若き王と新しき王2
「ふっ、ふざけ……」
「まぁユータリスの知識向上を……考慮するか」
アリスは慣れた操作で〈転移門〉を開く。ポイントはユータリスの現在地。
門が目の前に現れれば、幹部達ならば誰もが立ち止まる。この魔術を扱える存在は限られているため、立ち止まらねばならない。
〈転移門〉を使える者は、アリスとルーシーのみ。しかし後者はよっぽどのことがない限り、こうして門を開かない。さらに言えば状況を鑑みれば、アリスが〈転移門〉を開いたのだとわかるだろう。
だからユータリスは、門の目の前で静かに佇んで待っていた。微笑んでまっすぐに見つめて立っている姿は、その姿の通り――修道女。神の教えを説き、嘆く者達を正しい道へと導くシスター。
しかしながら彼女の正体は、悪魔である。そして彼女の崇拝する神たる存在は、アリス・ヴェル・トレラントただ一人。
「アリス様、どうなさいました?」
「こいつを拷問にかけろ。殺しは……今のところ許可しない」
「畏まりました。では一旦、魔王城に戻りましょうか?」
「この程度のレベルの人間が、城の瘴気に耐えられるはずがない」
アリスはエンプティのスキル〈
もっとも、それを知りもしないアイザックは、疑問符が頭に浮かんでいるだけだ。これから行われるであろう、非道的な行いも知らずに。
「ここで行うと良い。報告は随時よこすこと」
「承りました」
ユータリスはアイザックの首根っこをガシリと掴むと、ズルズルと引きずって空間の中へと入っていく。ここまできてようやくアイザックが、何か良からぬことが起きるのだと気付いたようで、ジタバタともがき始める。
しかしながら権力だけがあるただの人間が、レベル180の悪魔に勝てるか。それはもちろん、勝てるはずがない。アイザックがどれだけもがこうとも、体をよじって逃げようとしようとも、ユータリスからは逃れられない。
光魔術を打ち込めば、ユータリス相手ならば辛勝できるかもしれない。しかしここはアリ=マイアで、アイザックは魔術すら扱えない。
つまるところ、彼はされるがままとなるのだ。
「やめろ! おい! 私を助けろ! 国王――」
しゅぽん、という軽くも情けない音がして、空間への入り口が閉ざされる。二人は完全にアリスの生成した空間へ消えていき、もう声すら届かない。これからアイザックが外道の限りを尽くされ、どんな拷問を受けて、どれだけ叫ぼうとも。外界にいる誰にも、その声は聞こえることなどないのだ。
さて、残されたのは消えゆくアイザックを見つめていた他の家臣と、レイモンド国王だ。もはや彼らの知識を軽々と超えていく、非常識な行い。
驚きも恐怖も全て一気にやって来た彼らは、ただポカンと口を開けて見ているだけだった。
アリスは何もなくなった空間を見つめながら、ふと呟いた。
「あの私欲にまみれた貴族のせいで、オベールの国はぎりぎりを保っていたのだろうな……」
「まつりごとでしたら、ディオンなどを呼ぶのですか?」
「いいや。人のことは人に任せる。アベスカで暇をしている者たちもいるしな」
暇をしている者。それは、パラケルススやルーシーに、仕事を取られた者達だ。
ライニールはまだまだ細々とした仕事が残っているが、大臣達は仕事がなくなっていきている。それでも文句を言わないのは、あのライニールの謝罪の際に見た、ベルの圧倒的な力ゆえだろう。
アリスはアベスカに常駐している――パラケルススへと通信を投げる。待ち時間など感じさせないほどに、すぐに通信に応じたパラケルススの声がした。もうほとんど回復しきった彼は、声にも力が戻ってきていた。
『はい、どうなさいました?』
「パラケルスス。大臣達と、マグヌスに長期出張の準備をさせて」
『出張ですか』
「うん。アベスカの〝運営〟は、パラケルスス一人で十分でしょ。ライニールもいるし」
アベスカは驚くほど順調に回っている。アリスへの絶対なる崇拝と、アリスが所々加えた援助によって。それはもう模範的な国になるのではないか、というくらいに平和だ。
王に対して不平不満をいう者はおらず、みなが口を揃えてアリスを敬愛している。〝洗脳〟が為せる技であった。
わがままなライニールが落ち着いて、アリスの下におさまったことで、ちょうどいいバランスが取れているのだろう。
『そうですな。伝えてきます。一時間あればよろしいですかな?』
「え、いや……。二日くらいはあげるよ」
『な、なんとご寛大な! では愚かな人間共に伝えてまいります』
「うん……」
そういえば彼もエンプティ同様に、人間に対していい考えを持っていなかったなぁなどとアリスは考えた。
元々人間のためにホムンクルスを作るのを、嫌がっていたこともある。それでよく、今の国の管理をしているのだと。先日の事件もあることだし、いずれ労ってやらないと――とアリスは思った。
きっと幹部達は、誰もが口を揃えて「そんなものは不要だ」というだろう。しかしアリスとしては、大好きな子供たちを褒めるみたいに、やってあげたいのだ。
ある種、彼女のエゴでもある。
「さて……。オベール国王」
「……レイモンドと申します」
「レイモンド殿。私は先程紹介があった通り、アリス・ヴェル・トレラント。簡単に言えば、魔王だ」
「…………」
レイモンドからの反応はない。ただ黙って、アリスから言われることを飲み込もうとしているだけだった。部下であるアイザックが、よくわからない空間へと連れて行かれたというのに。
先程の幼い彼を見ていたこともあって、逆にアリスが驚かされた。
「驚かないのか」
「先程の襲撃を、見ましたから」
自国との圧倒的な力の差を見せつけられて、もうなすすべはないと理解していたのだ。ここで抵抗したところで、時間と命を無駄にするだけ。そうだと分かっていた。
それにあれだけの力と部下を持っていれば、魔王以外に何があり得るのだろう。見た目は人とは言い難い。形は人間に近いとは言え、角が生えて目の色が逆転している人間が、どこにいるのだ。
魔王だと言われれば、納得する他ない。
「幼い割に肝が据わっているな」
「……諦めているだけです」
「ふぅん。まぁいい。オベールは今後、私の支配下となる」
レイモンドは沈黙を続けていたが、表情には微かに不安が感じ取れた。それもそうだろう。
レイモンドはライニールとは毛色が違えど、王には相応しくないというのは当てはまる。経験も浅く、上に君臨するには弱すぎる。だから、自分が弱いせいで民を明け渡し、絶対的な魔王のもとに、政治が行われることを不安に思うのは仕方ないことだ。
「お前達を取って食ったり、奴隷にするわけではない」
「……では、何を」
「うーむ……。いや、百聞は一見にしかずだ」
アリスとて説明が上手いわけではない。であれば、既に〝成功〟している例を見せるのが一番だ。それを見てレイモンドがどう思うかは置いても、アベスカの民は負の感情を持って生きているわけではない――と伝えることが出来る。
アリスは再び〈転移門〉を展開する。もちろん、飛ぶ先はアベスカだ。通るのはレイモンド一人のため、サイズは小さめに設定してあった。
「その先はアベスカ城下町。私が支配を成功させた場所だ。敵対する人物はいないはず、見に行くと良い」
「……」
ギィ、と重々しい門が開いていく。門の奥に見えたのは、明らかにオベールではない土地だった。
人々が行き交う音。子供たちが駆け回る足音、笑い声。店先で聞こえる、店主の呼び込み。門の中から聞こえるのは、アリ=マイアで一番危険とされていた国の声ではなかった。平和的で、なんとも安心できる場所。そう思わせる。
ふと、門の中から、ひょっこりと子供が覗き込んできた。まだ十歳にもなっていない、幼い子供だ。
レイモンドが驚く暇もなく、覗き込んできた子供は友人を連れて、ぞろぞろとオベールへと入り込んでくる。
「やっぱり! アリスさまの魔術だ!」
「ここ、どこ?」
「あ! アリスさま!」
三人ほどなだれ込んできた子供たちは、アリスを見つけると一斉に駆け出した。大好きな保護者を見つけたみたいに。自分が自分が、と一番にアリスの元へと急ぐ。
アベスカの兵士もさることながら、アリスの〈転移門〉は国民に広く馴染まれている。彼女が頻繁に使うことで、民はそれに慣れたのだ。
そして門があるところにアリスがいる。大人ならば挨拶に向かうし、子供ならば遊ぼう遊ぼうと駆け寄っていく。
「アリスさま、この間わたしたちのところに、来なかったでしょ!」
「ママの友達のおみせに、ご飯食べに来たってきいたよ」
「えー、ずるーい! なんでぼくたちのところには、来なかったの?」
それぞれがアリスに対する思いをぶつけている。とはいっても、大抵が「どうして遊んでくれなかったのか」というものに通ずるのだ。
アリスは魔術やスキルを用いて遊んでくれるので、まだ見ぬものに興味がある子供たちにとって、良い刺激になっている。何よりも変哲もない街中で遊ぶよりも、何十倍も楽しいのだ。
少年少女の化け物に対する偏見を、早々に拭えるほどには、アリスと遊ぶことは楽しかったのである。もちろんそれも、大人達が許容しなければ出来ないこと。大人も子供も、全て。アベスカ国民はアリスを敬愛しているのだ。
「リーベ……子供に街を案内しててね」
「ふーん」
「しかたない、じゃない?」
「そっかあ」
アリスがそれぞれの頭をなでながら、諭すように伝える。幼いながらも戦争を見てきた彼らは、大人の言い訳に対して納得しやすいのだろう。それに至るまで、親の苦労があったに違いない。
「……あの、アリス様」
「ん?」
リーベに呼ばれて振り向けば、アリスを見上げるリーベがいた。その瞳はキラキラと輝いていて、〝母親〟に似たのか、控えめなが出来る、精一杯のわがままのように見えた。
口では言えないものの、己のやりたいことが瞳から伝わる。アリスも今では可愛がっているリーベだ。それを無下に出来るはずない。
「……遊んでくる?」
「いいのですか?」
「いいよ。先にご飯食べてね」
「はいっ」
暫く離れるとなれば、減っていく魔力と体力のためにも、先に食事が必要だ。アリスが手を差し出すと、リーベはそれを取って手の甲へとキスをする。
アリスは、じわじわと魔力が奪われていく感覚を覚えながら、やはりこの子も年相応なのだな、と痛感した。
食事を終えると、リーベは待っていた子供たちの元へと駆け出した。新しい仲間――特に、アリスの大切な子供であるリーベを得た子供たちは、とても嬉しそうだ。見た目も悪くないため、グループにいる少女はリーベを見ながら少し照れている。
「いこ!」
「リーベくんって、呼んでいい?」
「いいよ」
きゃあきゃあ、と笑いながら、アリスの生成した〈転移門〉の中へと消えていった。アベスカ城下町内で遊ぶのあれば、危険はない。
先日はリーベを連れて練り歩いたため、幾人かの大人であればリーベを知っているだろう。知っていてなお、何か彼に危険を及ぼすようなことはない。あの国は、アリスのものなのだ。
出ていく子供たちとは逆に、一人の婦人がオベール側へと入ってくる。子供たちの保護者の一人だ。申し訳無さそうに〈転移門〉をくぐる女性は、アリスを見つけるなり謝罪の言葉を述べた。
「あの子達が本当にご迷惑を……って、あら? アリス様ここは……オベールですか?」
「おや、御婦人。知ってるの」
「ええ、昔何度か来ましたから。えぇっと、この状況は……?」
女性の目には信じられない光景が映っていた。暫く前のアベスカのようだった。
仮住まいであるテントがそこらじゅうに張られ、怪我人や涙する人――アリスを睨みつけている人。まさに魔王戦争直後のアベスカそのものだった。
そして目の前にいるのは、一般市民とは考えがたい高い衣服を身にまとう人々。女性の脳内は「まさか……」という思考になっていたが、一般市民である自分が貴族と
「あぁ、そうだ。ちょうどいい。御婦人、彼を案内してやってくれ」
「えぇ!? わ、私なんかが……」
「アベスカが私の国であることを伝えたら、さぞ野蛮な行為を行ったのだと思われたみたいだ」
「……なんですって?」
身分の高そうな人を案内するだなんて。そう遠慮していた彼女は、アリスの言っていた言葉を聞いた瞬間、顔色を変えた。優しそうな顔に青筋が立つのではないかというくらいに、怒りに満ちている。
拳を握る音が聞こえるほど、強く両手を握りしめている。
アリスは突然変わった婦人に対して、困惑していた。
「いいでしょう! 受けて立ちます。婦人会を巻き込んででも、彼らにアリス様の素晴らしさ――もとい、アベスカの輝かしい現実をお見せしましょう!」
「……よ、よろしく」
あ、これ見たことあるやつだ――アリスはそう思った。
アリスは自分の右腕たる、あのスライム女を思い出したのだ。アベスカの住民は、ついに来るところまで来てしまったのだった。
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