目覚め
「――あ」
少年が目覚めたのは、ふかふかのベッドの上だった。眠っている場所が〝ベッド〟だと分かるのは、その知識を流し込まれたから。ベッドで眠るのは初めてなのに、ここが〝ベッド〟だと認識できていた。
カーテンから光が差し込んできて、生きていると実感する。思考ははっきりしていた。しかし彼は、あの苦しみを忘れたわけではなかった。
だからよりスッキリしているように感じた。
そして同時に、空腹も感じ取った。苦痛に耐えたせいなのか、それとも泥のように眠ったからなのか。何にせよ、少年は腹を空かしていた。
「……ここ、は……」
ベッドから状態を起こした。
サラリと流れた黒髪は、〝父親〟譲り。右目の碧眼は〝母親〟からの遺伝だ。そして左目は、あの苦痛を受けた際に埋め込んだ――アリスの目。彼の体に馴染んだものの、その異質な色合いはそのままだ。顔の整った両親に似て、とても綺麗な顔立ちの少年だった。
まだ年端も行かぬ幼い子供ではあるものの、その影響は色濃く出ている。
少年はこの場所がどこなのかを疑問に思ったが、誰かに聞く前にここが魔王城だと理解できていた。
「うぐ!?」
少年は突然、激痛に襲われた。それはまるで、命を賭した戦いの末、生命力を奪われていくような感覚だった。彼の呻きにも似た悲鳴を受けて、誰かがベッドサイドに寄ってくる。
この部屋にいるのは、少年とそれを監視している医療用のホムンクルスのみだ。当然、寄ってきたのはそのホムンクルスだった。彼を献身的に――というのも命令だが――尽くしてきた、メイドのホムンクルス。
「どうされましたか」
愛想も感情も何もない、平坦な声が投げかける。アリスから命令を受けて行う、事務的で作業的な行為だった。
少年は、ホムンクルスに尋ねられて、何とか症状を口にする。自身に起こっていることを説明できるのも、アリスが知識を与えたからだろう。ユリアナの〝腹〟から〝取り上げられた〟ばかりの彼。生後数日の赤子にしては、素晴らしい対応だろう。
「あ、が……いっ……おなかが空いている……でも、苦しい……」
「お食事をお持――」
そう言って立ち去ろうとするホムンクルスの腕を、少年はガッシリと掴んだ。ただの人間ならば振り払っただろうが、ホムンクルスには出来なかった。アリスの大切な存在という、彼の立場を聞いていたから。
何よりも、掴まれた瞬間に〝発動〟したもの。それによって、ホムンクルスの力が奪われていた。体内に存在する力が、少年に吸い取られているのだ。
抵抗すれば少年に傷がつく。そうなれば命令違反だ。――抵抗もできないまま、ホムンクルスは弱々しくなっていく。
「! おやめください。坊ちゃま、おや……め……」
最終的には、ホムンクルスはベッドサイドに倒れ込んで動かなくなった。少年はその倒れたホムンクルスを見下ろしながら、ガタガタと震えている。まだ、己の中の苦しみが終わらなかった。
「……たり、ない。足りない。おなかが空いた。いたい。苦しい。誰か」
ばたん、と荒々しい音がして、一人、この部屋へと入ってきた。この城において、そのような乱雑な素振りが出来るのはたった一人。
扉の前には、アリス・ヴェル・トレラントが立っていた。
アリスは、目覚めた少年を見れば、嬉しそうに顔をほころばせた。ズンズンとベッドサイドの方へ歩を進れば、倒れているホムンクルスに気がつく。
「おぉー! 起きたね~って、あれ? 何でホムンクルスが倒れてるの?」
「……あなた……は……」
「んん? 何そのステータス?」
パッと見ただけだったが、少年の体力値が異常なほど減少していることに気付いた。まさかまだ拒絶反応が残っているのか、と魔術を展開する。
「〈
「……いたい……苦しい……たすけて……」
「これは……! ふふ、そっか。〈
〈
少年の固有スキル――〈
腹が減る代わりに魔力が減っていく特殊な状態になり、魔力を他者から奪って摂取しなければならない。スキル保持者が有する〝魔力値〟は、いわゆる空腹の値だ。生命活動を続けていけば、人間だって腹が減る。それと同じように、〈
当然だが魔力が満タン――満腹になっていれば、人間と同様普通に活動ができる。少年本人もある程度魔力が存在するため、一気に死んでいくことはない。
しかし、魔力が底を尽きた場合、この〈
空腹を感じたのならば、生きたいと思うのならば、魔力という食事を取らなければならないのだ。
「ほら、お腹が空いたんでしょ。お食べなさいな」
「……あ……」
アリスは手に魔力を集中させて、それを差し出した。少年にとってはご馳走に他ならない。震えながら、アリスの手を取ってキスをする。
アリスの中の魔力が、どんどん奪われていくのが分かった。
その食事風景を見ながら、アリスは一人微笑んでいる。この〈
この世界におけるスキルの習得方法は、元々持っている――世間で言う〝神から授かるもの〟と、己の経験で手に入れるものがある。例えば剣術を数年、数十年と極めていれば、その方面に長けたスキルを習得出来る。
しかし一筋縄ではいかない。そもそも人間のスキル習得率は非常に低い。必要となる経験が圧倒的に多いことと、人間という種族が生きていられる時間が短いことが要因だ。人生を家族を全てを捨てて、その方面に取り組まないといけないほどに。
魔族のように寿命が長かったり、種族によるバフがかかったりすれば、多少はスキルを取得しやすい。
当然だがオリヴァーのように〝勇者の加護〟という特殊なスキルを、生まれてすぐに手にしているものもいる。それこそ神に恵まれた存在なのだ。
「もういいかな?」
「は、はい。おみぐるしいところをお見せしました、母上」
「〝母上〟?」
「あなたがぼくを〝育てた〟のでしょう? そう覚えています」
少年に、予想外の名で呼ばれれば、流石のアリスも驚いた。何と言っても、彼は〝覚えている〟と言った。アリスが彼に行った仕打ちを全て覚えているのに、母上と呼べる。普通に考えたら、ありえないことだろう。
両親のことも考慮すれば、余計におかしなことだった。
「あー。全部覚えてるんだ」
「はい。わすれません」
「それはそれは……。私を殺したくなった?」
「いえ」
「えぇ?」
少年の否定は、アリスに対する媚びすら含まれていなかった。完全に有り得ないと否定している。むしろアリスに対して「この方は何を言っているんだろう?」と疑問に思う気持ちすら、見えている。
アリスとしては、もっと激昂するものだと思っていた。
少年に対してやったことは、拷問を通り越して――処刑だ。適切なタイミングで魔術を与えていなければ、確実に死んでいたことだってあった。
無理矢理生まれさせて、成長させた。苦痛を伴う知識の付与、眼球のプレゼント。誰がどう考えても、それらを覚えているのならば怒りを抱くのは当たり前だ。
「確かににくたい的な親は、勇者と魔術師のものです。しかしぼくが彼らといた時の記憶はありません。胎内でさいぼうレベルの存在ですよ」
「まぁそうだねぇ」
「あなたは全てを与えてくれた。
アリスは拍子抜けした。もっともっと怒り狂って、まるでユリアナみたいに振る舞うものだと思っていた。だが少年がアリスに対して見せたのは、敬愛、納得。
愚かな母親のように感情を顕にしてくれると期待していた、アリスにとっては予想外でもあり、期待外れでもあった。
しかしこればかりは仕方のないことだった。〝育てた〟存在がアリスという時点で、彼は歪んでしまっていた。アリスの体を流れる魔力を存分に受けて、彼女から直々に知識を得た。
アリスが生まれながらにして狂っていたのであれば、少年は〝
「親とか育児とかはどうでもいいとして、体はどうかな? 不調はない?」
「ぼくはどうでもよくないのですが……。――たいちょうは、問題ありません。体のきのうも動いているように感じます」
「そっか。左目は?」
「……分かりません。母上のものは、読めないので……」
アリスが左目をあげたのは、自分のものと見せつけるためだけではない。与える際に、〈
〈
もちろん、この世界に存在する読心魔術には、もっと高性能で良い魔術が大量に存在する。アリスもそれを知っているし、全ての魔術がインプットされている彼女にならば、付与することも可能だった。
しかし一応少年は、倒すべき勇者の子供。余りに与え過ぎるのも良くはない。
アリスは少年と会話する前は、彼が裏切ったり自分を憎んだりしていると思っていた。だからこの程度の効果しか付けなかったのだ。
「あっはは。そうだね。じゃあそれのテストも兼ねて、外に出ようか――リーベ」
「……?」
「君の名前だよ。何もないのはつまらないし、呼び方がないと困るでしょ?」
「リーベ……」
アリスに言われた名前を、噛みしめるように呟いた。少年――リーベは、アリスから大量のものを与えられたが、これはその中で一番平和的な贈り物だった。
「そ。私の元いた世界の言葉で……〝愛〟を意味する」
「……あい……」
それを聞けば、リーベは嬉しそうに微笑んだ。まるで、本物の母親からプレゼントを受け取ったかのように、満面の笑みを向けている。
名付けたアリスとしては、いつかリーベをお披露目するオリヴァーに対する皮肉だった。そしてそんな皮肉を、悲しいかなリーベは受け入れている。
きっとオリヴァーは名前を否定するだろう。しかし、その時にリーベはどうするか。この喜ぶ姿が嘘ではないとするならば、きっと面白い光景が見れることだろう。
アリスの想像とは真逆で、リーベはアリスを受け入れた。勇者に与える絶望をさらに大きくする一つとなる。そう思えばアリスは心が躍るのだ。
「そこにある服に着替えておいで。廊下で待ってるよ」
「はい、母上」
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