悪魔の子

「母上は、全てが終わったらぼくをすてるのですか」

「んん?」


 街を歩いていれば、ポツリとリーベが零した。アリスの手を握る、小さな手が少し震えている。アリスはそれを分かっていたが、気付かないふりをした。


「今までの行いを様々な方から聞きました。嬉しくも、ぼくのことを欲しいと思ってくれたことも」


 リーベは時に子供のように振る舞い、遊びながら、時に幹部からアリスについて学んでいた。この世界にやってきてから行っていたこと。彼女の目的について。リーベにとっては、全てが素晴らしいことだった。

 しかし説明が終わったあとにやってくる感情は、恐れ。もしかしたら、自分も同じように切り捨てられるのでは、という恐怖だった。

 この場で図々しく聞けるのは、あの勇者の血が入っているからなのか。


「ですが、それは一時的なもの……なのでしょう?」

「どうして?」

「ぼくは勇者にダメージを与えるための、アイテムにすぎません」

「リーベはそう思うの?」

「……はい、おろかながら」


 年端も行かぬ少年に、こんな思考をさせてしまうのは、アリスが与えた知識によるものだろう。アリスにとっては必要な知識ゆえに、申し訳ないとも思わない。しかし手元の〝もの〟があまりにもネガティブなのは、少々いただけない。


「うーん。リーベはどうしたいの?」

「…………ぼくに、決定権などありません」

「そっかぁ……」


 リーベの中ではもう既に決定事項なのだと、結論付けていた。

 アリスの中では、切り札や武器の一部だと考えているものの、そこまで無慈悲に捨てるつもりはなかった。少なくとも〝欲しい〟と思ったのは、そんなことをするためではない。

 手に入れたオモチャを壊す勢いで、遊び続ける子供ではないのだ。アリスは成人した人間だった記憶もある。手に入れた玩具フィギュアは、丁寧に扱うべきだという考えだってある。


「そうだなぁ。とりあえず言えるのは、左目をあげて魔力も与えて……ペットくらいにはかわいがっているつもりだよ」

「……」

「リーベがもっと私に愛されたいと思うなら、もっと頑張ってほしいなって」

「……!」


 アリスがそう言うと、暗く憂鬱としていたリーベの表情が一変した。いつもアリスを見上げる、あの輝く瞳を宿している。

 アリスは誰に対しても繰り返し言っているように、彼女の邪魔さえしなければ何でも良いのだ。手の内の種族が、種族間でいがみ合っていても、アリスが呼んだ時に戦争で戦ってくれれば良い。もしも血を流したくないのであれば、戦いに参加せずともいい。アリスを裏切って、勇者側に立たなければそれでいい。

 だがそこで、アリスに楯突くというのであれば。一般市民だろうと、国王だろうと、勇者だろうと。アリスは容赦なく命を奪う。


 その点リーベは、アリスなしでは生きられない。他人から魔力を供給してもらえれば、生き延びられるかもしれないが――一度に必要な魔力量は、この世界の人間では簡単に賄えないだろう。

 ほとんどの幹部ですら魔力が足りず、アリスの代わりに食事を与えることが出来ないのだ。可能なのはアリスとルーシーくらいだろう。膨大な魔力とスキルという恩恵で、やっと分け与えられるのだから。


「ぼくは、あいしてもらって、よいのですか?」

「無理矢理奪って命を与えたのは私だけど、裏切らないなら何したって良いからね」


 リーベは震える声で聞いた。自分にはその資格がないと思っていたから。

しかしアリスはそう考えていなかった。本人から聞かされれば、リーベも驚きながら感動している。己にも選ぶ権利があるのだと。


「……そ、それじゃあ、母上と毎日一緒に遊んでも? お昼寝しても?」

「いいよいいよ~」

「あ、え……えへへっ」


 はにかむその姿は、年齢相応だ。アリスの前で必死に大人びた言動をするリーベはいない。ただ〝母〟に愛されたいという、それだけの少年がいる。

 しかしリーベが他の子供と違うのは、生まれ方と――肉親を殺される未来が確定していること。彼の敬愛する〝母上〟によって、死が確定していること。まさに死神が己を育てていると同義であった。


「だけどね、私は君の両親を殺すんだよ」

「? はい、そうですね」


 アリスは冷たく突き放すように言ったつもりだったが、リーベはまるで当然のように受け入れた。癇癪の一つや二つは許容されるはずの事柄だが、この少年は何も感じないのか。業務連絡のようにサラリと受け流して、「まぁしょうがない。どうぞ」という風に。

 流石のアリスも目が点になる。あまりにも淡々としている様子は、先程愛されることが分かってはしゃいでいた子供ではない。


「…………え、リーベさん?」

「ですから、母上は、オリヴァー・ラストルグエフとユリアナ・ヒュルストを、さつがいされるのですよね?」

「君の肉親だよ!? もっとこう、あるでしょ!」

「〝まおう〟たる母上がいう言葉でしょうか、それは……」


 リーベの残酷なくらいの冷静さを見て、逆に真人間のような発言をするアリス。別に肉親に対して心配を見せて、裏切りを誘発させたいわけではないが――あまりにも歪みすぎている。


「なんでこうなっちゃったかなぁ……?」

「多分母上のせいでは……?」


 多分とリーベは形容したものの、十中八九アリスのせいなのだ。アリスが行った育児に、リーベが当たり前のように過ごしている――瘴気がたっぷりの魔王城。勇者の子供だったからなのか、それとも元々素質があったからなのか。

 普通の人間では発狂しているであろう、様々な物事を短い期間で経験しているリーベ。発狂とはいかずとも、彼の中で〝まとも〟が歪んでしまったのは、事実であった。


「なんかつまんないなぁ! ちょっとユリアナに会わせてあげるよ!」

「え、はぁ」




 魔王城、牢獄――


 魔王城は綺麗に保たれているが、こういった牢獄などは薄汚いままだ。管理が行き届いておらず、誰かを住まわせるには衛生的とはいえない。ほかに収容するものもいないため、現在はユリアナのための空間となっている。

 拷問部屋も兼ねた、牢獄だった。


「こんな汚いところで申し訳御座いません……」

「アリス様、お目にかかれて光栄に御座います」


 リーベとアリスを出迎えたのは、拷問官のシスター・ユータリスと、その部下であるエクセターである。以前、ユータリスはパラケルススと出掛けた際に受けた戦闘で、スカベンジャーを監視に使用したことがあった。エクセターは、それとはまた別の個体だ。

 ユータリスの所有する部下は、全部で三体。

 スカベンジャー、エクセター、そしてスケフィントンだ。どれも異形のモンスターであり、気味の悪い見た目をしている。

 エクセターは、首から下は人間ではあるものの、本体は頭にある。タコのような魔物が頭部に張り付いているのだ。因みに首から下の人間は時々入れ替わり、そのあたりから拝借した適当な人間である。

 そして常に浮遊する〝箱〟と共にある。箱の中にはスケフィントンが入っており、必要とあらば姿を現すのだ。しかしスケフィントンは、スカベンジャーやエクセターに比べると知能が低く、人見知りという点でも使い勝手も悪いため滅多に出て来ない。


「やぁ、ユータリス。エクセターも。スケフィントンもいるのかな?」

「箱の中ですが、恐らく見聞きしておりますわ」

「そっか」


 アリスは牢の中に目線を送った。そこには、捕らえられていたユリアナ・ヒュルストが倒れている。アリスが来る直前まで、拷問や実験で使い倒されていたのか。はたまた純粋に休んでいるだけなのか。

 どちらにせよ、まだ生きているということが分かれば関係のないこと。


「まだ正気?」

「はい。パルドウィンにおける大魔術師というのは、やはり素晴らしいのですね」

「そうだろうね。まぁ早々にくたばられても困っちゃうから」


 アリスと比べれば大したことなどないだろう。しかしそれでも人間の基準から行けば、化け物とも言ってもいいほどだ。一般人ならば、もうとうに狂っていてもおかしくない環境で、勇者の救助を待ち続けて耐えている。

 これも愛がなせる行為なのかな、とアリスは鼻で笑う。


「あれが……ぼくの母ですか?」

「そうだよ。話してみる?」

「はい、ぜひ」


 ユリアナに興味を持つリーベを見て、やはり少しは人間らしい部分があるのだなと感じた。

 ユリアナの牢の中に入っていくリーベを見つめるアリスの目。それはこれからこの少年が何をするのか、監視している目だった。

 アリスは彼を完全に信じているわけではない。いくらアリスの手の中に、リーベの命が握られていたとしても。彼の〝勇者の子供〟という、一生消えることのないレッテルのせいだ。

 今この瞬間も、母親になにか慈悲を見せてしまうのではないかと思っている。


「こんにちは」

「…………あ、なたは」

「ぼくはリーベです」

「りー……べ」


 ユリアナには知らない名前だ。数々の仕打ちで朦朧としていた頭では、よりその情報を処理しきれていない。ぼんやりと映るその姿を見て、あの愛する男が重なる。

 サラリと流れる黒い髪。遠い遠い祖国で触れたあの人の髪に似ていた。左目は化け物になっていたが、右目は鏡で見た自分の瞳に似ている。


「……わたしの、子……?」

「あはは、ごめいとう。にくたい的な親としては、あなたの子供です」

「……」

「でも母は、あの方だ」

「……う、うわあぁああぁ! このっ、この悪魔ぁあ!」


 リーベが母と称して、牢の外で待機しているアリスを指差せば、ユリアナは一気に覚醒した。自分と愛するオリヴァーの子供が、あの魔王を指定して〝母〟と呼ぶ。そんな残酷な出来事があるだろうか。

 ユリアナは牢の中で暴れだした。目の前にいる自身の生み出した悪魔を、葬り去ろうと。しかし手足や首に施された枷は、それを許さない。ガシャガシャと音を立てて、ユリアナの動きを阻害する。


「わっ!」

「リーベ、おいで」

「はい」

(神経を逆撫でするようなことを言って……。この子はもう戻れないところまで、歪んでしまったのかな)


 当たり前のようにアリスと手をつなぐリーベ。ユリアナを見る瞳は、母親に対するそれではない。制御の出来ない珍獣を見るが如く、哀れみと不思議そうな思いが含まれていた。

 リーベの知識をもってすれば、この場所でユリアナに行われていることの想像は容易だろう。しかしそれに対して何かを言うわけでもなかった。


「引き続き、壊れないように死なない程度によろしくね」

「承知致しました」

「ばいばい、シスター。エクセター」

「ええ、またお会いしましょうね。リーベ坊ちゃま」






「母上」

「うん?」


 牢獄を出てしばらく。依然としてリーベは繋いでいる手を離すことはなかった。その状態のまま、リーベは真面目なトーンで喋り始める。


「ユリアナなる女がこの城に来てから、どれほどですか」

「どれくらいだろう? 一ヶ月は経過してないと思うけど……」

「そうですか……。まだ〝あちら側〟も、探しあぐねているとおもいます」

「……うん」


 当然だが、パルドウィン首都を覆っていた黒い霧は、当日中に晴れた。勇者メンバーが落ち合って、それぞれの状況を確認していれば消えていった人物にも気づく。

 パルドウィンは多方面に敵を作ってきたわけではないが、それでもどこからやってきた者なのか探るのは難しい。

 前代の魔王であるヴァルデマルが、勇者達よりも遥かに弱かったせいもある。それもあって、魔王軍に焦点が当てられるのは時間がかかるだろう。とはいえいずれはその危険リストに載っていく。


「ですが、こちらに矛先が向くのは時間のもんだいです」

「だろうね」

「さっきゅうに、アリ=マイア全域を手中に収めるべきかと」

「……そうだよねぇ」


 大抵、アリ=マイアに上陸するとなれば、イルクナーの港にたどり着く。パルドウィンからと考えればそこが一番近いのだ。そしてイルクナーとなれば、アリスがまだ手中に収めていない国家だ。

 イルクナーだけではなく、アリスがまだ手を出していない国は存在する。これを機に、アリ=マイアを全て手にするのがベストだ、と。


「よし。じゃあ、計画をねろうか!」

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