハインツの最大級であるブレスは防ぎきれない。

 街のシンボルであり、人々の心の支えである教会。それを破壊されてしまえば、アリスの計画していたものが全て崩れ去ってしまう。ここを守ってこそ、イルクナーの人間の心を開かせるというもの。


 アリスはエンプティのスキルである〈亜空間ポッシビリティ・完全掌握ブラックホール〉で、ハインツのブレスを全て吸収した。


「話がっ、違う!」

「幹部だったら、一度は主と戦ってみたいんじゃないんですか。俺も感動しましたし」

「くそう……戦闘狂しかいないのかなぁ! うちの陣営って!」


 ぜぇはぁと息を切らしながら、やっとの思いで全てを吸収し終えたアリス。どうしてこうなったんだ、と叫べば、ディオンがそれに答えていた。

 ディオンの言う通り、幹部達は誰もがアリスとの戦いを求めている。親に挑むという緊張感、絶対なる強者であり憧れであるアリスとの戦いに、興奮しないわけがない。

 勝てるだなんて思いは毛頭ないが、それでも手合わせしてみたいという気持ちがあるのだ。

 しかしアリスはそうではない。幹部の誰もが可愛い子供。自分の大切なものを殴りたいだなんて、思うはずがない。

 それにアリスはどのステータスも最大値に達している。戦う際には気をつけねば、〝壊して〟しまうかもしれないのだ。簡単に言えば本気で戦いたくなかった。だから今回の作戦でも、わざわざ〈霧の幻想ミスト・イリュージョン〉を利用しているのだ。


「本気で殴りたくないから、〝幻覚〟を撒き散らしてるのに……! もう怒ったぞ!」


 そっちがその気なら――である。そうは言っているものの、アリスの表情は楽しそうだ。壊したくないと思いつつも、少しだけでも本気を出して許されるのは、幹部くらい。

 あの勇者でさえも、永遠に超えられない1レベルというものは圧倒的で、少しでも力加減を間違えれば簡単に葬ってしまう。だから大切なメインディッシュは、じっくりと料理して食べてやることにしているのだ。


 アリスは飛んでいるハインツのいる空へと、飛び出した。ハインツを連れて、イルクナーの更に上へと飛んでいく。地上に被害が現れない範囲で、戦闘を行うつもりなのだ。

 高い空のなか、米粒のようなサイズになっていく己の上司を、ディオン達三人は見送っている。


「ははっ、いいねぇ。俺も空を飛べりゃあ、アリス様についていきたいぜ」

「まったく……何を言っているのですか。ささ、我々は怪我人の手当に回りましょうぞ」

「そうですね。お手伝いさせてください」

「へいへーい」


 ディオンがそうは言うものの、彼らには仕事が与えられている。ボロボロになったイルクナーを、救うための仕事だ。

 化け物を率いていたハインツが、アリスとの戦闘に入ったものの、引き連れていた化け物達は相変わらず街を破壊している。ディオンがそれらを止めて、パラケルススとユータリスで怪我人の治療や保護をするのだ。

 アリスの戦闘がどれくらいになるかは定かでないが、それでも主が帰ってくるまでの間に、ある程度は済ませておくのがベストな仕事。今楽しんでいるであろうアリスを失望させないためにも、三人は早速動き出した。

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