隔たりと招き入れ

 パーティーメンバーと冒険者依頼を受ける前に、オリヴァーとユリアナは二人でショッピングなどを楽しんでいた。カップルで訪れるような雑貨屋に入って、「これ可愛いです」などというユリアナを、オリヴァーは嬉しそうに眺めていた。かと思えば、最近出来た美味しいと有名なカフェに入り、二人でスイーツを頬張ったり。

 もちろん、冒険者として動くための準備も、二人で整えていく。二人が目をつけた店は、こぞって人気店へと駆け上がっていくため、店側も大忙しだ。


「一体何なんだ、これは……」

「わ、わからないです……」


 そんなところに突然、黒い霧が張り巡らされた。数メートル先が見えなくなるほどのその霧は、恐怖で都市を支配し始めた。

 霧が包み込んだと思えば、周囲では悲鳴や怯えた声が響きだす。


 二人は急いで悲鳴の方へと走った。状況を確認すると、幻に襲われている人々が至る所に存在する。何らかの魔術の影響下であることは分かったが、オリヴァーにもユリアナにも、何の魔術なのか特定は出来なかった。二人の知識では知り得ない魔術だったのだ。

 少なくとも人々を襲う幻は、魔術耐性の高い二人には効いていない。それだけが救いだった。


「とにかく、組合へ急ごう。アンゼルム達と合流すれば、何か分かるかもしれない」

「そうですね!」


 視界が悪い中、前方後方に気をつけながら歩いて行く。馴染みの街ではあるものの、感覚だけで歩くというのは困難を極めた。

 そして歩くたびに見つける、魔術の影響を受けている人々。外的な怪我はないものの、精神的に参ってしまっている人が多く見られた。心が耐えきれず倒れているものや、うなされている人々。

 それらを見つけるたびに、霧の影響の少ない家屋の中へと押し込んでいく。この非常事態で、無許可で侵入しているだとかは言っていられない。とにかく、人命優先、安全第一だ。


「……ひどいです」

「誰がこんなことを……」


 家や店に人を入れていれば、ユリアナが泣きそうな声でそう言った。彼女はとても優しい。かと思えば悪を許さない芯の強い女性だ。オリヴァーはそう言ったユリアナの魅力に惹かれている。


 二人が救助活動をしながら、ゆっくりと冒険者組合までの道を歩んでいると、再び悲鳴が聞こえた。ここ数分で何度も聞いている悲鳴だったが、今回ばかりは違う。

 聞いたことのある声だった。オリヴァーは一緒に学院を共にして聞き慣れていたし、ユリアナに至っては幼馴染として何年も聞いてきた声。明るくパーティーを照らす、ムードメーカー的存在。


「きゃぁああ!」


 ユリアナはサァっと顔を青くした。声のした方向と、オリヴァーを見て混乱している。一番、ユリアナと仲が良い少女。ユリアナが聞き間違えるはずがない。

 声の主はコゼット・ヴァレンテだった。太陽のように明るく元気なあの少女。いつでもユリアナのそばにいて、彼女を支えてくれた親友。そんな彼女の悲鳴が、今この悲惨な街の中から聞こえれば、ユリアナが顔面蒼白になるのも当然のことだ。


「行きましょう、オリヴァーくん!」

「あぁ」


 二人は急いで声の方向へと駆け出した。マイラにあんなことが起きてしまった今、二人の脳裏には最悪の事態が浮かぶ。

 コゼットのレベルは、現在の勇者パーティーで最弱だ。180レベルもある彼女が襲われる事態だなんて、そうそうに起きることではないが――それでも、嫌なことを想定してしまったら、もう仕方がない。

 それに、オリヴァーと出会うまでのユリアナの心細さを埋めてきていたのは、誰でもないコゼットだ。幼馴染として、小さい頃から一緒にいる二人。時に親友であり、時に姉妹のように支え合ってきた。

 ユリアナにとっては、大切な存在だ。


 暫く走れば、コゼットと彼女を連れ去ろうとしている男を見つける。漆黒の衣装に身を包む男は、明らかにコゼットに対して暴行を働いていた。コゼットは明るいオレンジの髪を、男に引っ張られていたのだ。

 無理矢理にでも連れて行くつもりなのだろう。


「コゼット! ――〈機動力・強化〉!」

「ユリアナ! 待って、危険だ!」


 ユリアナは何も考えずに飛び出した。自分のもとへと走ってくるユリアナを見ると、男はコゼットを抱きかかえて逃げ出した。

 逃げるならば追うまで。ユリアナは、逃さないと言うばかりに、無我夢中で追いかけた。


 しかしオリヴァーはそうではない。相手が何だかわからない以上、ここで追うのは危険だった。何より彼の〝本能〟が、おかしいと警告を出していた。


「正しい判断だな、勇者よ!」


 街に響き渡るほどの大声がこだました――と思えば、次の瞬間。上空から物凄い勢いで何かが落下してきた。ズドンと地面を揺らし、その地にくぼみを生成する。

 辺り一帯に舞い散る粉塵を纏いながら、その場に居たのはオールバックの大男。


「!?」


 ユリアナを止めに走ろうとしたオリヴァーの目の前には、軍服を纏った男が立っていた。

彼こそ――ハインツ・ユルゲン・ウッフェルマン。

 当然ながらオリヴァーはハインツを知らない。勇者パーティーの中でハインツを見たことがあるのは、マイラだけだ。そしてそのマイラも、もうここにはいない。


 そしてハインツが地上に降り立つと、周囲に立ち込めていた黒い霧もじわじわと晴れていく。オリヴァーには、まるでこの男の為に舞台を作っているように見えた。――実際にそうなのだが、オリヴァーはそれを知らない。


「誰……だ、お前……?」

「貴様の足止めを任された者だッ!」

「なっ……、ユリアナ!」


 ハインツは非常に正直者とも言える。それが出来るのは、相手を瞬時にねじ伏せられるという自信があるからだ。何よりも彼には対人特化の強化が存在するため、そういった余裕が持てるのだ。だから正直にハインツが話せば、オリヴァーの顔色が変わる。

 オリヴァーはハインツの横を通り抜けて、ユリアナと合流しようと走り出した。しかしそれはハインツによって阻まれた。

 容赦などない拳が、オリヴァーの腹部をめがけて飛んでくる。190センチ近い巨体から放たれるボディーブローは重く、空気を切る音すら衝撃を帯びる。オリヴァーはなんとかその攻撃を防ぐが、ブロックするために受けた腕が、ビリビリと痺れている。

 オリヴァーは今まで様々な熟練者と戦ってきた。自分の父親も含め、多数の手練た戦士達と戦いを重ねてきた。

 しかし最終的には、勇者の加護が存在するオリヴァーが勝った。

 だから痛みを感じるほどの、ボディーブローなんて受けたこともない。


(ぐっ……! なんて強いんだ……。少なくとも今まで会った中では、一番かもしれない……!)


 オリヴァーは距離を取って飛び退くと、目の前にいる存在へ警戒心を高めた。一筋縄ではいかないのは分かっていた。だがここで敗北を認めるわけにはいかない。なんとしてでも愛するユリアナを、追わなくてはならないのだ。


「お前を倒して、ユリアナを助けに行く!」

「そうか! では励むと良いッッッ!!」



 ◇◆◇◆



「はぁ……、はぁ、こ、コゼットを、離して! 待って!」


 黒い霧の中、視界も良くない状況で必死に男を追跡するユリアナ。魔術で機動力を強化しているというのに、男の移動速度は尋常ではないほどに速い。目で追うのが精一杯だ。


「助けて、ユリアナぁ!」


 しかし、抱えられているコゼットが悲痛な叫びを飛ばす。ユリアナもそれを聞いては、諦めるわけにはいかない。オベールのあの森で見たマイラの遺体。今でも脳裏に焼き付いている。自分が手を出せないまま、知らない土地で死んでいった仲間。助けるという選択肢も与えられぬまま、次に再会した時には死んでいた――マイラ。

 コゼットがあんな姿になったら。そう考えるとゾッとした。勇者パーティーの仲間は誰一人として失いたくない。そう思ったユリアナは、走りながら魔術を繰り出す。


「コゼット! くっ……〈凍てつく槍フリージング・スピア〉!」


 ユリアナが〈凍てつく槍フリージング・スピア〉を放てば、氷を纏った魔術槍が勢いよく飛び出していく。魔術矢よりも本数は劣れど、サイズが大きく威力も格段に高い。当たってしまえば誰であろうと、大ダメージは避けられない。

 しかし放たれた槍は一本たりとも当たることはなかった。ヒョイヒョイと全て避けられてしまえば、ユリアナも更に焦る。


「うわっ、ちょ、ととっ。あっぶな……。ちょっともう、ルー子! 随分離れてんじゃないの!? 早く回収してよ!」


 男が発した言葉は、その男に似合わない言葉遣いであった。まるで、十代の少女のように振る舞っている。だがユリアナはそんなことに気にしていられるほど、余裕があるわけではなかった。男との距離が縮められないのは事実。

 何より徐々に疲れが蓄積してきているせいで、ユリアナのスタミナの限界が見えてくる。

 足止めのために魔術を何度か放っていれば、魔力も失われる。ユリアナが疲弊していくのは必然だ。


 そんな時、三人の目の前に巨大な門が現れた。禍々しさも感じ取れる荘厳な門は、ひとりでにゆっくりとその扉を開いていく。

 中に見えた景色は、知らないはずの場所。その雰囲気は重々しい。似た場所を上げるとするならば、城の玉座の間。

 しかしユリアナの記憶する、どの城とも違う――恐ろしさが感じ取れる。

 何よりも、なぜだか――


「いや、やめて! 離しなさいよ!」

「!? な、なに……あれ……?」

「――こほん。ここまで追従ご苦労さま。ここを抜ければ、君達と二度と会うことはない」

「そ、そんな事許しません!」


 ユリアナは、門に飛び込む男に追従して、その中へと飛び込む。ユリアナを飲み込むと、門は招き入れるかのように、ゆっくりと扉を閉じて消えた。

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