劫略
アリスがユリアナを手に入れて、約三日ほど経過した。あいも変わらず、アリスは暇を持て余していた。時々ガブリエラと遊んだり、ベルのもとへ出向いて、ヨルクの着せ替えショーを眺めたり。
手元に勇者の仲間がいる以上、奇襲も考慮して外には出なかった。元々インドアな性分のため、長い間、籠もっていても苦ではない。しかしそれとて、暇は暇なのだ。
そんなアリスのもとに、一体のホムンクルスがやって来る。いつもの通り無表情で事務的な対応しか出来ないが、頼んだ仕事は完璧にこなしてくれる。仕事さえ出来れば愛想なんて必要がない。
これは客商売ではないし、ホムンクルスはアリスの玩具じゃない。愛想のいい可愛らしい子、愛でていたい子ではない。報連相がしっかりと行えて、己の能力を過信せず、頼まれた仕事を完璧に遂行する。アリスが主に雑務を頼む――ホムンクルスへ求めているのはそのクオリティだ。
やって来たホムンクルスは丁寧に頭を下げて、アリスに報告を上げた。
「アリス様」
「ほいほい?」
「捕虜の娘が、食事を口にしません。直接入れようとしたところ、拒絶致しました。これ以上は癇癪や戦闘になりかねないと判断、撤退して参りました。現時点で、丸二日断食しています」
「……なんだって?」
いつものようにお気楽な返事をしたアリスは、ホムンクルスが上げた報告で表情を変えた。食べないということは、相手が例え妊婦であろうとなかろうと、命に関わる問題だ。アリスが〝欲しい物〟に関わらず、ユリアナが最終的に死ぬことを意味する。
それでは意味がないのだ。
せっかく幹部のほとんどを動員して手に入れたもの。このまま彼女の断食程度で終わってしまうのは、アリスとしては困りものだ。
「困るよー、ユリアナ。食べないとだめだよー」
アリスはユリアナを閉じ込めている部屋に来ていた。
部屋は最初の状態と寸分違わず、ユリアナがストレスで暴れているような様子も見られない。体力を無駄に消費しないようにしているのだろう。
ただでさえ断食しているのだ。じっと部屋でうずくまっているだけで済ませている。
「嫌です! 魔王からの施しなんて受けません!」
「勇者の子供が死んじゃうんだよ~? 君が愛してるオリヴァーとの子供だよ~?」
ユリアナの良心に訴えるような言葉を選ぶ。魔王すら殺すのをためらった勇者の恋人だ。きっと腹の中の子供など、殺せるはずがない。
しかしアリスの言葉はユリアナの心を、揺さぶることはなかった。そんな言葉よりも強い意思が、彼女にはあったのだ。
「魔王に育てられた子供なんて……オリヴァーくんに顔向けできません!」
「えー」
アリスは次第に苛立ちを覚えた。
この世界に来て、大抵のことが思い通りに行っていた。前世とは違って、欲しい物を「欲しい」と言っていい。やりたいことを「やりたい」と言っていい。そんな権利に恵まれてきていた。
だから、ここで上手くいかないことに納得がいかなかった。せっかくアリスが丁寧に言っているのに。せっかくアリスが優しく伝えているのに。この娘は、どうも都合よく動いてはくれない。
「じゃあいいや」
「――え?」
アリスが手首を軽くスナップさせると、どこからか大量のツタが現れる。ギュルギュルと物凄い勢いで動いたツタは、ユリアナの四肢を縛り上げて壁へと引き寄せ、彼女を壁面に縫い付けた。
ジタバタと抵抗するユリアナ。ツタは多少の動きすら許容せず、強い力で更に締め付ければユリアナが動かなくなった。
「私が優しくしてるから、つけあがっちゃったかな。ごめんね。折角の赤ちゃんだから、親の体で育ててあげようと思ってたんだけど」
「何……、を……」
アリスが右腕に魔力を集中させれば、紫色のオーラが腕を包み込んだ。禍々しいそのオーラは、炎のように腕を覆って揺らめいている。
そのオーラを保ちながら、アリスはゆっくりとユリアナへ近づいていく。
何をされるのか分からないユリアナは、必死に体をよじって逃げようとするが、ツタが想像以上に自身を締め付けているため、動けることはなかった。
「えーっと、よいしょー」
「あぐっ!?」
オーラを纏った右腕を、勢いよくユリアナの腹部へと突っ込んだ。腹を突き刺されたユリアナには、肉を貫くような感覚などなかった。しかし見た目からして明らかに腕が刺さっている。
流石のユリアナも、混乱した。目の前の悪魔が、何をしたいのか。彼女には理解出来なかった。しかし良からぬことであることは、分かっていた。だから必死に抵抗しているが、壁に縛り付けられた体はびくともしない。叫ぶので精一杯だ。
「いや、なにっ、やめて! いやぁあ!」
「まぁまぁ。大人しくしなさいな」
アリスはユリアナの腹に突き刺していた腕を、ゆっくりと引き抜いていく。抜かれていく腕には、血液や肉が付着することなどない。衣服もまっさらで、汚れなど知らないままだ。相変わらずオーラを纏っていた。
ズルリと引っ張り出したのは、ユリアナの腹部の中で守られるように育っていた――胎児だった。まだ一ヶ月しか経過していないため、ようやっと人の形に見えるか見えないかだ。
アリスは〝それ〟を直接触れること無く、ふわふわと浮かせていた。その生命を見つめてニヤリと笑う。ユリアナは、そんな化け物を見て絶望と恐怖を抱く。
「う……うそ……私……の、赤ちゃん……」
「そうだよ。ユリアナ・ヒュルストとオリヴァー・ラストルグエフの子供だ。きちんと育てれば、さぞ強いのだろうね。将来が楽しみだったよ」
ユリアナは絶望しきっていた。それを見て安全と判断したのか、アリスはユリアナを壁に張り付けていたツタを消し去った。
重力に従って壁から落ちたユリアナは、そのまま床へと倒れ込んだ。着地する気力すらなかった。落ちた衝撃で足や腕を打ったが、そんな痛みなど関係ないくらいに、彼女は鬱々としていた。しかしなんとか顔を上げて、アリスに問う。
「なんで……どうして……」
そう、小さくつぶやいた。アリスに話しかけていたのは分かったが、その喋り方はまるで自分にも言い聞かせているかのようだった。虚ろな目をアリスに――アリスの持っている胎児に向けながら。
抵抗も出来ないまま、ただ奪われていくのを見ているだけだった。余りに人外じみた強奪に、涙すらこぼれ落ちなかった。
「どうしてだって? 欲しかったからだよ」
「………………は……?」
アリスが当然のように答えれば、ユリアナから息にも似た声が漏れる。何を言っているんだ、と問いたかった。理解が及ばないユリアナをよそに、アリスはニコニコと笑顔のままだ。
欲しかったものが、やっと手に入った。本来ならば数ヶ月待つべきものが、ユリアナの小さな抗いによって随分と早くなった。
だから少しだけ、アリスは感謝していた。アリスを憎んで嫌っていたユリアナが、食事を拒絶したことで時期が早まったのだから。
「手元に置きたかった。私色で染めた勇者の子供は、事実を知ったらどんな顔をするのだろうね。絶望するかな? 私側につくのかな? 私を愛することは――ないだろうけど」
「………………」
「ふふ」
手のひらの上で浮いている胎児を、くるくると回す。ユリアナには原理が分からなかったが、アリスの言動から〝生きている〟のだと分かった。だとしても、もう彼女の腹の中にはいない。
これからオリヴァーと二人で築き上げるはずだった未来は、目の前の魔王によって一瞬で奪われた。腹の中で成長していく過程を見守ることも、オリヴァーと名前を決める時間も。オリヴァーと二人、領地で育児をすることも。生まれたあとに、子供の成長を見守ることも出来ない。
「う……」
ユリアナは拳を握りしめた。許せない思いでいっぱいだった。たかが欲しいというだけで、様々な人間の人生を踏みにじっている。
ヴァルデマルですら、ここまで酷くはなかった。人々に侵略行為を行い、残虐な殺戮行為を行ったとしても。今のユリアナにとって全てである子供を奪ったことは、それ以上に酷い行為であった。
「うわぁあああああ!!!」
ユリアナは全てを失ったも同然だった。だから捨て身に出て、全身全霊を持って攻撃を仕掛けた。
この部屋が魔力を尋常ではないほど奪っていくのは、数日過ごした彼女ならば分かっていた。それをも気にせず、今持てる全ての魔術を与えようとするくらいには、彼女は怒り狂っていた。
「おっと」
「――ッ」
アリスがその攻撃を受け入れるはずもなく、ユリアナがアリスの場所へ到達する前に阻止をする。
アリスが指を一本動かせば、床から細く長い岩が現れた。それらはユリアナを囲うように動き、岩の檻を生成した。
一瞬で現れた檻の中に入ったユリアナは、勢いのまま、檻の中でぶつかった。反動で後ろへと倒れてしまったが、飛び起きてこの檻から出ようと必死に叩いた。しかし物理攻撃力が高くないユリアナの攻撃なんて、通るはずがない。
「残念だよ、ユリアナ・ヒュルスト。本当に残念だ。少しそこで反省するといい」
「……くっ……出しなさい! さもなくばオリヴァーくんが、仲間を連れて来ます!」
「はぁ……喚くな。うるさい。どうせ来れないさ」
パチリと指を鳴らせば、ユリアナに会話を封じる魔術が付与される。
先程から何度もこの部屋にて、魔術を使用しているアリスだったが、疲労している様子が全くない。
ユリアナのように魔力が枯渇し、意識を失って、強制的に回復期間に入る様子もなかった。普段と変わらず魔術を続けて発動している。
「……ッ! ………!!」
「うーん……」
魔術により一時的に声を奪われたユリアナは、驚きつつも叫びをやめない。音にならない、息が漏れるだけだった。やり場のない怒りは収まらないのだろう。
アリスはそんなユリアナを見ながら、考え込んだ。それは、今後のユリアナの処遇について。
――この世界ではレベルが設定されており、上限レベルも知られている。高みに登れるのは限られていて、場合によっては魔族になったり、人ならざる修行を積まねば上がれない。
故にユリアナのように、高レベルの個体は珍しいのだ。最終的には殺すとは言え、今この場であっさりと命を奪うのはつまらない。
高いレベルなのであれば、ある程度の攻撃に耐えうるだろう。魔術の実験や、パラケルススのホムンクルス素材として蓄えておくのも悪くはない。精液だけではなく、遺伝子情報ともなり得るものがあるならば、ホムンクルスを作成できる。女であれば頭髪であったり、皮膚片であったり、爪だったり。
スキルで生成できるホムンクルスのレベルは限られているが、それでも生成可能な一番高いレベルを、いとも簡単に生み出せるはずだ。
「ベル」
「はい、ここに」
アリスが部下の名前を呼べば、瞬時に部屋に漆黒の少女が現れる。アリスが今、手に持っているもの。檻の中に閉じ込められたユリアナ。それらを一瞥したが、ベルはなにか言うわけではなかった。ただアリスの命令を待っている。
「こいつの用は済んだ。閉じ込めておいて。もう欲しいものは貰ったから、お姫様のように扱わなくていいよ。でも、まだ殺さないでね」
「かしこまりました」
「……! ……っ、…………!!」
ベルがユリアナを連れて行こうとすれば、ユリアナは酷く叫んでいる――が、声は聞こえることはない。とりあえず彼女が訴えるように、抗議するように口を動かしていた。
魔術により、ユリアナの口を封じられているのだと気付けば、ベルは顔をしかめた。
「この魔術はずっとです?」
「ん?」
「喋らないと〝加減〟がわかりません」
悲鳴を上げてくれなければ、ベルが誤って殺してしまうかもしれない。そう言いたかった。アリスもそれを理解したのか、納得したような顔を見せた。
アリスとて実験で殺したりするのは、計画に反する。もっと絶望的な場面で殺してやることこそ、魔王たる――悪たる振る舞いにふさわしい。
「後で解除するよ。忘れてたら言って」
「はい、ありがとうございます」
ベルは檻を引っ張ると、部屋から出ていった。岩で出来た檻を引き摺ったせいで、床には派手に傷が出来てしまった。しかしこの程度後で修復可能だ。
それに今問題なのは、床の傷程度のことではない。
「さて、あとはコレだな」
彼女が今手にしている――胎児の処理だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます