アリス式育児

 アリスはユリアナを閉じ込めていた専用部屋から、移動していた。

これから行うことには、膨大な魔力を使用する。だから通常の何倍もの魔力を消費するあの部屋では、魔力の無駄遣いになってしまう。

 幸い魔王城には、不要な部屋が多数存在する。アリスであればどの部屋を使っても、誰にも咎められないのだが――それは置いといて、彼女は人気のなさそうな場所を選んだ。


「まぁ、ものは試しだよね」


 そう言うとアリスは、浮かせていた胎児に、己の魔力を注入し始めた。すると、胎児はぐねぐねと形を変えて、母の腹の中で育つようにすくすくと大きくなっていく。

 徐々に人の形へとなっていく。腹の中で数ヶ月を経て成長するべき胎児は、アリスの魔力によって、正常ではあり得ない速度で変わっていった。


「……だいぶ吸われるな。まぁ、問題ないことだけど……」


 アリスが魔力の注入を一旦止める。胎児だった子供の大きさは、三歳児ほどまで成長していた。胎児から幼児となった〝それ〟は、まだ瞳を重く閉じていて、目覚める様子がない。

 この世界で有り得る魔力の最大値を有しているアリスだとしても、子供を一人成長させるには、それなりの時間を必要とするらしい。一息ついて、己の魔力が回復していくのを待っていた。

 回復を待っている間、アリスはふと思いつく。幹部が持っているスキルの中で、魔力消費を抑えられる効果があるものがあった。幹部のスキルによっては、一つのスキルに様々な効果が含んでいることがあるのだ。普段はスキルの保持者に使用を任せているため、それをすっかり忘れていた。


「あ、そうだ。〈絶対固有空間・常常つねづね〉」


 スキルを唱えれば、一瞬だけ闇で覆われた後にスキルが展開される。この場においてアリスのスキル展開を邪魔する存在などおらず、難なく発動出来た。

 〈絶対固有空間・常常つねづね〉の本来の能力は、魔術のキャンセルではない。このスキルが発動した空間における、術者へのバフが主な効果だ。消費魔力や発動時間など、魔術において不利となるものを、九割カット出来るという壊れた性能を持つ。


 効果が得られるのはスキルを発動した術者のみだが、それでも魔術に特化したルーシーやアリスが発動すれば、その恐ろしさは誰もが分かるだろう。

 スキルを展開し、相手の魔術をかき消したあと。こちらから強化が乗った攻撃を行う。この流れが成立した場合は恐怖である。


「このスキルの〝消費魔力減少効果〟は、魔術以外でも適用されるかな? だと助かるなぁ」


 などと言っている間に、アリスの魔力はほとんど回復していた。試しに再び魔力注入を再開すれば、〈絶対固有空間・常常つねづね〉の恩恵で消費魔力が減っていることが分かった。

 これであれば、消費魔力よりも回復魔力量のほうが上回る。途中で休憩を挟む心配が減るのだ。


「よし。このまま十歳くらいまで一気にやっちゃおう」






 数分経過すれば、アリスの目の前には、十歳程度の裸の少年が倒れていた。

アリスは魔術空間から布を取り出して、倒れている少年へと投げやった。少年はそれを受け取ることなく、ただ倒れたままその布を受け入れていた。


「あぃ……うー……」

「肉体年齢だけ引き上げて、脳みそには何も入れてないもんな~」


 頭の中が体に追いついていないのだ。見た目は十歳ほどの少年となっていたが、脳みそはまだ生まれたばかりの子供のまま。虚ろな目で焦点も合わないまま、どこかを見つめている。

 アリスとしても、このままにしておくつもりはない。折角己の魔力を分け与えて〝育てた〟のだから、使える程度までは育成してあげるつもりだった。

 アリスは倒れている少年に近づくと、雑に頭を掴む。


「んぇ?」

「耐えられなくても、治すからね~」

「あ? ――う、ギャッ! あグぅ! あぁああぁアぁ゛あぁ!」


 アリスが脳みその情報を読み取れるのであれば、流し込むことも可能である。彼女は少年へ、最低限必要な情報を一気に流し込んでいく。

 レベルも何もない少年にとっては、もはや拷問だった。流れ込んでくる情報を体が処理できずに、涙が溢れていく。

 それだけではなく、口から胃液を吐き出している。生まれてから一度も食事を口にしていないため、何も吐くものはないのだが――それでも体は拒絶反応として嘔吐をしている。体全体も、ビクビクと痙攣し始めていた。

 もちろんこのまま流し続ければ、少年は耐えきれず死んでしまう。だから都度、治癒魔術をかけてやって労らねばならない。


「〈内なるプレイド〉――って、いちいちかけるのめんどくさいか。じゃあこっちだ、〈ホールド・ユー・タイト〉」


 〈ホールド・ユー・タイト〉はパラケルススが所有するスキルだ。継続時間が長く、範囲内の回復を可能とするスキルである。そのためいちいち魔術を付与する必要がないのだ。この場合には適していた。

 回復させれば抵抗する力が出てきたのか、少年はアリスから逃げようと動き出す。


「お、やめでっ、はなぢて!」

「おぉ、言語能力が発達したのか。悪いがまだ続けるからね、耐えてねー」


 逃がすわけにはいかず、アリスは空いた手で押さえつける。力のステータスも最大値に達しているアリスが押さえつければ、年端も行かぬ子供なんぞ逃げられない。

 アリスはそのまま頭から手を離さず、情報を流し込み続ける。


「ギャア! いだいぃ、ぐるじぃいいあぁ!」

「感じていることも表現出来るのか~。短時間だけど、素晴らしい成長だよ。でもまだまだ与えたい知識はあるからさ~」


 苦痛と回復の繰り返しから逃れられない少年は、そのまま数分もの間〝拷問〟を受けていた。




「よし。子供だし、これくらいでいいか」


 アリスが納得するまで、頭に知識を流し込んだ。

 少年はぐったりと倒れ込んでいて、汗もたくさんかいている。流石に嘔吐物などはアリスがサッと魔術で片付けたが、それでも弱っているのは変わりがなかった。

 たとえ魔術で治療したとしても、十歳そこらの少年が受ける仕打ちではない。心は疲れ切ったままだろう。


「さてと、お次は……。そうだな。せっかくだから私の所有物という、印をつけてあげよう」


 そう言うとアリスは、己の左目へと触れた。黒目と白目が反転した、独特な瞳だ。一度見たら誰もが忘れない目だろう。

 アリスは瞳――眼球に触れると、そのまま指を差し込んでいく。ぐちゅりと音がして、どんどん血液が滴る。指は半分ほど目の中に入っていた。そして勢いのまま引き抜けば、アリスの眼球が手のひらにあった。

 引き抜いてぽっかりと穴が空いたはずの左目は、既に治癒が完了しており、両目とも揃った状態になっている。


「暴れないでね~」

「なに……を、?」


 アリスは少年へ馬乗りになった。これから酷く暴れる心配があったため、更に強く押さえる必要があるからだ。アリスはまだ綺麗な方の手を、少年の左目に添えた。


「ぃっ、ぎゃあぁあぁアあぁ!!」

「はいはーい、お静かに~」

「あぐっ!?」


 少年の眼球を引き抜けば、先ほどとは比べ物にならないほど暴れだした。痛みを消しているわけではなかったため、走る激痛は相当なものだろう。空いた場所に、事前に取り出しておいたアリスの目を入れ、治癒魔術を付与する。


「〈全治全能ヒール・ザ・ワールド〉」

「うぎ、うぅっ、あァあア゛ぁあぁ!」

「……あれ?」


 しかし少年が痛がる様子が、終わることはなかった。相変わらずジタバタと苦しんでいる。暴れられて怪我でもされたら困るため、アリスはまだ馬乗りのまま、少年の左目をじっくり見つめる。

 傷などなく、〈全治全能ヒール・ザ・ワールド〉によって完璧に治療されている。傷跡すら残っていない、完全な治療だ。現代の医者が見れば驚いてしまうほど、何も残っていない。

 透視で確認してみるが、神経だってきちんと繋がっていて、視界も問題なく機能していた。だが彼は喚いて叫んで痛がっている。


「おかしいな。傷は治ってるのに……」


 アリスはそのまま〈転移門〉を開いた。扉が開いた先には、パラケルススのオフィスが広がっている。そしてそこにはパラケルススもいた。先程アベスカに到着したばかりで、まだ何も着手出来ていないようだ。


「おや? どうなさいました?」

「私の目を移植したんだけど、傷は治ってるのに痛そうなんだ」

「あぁ、こちらはあの魔術師の子供ですか。どれ、見せてくだされ」


 パラケルススは門からやってくると、アリスの下になっている少年をじっくりと観察する。アリスの言う通り、外傷は見当たらない。しかし、苦しそうにしているのは事実だった。

 パラケルススは様々な角度から観察しつつ、少年の苦しみ具合を見た。脈や体温なども測ってみて、言葉を続ける。


「ふーむ。恐らく拒絶反応ですな。アリス様と此奴は、魔族と人、魔王と勇者の子、他者と他者です。体がそれを拒んでも、当然と言えましょうぞ」

「なるほどねー。じゃあ馴染まないかもってこと?」

「それは違いますな。アリス様が直接〝子を取り上げた〟のでしょう? この城の瘴気にも耐え、貴女様の魔力を受け続けて、ここまで成長させられた子供。時間はかかれど馴染むはずです」


 パラケルススから貰った答えを聞いて納得する。そして失敗ではなかったことを知って、アリスは喜んだ。せっかく〝あげた〟瞳が、このままなかったことになるのは惜しい。

 無駄にならずに済んで、彼女としては良かったのだ。


「じゃあこのまま、閉じ込めておこうかな」

「それがよいかと。しかし相手は子供で、人です。痛みに耐えうるかどうか」

「定期的に治癒すればいい?」


 アリスはそう言いながら、ホムンクルスを一体生成した。ぐねぐねと形を変えて、人になっていく。

 治癒するといっても、アリスが付きっきりで見ているわけではない。治癒魔術を可能とするホムンクルスを作り、あとは安定するまで待つだけだ。


「それが良いかと」

「わかった! ありがとね、パラケルスス」

「いいえ。では失礼致します」


 パラケルススはそのまま〈転移門〉をくぐり、オフィスへと戻っていく。それを見届けると、アリスは〈転移門〉をすぐに閉じた。

 先程生成していたホムンクルスは、命令を待っている状態だ。アリスに傅いて待機している。

 ちょうどこの部屋は空き部屋だったため、このまま閉じ込めておけば良いだろうと判断した。

 暴れている少年の上からどけば、苦痛に耐えきれずにそのままジタバタと動き出す。


「あの子が苦しがったら治癒して。部屋からは絶対に出さないで。安定したら呼んでね」

「かしこまりました」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る