外出
リーベはアリスにより生成された〈転移門〉をくぐり抜けて、アベスカ王城へやってきていた。通されたのはゲストルームで、あたりにアリスは見当たらない。
不安に思っていると、リーベの上に人影が降りる。振り向いて見上げれば、そこにいたのは不気味なゾンビだった。
「パラケルスス!」
「よくいらっしゃいました、リーベ様」
リーベはパラケルススに、思いっきり抱きついた。パラケルススは、彼を知らぬものからすればアンデッドやゾンビ。悪しきものだと捉えられるだろう。
しかしリーベにとっては、アリスの部下だ。アリスの部下ということは、つまり、いい人。リーベにはその解釈で通っていた。パラケルススも、リーベは〝アリスの子供〟であるため、当たり前だが何か悪さをするわけでもない。
「おや、ヌハハハ」
「母上はどこ?」
「今少し席を外されております。一緒に探しましょうか」
「うん!」
パラケルススが手を差し出すと、リーベが嬉しそうにその手を取った。ゲストルームを出て廊下を歩けば、初めて目覚めた時のように興味津々だ。
リーベはアベスカに来るのは、これが最初。広い魔王城に慣れてしまえば、アベスカなんて大した場所ではないが、それでも幼子の目線からは新鮮に映る。
ゲストルームからしばらく。廊下を数分歩けば、ライニールの執務室に到着する。
上質な扉が目の前にあったが、既に話し声が聞こえている。
開けようとしたリーベは、その手を引っ込めて戸惑っている。幼いながら良識や常識を身につけている。これも、アリスが与えた知識ゆえのことだろう。ただの子供ならば気にしなかったはずだ。
「入っても大丈夫でしょうか……」
「リーベ様ならば問題ありますまい」
「わかった!」
念の為ノックを数回。会話に夢中なのか、返事は返ってこなかった。そっと扉を開ければ、部屋の奥に見慣れた白い髪が目に入る。
その瞬間、リーベの瞳がキラキラと輝き出した。だいすきな、母上だ――そう言っているように。
パラケルススを置いてリーベは走り出した。高級でふかふかとした絨毯の上を、パタパタと走って行く。そして長い白の髪を持つ女に向かって、飛び込んだ。
ぶつかるように抱きつけば、その人物はやっと気付いたようだ。
「! リーベ」
「!? と、トレラント殿……こちらは?」
「前から言っていた、私の養子みたいな子」
アリスに抱きついているリーベはとても嬉しそうだ。ライニールはそんな風変わりな少年を見つつ、アリスに対して失礼のないように取り繕おうとしていた。どんな環境においても動じず、アリスへの敬意を見せ続ける。それがライニールの仕事でもある。
しかし、リーベの瞳を見てぎょっとした。片目がアリスと同じ瞳だったのだ。それはより一層、少年をアリスの所有物たらしめる一因だった。必死に取り繕おうとしたライニールの顔は、完全に引きつっている。
「リーベ。彼がライニール国王だよ」
「この国で、一番えらい人なのですね」
リーベがそういうので、ライニールはやっと反応を示した。
ライニールはもはや、アベスカにとっては中間管理職でしかない。トップに立つアリスの代わりに、国を管理しているだけだ。それはライニール自身もよく理解していた。むしろ、理解しておかねばならなかった。
己の命のため、立場を理解しておくことは重要である。
だからライニールは焦ってそれを否定した。この国において、一番偉いのは自分ではないのだと。
「そっ、それは違うぞ――違います、リーベ殿! 一番は貴方様の保護者であるトレラント殿で……、あ、いや……なんというか……」
「つまり母上の代わりに、〝しっせい〟をされている方ということですね」
「!?」
「そういうことかな~」
リーベの境遇を知らなければ、ライニールのように驚くのは無理もない。小さな子供だというのに、ライニールの言わんとすることが理解できていた。ライニールは、驚愕と同時に不気味さも感じていた。
(な、何だこの子供……!? やはりこの魔王の仲間というだけあって……)
「それじゃ、さっき話した件。よろしくね」
「あ、はい。お任せください」
ずっと驚きっぱなしのライニールに、細やかな説明すらない。ライニールもこれ以上踏み込めるわけがなく、〝そういうもの〟だと納得しなければならない。
アリスがやってきてから数ヶ月。この都市では、もうそのことに慣れなければやっていけないのだ。
とりあえずライニールの脳みそには、リーベという新たな〝上司〟が刻み込まれた。そしてリーベは、アベスカ城下町内で遊ぶような子供とは違うことも記憶に残す。今後生きていくにあたって重要な情報だ。忘れるわけにはいかない。
「行こうか、リーベ。この間城下町に、美味しいスイーツショップが出来たんだ」
未だに抱きついているリーベの肩を、優しくぽんぽんと叩く。アリスからスイーツショップの話を聞くと、リーベは少しだけがっかりするように眉を下げる。
小さい子供ならば喜ぶであろう、お菓子。しかしリーベは普通の子供ではないのだ。
「ぼくはおかしより、母上の魔力が食べたいです……」
「ん? そうだね。
魔力を食らうというスキルは、化け物だ。肉体は人間であれど、リーベを魔族と同等にさせる。魔族はリーベを人間だと思っていても、人間側は己と違う存在を見て異質に思うだろう。
特に、彼の肉親は一体どう思うのか。
魔王の手によって強制的に産み落とされ、長い間一緒に成長を見守ることも出来なかった。気付いたらもう成長した状態の息子がそこにいる。
そして母上と呼ぶのは、ユリアナ・ヒュルストではなく――アリスという魔王の方なのだ。
「大丈夫、スイーツは私が食べる用だから」
「はい!」
不安そうにしているリーベにそう言えば、リーベは嬉しそうに返事をした。
「それじゃ、行ってくるね~」
「いってきます!」
「い、行ってらっしゃいませ」
アベスカ、城下町――
「アリス様!」
「今日もお綺麗です!」
「この間は助かりました!」
アリスも定期的に訪れている城下町だったが、来るたびにその賑わいは増えていっている。以前までのどんよりとした雰囲気は、もう全く感じられない。歩く人々の顔が全て明るい。
復興が進み、街並みも変わっていった。住民たちも「今のままではいけない」と提案したのだ。過去のアベスカを捨て去って、新たな未来を築いていくことが必要なのだと。
そして一番の変化は、城下町の中に人間以外の種族も行き来しているということ。畑作を手伝うにあたって、ハーフエルフ、異端として避けられていたウルフマンが街に住んでいる。
どちらも種族の中では忌み嫌われる者たちで、それを難なく受け入れてくれたアベスカが住みやすかったのだろう。ホムンクルスという存在が倫理を崩したせい――おかげで、アベスカの国民も、特に偏見などもなく受け入れている。
「うわぁ……母上、本当にすごい……」
「ふふっ」
すれ違う人々が全員アリスに声をかけて行くのを見て、リーベは瞳を輝かせて感動している。この世界の〝常識〟が頭に入っているのであれば、異種族が仲良くしているのも珍しく感じるだろう。そしてそれがアリスの功績だと言うのならば、もっと尊敬の念を送る。
(呑気だなぁ。リーベには生まれてから一度も、ユリアナに会わせたことがなかったっけ。帰ったら見せてやるか。高レベルだけあって、まだ狂う予兆はないし。ユリアナがまだシラフの状態で見せてやるべきだなー)
しかし喜ぶリーベとは裏腹に、アリスは一緒に喜ぶよりも先にそう考えていた。
母親であるユリアナは、現在も魔王城で拷問や実験に使われている。死ぬことは許されず、定期的に治癒しては再び別のことに使用されているのだ。
彼女の死期はアリスが決めること。勇者を殺すというアリスの目的を知っていれば、誰もがユリアナを生かそうとするだろう。
だからまだユリアナは生きている。しかし、リーベとは一度も会わせていないのだ。何かが起こるのが不安で、あえて面会を避けているのではない。純粋に忘れていただけなのだ。
ユリアナ程度、リーベ程度はアリスにとって脅威ですらない。死ぬことを許さず、〝生かしている〟くらいなのだ。もしもリーベがユリアナと対面して、アリスに怒りを覚えて裏切ろうとするならば。
せっかく欲しい物を手に入れたアリスとしては、勿体ないが――殺してしまうだろう。ユリアナも同様にその場で殺してしまうかもしれない。
しかしそれでは呆気ないのだ。じっくりと仕込んで料理をするように、相手をじわじわと追い詰めたかった。そんなアリスには、予定外でつまらないことなのだから。
街案内もそこそこに、アリスは目的地であるスイーツショップに来ていた。
「ん~。美味しい~」
「ありがとうございます! アリス様のご意見を大量に取り入れたおかげで、もう毎日繁盛しております」
(食べたいスイーツ言っただけなんだけど……まぁいっか。美味しいものは、どの世界も共通ってことで)
娯楽として食事を取り入れているアリスにとって、食べたいものが思い浮かぶのは当然のこと。料理の知識もあまりないなか、何とか説明を成功させたアリスは前世でよく味わっていた、甘いスイーツを食べることに成功。
おまけにショップは繁盛しているらしく、人手が足りないくらいだと言う。物珍しいスイーツというのもあるが、一番は彼らの尊敬するアリスが勧める食べ物だからだろう。
今日はアリスが来ていたので、店主が気前よく貸し切りにした。人気店だというのにブーイングの一つもないのは、貸し切った人物がアリスだからだ。むしろ「普段いらっしゃらないアリス様のために、ゆっくりとした時間を提供するべき」と、客側が率先的に動いたくらいだ。
「あの、不躾で申し訳ないのですが……こちらの方は?」
「あぁ。養子のリーベ」
「こ、こんにちは……」
ショップの店員は、見知らぬリーベに対して疑問を抱いていた。アリスが誰かを連れて歩いているのは珍しいこと。いるとしても、兵士団かルーシー、もしくはパラケルススだ。
他の幹部はアベスカに来る用事があっても、大抵は城の中で済んでいる。街まで降りてきて何かをすることは、滅多にないことだ。
アリスが説明をしたのにも関わらず、店員は疑う目をやめない。不審に思っていたアリスだったが、次の一言で全てが変わった。
「……そうですか。では気の所為ですね。昔見た勇者に似ている気がして……」
(ヒィッ、記憶力よすぎでしょ!)
内心ヒヤヒヤしていたが、ただの人間――魔術も知らない人間にとって、理解し難いことをやって生み出した子供だ。常識を考慮すれば有り得ない事柄だと、説明すれば納得がつく。
「たっ、他人の空似じゃない? だって勇者の年齢と、リーベの年齢考えてみたら分かるでしょ」
「確かに!」
オリヴァーはまだ十代だ。そしてリーベは十歳。どう考えても子供が成立する年齢ではない。ショップ店員もそれで納得して、ただ似ているだけだと思い込んだ。
アリスは菓子を食べて満足すると、リーベを連れてショップの外へと出ていった。
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