調和3
「……入ればわかります」
「? そう?」
言葉の通りにアリスは家屋へ足を踏み入れた。
――が、ゴロゴロと転がってきた何かを踏みそうになる。咄嗟に避けてそれを見れば、空になった酒瓶だった。
見れば部屋のいたるところに空の瓶が転がっている。物によっては、まだ残っていたようで少しだけ床が濡れていることもあった。
しかもそれは、一本二本ではない。数本、十数本単位の大量の酒瓶が転がっているのだ。
「……なぁるほどね……」
「本ッ当ォーに、申し訳ございません。なんと謝罪を申し上げれば良いか……」
「うん……。逆にアルコール依存症じゃないか、って心配になるよ……」
「アル……? 依存?」
「何でもないよ……」
床に転がっている瓶を避けながら、イルメラの寝室へと向かう。
廊下にも幾つか酒瓶が転がっていて、イルメラが相当の酒豪だと分かる。これで二日酔い程度で済むのだから、本当に異常である。
これも人ではないエルフだからなのか、純粋にイルメラが酒に尋常ではない耐性があるのか。
「でもどうしてここまで飲むの?」
「それは……。我々にも分からないのです。ふらっと出かけて帰ってきたら、ここまで飲むことが多く……。ただ、理由を聞きにくく……詳しくまでは存じておりません」
「出先で何か起きてるってことかぁ」
「あ、こちらが寝室です。イルメラはこんな様子ですが、一応女性ですので。あとはお二人でお入りください」
「はいよ」
ヴィンフリートを廊下に残して、アリスとディオンが中へと入ることになった。
光を入れないようにカーテンも何もかも締め切ってあって、薄暗い部屋へとゆっくり踏み入れる。
ほのかに香るのは、酒の残り香だ。
二人が入室したというのに、どこかが動くということもなく、イルメラは死んだように眠っているらしい。
二日酔いで苦しんでいるイルメラには悪いが、アリスとて人を待たせている身。ここでダラダラと、彼女が起きてくるのを待つわけにもいかないのだ。
「ディオン、カーテン開けて」
「承知しました」
ズンズンと窓に向かい、容赦なくカーテンを開ける。昼の眩しい日差しが煌々と部屋へ差し込んできた。
ディオンはそのまま窓も一緒に開けていく。空気が入れ替わり、澄んだ風が入ってくる。室内に充満していた微かなアルコール臭も、外へと吐き出されていく。
「おい、とっとと起きろ!」
それだけではなく、ディオンは両腕にはめている
高レベルの魔術アイテムだからと、ディオンは力の限り叩いている。もちろん壊れる様子もない。
アリスもこんな使われ方をするとは思わなかった。それはバングルもそうだろう。
しかし効果はバッチリだ。室内に激しい金属音が響いて、布団の中で丸くなっていたイルメラは激しく叫んだ。
「ギャアァ! やめてぇえ! うぷっ」
「はぁ……。〈
「ぎもぢわ……ん? あれ?」
突然の光と激しい音に見舞われて、吐き気を催したイルメラに対しアリスは〈
当然ながら二日酔いは綺麗サッパリ消え去った。頭もスッキリした、冷静なイルメラがそこにいる――はずだ。
布団からノソリと出てきたのは、ボサボサ頭のハーフエルフ。
ところどころ、嘔吐物らしきものが付着している寝巻きを着ていた。着替えたはいいが、時々吐いたりしてしまったのだろう。
人に近い茶色の頭髪に、青い瞳。耳が多少尖っているということ以外は、普通の人間と変わりない。
そんなイルメラは、寝起きでこの状況がよくわからないようで、布団を羽織ったまま頭にはてなマークを飛ばしている。
「おはよう、イルメラ――」
「イルメラ・ベールケです、アリス様」
「イルメラ・ベールケ。調子はどうだ?」
「アリスサマ……? あれ? あなた、ダークエルフの子女…………、…………へ!?」
ポカンとしていたイルメラは、ようやく頭が回り始めた。
自分がまだ(嘔吐物つきの)寝巻きであることを確認すると、急いでベッドから飛び降りた。
ボサボサの髪を手ぐしでなんとか整えつつ、時々酒瓶で転げながらもなんとか身なりを整えている。
(吐くまで飲んで寝た挙げ句、翌朝上司――社長が直々に起こしに来たら、そりゃこうなるよね……)
自分に置き換えてイルメラを見れば、ゾッとした。
アリスは流石にここまで飲まなかったものの、飲み明かした翌朝に上司が起こしに来たら……と考えれば恐ろしい。
同情してしまった以上、彼女を咎めることなど出来るはずもない。
「オ、ま、たせしましま! した!」
「大丈夫か? 私はまだ待てるが」
「い、いいいいえ! 大丈夫でごぁいま、ごじゃ、ございます!」
「え、本当に……?」
「はい……」
踏んだり蹴ったりである。
折角代理で〝ご機嫌取り〟に向かったヴィンフリートが、アリスから高評価を得て帰宅したというのに。
肝心の第一部族長がこのザマなのである。
恥の上塗りである現状に、イルメラは真っ赤になって対応している。
「無理矢理起こして悪いが、こちらとしては急ぎ用でな。単刀直入に言わせてもらう」
「はい……」
「実は私の管理しているアベスカが、復興を開始しているのだ。それにあたって畑作が可能なエルフを数人借りた――」
「もちろんです!!!!! お貸しします!!! いえむしろお手伝いさせてください!!!!」
「え、うるさっ」
突然食い気味に了承する。キラキラと目を輝かせているが、どう見ても任せて欲しいという意味合いには取れなかった。
それもそうだろう。彼女が酒を飲む理由も、ここで了承する理由も一つだ。
一言で片付ければ、〝恋〟である。
イルメラ・ベールケは、人間の男に恋をしていた。恥ずかしいながらそれは、部族の誰にも言わない秘密のこと。
その男のことで一喜一憂しては、酒に浸る。そんな毎日。
そんな密かな恋を抱えているイルメラの元に、アリスが持ってきた案件が加わればどうだろう。
結果は先程の通りだ。
しかしこのイルメラの恋事情も、アリスはおろかヴィンフリートすら知らないことなのであった。
「流石はアリス様でらっしゃいますね! 人のために魔族を貸し出すとは、素晴らしいお考えです!」
「いや考えたのは私じゃないけど……。え、なになに? ディオンこれ、どういうこと?」
「俺もさっぱり」
悟られまいと必死に褒め称えるが、突然の変貌にアリスとディオンは困惑している。
とはいえ断られなかっただけマシだ。部族の長がここまでやる気なのであれば、下手な心配は不要。
エンプティにも似た押しの強さを見て、アリスはあえて触れないことにした。
「……まぁいいや。大臣には大丈夫だよって伝えておくね……」
「お任せください!!!!」
「だから、うるさい……」
円滑な情報伝達のため、アリスは適当なアイテムに通信魔術を付与して貸与した。
エルフ側と人間側の準備もあるため、一気に送り込むことなど出来ない。
お互いに時間を決めたり、人員配分を確認したりと話し合いが必要だろう。
それにアリスの下で働くのであれば、通信が出来ないというのは少々問題がある。
なによりアリスがアベスカに、常にいる訳ではないのだ。
エルフとの交渉が済むと、アリスとディオンは魔王城へと帰還した。
「しかしエルフだけで済ませるつもりですか?」
「いーや。ウルフマンにも手伝ってもらうよ」
「ウルフマンですか……。ホワイトウルフはいけ好かない奴らでしたが……」
「え、そうなの?」
ホワイトウルフはアリスが頼もうかと、候補に上げていた部族だった。
魔王城奇襲時も同行しておらず、出来れば争いを避けたがると聞いていたためだ。
しかしディオンが嫌な顔をするのだ。
アリスが理由を聞けば、ディオンはうーんと唸ってから答える。
「ハイエルフみたいなモンですね。魔術と学術に秀でたせいで、鼻につく奴らです」
「えー、じゃあやだなー」
ハイエルフはあの食事会にて嫌な印象を持っていた。
ハーフエルフを馬鹿にするわ、自分の部族が一番だと誇示するわで好ましいことがなかった。
そもそも用意された食事が、楽しい気持ちで食べれなかったのもある。
世界観や立場が違っていれば、きっとアリスは作法やマナーで文句を言われていたことだろう。
「エルフの中でもハーフエルフを使うなら、ウルフマンでも異端とされるはみだしものを使えば良いのでは?」
「あ! いいねそれ! 異端ウルフ居住区の場所は……?」
「知りませんね」
「だよね!」
――しかし運がいいのか、たまたま城へやって来ていたという使者がいたため、無事に部族へと向かうことが出来た。
異端とされるはみ出しもののウルフマンらも、ハーフエルフほどではないが了承を得た。
「虐げられている自分達を、必要としてくれる場所があるなら是非」との前向きな肯定だった。
大臣には本日中に用意すると豪語してしまった以上、数名は配備しなければならない。
取り急ぎすぐにでも迎える人員を、二部族から選出してもらった。
その人員をアベスカ城下町に配備して、ようやくアリスは本来の仕事へと戻れる。
アベスカに来ていたのは、会議のためにルーシーを引き上げること。
そして監視が手薄になる為に、ホムンクルスを生成して配置すること。
「ふぅ……。ルーシーを呼びに来ただけだったのに、面倒くさいことばっかりだったな……」
「そんなことありません。流石です、アリス様!」
ルーシーが褒める横で、アリスは慣れた様子でホムンクルスを生成した。生まれたホムンクルスは、深々とアリスに頭を下げる。
そしてアリスからの命令を待っていた。
「魔王城で会議する間、重役達の監視をお願いね」
「畏まりました、アリス様。いってらっしゃいませ」
「ありがと。ルーシー、行こっか」
「はぁーい!」
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