迷い子3
「おっ、ほら。言ったろ。戻ってくるって」
「あら……。本当ですわ、本当ですわ……」
再び戻ってくれば、霧の晴れたその空間には二人しかいなかった。
置いてきたはずの〈
〈
「……なぜ」
「ん?」
「なぜ……待っていた? 君ほどの強者であれば……僕を追ってこれたのだろう……」
アンゼルムの声は震えていた。いつものしっかりした彼はそこにはおらず、初めて目にした〝死〟を、虚ろな目で捉えているだけだ。
彼には理解できなかったのだ。〝そう〟習ったわけではないが、潰せるものはだいたい潰してきた。唯一潰せなかった、オリヴァーを除いて。
己が越えられる存在が、壁があるならば。努力を重ねてそれを越えられるようにしてきた。
しかし今はどうだろう。そんな気力すらわかない。
相手は自分を確実に潰せるというのに、それすらしない。アンゼルムが戻ってくると分かって、待っていたのだ。
「いやいや。戻るのがあんまり遅かったら追うぜ?」
「……ハッ。まるで僕に追いつけるような言い草だな」
「はぁ?」
ディオンは呆れながら短く返した。そして一呼吸置いて、ゆらりと動いた。
アンゼルムが次にまばたきをした瞬間には、数歩先に居たディオンは消えていなくなっていた。目の前には、エキドナ一人だけ。しかも、そのエキドナは隣にいたディオンが突然消えても、驚きすらしていない。
「それじゃお前はまるで、俺に追いつかれない自信があるみたいだな」
「――!?」
ディオンはアンゼルムの背後に立っていた。
アンゼルムは声がして急いで飛び退く。数メートル距離を取って、焦る頭を必死に冷静に戻している。
ディオンの機動力は、最高峰とされるアリスやベルと比べれば、大したものではない。幹部が視認出来ないようなスピードは出せない。
だが相手が人間ならば。そのスピードを視認できる視覚を持っていなければ。ディオンが少し本気を出して動いただけで、〝消えた〟ように認識させられる。
「な……なんなんだ……! お前達は!」
「わりぃな、今は教えられる段階じゃねぇんだわ」
「そうか……ならば! 〈
光属性を伴った矢が、次々と雨のように降り注ぐ。攻撃の先は――エキドナだった。この戦闘において、一度も手出しをしてこなかった女。ディオンに付いて回れど、攻撃を仕掛けてくる様子はなかった。
視界の隅に見えた、ディオンの表情を読み取ったアンゼルムは、「しめた」と思った。ディオンの顔は〝まずい〟と言った表情をしていたからだ。
言動も控えめであることから、アンゼルムはエキドナが弱いものだと思っていた。
しかしその判断は間違っていたのだ。
エキドナのいたあたりに、砂煙が立ち込める。何本もの矢の雨が降り注ぎ、地面が形を変えていた。悲鳴も逃げた様子も何もなかった。
アンゼルムはこの戦いで初めて勝てたと確信していた。
「パラケルスス様も、こちらを受けたのでしょうか……」
砂煙が晴れる前に、そんな声が届いけばアンゼルムの余裕の表情は、一気に崩れ去った。コツコツとヒールの音を響かせて、砂煙の中からエキドナが現れる。
ドレスには傷一つ無く、エキドナ本体も怪我を負っている様子は見られない。先程と寸分違わぬ、長身の美女がそこにいた。
「なん……なんで生きて……」
「も、申し訳御座いません、御座いません……。あの程度の防御不要な攻撃でしたら……死にませんので……」
「防御……不要……?」
アンゼルムは、膝から崩れ落ちた。
今までオリヴァーに散々負けてきた彼だったが、それ以外には劣ったことがなかった。国でも有名な貴族であるヨースに生まれ、幼い頃から英才教育を受けてきた。
稀に自由に遊ぶ子供を羨ましく思うこともあったが、己の背負った宿命を全うすべく過ごしてきた。その成果が、学院での成績や、冒険者としての実力で表れてきた。
人間としても、189レベルという高みに達した。誰もが羨む存在だった。
「なぁ、ルーシー嬢呼んでくれ。俺は上手に気絶させられねぇからさ」
「畏まりました……」
「俺……俺は……」
「悪いな~、勇者の仲間殿」
ゴツン、と。アンゼルムの脳みそを揺らすほどの、強い衝撃が襲った。
まるでボロ雑巾のような少年が、べちゃりと音を立てて地面に倒れ、アンゼルムも同時に意識を手放した。
「ビビったし! 殺したかと思ったじゃん!」
「流石に殺さねぇよ」
エキドナ、ディオン、そしてルーシーが囲むのは、傷一つないアンゼルムとコゼット。
戦闘のあとが色濃く残る地面の上に、横たわっている。
少々荒業で〝気絶〟をさせて、呼んでおいたルーシーに治癒を頼んだ。ディオンとの戦闘の傷跡すら残らない、ピカピカの状態だ。もちろんアンゼルムだけではなく、隠れていたコゼットも探し出して同じことをした。
これでディオンとエキドナチームの仕事は終了である。待機中に、アンゼルムとコゼットが目を覚まさなければ、後は報告を待って帰還するだけだ。
「縛っといたら? 起きた時にまた殴って治してじゃヤバすぎない?」
「俺は縄とか持ってないんだが……」
「しょーがないなぁ、……はい!」
魔術空間に手を入れて、適当に探って取り出したのは変哲もない縄。魔術の付与すらないただの縄だった。なぜ持っているのかという疑問が出るが、頻繁に人間と交流する機会があるルーシーにとって、普通のアイテムは必要なのだろう。
現在はアベスカの担当外だが、以前は常駐していた。平和になって乱痴気騒ぎが起き始めているアベスカでは、必須アイテムなのだ。
ディオンはそれを受け取ると、慣れた手付きで二人を縛り上げていく。これも彼女が生きてきた中で手に入れた技術だ。
「じゃあ、あーしは行くね!」
「おい、待て。他んとこはどうなってる?」
「なんにも! 順調~」
「そうか。終わったら呼んでくれよ」
「モチ!」
ルーシーが慣れた動作で〈転移門〉を開くと、その門へと消えていった。
霧がまだ強く残る街の中、ディオンとエキドナ、そして深い眠りについている勇者二人が取り残されていた。
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