ドラゴンvsスライム?

 アリスは、アベスカへと発っていた。

ルーシーを呼びに行くついでに、監視用の魔物を置いてくるからだ。パラケルススが未だ不調のなか、そういう類を生成できるのはアリスのみ。

 もはやアリスの土地でもあるアベスカ。そこが目的地なのであれば、エンプティですら供回りを必要としなくていいと思っている。


 主が用事で一時的におらず、尚且つ最近は仕事がやっと片付いてきた。

つまるところ、幹部の彼らは待ち時間を持て余していた。暇なのである。


「暇ね」

「三回目だよ、エンネキ」


 〈全溶エンタイアリー・解酸・アシッド〉で酸の球状の液体を生み出して、お手玉のように遊んでいるのはエンプティである。

敬愛するアリスも城にいない今、まさにスライムのように溶けてだらしなくなっている。かろうじて人の形を保っていた。

 そんなエンプティに誰も何も言わないのは、他の幹部もエンプティ同様暇だからである。

せいぜいベルが「また言ってるよ」を言うくらいだ。


「であれば、久々にアレをやるかッッ!」

「! 良いわね」


 がばり、と上体を起こすエンプティ。その顔は明るく、〝アレ〟に対しての期待を帯びている。

 やる気になったハインツを逃すこともなく、エンプティはスキル〈亜空間ポッシビリティ・完全掌握ブラックホール〉を発動させた。

この場にいた、ハインツ、ベル、パラケルススを同時に飲み込むと、部屋は誰もいなくなってしまった。


 〈亜空間ポッシビリティ・完全掌握ブラックホール〉の中は、青空が広がり遠くには山々が立ち並んでいるが。しかし近場には高い建物や草木がない。

青々とした草が生い茂り、そよそよと心地の良い風が吹いている。

寒くもなく暑くもない、春のちょうどいい日差しが照っていた。ピクニックにぴったりな気候だろう。

 これも〈亜空間ポッシビリティ・完全掌握ブラックホール〉でエンプティが生み出した空間である。

もちろん数十キロに渡る距離であれば、自由に移動が出来る。これから行う〝アレ〟程度であれば、この広さで十分なのだ。


「どうぞ、ベル」

「わっ! 人間の腕? なになに?」

「ちょっと前にくすねた犯罪者の死体ですぞ。観戦のお供にどうですかな」

「おやつか! いっただきま~す!」


 二人は草原に腰掛けて、目の前で行われるであろうものを待っている。

そしてベル達の目の前にいる二人――エンプティとハインツは、距離をおいて向かい合って立っていた。


「いつでも良いわよ」

「そうか! では行くぞ!」


 ハインツは体に力を込めれば、ミシミシと軋む音がする。

巨大な翼が背中から生えて、浅黒い肌は爬虫類のような鱗に包まれていく。体が形を変えて、徐々に人から漆黒のドラゴンへと変貌していく。

爪は鋭く、紫の瞳は闘気に満ち溢れた恐ろしさを帯びている。

 漆黒の巨大なドラゴン。これこそが、ハインツのもう一つの形態だ。

ハインツが龍形態になれば、気候が穏やかであった空間が少しだけ寒くなる。それは彼が氷系統のドラゴンであることを示していた。

 その大きさは十数メートルはあるだろう。エンプティに比べれば何倍も大きなドラゴンだ。

 ハインツは空へ向けて咆哮を放った。


「オォオ゛オォオ゛オォオーーッッ!」

「チッ……! 私のスキルごと壊す気!? あの大声ドラゴンが……!」


 あまりに威力が高い咆哮は、エンプティが〈亜空間ポッシビリティ・完全掌握ブラックホール〉にて作り出した空間に歪みをもたらしている。

なんとかエンプティが耐えているお陰で、空間が残っている。だが遠くの山の一部が無機質な亜空間へと戻りかけていた。

 ベルとパラケルススのいる草原にも影響が及んでいるようで、今まで草しかない場所が突然沼地になって怒っているのが見えた。

 この空間はエンプティ作成だが、こうして壊しかけているのはハインツのせいだ。

だからエンプティは二人には謝らないし、沼地を草原に戻したりもしない。


「少し叩けばなんとかなるかしらね……! 〈万物オールマイティ・形状変化トランスフォーム〉!」


 エンプティの両腕が、強固な金属でできたグローブへと変化する。

ただの剣や槍などではハインツの硬い鱗には意味を成さない。鱗の隙間と隙間に、上手く攻撃を入れられれば可能だろう。

しかしそれが出来るのは、ベルかアリスくらいだ。

 となれば鱗をも割れるような、強いもので殴るしかない。

エンプティの得意とする酸攻撃も、龍形態ではあまり通らないのだ。


「行くわ――よッ!」


 エンプティが草原を駆けて、ハインツの目の前で一気に飛び上がる。

腕を大きく振り上げ、勢いを殺さぬまま殴りかかった。



「うおぉ、やってるねー」

「全く、なんなのですか! あのスライム女は。こちらの惨状に気付いておりましたよな? なぜ戻さないのです」


 ベルがおやつを舐めながら、パラケルススは怒りながら。始まった二人の戦いを見つめていた。

沼地でそのまま見ているわけにもいかず、ハインツの咆哮の影響がない別の場所へと移動を始めた。

 魔術のかかった特性の衣装である為、二人の服が汚れるなどということはなかった。しかしパラケルススは初日の一件もあって、身なりの綺麗さには慎重になっていた。

一方ベルは「汚れていないならいいや」と気にせずにおやつを食べている。


「でもさぁ、エンネキって魔術の方が強いじゃん。なんで物理?」

「体が鈍るから、と前に言ってましたぞ」

「あー。魔術だと突っ立ってて終わりだもんねぇ……。でもハインツおじさま相手に近接は馬鹿じゃない?」


 ハインツの物理耐性は高い。最硬を誇るエキドナに次ぐ硬さだ。

そして魔術耐性もそこそこ高い。というよりは、ハインツは全体的にステータスが高めに設定されている。

 ドラゴンという種族は、それらに影響を及ぼすくらいには強いのだ。


 そして何より、ドラゴン形態になったハインツは〝ブレス攻撃〟を可能とする。

三段階からなる氷のブレスを吐き出すその姿は圧巻である。

もちろん見た目もさることながら、威力もそれに応じた強さがある。

 凍てつくブレスをかわしながら、こちらも攻撃を仕掛ける。しかも与える攻撃は、硬い鱗をかち割れるような桁違いな攻撃力でなければならない。


「いくら幹部とて、近距離のブレスを避けられぬようならば無意味……ってことでしょうかな?」

「え? パラ殿は? 避けられんの?」

「んん~、死にますなぁ」

「「ナハハハ!」」


 ベルとパラケルススはお互いに笑いあった。

 二人の言う通り、ブレスを避けられなければ幹部失格とも言える。

幹部にはハインツの機動力を下回る存在もいるので、避けられない場合は防御する必要がある。

 エキドナであれば全てを受けきっても回復出来る。ルーシーはシールドを展開すれば良い。ベルはそもそもハインツに捕捉できないだろう。

パラケルススの場合は……本人の言う通り、回避はほぼほぼ不可能だろう。受け止めることも出来るはずがない。


 これは、そもそもパラケルススが前線に出て戦うことを想定されていないからだ。

先日の一件でもあったが、パラケルススは戦闘向きではない。完全に後方に置いて支援をするタイプだ。

 ステータスはユータリスを除いた中で最弱。下手すれば、強化を解除したレベル170状態のディオンでも勝てるかもしれない。

それくらいに弱いのであった。




「〈Eis〉!」

「ぐぅっ!」


 氷のブレスがエンプティを無慈悲に襲う。

ただの暇潰しではあるものの、後ろにはヒーラーのパラケルススも控えている為、ハインツも容赦がない。

 エンプティも負けずと攻撃を繰り出しているが、ブレスをかわしながらする攻撃はあまり威力が出せていない。ブレスを気にしすぎてしまって、いまいち力を出し切れていないのだ。


 鋭利な氷を伴うブレスは、エンプティを引き裂く。

ブレスを出し切ったハインツに飛び乗って、数発殴打する。ハインツが防御するように体をよじれば、乗っていたエンプティは吹き飛ばされた。

 何とか着地を成功させて、ハインツを睨む。

 相手は数十メートルにも巨大化しているため、エンプティの移動距離は遥かに多くなる。ハインツが時々空を飛んだりすることで、それは余計に増えていく。

何とか飛び乗ったり、遠距離攻撃を成功させても、ハインツには今一つ響いているようには見えなかった。


「人間じゃないから表情が読めないわ! ダメージ通ってるのかしら!? いつやっても分かんないわね!」

「〈Eis・Hagel〉!」

「連続は、やめなさいッ――〈全溶エンタイアリー・解酸・アシッド〉!」


 先程よりも威力の高いブレスが放たれた。立て続けにそう何度もブレスを吐かれては、近付こうにも近付けない。

エンプティは殴りたいのでブレスをやめてほしいが、ハインツもハインツで暇潰しとは言え、一応訓練であり試合だ。好き好んで負けたいものなどいないだろう。


 エンプティはブレスをかわしきれないと判断し、代わりに〈全溶エンタイアリー・解酸・アシッド〉を展開した。

このスキルでブレスによる威力を殺そうとしたのだ。全ては殺しきれずとも、一部は酸で溶かせるだろうと。


「チィッ……」


 ブレス攻撃による粉塵が晴れて出てきたのは、満身創痍にも近いエンプティ。

珍しく至るところに怪我が見られて、ハインツの攻撃の高さを知らしめる。

 〈全溶エンタイアリー・解酸・アシッド〉では全ての威力を落とせなかったようで、一部の攻撃を受けてしまった。

鋭い氷によって引き裂かれ、凍てつく寒さが彼女を支配する。

 ある意味弱体化デバフともいえよう。もちろん、それが通じるのはハインツのブレスを受けて生きていたものだけ。

大抵の場合はブレス攻撃の時点で死んでしまうのだ。


「〈スライム生成〉っ! 援護を!」

「かしこまりました、エンプティ様」

「承知致しました」


 エンプティはスキルで二体のスライムを生み出した。どちらも作成できるレベル上限の、150レベルだ。

スライムといってもデフォルトで生成されるのは、ブヨブヨした液体のような魔物ではなく、エンプティのように人型になっている。

もちろん〝本来のスライム〟でも、能力値は変わりがない。だがアリスが〝美女として生成される〟ように設定したため、幹部も誰も突っ込みを入れることはなかった。


 エンプティからすぐに命令を受け取ると、二体のスライムは瞬時に動いた。

ハインツの左右から攻めようと飛び出したのだが、二体はハインツに辿り着くことなど無かった。


「〈Eis・Hagel・Schneesturm〉!!!」


 ブレスの中でも最上位を、一息。

それはブレスというよりも、嵐だった。先鋭な氷を伴った嵐が、スライム達を飲み込むように生成されたのだ。

 気候変動とも思えるような圧倒的なブレスは、エンプティのスキル空間を揺らした。


 走っていたスライム達は、回避も防御も取れぬまま氷のブレスに覆われた。

エンプティは少々遠方に立って踏ん張っていたため、嵐に飲み込まれることはなかった。

しかし嵐の真っ只中を突き進んでしまっていたスライム達は、抵抗する暇もないまま飲み込まれていく。

 当然とも言えるが、ハインツよりもエンプティよりも遥かにレベルが低いスライムが、生還出来るはずもない。

エンプティが生み出したばかりのスライムは、跡形も無く消え去った。


「ちょっ、冗談でしょう!? このクソドラ――」

『やっほ〜、城戻ってきたよん。皆どこにいるの? エンプティの空間かな?』

「! アリス様!」

『玉座の部屋で待ってるね〜』


 クソドラゴン、と悪態をつこうとする時だった。

幹部の誰もが愛しているアリス。彼らが今まさに待っていた人物から、通信が届いたのだ。


「……しょうがないわね。アリス様に免じて今回は終わりにしましょう」

「お待たせするのは失礼だからなッッ!」


 エンプティは攻撃態勢を解除し、〈万物オールマイティ・形状変化トランスフォーム〉にて強化していた両腕も元に戻した。

 ハインツもいつの間にか、ちゃっかりと人間形態に戻っている。

あれだけエンプティと激しい戦闘を続けていたのに、汗一つかいてすらいない。エンプティは血だらけのボロボロだというのに。


 そんなエンプティを、パラケルススが簡単に治癒する。

そしてその横をニマニマと笑いながら、ベルが近付いて来た。


「なんか負け惜しみみたいだね、エンネキ」

「黙りなさい、骨ごと溶かすわよ」

「お〜、こわ」


 一同はアリスの待つ場所へ向かうため、エンプティのスキル空間から出ていくのであった。

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