種明かし

 無我夢中で飛び込んだユリアナは、背後の扉が閉まって消えていくことに気付かなかった。入った瞬間見失った、コゼット。知らない場所。それらで頭が混乱していた。


「どこ、ここ……?」


 部屋にはユリアナの小さな呟きだけが響いていた。

 長いこと走って、体も火照り汗をかいていた。少しだけ涼しく感じるこの部屋で、それらがゆっくりと冷えていく。思考も落ち着いて冷静に戻っていけば、この場所がなんなのか理解できてくる。否、思い出してきた。

 数ヶ月以上前に訪れた場所――魔王城だ。あの時は必死にオリヴァーについて回り、魔王を討伐しようと奮闘していた。だからすぐに場所を思い出せなかったのだろう。


「やぁ。よく来た、お客人」

「――ッ!  〈凍てつく槍フリージング・スピア〉!」


 突然声をかけられて、ユリアナは振り向きざまに、魔術を放った。標的を対して確認せず、〈凍てつく槍フリージング・スピア〉を使用した。優柔不断な彼女にしては早すぎる判断だったが、魔王城にいる存在に攻撃するのは必然である。ここにいるものは全てが敵。勇者にとって、その認識で間違いはない。

 しかしユリアナの〈凍てつく槍フリージング・スピア〉が、声の主に届くことはなかった。


 そこに立っていたのは、白髪の女。ただの女と形容するには、些か不審な点が見られたが――ここ、魔王城でそれらを挙げればきりがないだろう。

 横には、先程の誘拐をしていた男。そしてコゼット。


「コゼット! こっちへ来て!」

「ん? あぁ、このままだったな」


 女らしきその魔族は、パチンと指を鳴らした。すると、先程まで黒い衣装に身を包んだ男は、レースがあしらわれた漆黒の服を纏う――少女へと変わる。そしてユリアナがあれだけ案じていたコゼットは、見覚えのあるピンク色の髪をした娘になった。


 ――パルドウィンにおいて、大魔術師としてその存在を知られていたユリアナ。周りが怪物並みの熟練者で溢れていたが、彼女も人間の世界にとっては希少であり強力な魔術師。

 だからそんなユリアナが、魔術により姿を惑わされていたことは、驚かされることであった。


「よくやった、ベル」

「有難きお言葉、感謝いたします」

「ガブリエラもね」

「えっへへーん」


 見覚えのあるピンク色の娘は、少し前に一緒に旅をした――ガブリエラ。親友のコゼットが酷く気に入っていて、人形のように可愛がっていたのは記憶に新しい。

 ガブリエラとの記憶は、ジョルネイダの勇者の召喚や戦争が始まったこと、マイラの死など――様々な出来事が重なったことで、その短かった旅行は記憶の片隅に追いやられていた。

 しかし一緒に過ごした日々を、完全に忘れ去るほどユリアナは愚かではない。


「……あなた、ガブリエラちゃん……? どうし――」


 狼狽えるユリアナの視線は、ガブリエラの顔から下へと降りていく。彼女の下半身を見れば、その正体にやっと気づいた。

 ガブリエラは、サキュバスである。この世界のサキュバスたる存在は、幻惑魔術を用いて相手の好きなように見せる。そして相手が自分に好意を示した時に、ぺろりと頂くのだ。お互いに気持ちがいいし、ウィンウィン。何の問題もない。

 もちろんそれが通用するのは、魔術に対する耐性が低い場合だ。ユリアナのように大魔術師とも呼ばれる存在であれば、ガブリエラが使う幻惑など効くはずがない。だから余計に彼女は混乱を覚えたのだ。


「ひっ!? 人じゃない……!? なんで、どうして……」


 ユリアナには理解できなかった。今まで仲間以外で、己を凌駕する存在を見たことがないからだ。

 昔、仲間の武器の素材を調達するために、魔術に長けた雪男が存在するという山まで行ったことがある。そこで出会った魔術の熟練者ですら、ユリアナ達には及ばなかった。

 そもそも世界の頂点に達しているオリヴァーを、毎日隣で見ているのだ。彼女にとって、世界の脅威たる存在は、ないも同然。

 ――今までは。


「ユリアナ・ヒュルスト。ようこそ、我が城へ」

「だ、誰なんですか!」

「察しの悪い女だな。ガブリエラを覚えているなら、その連れも覚えているだろう」


 ガブリエラを思い出せたのならば、必然的に同行者であったもう一人も思い出せる。――アリス。その名前だけを知っていた。背の高い、金髪をした女性。

 ずっとオリヴァーとアンゼルムが怪しんでいた相手。途中で解散してしまってから、再会することがなかった者。


 オリヴァーがあれだけ警戒していたというのに、一度も正体を見破れなかった。

 魔術を使用している気配も見られず、結局なんともなかったと結論付けた。深く考える間もなく、ユリアナ達は戦争などで忙しさを覚えることとなってしまった。


「…………う、そ。だって、オリヴァーくんと一緒にいても、気付かな……」

「オリヴァーがだったというだけだろう」

「いや……いやぁあ!」


 ――アリス・ヴェル・トレラント。彼女達の〝死〟を望む、魔王。

 ユリアナが心から愛し、信頼する世界の頂点――オリヴァー・ラストルグエフをも凌駕する存在。


 絶望により悲痛な声を上げるユリアナを見下ろして、アリスは微笑んだ。欲しい物を我慢せずに手に入れられることが、ここまでに心地の良いことなどだと実感したからだ。


「作戦は成功。ベル、ルーシーに皆を引き上げるよう言って」

「かしこまりました。パルドウィンを覆っていた魔術は、どうしますか?」

「時間を置いて解除かな。すぐに引いては事態が気付かれやすいと思うし」

「承知致しました」


 アリスから命令を受けると、ベルはその場から瞬時に消えた。ユリアナもそのやり取りをボンヤリと眺めていたが、ベルが消えるのを一瞬たりとも追えなかった。お互いの力の差を見せられて、微かにあった希望がどんどん失われていく。


「……それじゃあ……マイラを殺したのも、あなたなんですか」

「その通りだ」


 簡単に答えてみせるアリスを見て、ユリアナの心の中にあった怒りがふつふつとこみ上げるのを感じた。まるで人の命をなんとも思わないように、アリスが言うのだ。長い時間一緒に居た仲間であるユリアナが、そんなこと許せない。

 あのいつも冷静なアンゼルムですら混乱し、優しいオリヴァーが静かに怒りを表した。それ程までに許せない、大きく酷い出来事だった。当然ここにいるユリアナも、それに対して怒りを感じているのだ。


「あの子が……マイラが何をしたというのですか!」


 ユリアナがそう叫べば、アリスはキョトンとした顔でとぼけている。この少女は何を言っているのだろう、と言わんばかりの顔だった。

 それもそうだろう。アリスの中での見解と、ユリアナたちが受け取ったことは全く違うのだ。


「私の大切な、子供達を傷つけた」

「こど、も……?」


 ユリアナ達は、未知なる敵による先制攻撃を受けたと思っていた。しかしアリスの中では違う。勇者側が、先に攻撃を仕掛けたと思っているのだ。

 ここで、一般的な世界の考え方を言うのならば。アンデッドと悪魔、兵士を引き連れた勇者のヒーラー。どちらが正しいか分かるだろう。魔族なんて滅ぼすべき存在であるし、勇者の仲間といえば賛美を送るべき対象だ。


 だがアリスは、いつも正しいとされる正義の味方が嫌いだ。必ず最後は生き残って、勝利を手にする彼らが、彼女らが嫌いだ。人々に恐怖を振り撒き、本能のままに生きる悪役の方がよっぽど輝いて見えた。

 美しく有りたい。人を殺したい。己の魅力を更に磨き上げたい。あの女が持っている綺麗なものが欲しい。理由なんてどうでもいい。でも、悪役はいつも己の欲望に忠実で、そのためには手段を選ばない。

 幼稚と言われるかもしれないが、アリスにとっては、憧れの対象。


「どちらにせよ、君達五人は殺すつもりだったから。彼女は先に死にたいと自分から言っただけだ」

「そんな……!」


 ユリアナは絶望した。この状況から突破する方法が浮かばなかった。

 代わりに、彼女は今でも変わらずにオリヴァーを信じている。〝勇者の加護〟がある彼ならば、ここから抜け出して国へと戻してくれるだろうと。

 しかし、彼女自身の力でここを抜けられる力はない。そう分かった。だから絶望したのだ。オリヴァーに頼り切って、自分では何も出来ない不甲斐なさに。


 だがユリアナの解釈は間違っていた。彼女の間違いは、オリヴァーがアリスに勝てると信じていることだ。


「だが君は極力、大切にしよう。私の欲しいものを持っている」

「……オリヴァーくんを引き寄せる囮、ですか」

「んん? あぁ、あの愚鈍な男もその一部だな。だが今一番ほしいのは違う」

「…………っ」


 アリスはただ微笑んだだけだったが、ユリアナにとっては不気味で不敵な笑みだった。魔王たる微笑みというのは、こういう事を言うのだろうと。その微笑みの奥にある外道じみた計画を、ユリアナは知る由もない。

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