新たなアベスカ
「な、なんだ……これは……」
アベスカの街に連行されたレイモンドの目の前に広がるのは、あり得ない光景だった。
人間種から始まり、エルフ、ウルフマンが街に歩いている。誰もが笑顔で、奴隷に成り下がっているような様子も見受けられない。
それに次いで驚きなのは、戦争があったのにも関わらず、アベスカの街並みはきらびやかで至極整っていた。アベスカの人口減少を知っていれば、こんな短期間で改築や増築が成功するなどと誰も思わない。
「おやアメリ、その人は?」
「あ……えっと、アリス様のお願いで案内している方なの」
「あぁ、そういやさっき門が開かれてたな。……どれ、うちの味見してくかい?」
声をかけてきたのは、アメリにも馴染みのある屋台の男。アリスが開いていた〈転移門〉を〝いつものことだ〟と納得する。
〝アリスに頼まれて〟〝案内している〟――これだけ聞けば。何よりもレイモンドの身なりを見れば、相手が貴族だって分かる。だがそれを聞かず何も言わないのは、彼なりの気遣いであり威圧だ。
貴族という考えを取っ払って、この国の今の幸せを見て欲しい。そんな願い。
そしてそこに偏見や、貴族としての振る舞いをするものならば――容赦はしない。そんな威圧を含んでいた。
レイモンドもレイモンドで、経験が浅く若くはあるものの、貴族の社会で様々な苦労を経験してきた。店主が言わんとしていることは、何となく察しがついた。
男はレイモンドに、店のものを差し出した。香ばしい匂いが漂う、焼いた野菜だ。表面はこんがりといい色合いに焼き上がっていて、何かのソースが塗られているのか食欲をそそる。
レイモンドも無意識に手を伸ばし、ゴクリとつばを飲み込んだ。
あんなことがあった直後で、国の者達にも申し訳なく思いつつ、その美味しそうな食べ物を手に取った。
「すごいですね……見たことのないものもありますが……」
「最近仕入れた野菜さ。味は人間が食べるものと変わりないよ」
「え?」
レイモンドは耳を疑った。人間が食べるもの――まさにそれは、今受け取ったものが人のものではないかのように。
もらった焼き野菜と、店主を交互に見ていれば、察したアメリが急いで説明をする。アメリは人を案内するだなんて、慣れていることじゃない。だから少し遅れて口を開いた。
「あぁ、えぇっと……。この野菜はハーフエルフさんのところから、頂いたものなんです」
「え、えぇ?」
レイモンドは困惑していたが、店主が笑顔で「食べろ」という威圧を送ってくるのに耐えきれず、恐る恐る口に運んだ。ふわりとした香りが鼻をかすめて、その勢いに任せて口に含む。
結論から言えば、美味しい。長年で得た技術にの適度な焼き加減、そして秘伝のソース。見知らぬ野菜だとはいえ、それらが全ていい塩梅にマッチしている。
アリスの襲撃による疲労で、心身ともに滅入っていたレイモンドにとっては、良いリフレッシュだった。瞳を輝かせれば、言葉を漏らすより先に感想になり得た。
「あ、甘い!」
「だろう? 俺もびっくりしたよ。今作り方を聞いてんだ。土地も悪かねぇからきっと美味くなるって、エルフさんがたも言ってたぜ」
「へぇ……」
嬉しそうに語る店主を見て、レイモンドは含みのある返事をした。自分の中の常識が、この数分で一気に覆されていく感覚がしていた。それもこれも全て、あのアリスという魔王によって成し遂げたもの。
「では次に行きましょうか」
「あぁ、はい」
「待ちな! ところであんちゃん、どこの国の
店主が声をかける。案内が必要なほど国外の人間だとするのならば、どこから来ているか気になるというもの。しかし、店主の瞳にはただの好奇心以外のものが宿っていた。疑問、心配、不安。そして、怪しむという心。
すすやほこりで汚れているものの、レイモンドの身なりは整っている。ただの一般市民であるアメリが案内するような人間じゃない。それは店主だって分かっている。高貴な人物であれば、アリスだってそれ相応の相手を選ぶ。大臣は日に日に仕事を失っているし、〝観光案内〟に借りたところで業務に支障などない。
だが選ばれたのはアメリだ。ただの主婦。つい先程まで、遊んでいる子供の面倒を見ていたくらい。
何と言ってもアベスカの国民は、アリスが最近アリ=マイア諸国を見て回っているという噂を耳にしている。ウレタ・エッカルトの新事業も聞いているし、となればレイモンドはどこか、アリ=マイアのどれかなのか、と。
「私はオベ――」
「アリス様からは機密だと言われているの」
「……なんだ、そうなのかい。アベスカを楽しんでおくれ!」
「ええ」
アメリはニコリと微笑むと、レイモンドを連れて店を離れて行った。レイモンドの頭には疑問が残ったが、彼も愚かではないため、黙って付いていくことにした。
店もだいぶ離れ、見えなくなった頃。レイモンドは恐る恐る口を開いた。
「どうして言わなかったんだ?」
「……オベールは、今のアベスカにおいて立場は弱いです。我々国民が敬愛するパラケルスス様を、危険な状態へ追いやった国ですから」
アメリの表情は、暗く……重い。レイモンドでも、よっぽどの重大な出来事があったのだと分かった。しかし、ピンとこなかったのは、〝パラケルスス〟のその名前を知らなければ、そんな出来事が起こったということも聞いていない。
ここまで改革が進んでいるアベスカで、それほどまでに敬愛されている人物なのであれば、きっと来たときに挨拶でもするだろう――と、レイモンドは考える。
だが実際はレイモンドが思っているような重鎮ではないのだ。パラケルススはアンデッドで、ゾンビなのだから。
「……そうなのか? そんなことが……」
「ご存知ないですか。勇者と魔物との戦闘」
「!」
レイモンドの顔色はみるみるうちに変わっていく。街に来ていた、街を混乱に包み込んだ化け物の正体を知って、恐怖を覚えた。そして同時に、その恐怖の対象が新たな支配者の部下だったこと。
一気に顔面蒼白になっていった。アリスほどの圧倒的な強者の中で、既にオベールの存在が、一歩間違えれば敵対関係になるほど悪かったことに気付かされた。
ここでレイモンドの肩を持つのならば、オベールの人々は人間として行動したに過ぎない。何と言ってもマイラが気付かなければ、何の害もなかったのだ。
しかしそれは言い訳にならない。相手は、良識があって思慮深い王ではない。人の命よりも自分の欲を優先する――魔王だ。
「まさか……」
「我々はあのお方に助けられました、だからアベスカの人間はオベールを恨んでいます。……フォローをするのは、これきりです」
「……」
レイモンドの頭はまだ追いついていなかった。頼れていた側近もいなくなった今、国の責任者としてアリスの機嫌を取らねばならない。まだ若く、そういった経験もない彼にとって、短い人生で最大の任務だ。
彼の態度一つで国の存続が決まる。これは間違いないこと。
「死にたくなければ黙っていてください」
「あ、あぁ」
そうやって返事するので精一杯だった。今後の国の未来を想像したら、頭がうまく回らない。国が一瞬で半分滅ぼされたのだ。誰が何と言おうと、レイモンドの動揺は正しいものだった。
「あら、ザビーネさん!」
「おや、どうしたんだい? その方は?」
それから二人で暫く街中を歩いていれば、前方から見慣れた――アメリにとっては、だが――人物が歩いてくる。人間には有り得ないふさふさとした体毛を持ち、鋭い牙に爪、そして狼のような頭部を有する、魔族である。
はっきり言ってしまえば、前方から歩いてきたのはウルフマンの雌。名をザビーネ。最近この街に越してきた者だ。
アメリとは婦人会で知り合い、今ではいい母親仲間である。
アベスカ国民は元々〝洗脳〟によって、魔族に対する考えは変わっていた。だからアベスカの国民も、ウルフマンが国に住まうことを簡単に許した。
何よりも、移住してきた彼らは異端者、半端者。ウルフマンという同じ種族にも嫌われた彼らを、受け入れてくれたアベスカ。そんな場所がこの世界に存在するのだと、涙した。結局は見た目と文化が違うだけ。会話もできるし、意思の疎通だって出来る。殺意も敵意もない相手を、どうやって拒むというのだろう。
今となってはすっかりアベスカに馴染んでいるウルフマン。お互いに子持ちだったり、力仕事に秀でていたり、細かい作業が得意だったり、各々の特技や生活環境をさらけ出せば、自ずと絆が深まるというもの。
復興に必要だった男手や力仕事の出来る者たちも、アリスの希望通りウルフマンらで賄われた。同種族から拒まれていたウルフマン達は居場所を見つけ、アベスカの人々は足りなかった人員を確保できた。そして街には活気が増えて、新たな知識や技術が舞い込む。誰もこの流れを否定するものはいなかった。
――アリスの洗脳が済んでいるから、当然とも言えるが。
「実は……」
「なぁるほどね。いいよ、一緒に付き合おうか」
「だ、大丈夫なのか!?」
レイモンドはアメリの背後に隠れて、ぶるぶると怯えている。ほんの最初期に一部のアベスカ国民でも見られた反応だ。今国民に尋ねれば、誰もが顔を真っ赤にして「ばっ、馬鹿にすんじゃねえ!」「慣れてなかっただけだ!」と恥ずかしがるだろう。
アベスカの人間にとって、魔物や魔族というのは、もはや遺伝子に刻まれてるほど恐ろしい存在。アリスの洗脳によって相当作り変えられたものの、やはり日常茶飯事のように襲われていた思い出は拭えない。
しかし今はそんな人はいない。慣れというものは、恐ろしいのである。
「久々に見る反応だねぇ……」
「この街ではエルフもウルフマンも、ホムンクルスも行き交います。今のうちに慣れて下さい」
「そうそう。どうせまた種族が増えるさ。お互い尊重しあって、互いに違うと理解して認め合うのがアベスカさ」
「…………」
少しキツめに注意をするアメリと、豪快に笑ってみせるザビーネ。レイモンドにとって、何もかもが不思議な光景だった。
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