ウレタの姫1
別段急ぎの用事ではなかったことと、いつも苦労をかけているエンプティとゆっくりしたかったこと。
それらが相まって、アリスとエンプティはゆっくりと歩いていた。
しかしながら着実に歩を進めていた二人は、既に魔王城が遠くに見えるところまで来ていた。
「それで、アリス様。どちらの国へ行かれる予定なのでしょうか?」
アリ=マイアを統治する、とだけしか告げていないアリス。エンプティは肝心の目的地を聞かされていなかった。
しかしアリスは迷うこと無く、悩むこと無く歩みを進めている。
確実にきめた目的地が存在するのだ。
「ウレタってところだよ」
「ウレタ……。ジョルネイダ公国の南にある砂丘の影響が、強くあると記憶しております。常に砂嵐だとか……」
アリ=マイア教徒連合国がひとつ、ウレタ。
アベスカとは一番離れた位置にあり、エッカルトという別の加盟国と島を共有している。
ウレタのすぐ西には、あのジョルネイダ公国がある。とは言っても、広がるのは砂丘だ。
海のように広い河川を挟んでいながらも、ジョルネイダの砂丘からは常に砂が飛んでくる。潮風が伴い嵐へと姿を変えた砂は、ウレタを覆って被害を与えている。
何よりもアリ=マイア教をよく信仰している。
〝質素倹約〟かつ〝他者のための己の犠牲〟をモットーするアリ=マイア。
ウレタがどれだけ被害にあおうとも、「他の国に迷惑がかからないのであれば、我々が受けるのみ」と許容しているほどだ。
「それが使えないかなって」
「砂嵐をですか?」
「止められる存在が現れたら、どうする?」
「感謝……でしょうか? 人間の習性からいけば……」
「そうだね」
「では予てからされている、トレラント教を布教する計画のおひとつなのですね」
長い間信仰されてきたものを、新たに生まれたものに塗り替えるというのは難しいことだろう。
なのであれば、アリスが本当に現人神であると分かってもらえるよう、人ならざる手で行けば良い。強引ではあるが、アリスに出来る簡単な手段だ。
どんな大病であろうとも、国に蔓延る悪夢であろうとも、それが砂嵐であろうとも。
この世の全てを知識として有する彼女は、それら全てを打破してしまうのだ。
「あの、アリス様」
「うん?」
「ウレタが目的地でしたら、もっと急がれたほうがいいのではありませんか?」
「まぁ……」
確かにエンプティのため、とスローペースで歩いていたものの。
ウレタへ向かうまでに広大な河川を渡らねばならない以前に、現在アベスカや他の国がある大陸を横断する必要がある。
これといった日数を設けていない旅と言えども、徒歩では流石に日数がかかってしまう。
アリスは仕方なく、走るために体勢を変える――が、しかし。それもエンプティによって止められる。
「しょうがないか、じゃあ走っ――」
「! アリス様」
「うん? ――あ」
いつになく真剣なエンプティは、走り出そうとしているアリスの前に手を差し出して、アリスを阻んだ。
一瞬意図が組めなかったが、周りを観察すればすぐに分かった。
そして確信させるように、周囲の草がガサゴソと音を立てている。何かがひそんでいるのは、よくわかった。
エンプティが前に出ている以上、ここは任せて欲しいということだろう。アリスもそんな部下を断るはずもない。
探知をかけたわけではないが、さほど人数も多くは見られない。このままエンプティに任せて問題ないと判断する。
「宜しくね」
「はい。〈
腕を剣に変えて、エンプティは草むらに飛び入った。意気込んで仕掛けた割には、聞こえてきたのは想像以上に間抜けな声だった。
「きゃぁ!?」という可愛らしい声と、エンプティの驚いた頓狂な声。
少しだけ気になるやり取りに、アリスは草むらを覗きに行こうとした。
しかしエンプティが、すぐさま草むらから戻ってきたのだ。数分、もはや数秒も戦闘を行わないで、だ。
そして連れているのは、気絶してぐったりとしている少女。
どう見ても人間に見える少女だったが、この世界の魔族や魔物に対して理解が深くないアリスには、どんな種族なのか分からなかった。
「対峙した瞬間気絶したので、丁度良いと思い連れてまいりました」
「人間……? いや、サキュバスみたいな下級魔族かな?」
「分かりかねます……」
「ん。こっちに渡して」
「はい」
アリスは空中に羽織っていた漆黒の羽衣を投げる。するとふわりと宙で止まり、まるで浮かぶベッドのようなものが出来上がる。
ちょうどアリスの腰の位置あたりだ。作業のしやすいベストな高さであった。
アリスはエンプティから少女を預けられると、そこへ少女を乗せた。
これだけ色々としているのに、まだ目覚める様子がない。突然出くわした〝腕が剣になっている美女〟は、それだけインパクトが強かったということだろう。
アリスは少女に手をかざすと、魔術を唱えた。
「〈
ごくごく当たり前のように、使用する魔術は最高位であるXランクの魔術。
〈
本人がどれだけひた隠しにしようと、魔術で記憶を保護していようと全てを晒してしまう。
ここまでいとも簡単に高ランク魔術を使えてしまうのは、この世界でアリスくらいだろう。
この世界に存在している魔術ではあるものの、習得しているものはおろか、知り得るものすら少ない。
「……!」
「どうされました?」
「この子、人間。もっと言えば――ウレタのお姫様だ」
「なっ……!」
もちろん、〈
アリスが読み取った少女の情報には、ウレタの姫であることがしっかりと書かれていた。
まさかウレタに向かう道中、そんなタイミングでウレタの姫と出会えることがそうそうあるだろうか。
隣国の姫などならばまだしも、遠方のウレタの姫だ。相当に低い確立である。
「なんでここにいるんだろう? 起こして聞いたほうがいいよね……」
「警戒は忘れぬように」
「分かってるよぉ……」
アリスが軽く姫の頬を叩く。年頃の少女のもっちりとした肌を、ペチペチと。
指先にも広がる鱗で傷つけないように、注意をはらいながら。少女が起きるまで叩き続けている。
軽く叩いているだけだが、蓄積された痛みは確実に姫君に襲っている。頬がほんのり赤みを帯びてきたところで、彼女は目を覚ました。
「う……」
「おはよう」
「キャァアアァ!?」
「あ、しまった」
現在のアリスは人間に変身しているわけもなく、いつものアリスのままだった。
遠くから見れば普通の人間の少女に見えるかもしれない。しかし間近で見てしまえば、人ではないことがよく分かる。
人間形態のエンプティを見ただけで倒れた少女だ。これでまた気絶されたら、振り出しである。
焦りながら逃げようとしている姫君に対して、口を挟んだのはエンプティだった。
「落ち着きなさい、人間」
「に、人間!?」
「やめろ、紛らわしい」
「申し訳御座いません」
眼の前にいるのは部下ではないため、ここは王らしく振る舞うアリス。
それに相手は姫君である。ここで舐められては、魔王が廃る。
ようやく落ち着きを見せた少女に向けて、アリスは質問を開始した。どう考えてもウレタの姫が、こんな魔物もウジャウジャいるような森にいるはずがないのだ。
他国へ訪問をするにせよ、たった一人でこんな場所を歩いているのはおかしい。
アベスカに来るための地図上の最短ルートは、山脈を通ることだ。しかし険しい山々を超えてまで、向かうべきではない。
大抵は、オベールの港に停泊し、そこからイルクナー経由で向かうのが安全だ。随分と大回りになる経路だが、一番危険がなく向かえる。
力に自信があれば、今アリスたちがいる大森林経由の道もあるだろう。
しかしアベスカをはじめとしたアリ=マイアの人間は、魔物や魔族に対して余裕を持って対応できるほど、力はない。
つまりここにウレタの姫がたった一人でいる理由が、アリスにとっては重要なことだった。
力もなく、頼れるものもいないのに、なぜ。
「お前はウレタの姫だろう。何故ここにいる」
「……そ、それは……」
怯えながらも、ウレタの姫はポツポツと話し始めた。
数日前の深夜、突然ウレタを襲った者達。火に包まれる国、城。まるで地獄を具現化したような景色が、愛する国に広がった。
姫の話を聞きながら、アリスは眉をひそめる。砂嵐を解決できれば慕われる――などと思っていたが、アリスの知らない間にもっと酷いことが起きていたのだ。
しかしそれは逆に利用できることだった。
「……数日前の夜中、魔物が我が国を襲いました。現在のウレタは砂嵐だけではなく、魔物のはびこる国へと変わってしまいました」
アリ=マイアは魔術が発展しておらず、そういった情報伝達が遥かに遅い。
いちいち伝達係の誰かが馬を走らせて、城までやってこない限り有り得ないことだ。
何と言っても問題のウレタは、河川を挟んでいることもある。アベスカ――もとい、アリスにはそんなことは流れてこなかったのだ。
もしも知っていれば、大森林をこんなにダラダラと歩いて向かわなかっただろう。
空を駆け、地を疾走し、何が何でもウレタへ向かっただろう。
生きている人間が多いほど恩を売れたからだ。
魔族で魔物であるアリスにとって、人間に心を開いてもらうのは時間がかかること。故に恩を売るということは、最重要課題である。
(情報を仕入れる方法も、もっと強化したほうがいいってことだなぁ……)
「それで。貴女は何故ここにいるの、と聞いているのだけれど」
「……家族――王が逃してくれたのです」
「ふむ……」
「若輩の私一人逃げたところで、ウレタを復興出来るはずがありません。王という権限を使った、娘を守りたいというただのエゴです……!」
姫はその場に泣き崩れた。
本来であれば聞いている側も同情と涙を誘うのだろうが、アリスは人間だった頃からもともと〝そういう話〟には興味がない。
彼女の趣味嗜好を考えれば当然のことだろう。
お涙頂戴の感動ドラマや、絶望から希望に這い上がるシンデレラストーリーなど好きではない。
むしろ涙して懇願する若者を、無慈悲に殺していく殺人鬼に恋い焦がれていたのだから。
そんな少女をつまらなそうに見下ろすアリス。そこへヒソヒソとエンプティが話を持ってくる。
「アリス様、これは利用が出来るのではないでしょうか? 国を救うとなると、恩恵は多いはずです」
「そうだよね――よし、採用!」
アリスが採用を命じると、エンプティが姫へと話しかけた。
人間に対するいつもの高圧的な態度で接すれば、言われた姫君も困惑しながら。
「喜びなさい、人間」
「に、人間……」
「このアリス様が、お前の国を救ってあげます」
自信満々にそういうエンプティ。「私のアリス様は凄いんですよ」と豪語するかのように、鼻高々だ。
その妙な自信から、姫は少し困惑している。何と言っても、彼女達の中ではアリ=マイアにそんな武力があるとは思えなかったから余計に疑った。
「……本当ですか?」
「チッ……低レベルの分際で疑うなど……」
「よせ、仕方のないことだろう」
「失礼致しました」
しかしながら姫の通り、初めて出会った存在に「助けてやる」と言われて、信じる人間がどれだけいるだろうか。
アベスカのように段階を踏んで洗脳――統治が成功した場合ならばまだしも、彼女とアリス達は出会ってものの数分程度の仲だ。
これで相手を信頼するほうが、逆に心配である。
アリスは「うーん」と考えてみるも、いい案が浮かばない。
「どうすれば信じてもらえる? アベスカの城でも見せようか?」
「大丈夫、です。信じます。他国の名前を出されてまで、疑うほどではありません」
「そうか」
「最初から信じると言えばいいのに。回りくどい人間だこと」
「だから喧嘩を売るな」
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