ユリアナの苦悩
「――と、言うわけで彼女の世話をお願いね」
「お任せくだされ。ヒトの妊婦の相手はしたことが御座いませんが、誠心誠意尽くさせて頂きますぞ」
「よろしくね」
パラケルススは、ユリアナが出産までの間の主治医として仕えることとなった。誰も文句を言わなかったのは、アリスが欲しい物がユリアナの中にあるからだろう。
当然だが主治医をアンデッドが務めることに関する、ユリアナの同意はない。アリスに捕らえられた時点で、拒否権など存在しないのだ。
アリスとパラケルススのいる、ここはユリアナに与えられた部屋。〝捕虜〟であるユリアナに、相応しくない部屋が割り当てられている。
広々とした部屋は、一人で暮らすには広すぎるほどだ。子供が数人走り回ってもまだ有り余るくらいには、その大きさを誇る。
また、部屋の隅には子供用の玩具が集められている。ベビーベッド、オルゴールメリー。知育玩具に人形。玩具の剣。年齢に応じた様々な遊び道具があった。男女どちらが生まれてもいいように、多種多様なものが取り揃えてある。
衣装部屋などはないが、部屋には大きめのクローゼットがある。ユリアナにピッタリのサイズの衣装が入っており、妊娠の具合によってその内容はまた入れ替わる。
キングサイズもありそうな巨大なベッドは、誰が眠ってもふかふかだと言うだろう。安眠のために全てを尽くしてある高級品だった。枕や布団に至っても、そのアイテムの最上級とも言えるものを使用している。
ベッドの脇には、いつでも使用人を呼び出せるように呼び鈴を置いてあり、至れり尽くせりである。きっとこんな状況でなければ、ユリアナは喜んだに違いない。
「しかし……アリス様にここまでさせているというのに。全く失礼な娘ですな」
そんな豪華な部屋だというのに、ユリアナはカーテンを閉め切っている。そしてあろうことかベッドから布団を剥ぎ取り、部屋の隅でうずくまっていた。アリスの用意した最高級ベッドではくつろぐ様子はなく、広い部屋の片隅で、ただじっとしている。
何も出来ない彼女なりの、抵抗なのだろう。用意した全てを拒むしか出来なかった。
「しょうがないよ。この部屋の効果を聞けば、あれくらいしかやることがないでしょ」
ユリアナの為に用意されたこの部屋には、特殊な効果が付与されていた。
この部屋で魔術を使用すると、魔力が通常必要とされる量の、七から九倍も消費される。ユリアナにとっては〝たかが〟Bランク程度の魔術を放ったとしても、保有する魔力のほとんどを削られてしまう。まさにそれはSランク魔術を使ったかのように。
大量に魔力を失って、枯渇してしまえば疲労が発生する。体は回復するために、疲れとなって反動が来るのだ。体力があれば疲労程度で済むが、人によっては倒れたり、最悪の場合――死に至ることがある。魔力の運営は気を配らねばならないことなのだ。
中は広く自由だというのに、その効果のせいで檻や枷のような役割をしていた。
例えば大魔術師と呼ばれるユリアナであっても、その効果は同じだ。
この部屋に入れられてすぐ、ユリアナは逃げようと魔術槍を放出した。しかし結果は、魔力が空っぽになってしまい、あっけなく気絶。己の実体験をもって、この部屋の危険性――もとい、〝安全性〟を確かめたのだ。
「ちゃんと人間向けの、栄養のあるものを与えてね?」
「当然ですとも」
ユリアナは、二人のそんな会話を聞いていた。
はじめは自分を囮にして、オリヴァーを魔王城へとおびき寄せる作戦だと思っていた。だがアリスと部下との会話を聞いているうちに、彼女の望むものは、もっと別のものだと気付いていった。
ここまでユリアナに対して手厚く対応する理由。そして腹の中を気遣う言動。
アリスという女は、ユリアナの胎内にある子供が欲しかったのだ。
きっと、勇者の跡継ぎが生まれることを恐れていたのだ――そう思ったが、ならばどうしてすぐに殺さないのか。捕まえた瞬間にユリアナを殺してしまえば、跡継ぎの問題はなくなる。
むしろこの女は、まるで大切に育てるが如く、厚遇をして見せる。
(魔族の考えなんて、分かるわけないよね……)
理解したくもなかった。ユリアナに考えられる唯一のことは、この子供を絶対に渡したくないという強い意思だけ。そして何も出来ない彼女は、ただひたすらオリヴァーの到着を待つだけだった。
――その日から、ユリアナへの対応が始まった。
妊婦と胎児に気を遣った料理の数々、体が冷えないようにと持ってこられた衣服。子育てに関する知識の本などなど。
パルドウィン王国でもここまでの厚遇は受けたことがない。そもそもユリアナは貴族でもないため、こんな広い部屋にすら泊まったこともない。慣れない対応に戸惑いながら、それに絆されないように。
「ユリアナ様。お食事でございます」
「……いりません」
「ではお口に入れさせていただきます。お口をお開けくださいまし」
「いりませんってば!」
そんなユリアナの体調管理は困難を極めていた。ユリアナが頑として、食事を断るのだ。魔王からの施しなど、受ける気にならない。とっとと殺せばいいものを、と腹を立てた。
給仕のホムンクルスも、ユリアナに食事を与えるというのが使命だ。そのように上から命令を受け取っていれば、低レベルのホムンクルスはその通りに動くしかない。ホムンクルス達は無表情ながら、献身的に彼女に対応していたが、ユリアナはそれすら恐ろしく感じた。
「口を……」
「やめてください!」
バシリと手で薙ぎ払えば、スプーンが飛ぶ。料理を乗せたそれは、虚しくも床へと落ちていった。給仕は少し考え込むと、落ちたスプーンを拾い上げた。汚れた床も手際よく掃除した。
深々とお辞儀をして、残った食事とともに部屋を出ていった。
部屋には、久方ぶりに静寂が訪れたのだ。一人になると余計に虚しさが増すというもの。ホムンクルスが去っていった今、ユリアナもその虚しさに苦しめられた。
彼女は腹が減っていない訳などではない。腹の子のことを考慮すれば、あの食事は受け取るべきだろう。しかし勇者の恋人としての強い心なのか、それを拒んだ。
「う、うぅ……」
ユリアナは一人、部屋の隅で涙した。どこで何を間違えたのかと考えても、何も浮かばない。いつ来るか分からないオリヴァーの救援を、ただ延々と待つこと。それだけが彼女に残された希望。
ユリアナの腹がきゅうと音を上げる。あれだけ拒絶しようが、彼女の体は空腹になる。このままでは、オリヴァーがやってくる前に本当に死んでしまう。生き延びることこそ、魔王に対して行える攻撃であり、復讐だ。
涙を流して余計な塩分と水分を出してはいけない。ユリアナははらはらと流れる涙を拭って、心を決めた。
「……よし」
ユリアナは手のひらで皿を作ると、そこに集中した。魔力を注ぎ込んでいけば、キラキラと光が集まって、ごくごく少量の水が生まれていく。
魔術ランクの最低ランクであるEランクは、いわゆる〝生活魔術〟と呼ばれるものがあった。一般人でも扱えるような、簡単な魔術だ。
火をおこしたり、水を生み出したり。攻撃には全く向いていないが、日常生活で取り扱う魔術である。パルドウィンのような魔術に長けた国では、そういった技術が日常的に使われている。
もちろん、このユリアナも例外ではない。
「うぐっ……こ、これ、で……限界……」
水が手のひらいっぱいに溜まりそうになった頃。ユリアナの魔力が枯渇し始めた。体がこれ以上、生成することは不可能なのだと警告する。
この低ランクの魔術ならば、普段のユリアナであれば魔力など気にせず水を生成できた。喉が乾いたというホームレスに、綺麗な水を与えてやったことだってある。旅の途中で水分補給代わりやシャワー代わりに、皆で飲んだことだってある。気軽に使える魔術のはずだった。
しかしこの部屋は、必要魔力が桁違い。たかがEランク魔術だろうと、魔力をすべて吸い取るくらいには、必要魔力が膨れ上がる。
「……お、おいしい……」
なけなしの一杯の水を飲む。アリスからの食事を全て断っていたユリアナにとって、久方ぶりの飲食だ。魔力が底をつきてしまったため、今日はこれ以上生成できない。
しっかりと休息を取れば、明日起きる頃には魔力は回復しきっているはずだ。
それに目の前にあるしっかりとした作りのベッドで休めば、魔力の回復は確約される。だがそこで眠れるはずもないし、眠りたくもない。
再び部屋の隅で小さくなって、ただひたすらオリヴァーを待った。
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