ウレタの姫2
「では、行こうか」
「は、あ、はい。でもここからじゃ、数日以上かかりますよ」
「心配するな」
「へ?」
アリスは許可も容赦もなく、姫の頭部を鷲掴みした。幹部であれば見慣れた行為だ。
手っ取り早く相手の脳内を覗くための手段である。
もちろんこのウレタの姫君が知っているわけもなく、いきなり頭を掴んでくる相手に困惑している。
きっとアリスほどの存在でなければ、「無礼者!」と叫んでいたところだ。
「ウレタの、人気のない場所を想像しろ」
「え、い……あ……」
「あぁー、城内はだめだ。もっとスラムとか、監視の薄いところを。人の全く出入りがない場所だ――うむ、そこがいいな」
姫はアリスに言われたまま、ウレタの情景を頭に浮かべた。今はもうない美しいウレタ。
火の海に変わってしまう前の景色を浮かべながら、少しだけ感傷に浸る。その瞳には少しだけ涙が浮かんでいた。
アリスに拒否された城内を候補から捨てて、別の場所を思い浮かべていく。アリスの要望通りになるような場所をピックアップするのだ。
やっとのことで思い浮かべた景色だったが、姫の体調は徐々に悪くなっていく。
アリスが手を離す頃には、吐き気と頭痛などの症状が表れていた。頭をしきりに殴られているような感覚に、脳を揺さぶられたような気持ち悪さ。
逃亡生活でまともに食していないのに、胃の中から何かがせり上がって来るような感覚。
「うぇっ、げほっ、ぉえっ、グッ……」
「クッ……! アリス様に触れられて、吐き気を催すなど……!!」
「落ち着け。レベル差の大きい相手の頭を、無理矢理覗いたんだから。生理現象だ」
「私ならば吐き気すら愛おしく思えますッ!」
気合を入れて反論するエンプティ。アリスはそれを見て頭を抱えた。
アリスに対する忠誠心と愛が激しいのは良いことだが、エンプティの場合は、日に日にそれが変な方向へと湾曲していく気がするのだった。
アリスは呆れながらも、姫に対して魔術を付与した。自身でも愛用している治癒の魔術だ。
「変な風に張り合うな…………。〈
「あれ……? 楽に……」
理由も分からず、楽になった体調を不思議がる姫。
そんな彼女を他所に、アリスはまた別の魔術を展開する。こちらも愛用というか、多用している〈転移門〉だ。
そびえ立つ門の奥には、薄暗い部屋が広がっていた。中に誰かの気配もなく、アリスの要望通りの人気のない場所だと分かる。
これであれば侵入しても問題ない場所だろう。
「なっ、なにこれ……」
「〈転移門〉だよ」
「フフ、感謝なさい人間。これはSランク魔術よ。人間風情がアリス様の魔術を、間近で見れる喜びに浸りなさい」
「え、Sランクって……上から二番目じゃ……」
〈転移門〉を展開したのはアリスだったが、それを自慢しているのはエンプティである。
主は凄いでしょう! と得意げに話しているのだ。
実際に誰がどう見てもすごいのだが、それでも自慢したくなるのだ。
姫も姫で、純粋に感嘆している。そんな魔術を早々に拝めるわけがないのは、彼女も知っているのだ。
「そうよ。もっとも、転移の魔術はこの魔術が最高ランクだから、実質最高の魔術と言えるわ」
「すごい……」
「うふふっ。そう、アリス様は凄いのよ!」
アリスが褒められれば、エンプティが上機嫌になっていく。普通にしていれば美しい顔であるため、満面の笑みを浮かべている彼女は可憐であった。
余計なことを言えばいつものエンプティに戻るのは、アリスもよく分かっていた。だからあえて何も言わずに、門の中を観察している。
中は薄暗い倉庫だった。改めて見てみれば、穴が空いて光が漏れ入っている。
ところどころ廃れていて、何かめぼしいものがあるとは思えない。倉庫なのであれば何かしらの保管がされていたはずだが、そういったものも見受けられないのだ。
「ここは、城から少し離れた場所にある倉庫の一つです。本来ならば、食料の備蓄があったんですが……」
「件の魔物に襲われた、と」
「はい……」
「それでその魔物は、どこにいるのかしら?」
倉庫の様子はとても静かだ。嵐が去ったあとのように、何も感じられない。
外で戦闘が起きていたり、何か魔物がいるような気配もない。すべてが終わって、この場所には何もいないかのようだった。
元々人気のない場所を選んだため、それは当然のことだろう。
しかしながらせめて、森のざわめきや、生き物の声などが届くはず。
「ふ、普段は城下町にはびこっていて、それで、偉いやつは城に……」
「偉いやつ?」
「アリス様、恐らく指揮官かと」
指揮官、と聞けばアリスは分かりやすく表情を変えた。
アリスにとってそんなものを葬り去るのは、感嘆なことだろう。しかし面倒事には変わりないのだ。
(ゲッ、めんどくさいな。また上官か。まあしょうがない事なんだろうけど……。ただ、国を滅ぼせるレベルとなると厄介だな)
それにあたってまずは、使役している魔物が何なんのかを知るべきであった。
知識人を手元に置いたところで、アリスが彼らから勉強しているわけではない。わからない時に都度聞いているだけだ。
だから兎にも角にも、今回の敵となる魔物が何であるかが知りたかったのだ。
名前さえ知っていれば簡単だ。あとはユータリスに通信をして、詳細を尋ねれば良い。
「どういう魔物か詳しく教えろ」
「あ、はい。えっと、その、連れているのはサンドドラゴンと言われる類でして。少なくとも数匹はいるかと思います」
「指揮官は?」
「わ、わからないんです。人間っぽいんですけど、人じゃないような言い方で……」
「ふぅむ……」
先日のワイバーンの一件もあるため、姫の言うドラゴンは半信半疑で受け取った。
しかし国を蹂躙できるような存在であれば、ワイバーンよりもドラゴンで間違いないだろう。
数が分からないことが問題だが、どんな相手だろうとアリスの敵ではない。
そして指揮官の情報不足。逃げてきた姫というだけあって、これ以上の情報を見込めないだろう。
「それじゃあ、案内してくれて感謝する。呼ぶまでアベスカで休息を取ると良い」
「え?」
アリスはアベスカ城内へ通づる〈転移門〉を展開した。姫はまだ思考が追いついておらず、アリスが何を言ったか理解できていなかった。
〈転移門〉の先には兵士が見え、兵士もアリスを見つけると嬉しそうにしている。
もはやアベスカの人間は、Sランクである〈転移門〉という魔術をいとも簡単に使うアリスに、違和感を抱いていないのだ。
「アリス様! 今日もお元気で何よりです!」
「やぁ」
兵士はアリスに向けて敬礼を行い、何ら問題のないアリスを見て喜んでいる。
アリスもそれに応じて軽く挨拶を返した。
姫の首根っこを掴んで前に差し出すと、話を続けた。
「彼女はウレタの姫君だそうだ、預かっててくれるかな」
「え!? は、はい!」
「長いこと森を彷徨っていたようだ。心身ともに労ってやってくれ」
「はい!」
「詳しくはルーシーに伝えておく」
「かしこまりました! お気をつけて!」
最初は困惑していたものの、アリスの要望を何の疑いも無く受け入れる兵士。
――順応というのは恐ろしいものだと、アリスは客観視しながら思う。
未だに会話についていけない姫を他所に、話は着実に進んでいた。
「え、え、あのっ」
「ではな」
終始、頭上にはてなマークが飛んでいた彼女を、ドンッと強く押し出して兵士へ受け渡す。
混乱でいっぱいの表情がアリスを見ていたが、アリスはそれを気にせずに門を閉じた。
そして先程兵士に伝えた通り、詳しい内容を伝達すべく通信魔術を使用する。通信先はもちろん、ルーシーである。
アリスが話しかければ、聞き慣れた弾んだ声が飛んでくる。
「ルーシー」
『はぁい!』
「今一人そっちに人を送った。亡命してきたお姫様だよ。疲労してるから癒やしてあげて」
『えー! やばお! 何かあったんですか~?』
「目的地のウレタが今乗っ取られてるみたい。それで逃亡したみたいだよ」
ざっくりとした説明をすれば、通信の向こうから「うーん」と悩む声が聞こえてくる。
普段こういった作戦などは全く関与せず、頭の少し悪い彼女だが、それでも変わろうとしているのだろう。
それはパラケルススのことがあってからなのか、アリスには分からないことだ。
『それは……誰かを送ります〜?』
「いや、このままエンプティと攻める。ただ、人間との交渉でまたお姫様を使うと思うから、それまでに綺麗にしてあげてね」
『はぁーい! 頑張ってくださいっ!』
「うん、ありがとう」
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