始まり
「ついにアリス様が動かれるということですな」
そう感心して言うのは、パラケルススだ。
ここはアベスカの城の中。アリスが動くことに関して、アベスカの国民の一部も知っている人間がいた。ライニールはもちろんのこと、兵士も含めて少数の人間が知っていた。
パラケルススはまだ完璧に治った訳では無い。今回の作戦には含まれておらず、アベスカで待機という形になっている。
それを心配そうにしているのは、少し前まで一緒の職場仲間だったルーシー。彼女はもう既に魔術連合国を任されており、ウレタ・エッカルトの二国にいることが多い。
今回の作戦ではたまたま国を出るが、アリ=マイアすら離れて戦いに出るのだ。同僚であるパラケルススとは、しばらく離れ離れになる。
「だねー。てか、パラケルスス……。ダイジョブなわけ?」
「心配しないでくだされ。アベスカでゆっくり吉報を待っております」
ホムンクルスに監視をさせるには、限界がある。彼らの判断能力を疑っているわけではないが、抑止力という意味でも幹部本人が見張っていたほうがいいのだ。ルーシーも国から居なくなる以上、もうパラケルススが休んでいるわけにはいかない。
不安げに声をかけるルーシーに、一人の兵士が歩み寄る。生真面目な顔をして、ルーシーを安心させるように声を張り上げた。
「私どもが誠心誠意、パラケルスス様にお付きしますので! 何かありました場合、アリス様からお借りしているアイテムで連絡を取ります!」
「よろ! そいじゃ、行ってくるね」
ルーシーはそんな兵士の言葉に安心し、アベスカの城を後にした。
「来たね〜、ルーシー」
「はい!」
転移の魔術でアベスカから、魔王城へと飛んでくるルーシー。ここは魔王城の書斎の一つ。幹部それぞれに書斎や執務室が与えられているが、その誰もが使わない場所だ。
誰の仕事も邪魔しなくて良いので、アリスが多用している。
アリスの部屋と宣言すると、またエンプティがヴァルデマルに対して「広さが足りない」「豪華さが足りない」などとクレームを入れるだろう。だからあえて自室だとは公言していない。
さて。ルーシーは今回の作戦において、〝開始の合図〟を担っている。それにあたり必要な魔術を、アリスから教わる算段になっていた。
ルーシーも、この世界に来てから様々な相手から魔術を習ってきた。ヴァルデマル、スノウズ、マリル……。しかし、その程度から教わるのは限界がある。全てを知っているアリスからしか教われない、高い領域が存在するのだ。
そしてアリスに次いで魔力量があり、魔術の適性が高いルーシーにとって、それらを覚えて扱うことは造作もないことであった。
「今回完全に裏方で対峙することはないけど、君の支援はとても重宝される存在だと思う。それに、〈転移門〉を教えて無かったよね」
「はい。まだ教わっていません」
アリスが今回レクチャーするのは、彼女が多用に多用を重ねている〈転移門〉であった。もはや最低ランク魔術と同様に使用し続けている魔術だ。
改めていうならば上から二番目の高ランク。Sランク魔術であり、転移系魔術では最高ランクの魔術である。
ライニールを始めとするアベスカの民も、もはやその魔術に対して日常茶飯事として馴染んでいる。慣れとは恐ろしいものである。
「この機会に教えておくね。じゃあ今見せるよ〜」
「はっ、はい! ――〈感応知覚・
ルーシーが多少焦りながら、スキルを発動した。詠唱から発動までをこのスキルで見ておけば、その魔術を覚えられるという優れもの。それはどんなランクであっても同じ効果である。
本来の効果はステータス閲覧というものだが、幹部レベルのスキルとなればここまでに異常なおまけ性能を有するのだ。
「――大地に眠りし世界の記憶よ。我が身、我が心、我が魔力をもって、その地を開く門を顕現せよ」
アリスは普段省いている〈転移門〉の詠唱を唱えた。詠唱を受けると、空間に見慣れた門が生成される。アリスの移動手段の要である〈転移門〉だ。
ルーシーはその様子をじっくりと瞬きもせず、見逃さないように見つめていた。
「どう?」
「……バッチリです! 覚えました!」
「よかった。この門はもうパルドウィンに続いているから、先に行ってなさいな。転移するには、場所を見る必要があるから」
門が開かれて、中から見える景色はパルドウィンの上空だった。アリスが初めて見た、あの港町だ。小さく冒険者組合の看板すら見える。
今はアベスカ付近の魔王城だというのに、たったひとつの門を通り抜ければ遥か遠くに存在するパルドウィン王国へと繋がる。そんなまるで神の領域のような魔術を、彼女達はポンポンと扱うのだ。
「はーい! じゃあひと足お先に……頑張ってきますね!」
「よろしくね」
ルーシーは門の中へと入っていくのを確認すると、アリスは〈転移門〉を閉じた。
書斎にはアリス一人が取り残されている。外界の音を取り入れにくい部屋は、シンと静まり返っていた。これから遠方で起きる悲劇も、全く知らないという雰囲気で。
「ふーっ。さて、あとは待つだけか」
ふかふかのソファに座り込む。どれだけだらしなくしていても、文句を言う存在などいない。
そんなところに、トントンとノック音が響く。アリスが許可をすると、二人の部下が入室してくる。――エンプティと、ヴァルデマルであった。
「御一緒してもよろしいですか?」
「俺も許可していただけるのでしたら、是非」
エンプティは今回の作戦に加わらないメンバーの一人だ。
アリスがいるとはいえ、魔王城の警備が手薄になるということ。そして今回の作戦に当てはめられる場所がなかったこと。それらを加味して残されていた。
ヴァルデマルは魔術連合国を担当しているが、メインのメンバーではない。魔王城で必要とされることが多いため、ウレタ・エッカルトと魔王城を行き来する生活をしている。この作戦の間はたまたま魔王城にいたため、こちらに立ち寄ったのだ。
何よりも自身を圧倒的に凌駕する、新たな魔王であるアリス。そんな存在が勇者と対峙する瞬間を見れるのであれば立ち会いたいだろう。
「見にはいかないよ?」
「え? 後ろで確認されていると聞いたのですが……」
「は、はい。俺もそう聞きました」
「どこから聞いたんだ……。んー、ちょっとまってね……」
頭に手を当て、アリスは考え始めた。と、言うよりは記憶にあるものを掘り出し始めた。
こういった場合に何かが出来ないか、と。
そこで出てきた一つの魔術。Xランクという最高ランクのものだったが、アリスの知識にあるならば扱える。
「よし。〝モニター〟を出そうか。――〈
アリスが魔術を唱えると、三人の目の前には四枚の和風な鏡が現れた。ふわふわと浮いているそれは、今はただの鏡である。アリスとエンプティ、ヴァルデマルを写しているだけの、何の変哲もない鏡だった。
「ん? 私でも四枚が限界か……」
「こちらは……?」
「景色をリアルタイムで見れる鏡だよ。指定した人がいる場所も見れるから、えっと……ここはこうで、こうかな」
アリスは鏡一つ一つに、何かを当てはめていく。アリスが当てはめると、パッと浮かんだのはハインツとその周囲の景色だ。少し上からハインツを見下ろすように、〝映像〟が確認出来る。
そして続いて別の鏡に、ルーシーとベル、最後にエキドナを当てはめた。
先程まで普通の鏡だったというのに、全てに映像が流れていた。それはまさに、監視カメラのような働きを見せている。
「これで!」
「これは……ルーシーと、ハインツ、ベル……エキドナですね」
鏡に映っていた四人は、それぞれこれからの作戦へ向けて準備をしている最中だった。
ルーシーはパルドウィン上空を飛び回り、各所を記憶しようと励んでいる。
ベルとエキドナは、それぞれ作戦に必要な〝相方〟の元へと向かっている。
ハインツは特にこれといった準備はしていないものの、軍服に取り付けられている勲章――魔術アイテムの整備をしていた。
「うん。城でただ待つのは暇だしね〜。見ながら待ってようよ。音は出ないけど……」
「確かにそうですね。――あ。アリス様。ルーシーが動き出しました」
「おおっ、仕掛けはじめるかな?」
鏡に映し出されていたルーシーは、腰に下げていた杖を取り出していた。
何かを唱えたと思えば、パルドウィンの都市が黒く怪しげな霧に包まれていった。
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