童
魔王城、エキドナの書斎――
エキドナが静かに書類に目を落としているそばで、一人の幼い子供が絵を描いて遊んでいる。魔王城に子供用の絵描き道具なんてあるはずもなく、これはわざわざアベスカの街に行って、この子供のために仕入れたものだ。
普段ならば子供相手だろうと、ここまで甘いことはしないだろう。だが幹部ですらそう動いてしまうのは、本能で抗えないレベルのアリスの成分が、彼の中に充満していたからだ。
子供らしく大雑把だが、楽しそうに描いているそれを、エキドナはたまに横目で見ながら、書類に目を通している。
「出来た!」
そうはしゃいでいるのは、リーベだった。リーベもアリスについて回りたかったが、常に一緒にいてしまうとアリスの負担になることもある。そういった場合は、今のように幹部の誰かに預けられているのだ。
リーベは出来上がった絵を掲げた。子供向けの画材で乱雑に描かれていたのは、子供らしい絵柄のドラゴンだった。エキドナはその様子を見ながら、リーベに尋ねた。
「まぁ、まぁ……。リーベ様、何を描かれたのでしょう?」
「ハインツ!」
誇らしげに答えるリーベ。リーベの答えを聞いて、エキドナはじっくりとその絵を観察した。
確かに龍形態のハインツと同じ〝色味〟をしている。正確性に焦点を当てれば、全く似ていないのだが――彼は子供だ。リーベは画家でもないし、それは仕方ない。
エキドナは優しく微笑んで続ける。
「あら。ドラゴンのハインツ様でいらっしゃいますね……お上手ですわ……」
「うん。この前ね、見せてもらったんです。つよそうでしたよ!」
「それはそれは……」
リーベの半分がアリスということもあって、エキドナを始めとした幹部の対応は丁寧だ。アリスから直々に子守を頼まれている故に、彼を失望させるような発言はしない。
リーベの中にはアリスが与えた知識があるため、普通の子供を相手にするよりは遥かに楽だ。恐ろしいくらいに聞き分けがいいし、時々我儘もあるものの、可愛らしい範囲だ。だから、子守をする相手は誰だろうと問題ない。
しかしその中でも一番相手がうまいのは、エキドナだ。高身長であるものの、変な威圧感もない。物腰の柔らかい口調と控えめな性格。子供相手でも優しい。
新しく加わった幹部を含めても、幹部の中で一番適している。
「エキドナはいつ、蛇を見せてくれるの?」
リーベはエキドナを見つめながら、そう言った。誰が何に変身できるかを知っているのだ。だからエキドナが蛇の姿を見せてくれないことを、少し残念そうにしていた。
「わたくしは……醜いですから。お見せできません、できません……」
「どうして? 蛇は強そうですよ?」
「あ……。もしかして、御命令でしょうか?」
「ちがう! でも見たいんです」
キラキラとした子供の瞳で見つめられれば、エキドナもたじろぐ。アリスの実子ではないはずなのに、その好奇心と期待に満ちた眼差しはどことなく似ていた。
実際左目はアリスの目なのだが――そういう話ではなく、〝雰囲気〟が似ていたのだ。
リーベの体内に循環する魔力が原因なのか、とエキドナは考えつつ、リーベの言葉に返答する。
「そ、それは……その……。では、今度……」
「うん! 約束!」
エキドナが肯定的な返事をすれば、リーベの表情は更に明るくなった。大切そうに絵を見つめている。
折角描いたのであれば、本人に見せてあげるのはよいだろうと、エキドナはリーベに勧めた。ハインツもそれを見ればきっと喜ぶ。リーベはアリスの分身とも言える存在だ。そんな存在に、描いてもらったなどというのは喜ばしいこと。
「リーベ様、絵をハインツ様にお見せになりますか?」
「うん! いってきます!」
「キマイラ……」
エキドナがそう言えば、突然一匹の魔獣が現れた。獅子の頭部、山羊の胴体、そして尾は蛇――その名の通りキマイラだ。魔獣だというのに二人を襲う心配はない。
キマイラは、アリスが〝設定〟した、エキドナの部下という立ち位置だ。幹部が有する部下の中で、最も防御面に優れている。攻撃面でも劣らず、エキドナのサポートをするには十分の性能を誇る。
ちなみに妹には、ヒュドラという魔物も存在する。が、こちらは少々ヤンチャなため、今回はキマイラを呼んだのだ。
「ハインツ様の書斎まで、リーベ様をお連れして……」
「はい、お母様」
エキドナに対して頭を下げると、リーベの方へと近付いた。キマイラは大きな体躯をしている。幼子のリーベと並べば、その大きさがよくわかった。
近付いてくるキマイラを見たリーベは、目を輝かせて興奮している。本来ならば怯えるところなのだろう。だがアリスの影響で歪んでしまい、魔物や魔族に対して、耐性が付いているリーベには関係のないことだった。
「わぁー! かっこいい!」
「ありがとうございます、リーベ様。背中に乗っても大丈夫ですよ」
「のりたい!」
キマイラはリーベを背に乗せると、書斎から出ていく。のしのし、と廊下を歩いてハインツの書斎を目指している。
幹部の魔獣に乗って移動をするだなんて、きっと他の魔族が聞いたら有り得ないと零すだろう。しかしそれが可能なのが、このリーベなのだ。
アリスの養子として軍では定着しつつあり、リーベがやってきてからさほど経っていないが、彼に対して無礼を働く存在はいない。気まぐれに軍の強化訓練に顔を出しても、しっかりと礼節を弁えて対応してくれる。
……もちろん、その場に教官である幹部がいるからというのもある。
今やリーベを知らないのは、アベスカの国民程度だろう。
「キマイラ、ふかふかで気持ちいいね!」
「ありがとうございます」
リーベはキマイラの背中に体を預けた。十歳程度の子供がうつ伏せに寝転がれるほど、キマイラは巨大だ。ふわふわとした動物の毛が心地よいらしく、リーベはうっとりとしている。
キマイラとしても、褒められることは嬉しいことだ。むしろ、リーベが不快になってしまったら、エンプティなどから殺されるかもしれない。
「キマイラも、今度かいてあげる!」
「是非お願い致します」
キマイラは酷く低姿勢で、まるで使用人のような対応をしている。しかし、彼女のレベルは160レベルである。人間とも魔族とも、比較したとして圧倒的なレベルだ。
そんな高レベルのモンスターを、ただのメイドや執事のような立場にさせてしまう。
それがアリスの力を分けた子供。たとえ、肉親が勇者であったとしても。
リーベはキマイラのふわふわの体を触りながら、ふと思ったことを口にした。
「キマイラと遊びたいときは、どうすればいい?」
「? お母様――エキドナ様に言えばよろしいかと」
「おこらない?」
少し控えめに聞いてきたリーベに対して、キマイラは驚いた。リーベはまだ遠慮しているのだ。
「怒る? どうしてです? アリス様の分身であり、御子息でいらっしゃるリーベ様のご要望を、無下に出来る存在などおりません」
「ほんと?」
「本当ですとも」
リーベに理解してもらえるように、少し語気を強めて言う。態度で分からないのならば、言葉で示すべきなのだと、キマイラは気付いた。
やっと理解したリーベは、嬉しそうに微笑んだ。大切に育てられているリーベから、笑顔を作らせることは重要なことだ。少なくとも、今後のキマイラの生死に関わる。
キマイラも、アリスが生み出した存在であるため、エンプティも強く出ることはないだろう。
だがリーベへの対応が失敗すれば、あの狂気のスライムの機嫌が左右するのは、確かである。
「えへへっ。あのね、ぼくね。大森林を散歩したいの。でも、母上とか強いひとがいないとだめって、エンプティが言うから」
「そ、そうなんですね……」
早速問題の人物の名前が出てきて、キマイラも少し動揺する。エンプティの過保護は、アリスだけではなくリーベにすら及んでいる。特に、アリスが直接肉体の一部を分け与えて、その魔力で体を維持しているというのだから。
まるで陶器人形のように丁寧に扱うのだ。
リーベもそれを完全に否定しないのは、魔眼と化している左目が、エンプティの〝本音〟を映しているからだ。時々――高頻度で気持ちの悪いスライムになるとしても、心の底から心配していることに変わりはない。
リーベとキマイラがそんな会話をしながら、廊下を歩いていれば、目的地であるハインツの書斎前にたどり着いた。リーベはゆっくりとキマイラから降りて、扉へと向かう。
「私は廊下でお待ちしております」
「うん!」
廊下にキマイラを残して、リーベはノックもしないで入室する。明るい声で中にいるはずの男を呼んだ。
「ハインツ!」
その声にハインツも反応する。書物を整理していたハインツは、持っていた本を置いて敬礼した。巨大な体はゆっくりと屈んで、リーベの目線の高さになるようにしゃがみ込んだ。 例え子供相手だろうと、相手がリーベでなければこんなことはしないだろう。
リーベはそんなハインツの元へ、パタパタと駆けていく。
「リーベ様ッ!」
「これ、あげる!」
「おぉ! これは私の絵ですか!」
あまり上手な絵とは言い難い代物だったが、何となく色味や形からドラゴンであると推測できる。わざわざ見せに来たということも加味すれば、間違いなくハインツの絵だ。
「うん。かっこいいし、つよそうでした!」
「なんと! それはとても嬉しいですッ!」
そんな中、リーベの両耳につけたアクセサリーが反応する。高級感のある見た目もさることながら、通信機能も兼ねているイヤリングだ。
通信相手はアリスだった。
「! 母上。どうされました? ――……ぼくをアベスカに? 構いませんが……国民は受け入れてくれるでしょうか? にくき勇者の子です」
アリスと会話を始めれば、子供のようにはしゃいでいたリーベは消えた。まるで一人の大人だ。子供独特の滑舌の悪さは置いといて、アリスと会話をする様子は、真面目に重役の話を聞く部下のようだった。
ハインツはその姿をまじまじと見ながら、一人で感心していた。
(……何度見ても驚かされるな! アリス様と話されるときは、普段の彼と180度変わる! これも彼の〝好きな人に格好良く見られたい〟というものかッッ)
リーベはアリスが好きだ。アリスはそれをあまり信用していないが、間違いなく好きだ。
アリスに与えられたものによって、己の性格が歪んでしまったことを知っていても、それでも好きだ。
一つ言えることは、アリスが彼を欲しがって選んだことで、生きることを約束された。〝用済み〟となってしまえば死ぬかもしれないが、あのままユリアナの腹の中にいたままでは、勇者を殺す際についでに殺されていた。
曲解ではあるものの、それはアリスが生かしたといってもいい。アリスの計画に必要とされ、殺されずに済んだのである。
アリスは魔王であり、人の道をそれた存在だ。それでいてリーベを信じていないのだとしても、アリスはリーベを守るすべを与えた。
彼が腰に取り付けているポーチは、魔術が扱えないリーベのための〝仮想魔術空間〟だ。ポーチの中は異次元になっており、中はリーベが好きに出し入れ可能。読書中の本や、メモを取る際に必要な筆記具などが入っていたりする。
ポーチに取り付けられたストラップですら、魔術道具だ。アリスや幹部がいない時、誰かに襲われた時にリーベを守る術となる。
それにすぐに会話が出来るよう、通信器具も与えているのだ。
アリスがなんと口にしようと、これを受けて愛されていないと思うだろうか。少なくとも傷がつかないよう大切にされているのは、間違いない。
「そうですか。では向かいます」
「アベスカへ出かけられるのですかッ!」
「うん。母上が一緒に、街を見て回らないかって」
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