ライブ中継
「おぉー、すごいねぇ」
鏡を見ながら、アリスはそう漏らす。音声の届かない魔術ではあるものの、ルーシーが何を行ったかを理解したのだろう。
ルーシーの眼下には、黒いモヤが広がっている。きっと街中は一気に混乱に陥ったことだ。
アリスがそれを見て感嘆しているものの、魔術に詳しくないエンプティは状況を理解出来ていない。
「そうなのですか?」
「うん。さっき三つの魔術が発動したね。Sランクふたつに、Aランクかな?」
「あれがSランクなんですね」
「そ、それはすごいですね! ルーシー様は魔人でもないのに……」
エンプティはさっぱりとした返答をするが、一緒に見ていたヴァルデマルは非常に感動していた。
一応彼は魔術に長けている存在。魔王として一時は頂点にたった者。彼自身もSランク魔術を扱えるが、そうやすやすと何度も使えるわけではない。Sランク魔術は、災害レベルとされるほどの力を持つ。本来、人間種では扱えない強大な力だ。ヴァルデマルが使えるのも、魔人化している影響によるもの。それがなければ、彼には程遠い高みなのだ。
さて、アリスといえば、ヴァルデマルの発言に目を開いて驚いている。何を言っているんだ、この子は……と言わんばかりだ。
「え? ルーシーは堕天使だよ」
「堕天使!?」
「そうだよ」
「えぇえぇ!?」
ヴァルデマルの中では、ルーシーは人間だと思っていた。見た目も他の幹部と比べれば人らしい上に、振る舞いだって人間に対して友好的だ。それはそうだろう、アリスが〝そういう風〟に作ったのだから。
所有するスキルこそ化け物並みであるものの、この強大なる存在であるアリスが率いるだけあって、特別な人間なのだと解釈していた。あれだけ人当たりの良い少女だ。絶対に人間であって、魔族などではないのだと。
それに天使ならばまだしも、彼女は堕天使だという。天使の資格を剥奪された、堕ちた天使。ヴァルデマルはヨナーシュよりも種族に造詣が深いわけじゃないが、悪魔とさして変わらないと認識していた。
だから余計に驚いたのだ。
「あれ、聞いてないの?」
「は、はい……」
ルーシーの部下として、ヴァルデマルは長い時間を過ごしてきた。部下と言う割には、魔王城に常駐して他の幹部の補佐に回っていたが、一応役職的にはルーシーの部下だ。それこそ自己紹介くらいはあっただろう。
しかしルーシーは忘れていたのか、はたまた不要だと判断したのか。己の種族については何も伝えていない。ヴァルデマルからある程度魔術を吸い出して、それで終わり。案外さっぱりしていた。
彼女も彼女で、アリスにだけ心を向けている幹部と変わらないということなのだ。
「アリス様、こちらで動きがありました」
「ん? お、エキドナチームだね」
エンプティが声を上げたので、その鏡を見てみる。エキドナ――そしてディオンの姿はハッキリ見えるものの、それ以外の風景は黒い霧によって、ほとんどが見えなくなっている。
せっかく待ち時間に観戦しようと思っていたアリスにとって、よろしくない状況だった。あまりの見づらさに、アリスはぽつりと零してしまう。
「……いや、視界悪いな」
「ルーシーに連絡しましょうか」
「こらこら。私が関与したらダメじゃん。今回の目的は?」
「そうでした、アリス様抜きでどこまで出来るか……ですね。では待ちましょう」
アリスとて、手を出したかったが、今回ばかりは我慢しなければならない。いつも命令のみで動いている部下たちが、どこまで出来るのか。それを知りたかったし、今後の計画を練るにあたって参考にしたかったからだ。
鏡を見ていれば、ディオンとエキドナが話し込んでいる。エキドナはお喋りなタイプではないが、ディオンは比較的気さくな女だ。
二人は随分と話しているように見えた。初陣ということもあって、余計に気分が上がっているのだろう。ルーシーなどに比べると大してお喋りでもないディオンが、ペラペラと会話を弾ませている。
「何やら話し込んでいるみたいですね」
「あ……この奥にうっすらと見えるのは、敵ですかね?」
「おぉ。よく見えたね、ヴァルデマル。そうみたい……ほら」
ヴァルデマルが敵を見つけた直後に、黒い霧が晴れていく。微かに見えていただけの景色は開けて、目の前にはアンゼルム・ヨースとコゼット・ヴァレンテが立っていた。
おおかた、あの会話の中には霧に関しても触れられていたのだろう。いくらディオンが近接戦を行うとは言え、そもそも距離を詰めるにあたって、霧で見えないというのは面倒だ。
「戦闘時にこちらも見えないのでは、仕方ありませんからね……」
「そうだよね~」
「他の場所も同じように解除するでしょうか? ルーシーは少し、頭が悪いところがありますから」
「でも全員が視界良くなったら困るな。やんわり確認してみよっか」
戦闘を行う幹部達は、視界が開けたほうがいいだろう。しかしアリスの〝欲しい物〟を奪うことに関しては、見られると少々面倒だ。既に街には、まともに思考が出来る国民がいないとはいえ、警戒に越したことはない。歩き回っているのが、勇者パーティーのみとは限らないからだ。
アリスはすぐにルーシーへの連絡を繋いだ。少し返答が遅れると思っていたが、そうではなかった。魔術の管理などで忙しいはずなのに、ルーシーは間髪入れずに返事をする。
「ルーシー」
『はいっ! 今日も元気なルーシーです!』
「どんな具合かな?」
『うっ……、その……エキドナに見えないって言われました……霧を一部解除です……』
意気揚々と返事をしたルーシーだったが、アリスに状況を尋ねられ、その元気は急降下した。
少し抜けている彼女は、味方にも影響があることを忘れていたのだろう。それを指摘され、アリスにも報告を上げれば己の不甲斐なさが出てきたのだ。
他の幹部は問題なく仕事を進めているのに、自分だけ失敗しまったと反省している。なによりも〝手を出さない〟と言っていたアリスが、口を挟んで来たのだ。ルーシーも気にしてしまう。
別にそのことに関して、アリスは咎める気もなかった。完璧超人として創ったわけではないし、エンプティの言う通り〝少し頭が悪い〟のだ。だからそう言ったミスも許容範囲。
それに最初に魔術を展開した段階では、どこに誰がいるかなんて分からなかった。わかったところで、移動を開始すれば幹部と鉢合わせる場所なんて更にわからない。
結局のところ、現状で十分なのだ。
「そっかそっか。他の場所もかな?」
『んーっと……ハインツのところだけ、ですか?』
「ん。そうだね」
ちゃんと分かっていることを確認すれば、更に安心する。これ以上は首を突っ込む心配もないな、と通信を切ろうとした時だった。弱々しい子犬のような声で、ルーシーは謝罪を述べた。
『うぅ……ごめんなさぁい、気を遣って頂いて……』
「そうよ。アリス様に心配されるだなんて、幹部失格ね。もっと精進なさい」
『はぁーい……』
エンプティに何かしら毒を吐かれても、いつもならば軽くあしらっているルーシー。今は流石にそんな元気もないらしく、しおらしい様子で受け止めている。
その様子があまりにも可哀想で、アリスはルーシーに同情してしまった。
「別にそこまで気にしなくても……」
「するべきですっ! アリス様は甘々です、もっとお厳しくなさってくださいませ!」
「そうかなぁ……」
大好きな部下に優しくするのは当然のこと。それもほとんどが自分で創造した子供達。まだまだこの世界についてよく知らず、だがアリスのために最善を尽くしてくれている。
アリスですらよくまだ分かっていないのに、彼女を補佐しようと奮闘しているのだ。そこに厳しさを加えるだなんて、アリスには出来ない。
『あ、あのっ。あーしはそろそろ失礼しますっ』
「はーい。頑張ってね」
ルーシーからの通信が切れると、アリスは再び鏡へと目を落とした。
ディオンとエキドナを映していた鏡を見れば、戦闘が開始されていた。ディオンの腕のバングルは淡く光っていて、相手の戦う意思を感じ取っているのが分かる。やはり勇者だ。未知なる脅威と対峙すれば、己の剣を取るのだろう。
「おぉ、コゼットは弓矢を使うのか」
「アリス様もご存知ないことなのですか?」
「うん。旅行では一度も見なかったな」
鏡に映っていた戦闘では、アンゼルムが魔術槍を放って、コゼットが弓矢を用いてディオンに攻撃していた。当たり前だがその程度の攻撃で、ディオンがやられるはずがない。
ゼウスの指輪によるレベルアップの恩恵で、彼女のレベルは幹部と同じレベルになっている。元々の戦闘力の高さもあって、勇者達と対峙した際には彼らよりも強いのは当然のこと。
今回の戦闘においても、劣る様子もなく的確に対処している。
「ですが弓矢だと、近接戦のディオンは少々不利では……」
「そうかなぁ? 魔術が付与されたようにも見えなかったし、ただの弓矢だ。アンゼルムもパルドウィンでは強い貴族なんだろうけど、大したことないし」
今回の作戦において勝利は二の次だ。アリスの今一番欲しい物を手に入れることが最優先事項。
それぞれの幹部――戦闘を行う幹部に与えられた役割は、担当する相手の足止め。必ず勝てとは言われていないし、むしろアリスのために殺すことは避けねばならない。
「それにエキドナもいるし、大丈夫でしょ。とにかくユリアナとオリヴァーに、合流しなければそれでいいよ」
「確かに……ゴミだろうと、群れれば厄介ですからね」
「……そうだねー」
などと、エンプティと会話をしながら見ていれば、もう一つの鏡でも動きがある。ハインツを映していた鏡だ。
アリスはそれを見ると、〈知見 世之鏡〉を閉じる。そして椅子から立ち上がった。
「こっちはそろそろだね。私は移動するよ」
「では私は部屋の準備を整えておきます」
「あ、エンプティ様。俺も手伝います」
「えぇ、お願い」
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