迷い子1
――パルドウィン上空
奇っ怪な衣装をバタバタと鳴らし、空中にて浮遊しているのは一人の少女。魔術に長けた堕天使――そういう〝設定〟の、ルーシー・フェルである。
今回の作戦では表舞台には立たない彼女だが、裏方として重宝される。主な仕事は目くらましと仲間の転移。転移の魔術を使えない同僚も多いため、アリス不在の作戦では彼女の働きが重要となる。
パルドウィン国民が笑い合う街を見て、ルーシーは何を思うのか。一番考えていることは、アリスのために頑張ろう、である。例え彼女が人間に対して親和性はを持っていたとしても、アリスの欲望の前では全てがひっくり返る。
仲良くしていた人間も、アリスの邪魔となるもの、足かせだと言う考えに変わっていく。
「〈
ルーシーは杖を構えると、そう唱えた。すると、パルドウィンの都市にじわじわと黒い霧のようなものが広がっていく。
街全体を包み込むように、黒い霧が広範囲を覆った。ルーシーのいる場所からは、微かに建築物が見えるだけだ。
霧が完全に都市を覆ったのち、しばらくするとルーシーのところにまで悲鳴が届いてくる。これは街中で幸せそうに笑っていた、人々の悲鳴だ。
ルーシーが唱えた三つの魔術によって、パルドウィンは一気に混乱に陥った。
〈
〈
最後に〈
だがそれぞれが恐ろしいと感じる存在に追いかけられでもしたら、それはそれは精神には大きなダメージだ。
「さーあ、異常事態でしょ。かもんだよ、ユーシャさん」
『ルーシー!』
「あ、ハインツ。どったの?」
ニマニマと魔術の出来の良さを喜んでいれば、ハインツから通信が入る。にやけていた顔を引き締めて、それに応じればハインツが続けた。
『門を頼むッ! そちらへ向かう!』
「おけ! 空中だけど良さげ〜?」
『構わんッ!』
ルーシーは〈転移門〉を開いた。恐らく執務室にいるだろう、と考えてそこから直接つなぐ門を開く。ハインツが間も空けずにすぐに出てきたことから、その判断は正解だったと理解できた。
だが出てきたのはいつものハインツではなかった。ルーシーのまだ見たことのない、ドラゴンの翼を有したハインツだ。
魔術による浮遊も可能とするものの、彼的には翼で浮いていたほうが楽なのだ。
「羽根ある系!? 強すぎ!」
「まだ見たことがなかったか!」
「そーだし! やば、ガチ龍じゃん」
「竜人だからな! それで、どのような状態だッ」
眼下に広がるのはモヤに包まれた、悲鳴のこだまする都市。流石に状況を理解できないようで、ハインツも直接ルーシーに聞いた。
「今首都に~、魔術使った! 街のひとたちは、多分幻覚に襲われて迷子だし。そんで勇者おびき出しちゅー」
「上手く釣れるのを待つか!」
◇◆◇◆
「なんだ……これ……」
冒険者組合から外を見るのは、アンゼルム・ヨースであった。外の景色はまるで異界。黒い霧が立ち込めて、人々の悲鳴が組合内まで響いている。
明らかに人間に害を及ぼしているものの、アンゼルムはその正体を見たことがなかった。
一緒に組合に来ていたコゼットも、同じく外の様子を眺めて困惑している。
「ど、どうなってんの?」
「分からない。オリヴァーはまだか!?」
「まだユリアナとデート中のはず……」
「クソ……」
この非常事態を受け、冒険者組合は他の依頼そっちのけで、都市の回復へと手を回すことになった。スタッフ全員が慌ただしく走り回っている。
既に何名か、逃げ込めたものや、冒険者によって保護された人々がなだれ込んで来ている。経験の多い冒険者は、即座に霊薬などを摂取することで魔術に対する耐性を得られる。運良く魔術だと察した冒険者はそれで凌げるが、一般市民と同じく街を彷徨う者も大多数だ。
連れ込まれた人々は、酷く怯えていたりブツブツと何かをつぶやいたりしていた。少なくとも正常な状態の民は一人としていなかった。
たった一瞬で、この平和だったパルドウィンの街が悪夢と変わった。
「ヨース様、ヴァレンテ様。ラストルグエフ様を待っている時間がありません。お二人だけでも調査と市民の救助に、出てくださいませんか!」
必死の形相で駆け寄ってきたのは、世話になっている受付嬢だ。突然の事態に対応できている組合は素晴らしいが、それでもいっぱいいっぱいだ。
保護する対象が国民のほとんどとなると、いずれパンクしてしまう。早々に原因を叩き潰す必要があった。
そしてそれを可能とする、オリヴァーはまだ見えない。
オリヴァーとユリアナは、四人で依頼を受けるぎりぎりの時間まで、二人の時間を楽しんでいる予定だった。アンゼルムとコゼットもそれを知っていたし、今回組合にいたのは、やることがなくなりたまたま早めに着いたからだ。
まさか自分達が到着して間もなく、こんな事態になろうとは思わなかった。
受付嬢は業務に追われながらも、アンゼルムたちに状況の説明を始めた。
「先程、たまたま逃げ込めた三ツ星ランク冒険者が、外の状況を伝えてくれました」
「なんと言っていた?」
「そこら中に化け物がいるそうですが、殆どが幻影であるそうです。ただ、見分けられる知識や能力がないものは、その恐ろしさで精神にダメージを受けているとの報告です……」
「そうか……」
アンゼルムは悲鳴の原因を理解すると、少しだけホッとした。肉体的なダメージがないのであれば、誰かを失う必要がない。しかし精神のダメージもそれに相当する。ただホッとしているわけにはいかない。
それこそ、オリヴァー達を待っている場合ではないのだ。一刻も早く国民達を助け出し、一人でも多くの犠牲者が出ないよう立ち回らねばならない。
「怪我しないだけマシ?」
「そうとも言えん。トラウマを植え付けられた国民が可哀想だろう。僕達と違って、普段から悪魔のようなものと戦うことはないのだ」
「それもそっか」
アンゼルムの言葉にコゼットが納得すれば、彼女は戦地へ向かう準備をし始める。
己の武器を取り出して、体内の魔力の状態を確認する。不自由も怪我も何もなく、良好。
いつでも出発可能な状態だ。
「ぃよっし! アタシは行けるよ。アンゼルムは?」
「もちろん行こう。それでは、万が一オリヴァー達がこちらへ寄った場合は――」
「当然です。既に外に出られたことを、お伝えしておきますね」
「頼む」
受付嬢へ言伝を頼むと、二人は組合を飛び出した。外は施設内から見ていた時よりも濃い霧で覆われており、走ることすら困難だ。
数メートル先もまともに見えない状態で、二人は勢いに任せて走ることすら出来ない。
「……何これ。魔術?」
「恐らくな……。だが術者が確認出来ない状態では、解除するにも無理がある」
お互いに気を遣いながら、視界不良の濃霧の中を歩いている。
組合付近の被害者は、他の冒険者により回収されたようで、うめき声すら聞こえない。
いつものこの時間であれば、賑わっているはずの街の中は妙に静まり返っていた。昼だというのに暗く薄気味悪い空間が、街に生まれているのだった。
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