お披露目
アリスが廊下でリーベを待機していると、中からリーベが現れた。ベッドの横に置いた衣服に着替えた少年は、貴族の子供のようにも思える気品があった。
シワ一つない半袖のシャツに、サスペンダーがついた膝丈の黒いパンツ。きちんと洗われた白い靴下に、子供用のローファー。
両耳には小ぶりの宝石がついたイヤリングを付けていた。金色の金具と青色の宝石は、リーベの容姿に似合っていた。この宝石は魔鉱石であり、魔術の使えないリーベに与えた通信器具だ。
「おっ、似合うね」
「えへ……ありがとうございます、母上」
気品があったのは出てきた一瞬だけだ。アリスに褒められてしまえば、そこにいるのはただの子供。恥ずかしそうに微笑んで、アリスの前に立った。
「じゃあ行こうか」
「あ、あの。手を繋いでも……よろしいですか?」
「ん? はいよ」
アリスはリーベの手を取ると、リーベの歩幅に合わせて廊下を歩き始めた。
――リーベには、アリスから与えられた知識の中に魔王城が存在する。しかし実際に見てみるのはこれが初めてだ。だから目に映るものが全て輝いて見えた。言うならば、本や絵などで見聞きしただけの場所に、実際に訪れるようなことだ。
子供らしく興味津々で、キョロキョロと楽しそうに見回している。
そんなところに目の前からやってきたのは、ベルとエンプティだった。
「アリス様、大丈夫でしたか? そちらの方は?」
「リーベと名付けた。勇者の子だよ」
「この方が……」
エンプティは、リーベの頭からつま先までジロジロと眺めていたが、おもむろにしゃがんで跪いた。隣に立っていたベルも同じく、リーベに対して敬意を払ったのだ。
「私はエンプティと申します。魔王城にて、様々な業務を賜っております」
「あたしはベル・フェゴールと申します。主に武器の生成や、魔族の訓練を行っております」
「あ、こ、こんにちは……」
二人から自己紹介を受けたリーベは、モジモジと恥ずかしそうにアリスの後ろへと隠れた。人見知りなのか、こういった扱いに不慣れなのか。どちらにせよ、リーベは二人に対して照れていたのは確かだ。
アリスはそんなリーベを少しだけ可愛い、などと思った。そして敬意を払ったエンプティ達を見て、笑う。
「……ふふ。二人とも――リーベは勇者の子供なのにそんな反応をするんだね」
「「!!」」
アリスから指摘を受ければ、二人はハッとした。そして訂正するように、傅いていた体を起こして立ち上がる。
本来であれば、リーベに対してこんな振る舞いは有り得ない。どんな親だったか知っているからだ。
もしもアリスがどれだけリーベを寵愛していても、あのエンプティであれば嫉妬に狂うか、怒り狂うだろう。だがそんなことは起きなかった。いつもアリスに対して行うように、エンプティは忠誠心があるように動いてみせた。
怒り狂うかは別として、ベルもそうであった。勇者の子供と聞いていた以上、リーベを敬うなんてことは絶対に考えられなかった。
「な、何故でしょう。頭ではあの忌まわしき勇者の血が入っていると、理解出来ているのに……」
「どうしてだか、まるでこれは……」
「あはは、ごめんごめん。リーベは私の魔力で育てて、ご飯も私の魔力だ。左目は私の目だからね。半分くらいは私なんじゃないかな?」
困惑する幹部二人に対して、いたずらが成功した子供のようにからからと笑う。種明かしをしてみせれば、二人は納得がいったようで頷いている。
「な、なるほど。本能でアリス様だと認識してしまった、と……」
「納得です……」
二人は再び観察するように、リーベをジロジロと見つめている。リーベは恥ずかしさよりも恐ろしさのほうが勝ったのか、もっとアリスの影に隠れていく。
ベルはともかく、エンプティは高身長だ。上から見下されれば、怖いという感情が湧いてくるのも仕方がない。
アリスはリーベを宥めるように頭を撫でてやった。
「でもその対応でいいんじゃない? リーベも私を、母親と思ってくれてるみたいだし。リーベも幹部とかには、普通に接していいよ」
「はい、そうですね。母上」
「あ……アリス様……の……子供……!?」
エンプティの今の表情を形容するならば、性犯罪者である。気持ちの悪い微笑みは、粘着質な音を出していそうなほどで、女性がして良い顔ではない。
その気味の悪い顔を見てしまえば、リーベは更に恐怖を覚えた。この場においては、リーベだけではなくアリスもベルも恐ろしさを感じていた。
「ひぃ……! は、母上……」
「こら。リーベを怖がらせないで」
「フヒッ、申し訳ございません……グフフ……」
そこにいるのは小児性愛の犯罪者かと見紛うほどだった。アリスもリーベを守るようにして立ち、ベルもいつでも助太刀出来るように武器を構えようとしていた。
アリスへの過度な愛情はまだ許容出来ても、リーベへの愛情は絵的によろしくはない。部下から性犯罪者が出たなんてそれこそ笑えない冗談だ。
「エンプティはあたしで引き取りますので、今のうちに逃――リーベ様の挨拶回りに向かってください」
「う、うん」
「お、お待ちください、アリス様♡リーベ様♡このエンプティが、たぁーくさん愛でて――」
今にもエンプティがアリスごとまとめて飛びかかりそうだったため、ベルは体を張ってそれを阻止すべく動いた。
アリスはリーベを抱えてエンプティとベルの横を、すり抜けるように走る。
ついに吹っ切れたエンプティが、リーベを可愛がろうと気持ち悪い雄叫びを上げていた。
「ば、ばいばい、ベル」
「はい! 早くお逃げください!」
「は、早く行こうか……」
ベルがせっかくオブラートに包んでいた言葉も、最後の最後に暴走したエンプティによって書き換わってしまった。結局逃走するように、アリスとリーベは二人の元から去っていった。
廊下を走っている最中に、後方で戦闘音が聞こえたが、アリスは聞こえないふりをした。
「それで。目はどう?」
「しっかりと見えました。【困惑】と【誰】との〝ひょうじ〟がありました」
「彼女達の言うとおりだ」
アリスの与えた左目。〈
アリスはそのまま、他の幹部への挨拶回りをはじめた。遠方へ出向いているルーシーやリーレイ以外の全ての幹部に出会うため、魔王城を回り始める。
「ここはハインツの書斎だよ」
「はいんつ……」
「軍をまとめている人かな。ドラゴンにもなれるよ」
「わぁっ、すごいです!」
アリスはノックもしないまま部屋に入る。ノックもしないで入室出来るのは、世界にアリスだけだ。
ハインツは最奥にあるデスクにて、書類仕事をしていたようだ。だがすぐに顔をあげると、椅子から立ち上がる。
横にいるリーベについても、一瞬不思議そうな顔をしつつ――優秀な彼はすぐに全てを理解したのだろう。リーベに向けても敬意を向けた。
「この子はリーベ。良くしてあげてね」
「はッッ! 私はハインツ・ユルゲン・ウッフェルマンと申しますッ! 基本は魔王城におりますので、いつでもお声掛けくださいッ!」
「よ、よろしくおねがいします……。あ、あの、ドラゴンになれるって、ほんとうですか?」
「ええ! 今度お見せしましょうッ!」
ハインツがそう言えば、リーベは無邪気に喜んでいる。このあたりは幼い男の子なのだろう。アリスのせいで歪んでしまった思考のことを考えれば、少し安心する。
「ハインツ様、頼まれていたものをお持ちしま……あら?」
「よーう、大将! エキドナ嬢にはちと量が多いんじゃねぇの?」
そう言ってハインツの書斎に訪れたのは、エキドナとディオンだ。それぞれが大荷物を抱えていて、ハインツの部屋にやってきている。
ディオンに至ってはエキドナよりも少々多めに持っているようで、エキドナが持とうとした量を肩代わりしたのだろうと推測できた。
「出向く手間が省けたよ。エキドナ、ディオン。この子はリーベ」
「まぁ……。わたくしはエキドナ・ゴーゴンと申します、申します……」
「……俺はディオン・ヒミネ・スライネンと言います」
詳しい説明をしなかったのに、ディオンですらしっかりと弁えている。長く生きてきただけあって、そういうのを察する力があるのだろう。
しかし、少々納得はいかないようだ。事前に聞いていた情報があれば、アリスがどのような非人道的である方法を用いたのか勘ぐってしまうだろう。
とはいえアリスの拳であると誓った身。それこそ知らないフリをするべきだ。
アリスもアリスで、ここで深く追求などしない。
「みんなに子守を頼む時が来るかもしれないから、その時はよろしくね」
「お任せくださいッッ」
「わたくしに出来るでしょうか……?」
「俺も心配だぜ……」
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