ままごと

「はぁ……ハァ……なんだ、こいつ……!」


 オリヴァーは苦戦を強いられていた。あの、魔王すらも倒したという、勇者オリヴァーが。全身全霊をもって攻撃を繰り出しているはずなのに、攻撃が通じている様子が感じられないのだ。

 しかし、相手から受ける攻撃は重く鋭く、今まで感じたことのないくらいにダメージを受ける。痛みとはこういうものなのだ、と忘れかけていたオリヴァーに思い出させてくる。そんな攻撃を可能だというのに、相手はとどめを刺す気がない。オリヴァーを弄んでいるのだ。


 ハインツは対人特化のため、今回この編成になった。他の幹部でも対応できるだろうが、常時発動されているスキル、〈龍のノーレッジ・オブ・心得ドラゴン〉があるハインツのほうが圧倒的に有利。

 このスキルは人もしくは亜人との戦闘で、遥かに優位に立てる。攻撃面においても、防御面においても異常なほどの数値を叩き出せるのだ。相手の攻撃はなかなかダメージとして通らないし、逆にハインツが攻撃をすれば尋常ではないバフがかかる。

 このスキルはハインツを、対人特化と言わしめる部分の一つである。 


「ふむ! やはり耐えうるか! 流石は勇者といったところだなッッ!」

「くっ……!」

「しかしあまり長引くとッ、私も殺してしまいそうだ!」

「……っ」


 アリスが殺すべきオリヴァーに、とどめを刺すわけにもいかない。だがハインツの〈龍のノーレッジ・オブ心得・ドラゴン〉は、任意で発動するスキルではない。常に発動されていて、常に人間種に対して有利だ。

 だからハインツがいつものように攻撃を続けていれば、意図せずともオリヴァーを殺めてしまう。


「ここは弱めの魔術でなんとか凌ぐしか――」


 次に繰り出す攻撃を考えていれば、ハインツの背後に巨大な門が現れた。空気がズシリと重くなったように感じる、その重厚な扉。魔王城やアベスカでは見慣れた門だ。しかしオリヴァーは、その禍々しい門を知らない。

 突如現れた謎の門に対して、警戒をはじめて困惑している。


 ハインツはやっと来た〝終了の合図〟に、ホッと胸を撫で下ろす。これ以上の戦闘は、まるで繊細な作業をしているようで、彼にとって苦痛だった。

 オリヴァーにとっても、ハインツにとっても、休息であり救済だった。


「!? な、なんだあれ!」


 門は勝手に開いていくと、中から一人の少女が飛び出した。

 ハインツ側に門があることから、オリヴァーはハインツの魔術だと認識し、出てきた人物を注意深く見ていた。武器を構えて、何が起きても良いように睨みつけている。


 中から出てきた少女は、明るい金髪に、この世界では見たことのない服装を纏っていた。筋肉質かつ長身であるハインツの横に立てば、その線の細さがより際立つ。

 ハインツは少女の存在を確認すると、オリヴァーに対して行おうとしていた攻撃全てを取りやめた。


「やっほー、やってる~?」

「どうした!?」

「作戦成功。外に出てるみんなを回収なう~」

「そうか! では私も帰還するとしよう!」


 少女――ルーシーがそういえば、ハインツが踵を返して門へと足を進めている。オリヴァーとしてはここまでの脅威たる存在を、このまま野放しにするわけにはいかない。ここで仕留めて、今後の危険がないようにしなければならない。

 それは勇者の責務でもあった。この世界に力を持って生まれた、彼の重大な義務。


「逃げる気か!」


 ようやく追いかけはじめたオリヴァー。しかしハインツは既に門の目の前で、一歩足を踏み入れてしまえばその中に入ってしまう。先程の二人の会話から、オリヴァーはこれが転移の魔術であることを察していた。

 ――このままでは、やられっぱなしで逃がすことになってしまう。しっかりとした勝敗が出ていないとは言え、相手はまだ生きている時点で勇者の敗北とも取れる。それにオリヴァーに対して、ここまで強力な攻撃を仕掛けられる存在となれば、人類全体にも脅威になり得る。


 オリヴァーがとしているハインツに対して、声を荒げる。すると、返答したのはハインツではなく、迎えに来ていたルーシーだった。

 ルーシーはオリヴァーの発言を受けて、嘲笑するように鼻で息を吐いた。


「逃げるぅ? 超ウケるんですケド」

「ウケ、る……!?」

「おいッ、あまり喋るな!」


 ルーシーは〝ギャル〟という設定上、アリスの元いた世界の若者言葉を多用する。

 オリヴァーがいつの時期の人間なのかは不明だが、元々アリスと同じ世界にいた人間であることは変わりない。だから下手にルーシーが喋れば、余計な情報を与えてしまう。

 ハインツに言われてそれに気付いたルーシーは、ハッとして口を抑えた。いつもの言葉遣いをなんとか抑えながら、無駄に喋らないように気をつける。


「あ、ごめーん。早く行こ」

「そうだな!」


 ハインツが一歩、前に進む。ハインツを受け入れた門は、ひとりでにその扉を閉めていく。

 オリヴァーは逃すまいと扉へ飛び込もうとしていたが、ここまでの戦闘で体はボロボロだ。普段可能である高速移動も、今ばかりはままならない。代わりに、覚束ない足取りでなんとか走っている。


「ま、待て!」

「あぁ! 名誉のために言っておくが――これは逃走ではない!」

「はぁ!?」

「全てはあの御方の考えに基づいた行動ッ。〝計画〟が完了した今、貴様を足止めする理由は失せたからな!」


 ハインツはそれだけ言うと、扉は完全に閉じてしまった。そして閉じると同時に、その場に存在したはずなのに、一瞬で消え去る。オリヴァーが手を伸ばしたときにはもう、そこには何も存在しなかった。

 黒い霧がまだ周囲を包んでいて、微かに二人が行った戦闘の跡が残っている。それ以外は何も存在せず、シンとした空間があった。


 オリヴァーにとって、全てが初めてだった。攻撃が通らないこと。そして受けるダメージが、圧倒的に多いこと。いつもは己が余裕を持って戦っているのに、立場が逆だった。

 いつもならば楽勝だった。一瞬で敵を片付けて、怪我すら負わない。だが今は違った。

まるで自分が討伐される側の立場に立ったような感覚。いつも瞬時に殺される魔物たちは、こんな感覚だったのだろうか――などと考える。

 しかも今回の敵は、そんな力を持ちながらオリヴァーを生かした。〝逃走〟ではなく、〝計画〟と言い切った。まるで最初から、この場面を想定されていたかのように。


「……計画?」


 ふと、思い出した。勝てないことに躍起になって、当初の目的を忘れていた。オリヴァーがどうして、目の前に立ちはだかるハインツを倒さなければならなかったのか。


「ユリアナ……!」


 痛む体にムチを打ちながら、オリヴァーは走った。

 街中は、他の冒険者たちが救助を終えたらしく、うめき声も聞こえず倒れている人間も見当たらない。オリヴァーが必死に戦っているうちに、それらを完了したのだろう。冒険者が要となっているパルドウィンにおいて、その行動力は素晴らしいものだ。

 だがオリヴァーは、そんなことに感動している場合ではない。


――恋人であり、近い将来妻となるユリアナが見当たらない。


 ユリアナは、捕まったコゼットを追いかけて、霧の中に消えていったのを見た。黒い霧のせいで、どちらに走って行ったかなんて分からなかった。だから、オリヴァーは何も考えずに街中を駆け回った。

 ユリアナが好きな店にも、馴染みのある武器屋にも、いつもと同じ待ち合わせ場所にも。どこにもユリアナの姿はない。

 オリヴァーの脳裏に、ハインツの言っていた言葉がリフレインする。

『〝計画〟が完了した今――』

 計画、消えたユリアナ――この二つをつなぎ合わせてしまえば、嫌な予感が生まれていく。


「……ぅ、わ!」


 何かにぶつかり、オリヴァーは勢いよく顔面から転ぶ。鼻から血が出ていたが、もはやそれすら気にならなかった。

 荷物や置物にしては、少し柔らかい感覚があった。ネガティブになっているオリヴァーにとって、嫌な想像をしてしまうのは簡単だった。見えづらい霧の中、恐る恐るその物体へ近付けば――オリヴァーの予想していた〝最悪〟ではなかった。

 しかし良いものではなかった。


「あ……アンゼルムに――コゼット……!? どうして……」


 オリヴァーが躓いたのは、縛られて倒れているコゼットとアンゼルム。幸い死亡しておらず、気絶しているだけだ。目が覚めていないあたり、オリヴァーに蹴られたことは気付かなかったようだ。

 しっかりと両手両足を縛られている。彼らが全く何の抵抗もないまま、こんな状態になるわけがない。オリヴァーとのレベル差があれど、彼らは人間の中では精鋭だ。

 だからオリヴァーと同様に、異常なほどの強者に弄ばれたのだと分かった。


 そして何よりも、ユリアナが追っていったはずのコゼットがここにいる。どういう原理か分からないが、縛られて放置されている以上〝用済み〟となったのだと理解した。


「ユリアナ……君は……」


 完全に座り込んでしまったオリヴァーは、地面を見つめながら涙を流した。






 パルドウィンの首都に張り巡らされた黒い霧は、数時間の時をかけて晴れていった。冒険者組合を筆頭に献身的な手当の結果、霧が完全に晴れる頃には、混乱に陥っていた国民も落ち着いていた。

 みなが各々の足で自宅へと帰宅し、数日は様子を見ながら療養するようにとのことになった。

 匿っていた国民が出ていっても、冒険者組合の忙しさは変わらなかった。今まであった任務を全て後回しにして、国と原因不明の魔術についての解明へと回った。


「オリヴァー……大丈夫……?」

「……悪い、コゼット。俺は力に……なれそうにないかな……」

「そっとしておくといい、コゼット。僕達二人で調査に向かう」

「う、うん」


 彼ら――オリヴァーは余り力になれずにいた。オリヴァーは冒険者組合まで出向いたものの、やはりユリアナを失い、自分が何も出来なかったことに対して悔やんでいた。力を貸したいのは山々だが、彼にとってそれどころではなかった。

 意気消沈して、受付のスタッフの話すらまともに聞けていない。このまま街に繰り出して、調べ物をしようとしても役に立たないだろう。

 なによりもユリアナを釣り上げる、餌として使われたコゼット。彼女と一緒にいると余計に思い出してしまいそうで、より一緒にいたくなかった。それも起因している。


 彼らも他の冒険者同様、組合まで辿り着けなかった被害者がいないか、探すことになっている。そして魔術の痕跡が、どこかに残っていないかを調べるのだ。

 魔術の発展したパルドウィンですら、知り得ない魔術。今後の対策も含めて、情報は多いに越したことはない。


「で、でも、ユリアナ……。どこに行っちゃったんだろ?」

「それを調べるのが僕達の仕事だ」

「……そ、そうだよね……」


 二人はオリヴァーを置いて、街の中へと向かった。

 オリヴァーは一人、冒険者組合にて項垂れていた。周りがどれだけ忙しなく動こうとも、深い悲しみに見舞われた彼には届かなかった。

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